コミュ障ことは
コミュニケーションって?

こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「コミュニケーションの
本質って?」
という内容です。

よく「コミュ障」という言葉を耳にされませんか?

この言葉は「コミュニケーション障害」という言葉の
略語で、「自称」と「医学的な診断名」との
二つに分かれます。

今回、ここでテーマにしたいのは「自称」の方です。

コミュニケーションで悩まれているあなたが
少しでも、楽になればいいなと
思っています。

よろしくお願いします。

「コミュニケーション障害」

ぼくもよく、文章では使います。

「自分はコミュ障なので・・」
みたいに。

この言葉の意図は、飽くまで自分的には
「ぼくは、人と関わるのが
苦手だと自覚している人間です。

喋るのが得意ではありません。
ユーモアがありません。絡んでも面白くありません。
飲み会などに誘わないで下さい。

内向的な人間です。ぼくと絡んでも、
あなたが得るものはありません。

ギブとテイクが成立しません。申し訳ありません。」


ということを、一文で伝えるためのものです。

・・いえ、実際本当に思っています(;^ω^)
もちろん伝わりませんが、承知の上です。

ただそれとは別に、相手とのやりとりの駆け引
使ったりします。

この言葉を盾に・・というか「免罪符」にして
相手に「ことばは人見知りで、人と話すのが
苦手な人なんだな」
という印象を、自覚的に相手に
与えるために、あえて使ったりしています。

最近はとくに、自分が興味のない事柄に
時間を奪われる事を苦痛に感じていますので
自衛の意味合いで使用しています( ;∀;)

職場の飲み会とか。たいてい特定の個人に対しての
愚痴に終始するので、これほど無意味で時間の無駄な
交流もないなと思います(;^ω^)

良い交流の出来る場であれば、良いのですが💦

「コミュ障」は、「ネガティブ?」

自分を表現する手段として「ぼくはネガティブです」
と、こちらも文章では、よく書いたりします。

「コミュ障」と「ネガティブ」の意味を混同しがちですが、
コミュ障は「言語、非言語における相手との接触において
自身の主観で、何らかの支障を感じている状態」


「ネガティブ」は「物事に対して否定的、消極的、
悲観的であり、そのような心理の状態」
です。

つまり、相手との何らかのやり取りの中で
「あ、今変な間が空いた。自分がコミュ障だからか?
どうすればこの間を埋めれるんだ・・。」
と思うのと

「あ、変な間が空いた・・。どうせ自分と
話しても、つまらないよね・・。」と思うのは
似てるようで違という事です。

どちらも、コンプレックスというか「欠点」のように
捉えられる特徴ですが、実際どうなのでしょうか?

もちろん、これは一例に過ぎませんが、
「自覚的なコミュ障」の方は、実は「自分だけの思い込み」
で、他者から見ると「コミュニケーションに問題がある」
なんて、まったく思われていないことがあります。

その理由は、「相手とのコミュニケーションが
上手くいかないことを、コミュ障の方は、
とても恐れている」
からです。

そう、怖いんです。

「相手にどう思われているのか」が。

「相手の話の意図を、自分は汲み取れているのか?」

「自分の声量は?態度は?話をまとめられるのか?」

「目を見て話した方がいいのか?失礼なことはないか?」

「間が空いたらどうする?自分が埋めるべきなのか?」


コミュ障は、ほんといちいち気になるんです。

怖いから、その恐怖を現実のものとしないよう
なるべく、「相手の話を聞こうとする」
「伝わるように喋ろうとする」「落ち着いて話そうとする」

という行動をとろうと努力します。

失敗したら深く反省し、次があれば
なるべく活かそうともします。

こういう行動を繰り返すと、相手からは
どう見られるでしょう?

「この人、自分の話を聞いてくれるし、話し方も
いい感じだな」とむしろ真逆の評価
与えられることが多いのです。

これとは逆に「自分はコミュ障じゃない」
「人と話すのが好き、得意」という自覚のある方は
プロの芸人さんとかではない限りは、
少し、気を付けた方がいいかも知れません💦

なぜかは・・もうお分かりですよね?

先ほどの話と、逆の現象が起きやすいから
です。

「コミュニケーション」の「本質」の一旦は
「相手に気持ちよく話してもらう」
ことです。

当然ですが、「相手」がいるからこそ
対話が成立します。

自分の経験上の話で恐縮なのですが
「人と関わるのが好き」と仰る方は
「自分のことをお話する」のが、お好きな方が
多いです。

ですが、たいていの場合
「相手」が興味を持っているのは「自分」
ではなく「相手自身のこと」です。

コミュニケーションの手段として
自分のことを知ってもらおうと、相手の話を聞かず
自分の過去の武勇伝だったりをお話される方は、

後で「上手く話せた」と自賛しても、
相手には「人の話が聞けない人だな」
という印象で終わることもあります・・。( ;∀;)

つまり、本当にコミュニケーションに
長けている人というのは
「相手が何を望んでいるかを察知するのが
上手い方」
という事です。

相手に合わせて「この人は喋りたい人だ」
「この人は喋るのが苦手な人だ」という
肌感覚を、会話や雰囲気で感じて

「自分が話す割合を相手に合わせて調節できる」
という人ではないのかな
と思います。

もちろん、ぼくには出来ません・・(;^ω^)
認知症の方へのコミュニケーション

余談になりますが
ぼくは、仕事で認知症介護を専門に、
勉強させて頂いています。

介護に携わる前までは、割と本気で
「コミュ障」だったのですが、仕事の影響で
少し、良い方向に変化したように思います。

認知症を疾患されている方は
「言語」を介したコミュニケーションが、上手く
成立しないという状況が多いです。

例えば「〇〇さん、おやつが出来ました」と
テーブルに、お菓子を配膳させて頂いた際
その方が言語障害をお持ちの方の場合

「ぼくのいう事は理解できるけど、それを言語で
表現することが難しい」
という状態なわけです。

その時、相手に無用なプレッシャーを
与えている可能性があります。

「かけられた言葉に対して、
言葉で何も返せない」
感じて頂く必要のない申し訳のなさ、相手に
与えてしまうことになるのかも知れません。

自分は、「普段から使用するコミュニケーションツール」
を使用しただけです。

ですが相手が、それを使用することが
難しい場合、どうすれば良いと思いますか?

そういうときは
「相手と同じ表現方法を使うようにする」
ほうが
良いのかな、と思います。

「言語以外でのコミュニケーション」は
「非言語コミュニケーション」と呼ばれています。

身振り、手ぶり、表情、態度、生活音、アイコンタクト・・
これらはすべて、相手に「自分の想い」を伝えるための
重要な手段となります。

言語障害をお持ちの方でしたら、
「非言語」を使って「対話」をするような心持ちで
接してみる。

それを継続していくと、相手に自分の
「心遣い」「気配り」「優しさ」のようなものが
不思議と伝わることが多いです。

人間って、ふしぎ。

ま と め

世界に、意思疎通の図れる存在が
誰もいなければ、「自分はコミュ障だ」
「ネガティブだ」と悩むこともなかったでしょう。

孤独は、ひとりでいる時よりも
大勢の中にいるときの方がより強く
感じたりもします。

「相手」という存在がいて、
初めて生まれる感情なのだなと思うと
ちょっと・・得したような気分になるのは
ぼくだけでしょうか?でしょうね(;^ω^)

ぼくは「友達を作る作業」をしてきませんでした。

「他人」と関わるより「自分の内面」と関わっていた
方が、楽しく有意義に感じてしまうからです。

今は動画配信などで、他者の経験や知識を
知る事が出来ますし、人と関わるメリットについて
いろいろ悩んだり、考えたりもします。

この性質は、もう変わることはないんだろうなと
思っています。

・・唐突な闇展開ですみません(;^ω^)

人と関わるのが好きな方、そうでもない方。
多様な価値観があって、それがぶつからず、共存
できるのも、コミュニケーションが取れるからです。

生き方に優劣はないので、自分の人生を
他人の責にしないような生き方がしたいなあと
いつも思っている、ことばでした。


読んでくださり、ありがとうございましたっ