たえることは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「誹謗と中傷と悪口と
事実の違いを考える」
という内容です。

自分は、介護の仕事をしています。

会社では、社員ブログを書かせて頂いても
いるのですが、ブログを書きながら

「人間は、お互いにどういう心持ちでいれば、
誤解せず暮らせるのか」
みたいな事を
漠然と考えるようになりました。

介護の精神性はおもてなしであり

「相手にいかに心地良い環境を提供するか」
下敷きにしないと、いくら技術を磨いても
良いケアには、繋がらないような気がしています。

ぼくは「伝え方」「言葉」について
やたらフォーカスした記事を書きますが、それは
自分が「人の心持ち」に興味を持っているからです。

今後も、同じような内容を何度も書くかも知れません。
それだけ「伝えたい」という事だと、ご理解頂ければ
嬉しく思います。

ただ「伝えたい」だけで
「正しい」わけではありません。


あなたがブログを読んで下さって
「そうだ」とか「違うだろ」とかいった

「なにか」を考えて頂けるなら
それだけで価値が生まれると考えます。

前置きが長くなりましたが
本題に入ります、よろしくお願い致します。

【人を傷つけるということ】

あなたは「誹謗中傷」をされたことは
ありますか?

「誹謗中傷」の言葉の意味ですが

「根拠のない悪口を言いふらして
他人を傷つけること」
とあります。

「誹謗」とは「悪口を言うこと」

「中傷」とは「根拠のないことを言い、
他人の名誉を傷つけること」
だそうです。


「根拠」の意味は「もとになること」だそうで
つまり誹謗中傷とは

「ありもしない悪いデマを拡散させて
相手を傷つけたり
名誉を棄損させる行為」
を指します。

では仮に、相手に少しでも「根拠になること」
存在した場合「誹謗中傷」という言い方を
する事は、適切なのでしょうか?

その「根拠」を元に他人の「悪口」を言い、
相手を傷つける行為は
誹謗中傷に当たると考えられますか?

僕の、過去の話をしますね。

【事実とは】

僕は人から「誹謗中傷」をされた事は
まだ、一度もありません。

介護の仕事の前は、
アルバイトで店舗接客の仕事を
していたのですが

自分は、仕事の仕方について
色々と先輩から指摘を受けていました。

仲良くもさせて頂いていたので
仕事以外のお話も、出来る関係ではありました。

僕は、自己肯定感の低い人間でしたので
「仕事が雑」「遅い」「言われた事も出来ない」
などの指摘を受ける度に、傷ついていたのですが

あんまり、僕ばかり責められているような
気がしたので、一度指摘して下さる先輩に

「なぜそんな、悪口ばかり言うのですか?」
『あまり傷つけないで欲しい』という
意思表示を込めて、伝えた事があります。

その時先輩は
「悪口を言っているつもりはないよ?
君に伝えているのは、全て俺が感じている
事実を伝えているだけだから」

のような意図の事を冷静に言われて

なんだか逃げ場がどこにもなくて

でも妙に納得して「そうか、悪く言っている
のではなくて、事実を言われているのか・・」

否が応にも思わされたという経験があります。

「悪口」とは
「他人を悪く言うこと」という意味ですが

あの時の先輩が仰るように
例えば仕事が遅い人に「仕事が遅い」
伝えるのは「悪口」ではなく

実際に仕事が遅い(と自分が感じる)相手に
「事実を伝えているという解釈である」という
言い分
は、言い得て妙だと、今でも思います。

では「事実」とは
どういった意味なのでしょうか?

「事実」とは「実際に起こった事柄」という意味で

例えば「AさんがBさんを殴った」という出来事に
対して「100人が100人、同じ状況を目撃した時、
同じ認識をする事柄」
に対して使われます。

「AさんがBさんを殴った」現場を「見た」とき
「BさんがAさんを殴った」「認識」する人は
いらっしゃらないです。

その中で、関係性、利害、感情、打算なども
交えながら「事実」「真実」にして
人に伝えます。

「事実」は客観的
「真実」は主観的
なのだそうです。

ですので「AさんがBさんを殴った」
という事実を「目撃」した人が
(Aさんは、Bさんに脅されていたのかも)とか
(Bさんが挑発していたのではないか?)などと

「事実認識を積み重ね、独自の解釈」をした上で
発言、発信する情報は「真実」
といいます。

言葉の上では
「事実は、いつもひとつ!
真実は、人の解釈の数だけ存在する!」

という事なのですね。

【事実がひとつならば】

では、先ほどの質問に戻りますね。

「根拠」を元に他人の「悪口」を言い、
相手を傷つける行為は
「誹謗中傷」に当たるのか?
ですが

「それは、相手が判断することであり
発信者は、最大限の配慮が必須」
だと考えます。

「悪口を言われる根拠」が相手にあろうと
なかろうと、社会の中で人と関わって
こられた人であれば

相手に「悪口」と捉えられないように
「自分の想いを伝える」という
「言葉の選択」が出来る
と思っています。

「相手を思いやる気持ち」への配慮が欠けた発信は
相手に「これは自分への誹謗中傷だ」と
思われてしまう可能性が、格段に高まります。


「事実」はひとつしか存在しませんが
「それをどのように表現するのか」
自分次第ですよね。

「悪口に聞こえる伝え方」
「ただの誹謗中傷に聞こえる伝え方」
「自分の想いを相手に届かせる伝え方」
「感動させる伝え方」・・・

言葉は
「事実をデコレーションするセンスそのもの」です。

無数の言葉の中で、なにを選びとるかで
相手は「あなた」という存在を作りあげます。

特にインターネットでの書き込みで顕著ですね。
こういったブログ、SNSでの文章のやりとりでは

書いた本人に、まったくそのつもりがなくても
読まれた方が、不快に思われるような事が
とても多いです。

【ま と め】

今回は「誹謗」「中傷」「悪口」「事実」の
違いを考える
というテーマで
書かせて頂きました。

自分も含めた「日本国民総発信者」時代である
いまを、ゆるゆる生き抜くために

①面と向かって、言えないようなことは
文章でも伝えない。

➁文章で相手に伝える必要がある時は、
普段の30%増のテンションで、普段の
2倍、言葉を尽くす。

③色々、思うだけにする。


くらいのことは、意識するべき
なのかなと考えています。

いつもえらそうに書いていますが
ことばも、まったく出来ていません。

でも「自分にとって」ではなく
「みんなにとって、優しい世界」が好きなので
今後も、こういうことをゆるゆる書いていけたら
いいなと思っています。

読んでくださって
ありがとうございました( *´艸`)