れってることは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「レッテルを貼ろうとする意識が
僕らに与える悪影響って?」
みたいな内容です。

他人にはもちろん、自分自身に対しても
知らず知らずのうちに貼ってしまう「レッテル」

偏見を持たず、フラットに生きていくためには
どういう考えかたをするべきか、
書いていきたいと思っています。

よろしくお願い致します。


【レッテルの「意味」】

「レッテル」は、オランダ語「letter」に由来する言葉で
「文字」「手紙」「値札」「ラベル」という意味を指します。

商品、品物に貼って値段を表示する「値札」を指しても
意味としては、伝わりますね。

この「レッテル」を人物に貼ると
「物事についての主観的な評価を示す言葉」
意味が変わります。

商品に貼るレッテル(値札)は
例えば「これは1980円です」とお客さんに
その商品の価値を提示する役割のものですが

人物に貼る「レッテル」には
どういった役割や効果があるのでしょうか。

少し、自分の話をさせて下さいね。

【レッテルを「貼られる」】

ぼくは一時期、高校の先輩とルームシェアをしていました。
この先輩が、いわゆる「不良」と、他の学生や先生方に
言われるような人でした。

自分は中学の頃に登校拒否になり、
高校は行きたくなかった挙句に定時制を選択した
(というより、親に道を示してもらった)のですが

とある切っ掛けで、その先輩と
交流を持つようになりました。

高校の頃は、学年も違うのでそこまで一緒に
いたわけではなかったのですが
たまに先輩と一緒にいると
後日先生に自分だけ呼び出され

「ことば、〇〇に脅されているのか?」
「〇〇に何か言われたのか?」

みたいに、すごく心配されました。

自分は典型の「いじめっこの的になりそうな
弱々しい生徒」
だったので
構図としては「不良に絡まれる生徒」のように
映ったと思うのですが

自分的には先生の仰る先輩と、
自分が印象として受けた先輩のイメージが
重ならないため、とても変な感じでした。

先輩の内面を知るようになるのは、ずっと後に
なってからですが、当時の自分の印象としては

「この人、そこまで悪い人なのかな?」
「不良って言われてるけど、そうでもないような・・」


というもので、確かに見た目は金髪でしたし
いつも誰かを威圧するような感じでした。
態度や口調は、先生方には乱暴だったように思います。

そういった印象を総合すると「不良」と呼ばれても
仕方ないという感じでしたが「悪い人」という感覚は
自分の中にはありませんでした。


そんな先輩に、キレられた事があります。

ぼくは自己評価の低い人間で、
とにかく自信がなかったため

謙遜と保険の意味合いで「自分なんか」とか
「どうせ自分なんて」みたいなワードを
会話の中で多用していました。

ある日先輩に「お前、俺をバカにしてんのか?」
言われました。

前後の流れを考えても、自分が先輩を
不快にさせた理由が全く分からず
「え?え?」とおろおろしていると、先輩が

「お前はよく自分を卑下するけど、それはお前を
大事に思っている奴を、一緒に下げているのと同じだ。
お前にとって、俺はその程度の存在だと言っているのと
同じだ。お前にとって、俺はその程度なのか?」

みたいな事を言われました。

当時は正直、意味がよく理解できず
「え・・ご、ごめんなさい」みたいに
謝ることしかできませんでしたし

「自分なんかって言葉は、先輩の機嫌を損ねるから
言わない方がいいのか・・」

くらいにしか、思いませんでした。

いま考えても、本当にありがたい言葉をかけて
頂いていたなぁ
と思いますし、当時から
こういう考え方ができた先輩って、きっと

色々な経験をされたが故に傷ついていたのだと思いますし
「不良」のレッテルを貼られたが故に失った、
様々な形のないものに対して
苦悩していたのかな、と思います。

もちろんレッテルが先に貼られたわけではなく
先輩の行動や言動によって「不良」と呼ばれるように
なったわけですから、自業自得な面の方が
大きい
とは思います。

ですが、自分にはあんな考え方
到底思い至りません
し、今でも出来ません。
「不良」とレッテルを貼られた先輩は

その内面を、その繊細な感覚を
「レッテル」によって、多くの人に伝える機会を
失ってしまった
といえるのではないでしょうか。

【レッテルを「剥がす」】

レッテルという言葉を人に対して使う時
そこには「偏見」という価値観が含まれている
場合が多いです。

「偏見」の意味ですが
「根拠のない、感情や主観により形成された思考」
一面的な物の見方や表現に対しても使用されます。

例えば、ぼくは学生の頃に自分の事を
「いじめっこの的になりそうな弱い人間」だと
思っていました。

「弱い」という意味の定義も特に定めず
見た目や内面から「弱い」と勝手に思い込み

結果、どんどん引っ込み思案になり
話せなくなり・・と良くない循環の偏見に
囚われていました。

これは、誰のせいでもない
自分で自分に「レッテル」を貼った結果です。

自分には「自分が強いと定義できる根拠」もなければ、
また同様に「弱いと定義できる根拠」もありませんでした。

子供の頃に自分で貼った「自信喪失レッテル」が
未だに剥がせずに、今に至ります。
「偏った見方」をすることは、相手にも自分にも
良い結果を与えません。


人に貼るレッテルの正体は
「主観による思い込み」です。
レッテルにより、人は苦しみ、悩むのですが

自分で貼ったレッテルや、他人から貼られたレッテルを
「剥がす」ことって、出来るのでしょうか?

結論から書きますと
レッテルを剥がす事は、ほとんど無理に近いです。

ですが「上書き」することは出来ます。

【レッテルを「上書き」する】

例えば、自分で自分に貼ったマイナスなレッテルを
剥がそうと考えた場合。

時間が経てば経つほど「レッテル」と
「自分の認識」が同化していきますので
剥がすことが困難になっていきます。


ですので「上書きする」方法が
一番理想的かなと考えています。

学生の頃のぼくで言えば
「根暗で頭も要領も悪く、運動神経も悪い。
そして口下手の自分は、だれからも好かれないだろう」
「女の子ともろくに話せない。モテた経験がない。
友達もいない。こんな人間のどこに価値があるのだろう」

みたいな事を、多感な時期に考えていました。

ぼくは、この「思い込み」は、
事実認識を積み重ねた結果の上での、確たる根拠だと
当時は思っていましたが、実際はそうではなく

ただ何もしなかった、行動していなかっただけの
「積み重ねの中の主観」なだけだったなと
改めて思っています。

「頭が悪い」のは「勉強をろくにしていないから」

「要領が悪い」のは「経験を積んでいないから」

「人と話せない」のは「考えて喋っていなかったから」

「モテない」のは「自分の事ばかり考えていたから」


なんというか「自分のことなのに、他人のせい」
のような意識で、それにも気づかずに


ただレッテルの中に自分の可能性を押し込めて
傷つかないように、傷ついてもダメージを
最小限に出来るように、落差を感じないように
守っていた
ような感覚です。

自分の場合は、マイナスのレッテルを
貼り続けてしまったせいで、
もうこれを完全に剥がす事が出来なくなりました。

それでも、上書きを重ねた結果
元々のレッテルの文字は、薄くなりました。

自分で自分にレッテルを貼ることほど
悲しくて、後悔することはありません。

だから、剥がすというよりも
「レッテルの上書き」をする事をお勧めします。

まず、もしご自分を卑下してしまうのであれば
「自分のどこが、どういう風に嫌か」を
言葉に出来るくらいには、消化してみて下さい。

抽象的な話で申し訳ないのですが
自分の「嫌」な部分を抽出して
どうやったら「嫌」と折り合いがつくのか
考えるような感じです。

例えば
「なにをやっても続かないのが嫌」であれば
「意志が弱い」とか「継続できない」自分を自分で
よく思っていないという事です。

自分に「継続出来ない」レッテルを貼っている
この状態を改善するには

「継続できることを発見する」か
「そこは切り捨てて、新たな長所を発見する」か

だと思います。

そもそも人の意志は、とても揺らぎやすいので
自分の意志の力だけで物事を継続し続けることは
とても、とても困難です。

意志関係なく「気づいたら勝手に続いていた」ような
状態に持っていくことが重要です。

ぼくでしたら、ソシャゲのグランブルーファンタジーは
数あるソシャゲをしてきた中でも、唯一続いています。

自分の中で「グラブルで遊ぼう」とか
そんな感覚はもうなくて、起床後に必ずPCを起動して
グラブルの日課を消化しながらYouTubeを見るのが
ルーティーンになっています。

また、自宅から職場までの通勤時間は
音声コンテンツを聞き、ブログのネタを考えたりなど
インプットの時間に充てています。

これらは「継続しようという意志の力」は関係なく
「そういう仕組み」というだけです。


個人の意志の強さは、物事を継続できるかどうかに
あまり関係なく「いかに仕組みを作るか」の方が
大事です。

ぼくもこのブログを早く「仕組み」化しなくては・・

こんな風に自分の中で「何かが継続できて」いれば
「継続できないレッテル」は、認識との齟齬が
生まれるため、少しずつ薄まります。

「物事を継続できる」プラスのレッテルを
自分に「上書き」する事が出来れば
マイナスのレッテルを自分に貼る癖、そのものが
なくなっていくと思います。

【まとめ】

今回は「レッテルを貼ろうとする意識が
与える悪影響」
について、書かせて頂きました。

人は、人に抱いた印象を簡単に言葉にします。

その中には、相手の背景を想像せず
身体的な特徴を言葉で簡単に揶揄したり

プロの芸人さんのやり取りを、そのまま
コミュニティに持ち込んで、表面だけをなぞるような
行為で、結果として相手に
マイナスなレッテルを貼ってしまったり

レッテルは、貼るのは簡単ですが
剥がす事はとても難しく、時間のかかる作業です。


マイナスな言葉が、人に与える影響力は
絶大で、相手の意図と自分の姿は常に見えないため
そんなとき、言葉の影響力が際立ちます。

凶器と薬箱を常に持ち歩いている状態です。

自分の言葉を相手にも
そして自分自身に対しても凶器とせず
どうすれば、お薬として使用できるのか


少しでも、あなたが考えて下されば
嬉しく思います( *´艸`)

レッテルが抱える問題は
とてもとても、根深いものですが
あなたにとって、優しい世界が
訪れるよう、願っています。

・・全然まとまってないな、すみません💦

ことばでした。
読んで下さって、ありがとうございました。