ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

タグ:人間関係

からだはることは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「反応をすることが、いかに大切なのか
改めて考えてみる」
というものです。

ぼくが出来ているから
あなたもこうしてみたら?

みたいなお話ではなくて、相手の行動に対して
自分が常にどういう対応をすれば

相手が楽なのか、気持ち良くなって
もらえるのかを考えて、実践出来たらいいなぁ
という

言わば「願望」です💦

ちょっと分かりにくいでしょうか?
なるべく伝わるように、書かせて頂けたらいいなと
思います。よろしくお願い致します。

【リアクションとは】

「リアクション」の意味ですが
「外からの働きかけを受けた事で生じる
反射的な対応」
の事です。

英語のreactionが由来で、カタカナ表記が
浸透していますね。

行為、動作を表すaction(アクション)
再び、新たに、反対などの意味の「re」を
つけると「re-action」リ-アクションとなります。

自分主体で発信することではなく
「相手が発信したことに対しての自分の反応」
差します。

ぼくは、リアクションという言葉を聞くと
芸人さんを連想します。

漫才における、ボケに対してのツッコミ
「なんでやねん!」もリアクションですよね。

ボケを活かすのも、腐らせてしまうのも
ツッコミの役割の人のリアクションが
大事だったりします。

芸事だけのお話ではなく
日常で日々、他人とコミュニケーションを
とっていると、改めてリアクションって
大事だなと感じる機会が多いです。

【意識した経験】

自分が普段、他人にどういうリアクションを
取っているのか
って、あなたは意識したこと
ありますか?

ぼくは、現在の仕事(介護職です)を始めてから
意識するようになりました。

介護職の前は、店舗で接客業をさせて
頂いていました。

自分では全く意識していませんでしたが
当時、ぼくは身振り手振りを交えた
過剰なリアクションを取っていました。

同じアルバイトの先輩に
「お前って、なんでそんな演劇みたいな
リアクションなん?」
みたいに
イジられた事もあります笑

後で考えた時に、自分に自信がないぼくは
言葉に添えた、ボディランゲージで
想いを相手に伝えようとしていたのかなと
納得しました。

当時は無自覚で、コミュニケーションの齟齬が
ないように必死だっただけなのですが

過剰なリアクションは、どちらかといえば
好かれていたような印象


過剰で気持ち悪いとか、変な奴だななどの
悪印象を、相手に与えていたわけでは
なかった
ようです。

【プロのリアクションから学べること】

プロのリアクションとは
どういったものでしょうか?

俗にいう「イジられ芸人」というカテゴリに
括られる、芸人さんのリアクションは
プロそのものですよね。

番組の企画で、痛かったり、熱かったり、寒かったり
する色々な何かに挑戦して、
笑いを生み出されているわけですが

視聴者であるぼくらは「何を見た瞬間」
それらを「面白いと捉える」のでしょうか?

世代が限定されるかもですが
ダチョウ倶楽部さんの熱湯風呂における
一連のリアクション
を例に、考えてみますね。

①アクリルかなにかで出来た、透明な浴槽に
熱湯が並々と注がれています。

②番組の流れで、上島竜兵さんが
その浴槽に入らざるを得なくなります。

③周りの人たちがそれを「手伝う」という名目で
上島さんの背中を押そうとします。

④自分のタイミングで入りたい上島さんが
その時「押すなよ!絶対に押すなよ!」と
叫んで、周囲を牽制します。

⑤上島さんの願いも虚しく、目を逸らした瞬間に
周りに背中を押されて、熱湯風呂にダイブします。

⑥自分のタイミングで入れなかった上島さんは
吃驚した気持ちと熱湯の熱さを、身体の全身と
大声を使って表現します。

⑦熱い熱いとのたうち回りながら、普段では
考えられない俊敏な動きで浴槽から飛び出ます。


・・ここまでが、熱湯風呂における上島さんの
一連のリアクション
です。

上記の中で、あなたが「一番面白く感じる部分」
どこでしょうか?

お笑いの感性は人それぞれですので
優劣のお話ではないことを先に断っておきますが

恐らく一番最後の
「上島さんが熱湯風呂に落ちた後のリアクション」
笑う方が、大半なのではないでしょうか。

浴槽が透明なのも、熱湯風呂に入る流れも
周囲が手伝おうとするのも「押すなよ!」

牽制するのも

最後の「上島さんのリアクション」を
視聴者に伝わりやすくする目的

集約されています。

いわば①~⑤は「オチの効果を最大化するために
必要なお膳立て」
ですね。

ここで例えば、上島さんのリアクションが
薄かったらどうでしょうか?

お膳立ての部分が一緒でも、笑いの量に関して
かなりの差が生まれる
のではないでしょうか。

リアクションの根底は「共感」です。

相手が受けた「外界からの刺激」に対して
想定した反応よりも低かったり
全然違ったり(泣いて欲しいのに笑ったり)すると
受けた側は、不安を覚えます。

熱湯風呂に入っても、平然としていたり
あまり嫌そうじゃなかったりした場合

視聴者が抱く想いとしては
「・・本当は熱くないんじゃない?」
「な~んかやる気ないなぁ」
「ちゃんと仕事してんの?」
みたいな

「想定していた反応ではない事」に対して
落胆や、怒りのような感情を抱く方も
いらっしゃいます。

つまり、リアクションが「薄い」と
印象がネガティブになりこそすれ

よりポジティブな印象に変わることって
少ない
のではないでしょうか。

プロの芸人さんでいうと
キングコングのお二人は
「対人のリアクション」も、とても上手です。

ぼくは梶原さんが、カジサックとして
youtuberで活動され始めてからやっと
キングコングの魅力に気付いたクチですが

梶原さんも西野さんも
相手に対しての「聞く姿勢」がとても素敵です。

その上で、ゲストに対しての「話の引き出し方」
少し違っていて、梶原さん(カジサックさん)は

常に相手の事を考えながら、徹底的に聞き役に回りつつ
会話の隙を探りながら、空気を作っていく
ような印象です。

対して西野さんは、ゲストや視聴者に
いま、ご自分がどう映っているかを常に考えながら

「双方が得をするような」気持ち良いくらい
振り切ったリアクションをされる
ことで、結果的に
ゲストや視聴者を楽しませています。

梶原さんは「相手を主体にした
相手のためのリアクション」


西野さんは「自分を主体にした
双方のためのリアクション」

みたいな印象です。

どちらもプロの技術で、とてもぼくが
真似を出来るものではありませんが

この表現の違いは「お二人の自己肯定感の違い」
なのかなと思っています。

あんな表現が出来るお二人が身近にいらっしゃる
周りの方々は、幸せだろうなあと思います。

【リアクションの大切さ】

相手の行動に対して、反応を意識して
返し続ける事は、人間関係に重大な影響を及ぼします。

日本で生まれ育った方は、国民性からか
和を重んじ、場を乱す事を良しとしない方が多く
その分、自分を表現することに苦手意識を
持たれるようです。

リアクションを取ることは
相手への「距離感」を示すためにも
大事な事です。

ぼくの数少ないお友達にも
「本心が相手に伝わらない」
という方がいらっしゃいます。

その方は、物事に対しての洞察が深く
ご自分の考えを言語化するのが上手で
お話すると、とても楽しい時間を
提供してくれます。

人と話す時に感情が乗らず
表情の変化も比較的薄いので

「何を考えているかが
喋らないと伝わりづらい」
のですが
「感情や表情といったリアクション」
含めた表現に乏しい方は

相手に「距離感を間違えた対応」
取られやすくなります。

例えば、なにか指摘をされた時
ぼくのお友達は、誰に何を言われても
表層的な変化が薄いため

「結構きつい事言われたのに、平気なのかな?」
「動揺してなさそう・・メンタル強いなぁ」


みたいな印象を、自分も受けていました。

ですが後でお話した時に
「あの時に言われた言葉で、すごく傷ついた」
「家で毎日泣いてた」

みたいにお話してくれて

「そうだったんですか・・」と
びっくりしたのを覚えています。
※友達にも敬語なのは、ぼくの癖です

傷ついた経験を話してくれているときも
感情が乗らずに表情の変化も薄いので

これがスタンダードなんだから
こういう時、とても辛いだろうなぁと
思いました。

自分の心の動きを上手くリアクションして
表現出来る方は、きっと様々な面で
プラスに働きます。

人の心理の特徴として
返報性の法則というものがあります。

相手にされた事と同等量の感謝や恩を
自分も返したくなる心理
の事ですが

表現が感情や表情に上手く表せない人は
相手が「この人にはここまで言っても大丈夫だろう」
という見極めを、間違えてしまう確率が高まるのでは
ないでしょうか。

また、相手に感謝していても
それが上手に伝わらないために

「本当に感謝してくれてるのかな?」
「自分のことなんて何とも思ってなさそう・・」


みたいにマイナスに思われやすく
コミュニケーションに
齟齬が生まれてしまいます。

「他人の考えていることを
完全に把握すること
は、絶対に出来ません。

人が想いを伝える手段は、言語と
非言語(身振り、手ぶり、アイコンタクトなど)
になりますが、どちらを使ったとしても

「相手に自分の伝えたいことを100%伝える」
ことは出来ません。

意味を取り違えたり、間違った理解や解釈を
与えたり、受けたりする事を
「誤解」といいますよね。

この「誤解」を与えたり、受けたりする可能性を
少しでも減らせる技術が「リアクション」である

ぼくは思います。

言葉を尽くしても、分かり合えない人もいます。
それは仕方がない事です。

ただ、本来は仲良くなれたはずの人同士が
誤解によって離れてしまう状況は
とても悲しいことです。

あなたに「リアクション」の大切さが
少しでも伝わったら、嬉しいなと思います。

【まとめ】

今回は「リアクションの大切さ」について
書かせて頂きました。

リアクションとは「相手が発信した事に
対して反応を返す」
ことで、言葉以外の
表情や態度なども含まれます。

リアクションが上手な方は、相手に
「自分はあなたの事を、こう思っている」
という想いが伝わりやすいため

お互いに「距離感」を掴みやすくなり
感覚が合うなと思う人同士は
そのまま仲良くなれたりします。

リアクションを意識することは
人の中で気持ち良く生きていく
ためのものなので

まずは、ご自分が
「この人楽しそうに笑うなあ」とか
思う人の行動を、ちょっと意識して
見てみると、参考になるかも知れませんね。

あなたが日々、少しでも楽しく
過ごせるように願っています。


ことばでした。
読んで下さってありがとうございました。

なめないことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「ナメられたくない人の心理を考えて
職場環境その他もろもろを、良くしようっ」
です。


 

【職場環境、どうですか?】

今のあなたの職場は、あなたにとって
居心地が良い感じるものでしょうか?

空間の心地良さって、一体どんな要素で
決まるのか・・不思議ですよね(*‘ω‘ *)

アウトドア、お好きですか?

・・ごめんなさい、自分は生粋のインドアなので
経験も知識もないのですが

趣味で登山をされる方は、例えば富士山の
8合目くらいに売っているカップラーメンが

今まで食べたカップラーメンの中で
一番美味しかった
というのを聞いた事があります。

多分、このカップラーメンって、普通にコンビニや
スーパーで購入できるものとそれほど変わりませんよね?

富士山で食べるのと、普通に自宅で食べるのの違いって
一体なんなんでしょうか?

・・空気が澄んでいるから?

人の感覚というか、感じ方って不思議ですよね(;^ω^)

もっと身近にいうと、一人より、仲良しの二人で
ご飯を食べた方が美味しく感じますよね。


以前から「仕事」をテーマに据えてブログを書かせて
頂いてもいますが今回は

「職場の空気を良くすればおのずと離職を
考える方が減るのではないか」
という
観点でも、書かせて頂きます。

【人はマウントを取りたがる】

まず、あなたが職場で「嫌だなと感じること」って
なんですか?

もちろん、人それぞれだと思いますが
自分だったら「職員の悪口を職員が雑談している」
場面に出くわしたり

「仕事が出来てないことを本人ではなく
周りの職員に伝える人がいる」

「嫌だな」と思います(;^ω^)

「職場の飲み会」って、あなたは好きですか?

「親睦を深める」ための大事な場だと思いますが
気が付いたら、メンツが固定されていませんか?

最近の若い社会人は、職場の飲み会自体に
必要性を感じない方が多いようですが
ごめんなさい、これは自分的には・・ちょっと
歓迎している状況です( ;∀;)

「職場の飲み会」って、愚痴大会になりませんか?
もしくは、「仕事のダメ出し」(;^ω^)
親睦もなにもあったもんじゃないですよね💦
愚痴や、ダメ出しをされている張本人にしたら。

人って、マウントを取りたがります。

「マウントをとる」とは、
「相手より上のポジションを取り
優位性を自慢したり、威圧的な態度を取る」

という意味だそうです。

プロレスのような物理的なマウントではなく
精神的優位に立つ、という意味でのものです。

語弊を恐れずに書くならば

役職者は、職員に

ベテランは、新人に

経験者は、未経験者に


職場という空間の中では、
容易にマウントを取れる状態にあるわけですが

これを職場でしてしまう人がいると
「職場の空気が悪くなる」ことに
繋がるのかも知れません。

自分の経験上のお話で申し訳ないのですが
マウントを取りたがる精神性の方は、
「ナメられたくない」という意識の強い方が
多かったように思います。

相手に「ナメられる」と、例えば職場では
上司だったら指示が通らなくなる。
先輩だったら、言うことを聞かなくなる、

だから高圧的に話したり、不必要に大きな声で
叱責して、相手が自分より下だと思い込ませる
必要があったのだと考えます。

ですが、飽くまで個人的にはですが

尊敬や信頼は「大きな声で正論を言う人」が
得られるわけではないのかなと思います。


【体罰で、相手が得るものはあるか】

話は変わりますが
ぼくの小学校の頃は、体罰云々の議論は
今ほど活発ではなく、

指導の一環で、先生が生徒を普通に
「げんこつ」をしたりもしていました。

自分もある日、小学校の全校集会で、
ぼんやり参加しながら、教員のお話を
なんとなく聞いていたのですが

集会なので、出席番号順に縦に一列で
並ばされている僕の背後に
いきなり接近してきた体育教師が、無言で

「ガンッ!!!」

と、ぼくの足を思い切り蹴って、無言で離れていきました。

もう何がなにやら分からず、周りに注目は浴びるわ
なんかザワザワされるわで、びっくりしたのと
蹴られたショックと、恥ずかしさで

頭が真っ白になって、貧血で倒れそうでした。

蹴られた後に気づいたのですが
その時、僕は列から少しはみ出していた様子で
それを矯正するため、足を使ってご指導頂いたの
だろうと、後で納得しました。

また、当時の小学校の担任の先生は
クラスの生徒が宿題を忘れた時や
何か問題を起こした時(ささいなケンカなど)

「指導」として
「生徒の頬を両手で持ち、強くつねった後
外側に向かって思い切り引っ張る」
というのを
されていました。

当時は「悪い事をしたぼくらのせい」くらいにしか
思っていませんでしたが
今、改めて文章に起こしてみると

「子供の体に衝撃を与える行為に
教育としての価値があると本気で
思っておられたのかな?」
とか

「あの指導をされて
自分は何かを得られたのかな?」


など、疑問を覚えることばかりでした。

もちろん、先生方を全く恨んでいませんし、
たくさん良い思い出を頂いて、感謝しています。

ただ、自分が教師で、例えば列から少しはみ出していた
生徒がいたら、どう指導するかを考えた時

蹴るような行為は、やはり度が過ていると思うし
宿題を忘れた生徒の顔を
泣くくらいの力でつねる
のも、疑問に思います。

まあ、ぼくが単純に嫌われていただけかも
知れませんけど(;^ω^)

【認知症の方への対応】


 自分は、介護施設で働いていまして、仕事は主に
「認知症高齢者のお世話」となります。

昨今「介護施設での虐待」が報道され
問題となっていますが「虐待」の定義は

「自分が虐待と思っていなくとも、相手や
周りの人間に、そう捉えられるようであれば
それは虐待に相当する」
と、僕は考えています。

この点は「いじめ」と性質が似ているように思います。

もちろん「教師」と「介護職」では
立場が違います。「教育」と「お世話」では
対象への効果を生むための方法も異なるでしょうが

共通して言えることがあるとすれば、相手を
「人格を有する、いち人間として捉えるか、どうか」
だと、考えています。

「子供を子供として捉えるのではなく
人格を有する一人の人間として接する」


「認知症ではなく、その方が積みあげて
来られた人格と、関わる意識を持つ」

これだけで、相手に対しての
自分の言動、行動、態度は、自ずと変化するはずです。

「他人に尊重されている」と、感じる事は
人間を人間たらしめる、重要な要素です。

他人に認められたければ
「自分がいかに優れているか」ではなく
「相手をいかに尊重しているか」
を伝えるべきだと、僕は思います。

【まとめ】

今回は「マウントを取る方の心理」について
書かせて頂きました。

自分にも、そしてもちろん相手にも人生があり
「相手」との関わりは、お互いの一部分を
軽く見せ合っているに過ぎません。


どれほど自分に想いがあろうと、

その表現方法が例えば「体罰」などの
「後々相手に疑問を持たれる可能性を持つ関わり方」
では、本当に勿体ないな
と、思います。

勿体ないと思うのは
「あなたの想いは、相手には伝わっていない」
確信を持って言えてしまうからです。

「ナメられたくない」という気持ちは
疑問を持たれる関わり方を生みだして
しまいやすいような気がします。

相手に対して高圧的にふるまうよりも、
例えば職場でしたら、新人さんにも
ベテランさんにも変わらず

誰に対しても誠実に接するように
心がければ、あなたの価値は
「マウントを表現方法とされている方」よりも

的確に、誠実に、伝わりやすいと思います(*^w^*)

ここまで偉そうに書いてきましたが
かくいうぼくも、人一倍自尊心が強く
「ナメられたくない・・」と常に思っている
人間です💦


ですが、だからこそ
いっぱい失敗した中で、今はこれが
いちばん「人にナメられないやりかたかも!」

思っています。

一緒に、ナメられなくなるその日まで
「相手を尊重して」がんばりましょうねっ

ことばでした( *´艸`)

こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「礼儀正しい人は
どういう価値を生むのか」
です。

あなたの職場に、あなたが「苦手だなあ」と
感じてしまう方って、おられますか?

もしおられた場合、その方の特徴って、
結構共通していると思うんです。
(飽くまで、職場内で接するときの態度です)

・自分のその日の感情で、勤務態度が変わる人

・自分の意見を曲げず、感情論で反論する人

・言動が、なんだか否定的、攻撃的な人

・相手によって、態度が変化する人

上記の特徴の方って、自分が関わる場合
「ちょっと苦手だなあ・・」って思いませんか?
ぼくは大変苦手です(;^ω^)

自分がひとと関わらずに生きていきたい理由の上位に
常に存在しています。こういう方を

「無礼な人」と一括りにしても良いでしょうか。


先日、こういう本を購入しました。

「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である
DSC_0360
職場の無礼な人が、会社にとってどのくらいの
利益損失を生み出し、礼節がどのようなメリットを
生むのか」
を20年研究した、集大成の本とのこと。

すごい。ありがたい。とうとい。

ぼくは、自身の経験と現在の仕事柄、いつも
「自分が人と接するときの態度」

「相手が自分に対してどのような態度をとるか」
を、よく考えています。

「無礼な人」というイメージで括ると
状況にそぐわない大きな声の人、
攻撃的な人みたいなイメージを連想しがちです。

ですがぼくみたいな「傷つきやすく、保守的な人」も
「関わる人」を無意識に傷つけている状況が
多いように思います。

繊細な人、自己肯定感の低い人は、「自分の痛み」には
敏感ですが「相手がどう思うか」に対しては
鈍感なことが多いように思います。

じぶんの話で恐縮なのですが、一時期、高校の先輩と
ルームシェアをしていました。

先輩はいわゆる「超不良」で、ぼくは何故か気に入られ
よくお話していました。
(周りからは、カツアゲされているように見られていた)

そんな先輩と住んでいた頃、
ぼくは当時から自分に自信がなかったので、会話の端々に
「ぼくなんか」というフレーズをよく織り交ぜていました。

ある時、先輩にキレられたんです。
「お前、俺をバカにしてんのか」と。

ぼくはどぎまぎして、何か自分が失礼な態度を取って
しまったのかとぐるぐる考えましたが
思考の途中で先輩が

「お前はよく自分を卑下するけど、それはお前を
大事に思っている奴を、一緒に下げているのと同じだ。
お前にとって、俺はその程度の存在だと言っているのと
同じだ。お前にとって、俺はなんなんだ?」

その時、ほんとうにびっくりしたのを覚えています。

当時は実は意味が分からなかっんですが
年を経るごとに、経験を重ねるうちに、

「弱いことが、無礼な人より人を傷つけないわけじゃ
ないんだな」
と考えるようになりました。

「不良」は世間的には「無礼な人」ですが
「弱い人」と同様、きっと多くを経験し、傷つき、だから
傷つけ、レッテルを貼られることばかりなんだろうなと
考えています。

「ひとを言葉でカテゴリのように括る」
のも、難しいんだなと思います。

すみません、本題に入りますね(;^ω^)

会社という組織で考えた場合「無礼な人」が存在するだけで
「そうではない人」は、ポテンシャルが下がるようです。

仕事の労力、仕事にかける時間、仕事の質。

これらを意図的に下げ、会社の生産性が低下
結果的に利益の損失が発生する。

また、攻撃的な人は、職場環境を悪化させます。
悪化するとどうなるか。

人間関係を理由に、離職する方が増えていきます。

職種によりますが、基本的にどの職場も人手が足りません。
会社にとって、人材は宝です。

「複数の職員さんの離職の理由になるような人」は
個人の人生を狂わせ、会社から人材という資源を奪っている
わけですから、「無礼」が解雇事由に該当しても良いとは
思うんですけどね(;^ω^)

じぶんの姿は、じぶんには見えません。
吐いた言葉も、その時の態度だって、相手に
どんな影響を与えているか、はかり知れません。

もう少し、日々アンテナを立てて生きていければいいなと
思う、ことばでした。

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