ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

タグ:生き方

はずかしことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あの・・すみません💦
突然ですが、あなたは
例えば友達の家とかで、急にもよおした時に

「ちょっとおしっこ・・」とか
「うんこしてくる」とか言えますか?


それとも「ちょっとトイレ借りるね」って言って
濁すタイプですか?

はたまた、報告せずに行きますか?

友達との関係値でも
変わるとは思いますけれど・・

あ、あと「下ネタ」って言えますか?

例えば「性的な行為」を言葉で表現したり
説明したりできますか?

ぼくは無理です。

自分がそういう言葉を口にしているのを
想像するだけで、意識が薄れます。
ほんっと気持ちが悪くて。自分が。

でもテレビとかで他人が話す下ネタは
特に何も思わないです。

芸人さんとか、唐突に下ネタをぶっ込んだり
されますよね?
ああいうのは、特に何とも思いません( *´艸`)

多分あれも技術だと思うのですが、唐突に見せて
やっぱり大半の芸人さんは間とか、タイミングが
とても上手なんでしょうね。
笑ってしまいますもの。

・・えっと、今回のテーマは
「恥じらいをずっと持ってしまうことに
意味があるのか、ないのか」

みたいな内容です。

これも悩みといえば悩みなのですが
今まで、あんまりちゃんと考えた事は
ありませんでした。

でも、この悩みも言葉で表現しておけば
何か意味が生まれるかも知れないと
考えたので、してみますね。

このテーマで、あなたに何かを
感じて頂けるのか疑問ですが・・笑
もし良ければ、読み進めて頂けると嬉しいです。

よろしくお願い致します( *´艸`)


 

【恥じらいとは】

ちなみに、ぼくは男性で
年齢もそれなりに重ねています。

おっさんのこんな話、まじで誰が興味を持って
読んで下さるんだと
、ちゃんと思っていますからね。

えっと・・
「恥じらい」という言葉の意味ですが
そのまま「恥ずかしがる」という事です。

含羞(がんしゅう)という言葉もあります。
文章語(文学などで使用される言葉)です。

「彼女の頬に含羞の色をみた」みたいに
使うそうです( *´艸`)情緒がすごい。

含羞に「む」の送り仮名をつけると
含羞む(はにかむ)と読むのだそうです。

照れる表現って、顔を赤らめて困ったような
笑顔を浮かべているイメージが、ひとつありますが
そういう感じなのかな?

日本語の難解さ、巧みさにはいつも驚きます・・!

たぶん一般的に「恥じらい」というものは
思春期辺りで、ある種のピークを迎えて
人生経験を重ねていくうちに、次第に
薄れていくものなのかなと思っています。

他人様の事は、何一つ分かりませんので
自分を例に、伝えさせて頂きますね。

何不自由なく育てて頂いた自分でしたが
残念ながら、幼少期から青年期に至るまでに
確固たる自己肯定感を得る体験が
上手に獲得出来ませんでした。

その結果、どうなったかというとですね

学生の頃から、ろくに友達を作れずに
過剰な自意識から登校拒否になったり
「なんでぼくみたいな人間が生きているんだ」
みたいな、内罰的な思考になってしまいました。

「人と関わる機会」を損失し続けた結果
自分の表現方法が分からない人間になり

その結果の一端として、今現在まで
「恥じらい」という感情を保持したまま
歳を重ねている状態と、相成りました。

理由は分かりませんが、今も手汗がすごいです。

自分の中の、触れたくないものに
無理やり触れているような感覚なのでしょうか。

ですが、ここで自分と向き合っておかないと
今後、健全に人間関係を構築する事なんて
出来ないような気がします( *´艸`)

【性の喜び(が分からない)おじさん】

例えば子供の頃「友達とエロ本を回し読み」したり
クラスメイトと「可愛い女子ランキング」を
発表し合った経験は、自分にはありません。

あなたはありますか?

ある方は羨ましいです。自分も友達と、
ざっくばらんに異性への想いを
語り合いたかったです・・。

たぶん、世の男性はそういう体験を経て
自分の中に「恥じらいの線引き」
するものだと思うのです。

女性は少し違うのかも知れません。
ちょっと分かりません。

「恥じらいの線引き」とは

「ここまでは言っても恥ずかしくない」
「ここまでは、この行動をしても平気だ」
みたいな「自分の中の恥ずかしさの基準」です


想像してみて欲しいのですが

あなたが「俺は〇〇(異性の名前)が好き!」と
最初の友達に初めて伝えた時に

「初めての行動に対しての相手のリアクション」って
めちゃくちゃ重要では、ありませんか?


相手が「おーわかるわー!」みたいに
肯定してくれるのと

「・・うわっキモ・・」
みたいに、肯定でも否定でもなく
「自分の存在に対しての一撃」
のようなリアクションをされるのでは

以後の自己表現の発露自体が
変わってきてしまうのではないでしょうか。


何が伝えたいのかといいますと
ぼくが今も過剰に恥じらいを持っている
理由のひとつに

「恥じらいの線引き経験がなかった」ことが
挙げられるのではないかなという事です。

自分の事ですので、どうしてもネガティブな印象で
伝えてしまいます。フラットではなくて
申し訳ないです。

では「恥じらいを人より感じてしまう人」に
何かメリットは存在するのでしょうか?

【恥じらいのメリット】

「恥」という感情は、人間社会で秩序を乱さずに
他人と共存していくための「防衛機構」の
ようなものだと思っています。


その理由は、発露が
「外界からの刺激」ではない点です。

怒りや悲しみは、他人の行動や言動
環境の変化に影響されて発露する
いわば「外界からの刺激で起こる
感情表現」
が常であるのに対し

「恥」という感情は、発端は
「外界からの刺激」かも知れませんが


次第に「自分が勝手に想起した結果
その感覚に陥るもの」
だからです。

「恥」という感情は、様々な行動の
強力なストッパーになります。

人は少なからず「恥ずかしい」という感覚を
自身の体験から学んでいます。

運動会の徒競走で、自分が一番足が遅かったり

全校集会で、他の生徒の前で先生に厳しく指摘されたり

学校のトイレで排便をした事を言いふらされたり

クラスでペアになって行う活動で、自分だけあぶれたり


そういう悲しい体験の中で同時に
「恥ずかしいという感覚」も味わいますが
その想い出を想起する時
「もうこんな気持ちを味わいたくない」

以降の自身の様々な行動や思考に
影響を及ぼします。

「恥ずかしかった記憶」が、その場所に
強力なゴム付きのフックとなって
設置されるようなものです。


一度恥ずかしい体験をすると
その場所から踏み出す事に躊躇いを覚えるため
同じ行動を起こす事に、他人に比べて
余分なエネルギーを使ってしまいます。

ただ「恥じらい」は、人が規範を持って生活する上で
有用なストッパーの側面も持ち合わせています。

他人に対して「恥ずかしい」と思うから
大半の人は、モラルやルールを逸脱せずに
社会の中で、他者と共存していけるのだと思います。

集団で生活していく中では、「恥」という
感情は、なくてはならないものなのですね。

【異性への恥じらい】

あなたは、男性ですか?女性ですか?

ぼくくらいの年齢で、ぼくのような
精神性の人間に
お会いした事がないのですが

多分ぼくと同年代くらいの方は、皆さん
「恥じらい」と上手にお付き合いして
社会で生活をされているのだろうなと
思っています。
 
自分の話ですが
異性のお友達とお話していて
その方が「ちょっとおしっこ」と
席を立った事がありました。

この時、あなたはどういう気持ちになりますか?
・・まあ、友達との関係値によりますよね💦

ぼくはその時、心の臓がビクッとなりました。
「このひと、女性なのに・・!」と。

ポリコレやジェンダーにおける表現の配慮に
著しく欠けた自身の価値観が、首をもたげました。


『えっトイレでいいのにっ、なんでわざわざ
おしっこなんて恥ずかしい言葉を言ったの?
恥ずかしくないのっ?』

みたいに、内心とてもドキドキしました。

言葉にはしていません。

また、話題の中で「この間さぁ、いきなり変態に
お〇〇〇!(放送禁止用語)って言われたんだけど
どう思う?ありえなくない?」

みたいな話題の時は、たまらず
「ちょ・・なにを言っているのですか!
そんな直接言葉にしなくてもいいでしょ!」


と、感情的に言ってしまいました。

相手は「え?私が言ったんじゃなくて、変態が
言ってきたんだけど」
みたいに言っていました。

「でも、もう少し伝え方に恥じらいを・・」
みたいに伝えたのですが
「いや、しゃーなくない?相手が言ってきたのに。
じゃあなんて言ったらいいの?」

と言われましたので

「いや、まあ分かんないですけど・・」
と返答するに留まりました。
お察しの通り、ぼくは
異性に幻想を抱いているタイプの
重度のむっつりです。


このように(?)ぼくと同年代、もしくは年齢が
下のひとでも「何が恥ずかしくて
恥ずかしくないか」
の線引きが
出来ている方が大半です。

ぼくに友達が出来ない一番の要因は
こういう所にあるのかも知れません。
というか、こんな人間と話して
なにが楽しいんだ
という感じですね。

文章に起こすと改めて感じます。

【まとめ】

 今回は「恥じらいを持ち続けることに
意味はあるのか」
という内容で
書かせて頂きました。

(強引に)まとめますと
「恥ずかしいという感情は、人が社会生活を
営む上では必要不可欠なものだが、過剰になると
自身の成長を阻害したり、心を許せる友達や
パートナーを作りづらくなる」


という感じでしょうか。

・・ただスケールの小さい
自分語りをしただけでしたね。

でも恥ずかしがる異性を見るのは
嫌いではないんです、これが。
あなたもそうでしょう?


・・ことばでした( *´艸`)
読んで下さってありがとうございました。

こくはくことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「自分の価値」を、自分で正当に
評価出来ない方がいらっしゃいます。
そんな人が「楽に生きるための考え方」って
あるのでしょうか?

今回のテーマは「自己肯定感の低いままでも
それなりに、幸せに生きる方法」

考えていければと思います。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

自己肯定感の低い人の特徴

「自己肯定感」とは
「自己を評価する感情」のことです。

自分のことを自分で「好き」「嫌い」
「よくやった」「なにしてんだ」などと
評価、判断する感情の動きのことです。

この、自分に対する感情の振れ幅が
マイナスに常に傾いている方は
「自己肯定感の低い人」と言えるかと思います。

まず「自己肯定感の低さ」における
「自分」「周囲」の認識の違いを
ぼくなりの解釈で、お伝えします。


まず「周囲」での「自己肯定感の低い人」の
認識ですが「こだわりの強い人」という
イメージです。

ぼくも「自己肯定感が低い」「自認」されて
いる方と、お話させて頂く機会がありますが

いつも「頑固だなあ・・」という印象を持ちます。
(相手もぼくのことを頑固だと言っています)

「自分に自信がない人は、他人の意見に
流されやすい」
と思われがちですが、実は逆です。

他人のアドバイスを「そうした方が良い」
分かっていながらも、受け入れて、
実践する事が出来ません。

例えば「元々は喋るのが苦手だった人が、努力して
クラスの人気者になった」
という人の話を
「現在、喋るのが苦手な人」

「こうした方が良いよ」と、
アドバイスしたとします。

アドバイスする側は「自身の成功体験」
親身になって、伝えているわけですが、
これは「現在、喋るのが苦手」という人には
刺さらない可能性が高いです。

自己肯定感の低い人は「成功体験」系の
アドバイスをもらった時、こういった思考に
なりがちです。


「この人だから、出来たんだ。私には無理だ」


これは「自信は無いけど他人のアドバイスは
聞けない」
という心理傾向です。

もちろん、どちらにも非はないのですが
お互いにとって、有益ではありませんよね💦

アドバイスは「助言をする」
「相手のためになる言葉をかける」
という
意味ですが

「相手のためになるかどうかは
自分が判断することではない」
ので
アドバイスという心持ち、それ自体が
「自己肯定感の低い人」からすれば
「しんどい」かも知れませんね(;^ω^)

次に「自己肯定感が低いこと」の
「自分」の認識ですが

これは大抵「ネガティブな思考」
陥りやすいです。

「なんで私は、自信がないんだろう」
「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」
「こんな私だから、誰にも好かれないんだ」


のような「過度な内罰思考」のループで
物事が上手くいっても、正当に評価できないし
失敗すれば、過剰に落ち込むという
「負のスパイラル」になります。


ここでひとつ、お気づきかと思います。

「自己肯定感の低い人」における
「周囲」「自分」の認識には
かなりの「差異」がありますよね。

これって、どういうことなのでしょうか?

これは、多分なのですが・・

「自分」が思う「自分」の姿と
「相手」が思う「自分」の姿は

ぜんぜん違う、ということなのかも
知れません。

「なぜ自己肯定感が低い」のか

では、なぜ人によって「自己肯定感」
差が生まれるのでしょうか?

これは「幼少期の体験」や「環境」などの
要素で、複雑に形成される「自我」に寄るものです。

「生まれ持った個々の性質」という解釈も
ありますが、ぼくは

「人の本質」とは「変わらない」ものではなく
「変えようと意識しても、たまたま変わらなかった
部分を、段々自分が本質と勝手に思い込む」
のだと
思っています。

つまり、自分の自己肯定感の低さは
基本的に「外的要因」に寄るものなので

自分次第で変えられるものだと、思っています(*´v`*)

いえ、もちろん変えなくてもいいんですけどね。

ただ、あなたがもし

「こんな自分がいやだ、苦しい」
「変わりたい」


などと、思っていらっしゃるのであれば

もう少し、お付き合いくださると嬉しいです。

すこしでも楽に生きるために

まず「仕事」が、今のあなたにとって
「自己肯定感を下げる要因」なのであれば

今すぐ、辞めてしまって構いません(*´w`*)

その会社がブラックだろうがホワイトだろうが
お世話になっていようが、関係ありません。


「自分では辞めれない」という方は
「退職代行サービス」のようなものもありますよ。

「上司から怒られる」⇒正式な手順を踏んで
(退職する〇〇日以内に申し出るみたいな)
正式に退職するのであれば、怒られる筋合いは
あなたには、ありません。

「会社に迷惑がかかる」⇒いま、あなたに迷惑が
かかっている、この事実を問題にしましょう。

「無責任だと言われる」⇒その言葉を発する
側にも「責任」はありません。そして
あなたの人生の「責任」は、あなたしか取れません。

「陰口を言われるのが怖い」⇒そうですね。
自己肯定感の低い人にとって、それが一番
しんどいですよね。

職場を辞める時、残った職員から
「逃げた」ように表現されることが多いですが
そういう方は「選択したあなたへの嫉妬」や
「羨ましい」という感情が混じっています。

ぼくは、今、たまたま管理職なので
「退職したい」という方の相談は、
何度も受けてきました。

「雇用される側」は「管理側」の気持ちって
掴みづらいですよね。

自分は、基本的には「この人が退職した後
シフトをどうやって回すか」
しか
考えていません。

相談させてもらった結果、
相手の退職の気持ちを変えられないのなら

「いかに相手に悪感情を抱かせずに、
退職して頂くか」
に注力します。

管理側は、職員が退職される時につい
「今辞められたら現場が回らない」
「この人手不足の時に、無責任だ」
「ここを辞めて、通用するのか?」

みたいな「女々しいこと」
言ってしまいがちです。

これは管理側なりの
「責任感」から出る言葉で「相手を
責める」
という意味合いではないのですが
こういう事を口に出してしまう上司は

「自身のメンタルの管理能力」
問題がある場合が多いので
「自己肯定感の低い人」との相性が
良くないことが多いです。

会社のために、あなたが有るのではありません。

自己肯定感を高める練習と思って
「辞める」という選択をする「自分」
「肯定して」差し上げて下さいね。


今の職場を辞めたところで、あなたの価値は
損なわれませんし、基本的に今は、
どこも人手不足です。

別の職場、職種を探すのも良いですし
実家で暮らされているのであれば、しばらく
休息期間を設けるのも、良いですね。

自己肯定感は、別にお仕事をしていなくても
高めることが出来ます( *´v`)

例えばお休みの日「朝8時に起きる!」
前日に決めて、時間通りに起きれたら
「偉いぞ自分っ」と、褒めてみるですとか

がんばって外出して、コンビニで
商品を買って、店員さんに感謝の気持ちで
軽く会釈が出来たら「自分天才か」
褒めてみるですとか

そんな些細なことで、いいんです。

「自己肯定感を高める」には
「成功体験の積み重ね」が必要です。

「成功体験」って「自分が設定した目標に
到達する」
ことで得られます。

それは「些細なこと」でも効果があります。

それに「休みの日にコンビニに行く」って
結構ハードル高いですよね( ;∀;)

ぼくだったら「休みの日まで人と会いたくねぇ」
ってなりますもの。

それを目標に設定できる人って
すごいと思います。

ま と め

今回は「自己肯定感の低い人」という
テーマで書かせて頂きました。

たとえ自己肯定感が低くても、相手が自分に抱く
印象は、悪いものだとは限りません。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)
「繊細、神経質、内向的と言われる方々がもつ気質」
が、一般的にも知られるようになってきましたが

ぼくはHSPの方から言われた言葉で、
深く傷ついた経験から

「繊細とはなんだろう」
「優しいとはなんだろう」

考えるきっかけになりました。

誰も傷つけない表現なんてありません。

自分も、多くの人を傷つけてきました。

何かを選択するということは
それ以外の何かを捨てることなのかも
知れませんが、あらゆる可能性を考えて
試してみたいと、思っています。

全然まとめられていないですね💦
ごめんなさい💦


悩んでいるのは、あなただけでは
ありませんよ( *´v`)

すてたいことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは「ミニマリズム」という言葉を
知っていますか?「幸せに生きる」ため
「ミニマル」という「選択」をする方が
増えています。


今日のテーマは「ミニマリズムの本質」って
どういうことなのか?
を、誰にでも分かるように
書いていければと思います。

よろしくおねがいいたします(*´v`*)

「ミニマル」という生き方

「ミニマリズム」の意味は
「作品としての完成度を追求するため、装飾などを
あえて最小限まで省略する表現」
のことです。

元は、芸術の分野で生まれた考え方なんですね。

昨今の多様な価値観の中で、ミニマリズムの様式を
生き方、思想に活用し、発信されている方を
「ミニマリスト」と呼んだりしています。

この「ミニマリスト」という言葉、
2015年の流行語の候補にノミネートされていました。

結構前なんですね。
当時は全然知りませんでした(;^ω^)

「ミニマリズム」を生き方に取り入れるって
どういうことなのでしょうか?


これは、本質として
「余計なもの、選択を排除することで
本来、力を使いたい事柄に、自分のエネルギーを
集中させる」
というものです。

人間は「生きているだけ」でも
様々な「選択」の作業を強いられています。

例えば、お休みの日でしたら、
あなたは、起きた時から
「朝は何を食べよう?」「パン?」「ごはん?」
「テレビは何を見ようか?」・・

誰かと約束をしている日でしたら
「今日はどの服を着よう?」
「LINEの返信、どうしよう?」「なんて返そう?」
「待ち合わせ時間どうしよう?」
「どこ行こう?」「なにしよう?」
「お昼は何を食べよう?」・・

みたいな流れで「常に複数の選択肢」に意識を
向けながら、生活しているわけです。

文章にすると、なんだか大層に感じますが
誰でも、これを自然にしていますよね。

この「選択すること」で消費するエネルギーと
時間のロスをカットし

自分が注ぎたい「事柄」に、より集中しやすい
環境を構築する、というのが

「ミニマリズム」の考え方です。

例えば「自分が着る服」にそれほど執着のない
ぼくのような頓着のない男性は

「今日は何を着よう・・」と考える、
思考作業とその時間は、自分の中では
「どうでもいい」事柄なわけです。

この「選択」を排除するという事は
極端に言えば、服はユニクロオンリー
統一し、毎回同じ服を着るということです。

これで「選択」の作業が一つ
減りましたね(*´v`*)

さらに「朝は毎回パンを食べる!」
決めておき「ごはん」を候補から除外すれば

「朝食何食べよう問題」

「選択肢」を排除できます。

こういう流れで自分が「当たり前」だと
思っていたことの、ひとつひとつを改めて見直し
「無駄」「削ぎ落していく」作業をします。

「モノ」に関しても考え方は同じです。

「モノ」は選択肢を生みますので
自分のエネルギーと時間を奪います。

ミニマリズムは、こういった「自分にとって
本来、本当に必要な事柄は何か」
を見極めて
いくのにも、有効な考え方かと思います。

「ミニマリズム」の欠点とは?

では、ミニマリズムの「欠点」とは
なんでしょうか?

これは「テレビ」で説明できます。


昨今「テレビを観ると馬鹿になる」

「まだテレビなんて見ているのww」
みたいに、やたらと「テレビ」を悪者に
しがちな価値観が、目立ってきています。

これは、ビジネスで若くして成功された
方などが、こぞって「テレビなんて捨てなさい」
という、「価値観」を発信されていることと

若者の娯楽がネットメディアに移行していること

ミニマリズムが流行った時流なども
背景にあるかと思います。

たしかに、テレビの情報量は凄まじいですが
情報の質や方向性はバラバラです。

「自分が仕入れたい情報」「適切な量」
仕入れるという使い方は、テレビはあまり
向いていません。

インターネットで数分で取得できる情報も
テレビだと、番組の流れで数十分、
数時間かかったりします。

「能動的」に情報を集めることに、
ネットは長けていて、テレビは
その逆ということですね。

例えば、ぼくが
「テレビなんて見てたら成功出来ない!」
というワードを聞きかじって
それを真に受けたとします。

「うぐぐ・・じゃあもうテレビ見ないっ!
テレビ捨てるっ!」
などと決心して

実際にテレビを捨てたとします。

「えへへ、もうぼくはテレビ見てないぞ。
なんかすごい。よし、ゲームしよう

・・これでは「テレビを捨てる意味」って
ないですよね(^^;

成功者が伝えたいことは
テレビを捨てるという「手段」ではありません。

「テレビを捨て、娯楽に割いていた時間を
自分の目標のための思考時間、実働に充てなさい」
ということを、伝えたいのです。

「ミニマリズム」の生き方も、
これに良く似ています。

「ミニマリズムであなたも幸せになれる!」
「モノを持たない生き方」
みたいな文言だけを聞いて

「そうなのか~、
色々捨てた方が幸せになれるのか~」

と、「目的もなく不用品を処分するだけ」では
「掃除」と変わりありません(/・ω・)/
(掃除も大事ですけれども。)

「モノ」を減らすことは、選択を減らす「手段」
であり、目標を根本に据えた人が
【自分にとって】重要ではない選択を減らし、

そのエネルギーと時間を、
「興味を持っていること」
より注力できるような環境作りをすることが

「ミニマリズム」の生き方です。

ま と め

今回は「ミニマリズム」をテーマに
書かせて頂きました。

「ミニマリズム」とは

「自分の目標達成のため、自分が不要と思う
選択肢や、モノを捨てることで、時間と意欲の
リソースを確保し、目標に注力すること」

です。

意外と重要なのが「自分が」というところで
「他人には重要だと思うこと」
「自分は執着がない」
「興味が湧かない」なんてことは、よくあります。

その時「他人に合わせる」
「自分に合わせる」かはお好みです。

ぼくは「自分の満足度を高める」には
最終的には「自分の判断に従う」方が、
良いのではないかなと、思っています。

毎朝「今日は何を食べようかな~」
考えるのも、楽しかったりしますよね(*‘w‘ *)

「モノ」に溢れた生活感のあるお部屋も
その方の趣味、嗜好や、生活歴を知る
一端になるので、「人間らしくて」好きです。

多様な価値観に溢れた現代社会だからこそ
「自分」にとって何が必要か、そうでないかを
見極めるのは、難しいと思います。

「ミニマリズム」という生きかたが、
そんな目まぐるしい変化の中から生まれたのは、
必然だったのかも知れませんね(*^w^*)

それと「ことば家」では、テレビは
夫婦でyoutubeなどを見る時の
モニター代わりに使ったりですとか

一緒に暮らしているセキセイインコさんが、
寂しくないように、音量を調節して、
テレビをつけたまま、仕事に出ています。

だから、ことば家にとってテレビは「必要」です。

「時代」に沿うのも、抗うのも、遅ればせながら
ついていくのも「自分で決めたこと」なら
きっと楽しめると思います。

変化も楽しめる心持ちであれば、良いですね(*^v^*)

読んで下さって、ありがとうございましたっ

30000ことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「人生で使える時間って
案外短いかも」
という内容です。

日々、色々なことで悩んでいる
あなたが、少しでも違う視点を見つけられたらと
思いながら、書いています。

よろしくお願いいたします。
「ジャネーの法則」

あなたの感覚で、子供の時と比べて
「一日が早く過ぎるなあ」みたいに
思う事って、ありますか?

サラリーマンの方ですと、よく
「仕事中、職場ではなかなか時間が経たないのに
お休みの日は、あっという間に過ぎる」みたいな
感覚を、味わうことが多いと思います

ぼくも、しょっちょうあります。

この感覚は「迷信」や「気のせい」ではなく
ちゃんと「法則」として、心理学的に説明が
されている感覚なんです!

これは「ジャネーの法則」と呼ばれるもので
フランスの哲学者、ジャネさん(ポール)が発案し
その甥にあたる心理学者のジャネさん(ピエール)
が、ちゃんとこの感覚に説明をつけてくれています。

「主観的に記憶される年月の長さは、年少者には
より長く、年長者にはより短く評価される」


つまり、現在5歳の人間には、1年の長さは
5分の1に相当しますが、50歳の人間には
50分の1になります。

年齢によって、1年の長さの比率が変わるため
年齢を重ねると比率が小さくなるので、時間が
早く過ぎるような感覚になり、まだ幼い時は
その逆、ということですね。


・・「だからなに?」
という話ですね( ;∀;)

本題に入りますね。
人生は30000日

「人生の時間を日数に換算すると
何日になるか」
って、ご存知ですか?

現在の日本の平均寿命が
男性が81歳、女性が87歳です。
平均84歳ですね。

一年は365日なので
365×84=30660
だいたい80歳くらいまで生きるとして

人生の日数は、だいたい
30000日前後、ということですね。

しかも、この中の3分の1の時間は
寝ている
わけです。

そして「健康寿命」という言葉どおり
「亡くなるまで、心身ともに
健康でいられる」
という保証はありません。

例えば、「40代になったら老眼が始まって
細かい作業をすることに支障をきたすように
なる」
かも知れない

明日「脳の血管が破裂して、たとえ一命を取り留めても
身体に麻痺が残って、手が動かせなくなる」
かも
知れない

みたいに、ふと考えたりすることって
ありますよね?
そういう時、人生の日数換算によって
「なんか人生で使える時間って限られてるな」
って感覚を、持ちやすいのかなと思います。

あなたを不安にさせてしまったら
ごめんなさい💦

ただ、人はいずれ、必ず死にます。

だからこそ、他の誰かの言葉や行動によって
あなたが本来したいことを、制限しているような
状況であれば「それは勿体なくないかなあ」って
今は思うようになりました。

自分の後悔の理由に「他人」が絡んでいると
ひとりでする後悔よりも、辛いものになりがちです。

運よく成功したら「周りのおかげ」
失敗したら「自分の責任」という心持ちで
「したいことを、してみて」も、いいかも知れません。

したいことなんてない人は
「したくないことを、しない」ように、自分の人生を
生きて
みても、良いのではないかなと思います。

ま と め と ぐ ち(うすくち)

ぼくは、自分がどこまで出来るのか試してみたくて
毎日ブログを更新しようと思いました。

上手くいったら(収益が取れるようになったら)
「ゆうしゃ」さんや、周りの人のお陰ですって、
言いまくろうと思っています(*´v`*)

上手くいかなかったら・・まあ、上手くいくまで
ブログは書き続けるつもりなので、
失敗は実質、ないようなものですね(*´w`*)(笑)

・・分かってたけど
アフィリエイトビジネスって、
ほんと全っ然楽じゃないっ!

お金を稼ぎたいなら、このブログ書いてる時間に
コンビニでバイトした方が儲かります(;^ω^)

そりゃみんなブログ続きませんよね。

今は雌伏の時と肝に銘じ、淡々と
日々を消化します。

愚痴ってしまって、ごめんなさい💦


よんでくださって、ありがとうございましたっ



はんそくことはちゃん

「時間給」は、がんばるだけムダなの?

こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「サラリーマン
別にがんばらなくてもいいんじゃない?」
って思うけど、「そうなのかな?」って
考えた結果、最後に結論を出す。

という内容です。

3分くらいで読めますので、良ければ
カップラーメンのタイマー代わりにでも。

「労働する」ということ

会社で働かれている、雇われて日々、労働されて
いる方は、「時間に対して賃金が発生」しています。


これは、つまり極論会社」に行きさえすれば
「お金」が支払われ
ということです。


ひと昔前まで、働き方がそれほど多様ではなく
「企業に就職し、同じ会社で定年まで勤める」ことが
スタンダードでした。

昨今は、トヨタ社長らの終身雇用への発言から
自社努力では、終身雇用を維持することが
どこの企業でも難しくなってきてい
ことが
分かります。

時代の移り変わり、働き方に対しての
大衆の価値観の変遷と、日本の終身雇用の
制度は、かにあまり噛み合わなくなってきている
ようにも見えますね・・。

「働くことへの考え方」はそれぞれ

賢い人たちは、こういう風に考えるようになります。

時給が一緒なら、無理にがんばる必要なくね?」

ほんと賢い。

こういう考え方、自分の中に一ミリもなかったです・・。

でも確かにそうですよね。

例えば時給が、1時間1000円であれば
「上司に怒られない最低限の仕事だけしてれば
いい


「がんばろうが、手を抜こうが変わらないから」

こういう発想に至るのは、当たり前のことかも
知れません。
(最低限の仕事が出来るだけでも、すごいと
思いますし)

その考え方への反論として

「仕事はまじめにするべき」

「働くことを舐めている」


みたいなことを仰るかたも、いらっしゃいます。
ぼくも、こちらの考え方が近いです。

ですが、これは「感情論」だと思います。

「なぜ、まじめに働かないといけないのか」
「同じ賃金で働く人よりも、余計に労働することに
どのようなメリットがあるのか」と問われれば

「う・・うぐぐ・・」
「そ・・そういうものだからだよ!」

みたいに、「反論したいけど、言葉が出てこない状況」
に陥ります。悔しいです。

考え方を変えてみます(;^ω^)

「損」か「得」か

ぼくは、現在の職場では、管理者という役割で
働かせて頂いています。

世間では「中間管理職」と呼ばれるものですね。

ぼくの浅い経験上のお話で恐縮なのですが

ぼくの働いている業界では
「労働」を損得で考えておられる方

非常に多い印象を受けます。

「難しい人のクレーム対応を担当させられた。
損した」
「今日は定時で帰れた、ラッキー♪」のような

他の人、以前の状況と比べて損だった、
得だった
」みたいなことを、よく話されます。

社内に、こういう感覚で仕事をされる方が
増えると、どうなるか?

「仕事が少しずつしんどくなります」


作業量のお話ではなく、自分の仕事への
考え方、捉え方に影響を与えます。

人が仕事して疲れる原因は
「強制された作業だから」です。


人間って不思議なもので、自分が納得して、
「楽しい!」「やりがいがある!」「生きがいだ!」と、
思い込んで作業されている時間は

たとえその労働に報酬が発生していなくても
ほとんど疲れを感じることはありません。

例えば、趣味が良い例で、自分が納得して始めて
趣味に打ち込んでいる時間は何よりも楽しく
何時間でも作業していられた、という方も

その趣味が仕事になり、人から依頼されたり
水準を要求されるようになると、自分が納得して
出来る状況
ばかりではなくなってきます。

そうなると、たとえ収入を得るようになっても
趣味でしていたことと同じことをしているつもりでも
疲れを感じるようになります。


話が逸れましたが、仕事を「損得」で考える
価値観の方は、そもそも「納得しての労働」では
ないのかも知れません。今の仕事を納得して出来ている
方は、あんまりそういう事を口に出さないような・・。

どうなんでしょう?

結論

ここで「時間給の労働をがんばる必要ある?」
という問題に立ち返ります。

これは、ぼくの今の考え方としては

「出来れば、がんばったほうがいいです。
なぜなら、そこは自身の学びの場だから」


という結論にたどり着きます。

どういうことかというと
その職場で、あなたは一生働くわけでは
恐らくないと思います。

今の職場は、あなたが、楽に生きる方法を
見つけるまでの「手段」でしかない場ですよね。

理想に近づくために
手っ取り早く、人より多くを吸収し、
人より信頼され、人より重宝されるには
「その状況、状況で、他の人よりプラスで動き、
お話をし、尽くす」
ことが最善かなと思います。

こういう思考の方は、たとえ自分のために
動いているのだとしても、職場内の評価や
信頼を得やすいものです。

起業を考えておられる方は
人脈を広げるためにも、信頼を得ることは
必要ですしね。

「がんばっても時給、変わらんし・・」と思うよりも
「どうせ時給変わらんなら、金以外の要素で
得るものを探してやろう」
と、考えを変えた方が

建設的ですし、結果的に自分が楽しいと思える
状況も、増えていくかも知れません( *´艸`)


ま と め

「時間給の労働、がんばりたくないという人も
時間給の労働でも、人よりがんばるという人も

根本は一緒です。

「自分のため」なんですよね

今、少しでも楽に生きたいのか
この先、今より楽に生きたいからなのか

という、生きる上での、考え方の違いだけで

結局は「自分のため」なので
「あんまり変わらないな」とすら思えてきました。

先程、ぼくの今の考えで結論を書きましたが

「否定も、肯定もするような話ではないのかも」
というのが感想です。

ただ、ぼくの考えをお話させて頂くとすれば
今後、楽に生きていけそうなのは
「時間給でも人よりがんばる」人かなと思います。

ものごとは、何もかも人を相手にしていかないと
進んでいかないので、その辺のことを考えても
よりメリットがありそうなのは、こちらかも知れません。

でも「消耗を抑える目的で無駄な労働はしない」という
コンセプトの方もいらっしゃるでしょうし・・

色々な考え方があるって楽しいですね(*´v`*)

あんまり否定したくないんです。すべてを。

「こんな考え方してるなんてww」みたいな発信は
特にネットだと目に付きやすいですが
その人の想いや、生活歴も知らないのに・・
って、もやもやします。

断定じゃなくて、対比しながら、お好きな方
楽な方を見つけてもらうような内容に
出来ればいいなと思います(*´v`*)

このページのトップヘ