ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

カテゴリ: 心理学で耳にする用語テーマ

はげますことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「周りの目を気にしすぎてしまい
自分を出せなくて、悩んでいる人に
掛けて差し上げられる言葉を探してみる」
という
内容です。

テーマをそのままタイトルにすると
長すぎるので、悩み相談みたいにつけました。
SEOとか、全然考えれていません。

あなたは、あなたのままでいいんです。
ありのままに生きましょう。

(この文言でブログを締めると思います)

偉そうですみません。
よろしくお願いいたします( *´艸`)


【人の事が気になる】

他人と比較して、自分の不出来に落ち込んだり
集団の中で、人の目や態度を気にして
本来の自分の力を出せない・・。


あなたには、こんな経験はありませんか?

ことばは、自己評価が低い故に
自分に自信がありません。

現在も、常に人の目が気になりますし
一人で外出しても、お店で店員さんに
話しかけられたりするのが
ものすごく苦手です💦

飲食店で、自分で声を出して店員さんを
呼ぶのも苦手です。
呼び出しボタンがあるお店は助かります。

自分に「発揮して、人に重宝がられる能力」が
そもそもあるのかという根本的な疑問もありますが
それは、今回は置いておいて・・

どういう考えかたをすれば
「あまり人の事を気にせずに、自分を出せるのか」
気になりませんか?

ぼくは気になっています、ずっと。

叶うなら「存在するという苦しみ」からの
解放の解法を、どなたかに示して頂きたいのですが

きっと誰にも出来ないのを理解した上で
自分でも、考えてみますね。

【「ありのまま」とは】

「アナと雪の女王」の劇中歌「Let It Go」の歌詞の和訳
「ありのままの~」というフレーズ、流行りましたね。

素敵な言葉です。
どんなときも「ありのまま」の自分で生きていくことが
出来たのなら、どれ程充実した人生になるのでしょうか。

ありのままの意味ですが
「実際の、嘘偽りのない姿」だそうです。

つまり「ありのままの自分」とは
「自分で自分に、嘘をついていない状態」
という事なのでしょうか。

自分で自分に「嘘を吐く必要がある状況」って
他人に「認められたい」「好かれたい」
「嫌われたくない」という想いがある時で

「相手に自分を、より良く見せようとする意識」
働いているときかなと考えます。

こういう方は、生真面目で思い込みが強いという
心理傾向があります。

それと、SMAPさんの曲
「世界に一つだけの花」の歌詞も素敵です。

「ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なオンリーワン」


こちらにも、ぼくは救われました。
競争が苦手なので、自分を肯定してもらった
みたいな感覚を持ちました。

言葉は共感を集めようという側面で
大衆に向けて放たれた時、とても優しく
耳障りのよい温度感を持ちます。

「ありのまま」も「オンリーワン」も
社会の性質、そのままを表現していれば
良かったのになと、強く思います。

人が、自己を表現しながら活動をすると
必然的に「勝ち負け」「優劣」が生まれます。

もうこの時点で
「誰も傷つけずに生きていく事」は出来ません。
その事実は、本当に悲しい事だと思います。

例えば、ぼくはブログの活動報告として
PVとUUを報告しています。

最近では、一日のUUが10を超える日も
ちらほら出てきました。
収益化を目指していますが、いまだ0円です。

人の報告って、読まれる方の状況によって
抱く印象が変わりますよね。


例えば、ぼくの報告を読まれた方で
その方の状況次第では

「私は、まだPVが一桁なのに・・」とか
「こんな無意味なブログ、何が楽しいん?」とか
「知らん。興味ないわ」とか
「こんなブログでも1日10人アクセスあるのに
俺のブログは・・」とか。

受け取り方は、人それぞれですよね。

ぼくも、最近は検索するのを控えていますが
SNSの書き込みで

「まだPVが1日に100程度・・。はあ・・。」とか
「今日の作業。ブログを2記事更新と
過去の記事のリライト。
収益は〇万円。さあ積み上げるぞ」


みたいな「感想や報告のツイート」が目に入るたびに

「1日にPV100で凹むとか・・ぼくなんか・・」とか
「がんばってるなぁ。
それに比べてぼくはなんもしてない」


みたいに、勝手に比較して勝手に心がざわついて
落ち込んでいました。

PVやUUなどは、数字でハッキリと示されるので
どうしても他の方のそれと
比較してしまいやすいですが

ブログのようなことでなくても

・同期との立場や収入の差
・家庭環境や境遇、学歴
・配偶者の有無、性別、容姿
・身長、年齢、体重・・

人はありとあらゆる要素で
とにかく「比較」します。


価値感は人によって違いますが
「基準が違う」だけで
「何かを比較する」のは皆、同じなんです。

【ABC理論】

心理学では、非合理的な心理傾向
「〇〇でなければならない」という考え方や
「根拠もなく悲観的な考えをしてしまう」ことを

イラショナルビリーフ(irrational belief)
いいます。

非合理的な心理傾向には
4つのパターンがあるとされていまして

①しなければならないという思い込み
②悲観的な思い込み
③卑下をしてしまう思い込み
④我慢が出来ない、耐性が低いという思い込み


自分や他人を傷つけたり
外界からの刺激に過剰に傷ついたりしてしまう原因を
上記の4つのパターンに分類しているという事です。

こちらは、アメリカの臨床心理学者の
アルバート・エリスさんという方が提唱した
ABC(DE)理論の中の言葉です。

ABC理論とは
「人の見えている世界は、起こる出来事ではなく
その人の認知で変わる」
という
メンタルヘルスなどでも使用される、論理療法です。

Activation event=出来事
Belief=信念
Consequence=結果


例えば、ぼくとあなたに同じ「出来事」が起こった時
二人の「認知が異なる場合」では
「受け取る結果」がそれぞれ違うというものです。

ぼくの場合「非合理的な信念」で
「出来事を認知」するせいで「傷つく」わけなので

この「出来事(A)」と「結果(C)」の間の
フィルターである「非合理な信念(B)」の部分を
適切なものに変えてしまいましょう
というのが

ABC理論であり
メンタルヘルスにおける「論理療法」です。


1955年に、この理論は提唱されています。
ぼくは、たったいま知りました。

・・なんという無知な自分・・

はっ!また認知が歪んでいる!

ですから、こういう「何も知らない無知な自分」
という捉え方ではなくて
「新しいことを知れて、また一つ賢くなった
」と
前向きに受け入れようねという事ですね。

現在進行形で、思い知りました笑

ただ、こういう心理学の言葉や理論を
知識として知っても、それを
自分に置き換えて実践することって
なかなか出来ませんよね・・。

突き詰めると「要は気の持ちよう」という
とっても当たり前で真っ当な結論に
なってしまいますし💦

ぼくのような、新しい事を覚えるのも
なかなか難しい人間に刺さる言葉って
なにかないのかなと、考えてみます。

【素の自分】

あなたは、人の目を見れますか?

自分は「仕事以外で外出した」状況ですと
全く見ることが出来ません。

いまは仕事は、介護職をしていまして
業種は大まかに括ると、接客業です。

「接客業は自分には出来ない」と
学生の頃は思っていました。

ですので、絵を描いて生活出来たらいいなぁと
思っていたのですが、そもそも「投稿する
勇気も自信もない」
という有様でした。

今は、描いたイラストや書いた文章を
発信するための障壁が、とても低くなったので
良い時代になったなぁとつくづく思います。

ただ、ABC理論よろしく、プラスに考えれば
今の時代にぼくが学生だったら、絶対に
仕事で接客業を選択することはなかったでしょうし

これまでの選択を後悔をしている
というわけではありません。

特別なことでもありませんが
職場では「仕事の人格」を作っています。

「人格を作る」というのは
「意図して、ありのままではない自分で接する」

みたいな事で

上の項目で書いた
「他人に自分をより良くみせよう」という
意識からではなく
「仕事を円滑に進めるためのもの」です。
※結果としては同じかも知れませんが・・

なんでしょう、ゲームで例えると
「別のキャラクターを作って、そっちで
経験値を積む」
みたいな感じです。

介護施設なので、利用者様と話す時や
職員さんに指示をさせてもらう時などは
仕事の人格で接しています。

そちらですと、人と話す事も割と出来ますし
ちゃんと目をみて、対応も出来ます。
口下手なのは、変わりませんけど。

とはいえ、最初は全然「人格をつくる」ことなど
意識していませんでした。

意識するようになったのは
役職を頂いた、ここ数年の事です。

前の職場では、人と話す時や職員さんと接する時
ぼくの顔が緊張と高揚から常に紅潮していたので

職場の人に「顔がいつも赤いけど、
なにかの病気なの?」

心配されたことがあります。

「人と話すという行為」をしている事が
自分の中で消化出来ないため
いつも不安で押しつぶされそうだったんです。

こんな態度で受け入れられるかなとか
気持ち悪いと思われていないかなとか
声を聞き取ってもらえてるかなとか
ぼくの意図がちゃんと伝わるかなとか

そんなことばかりを考えていたため
業務になかなか集中出来なくて
苦心しました💦

ただ、介護職で利用者様と接したり
介助をさせてもらう時は、余計な事を考えず
業務に集中出来ている自分がいました。

「この差ってなんだろう・・
高齢の方と、そうでない方の違い?」

「認知症の方と、そうでない方の違い?」

「もしそうだとしたら、自分ってなかなかに
最低な区別をしている人間だな」
みたいに考えたり。

・・心の動きの説明は難しい💦

いまは「顔の紅潮」は、随分マシになりました。
その理由は、介護職で現場経験を積ませてもらって
フロアリーダー、管理者などを
させてもらえるようになって

「指示される立場」から
「指示をする立場」に役割が変化したからです。


ぼくの性質的に、人のマネジメントは
そこまで苦ではなかったようで

人にお願いする時は、どう頼めば
お互いに気持ち良く動けるのかなとか

どういう言い方をすれば、人を嫌な気持ちにさせず
自分の考えを伝えられるかなとか

「考えても解決しない、内面の悩み」から
「考えると解決出来る、対応の悩み」に
脳のリソースを、徐々に割けるようになりました。


それと「副業をしよう」
思い立ったのも大きいです。
こちらのブログなんですけどね。

更新しても、ぜんぜんPVが伸びず
改めて、自分の能力の無さに打ちのめされて

それでも、もぞもぞともがく中
「時間に対してお金が頂ける」という
サラリーの有難さ
が、心の支えになりました。

ビジネス的な思考も、心理学と似ているものが多く
合理的で納得のいくものが多いので

メンタルが弱くて、これという考えの持てない
自分には、刺さる内容が多かった
です。

「素の自分が、どうして他人に
受け入れられると思うのか」


この考え方は、ぼくの尊敬する
ゆうしゃさんというゲーム実況者が
なにかの配信で仰っていた時に

特に印象に残っている言葉の一つです。

ぼくの、とりあえずの結論として
「社会で、ありのままに生きるためには
ありのままではダメだと思い知る」

ことが、大事なのかなと思っています。

【まとめ】

今回は
「周りの目を気にしすぎてしまって
自分を出せないと悩んでいる人に
かけて差し上げられる言葉はあるか」
という
内容で、書かせて頂きました。

人は意外と「外的要因の悩み」を抱えている方が
それを解決しようという意欲を発揮して
がんばれる事が多いのですが

その悩みが解決して「悩む事柄がなくなる」と
次は「内的な悩み」に意識が向けられます。


内的な悩みとは
「自分の容姿」とか「性格」の悩みです。

本来「些細なこと」であるはずの悩みも
「他に悩みがない」と、どんどん
自分の中で大きくなって

それに自分が耐えきれなくて、悲しい選択を
してしまう事もあります。


人は、常になんらかの悩みを抱えてしまう
生き物なのでしょうね。

「すべての解決を望む思考」よりも
「不安の中で生きていく術」を
身に着けていければいいなと思います。

・・こんなことをいくら書いても
きっとぼくは、仕事以外では
人の目を見れないでしょうし

自信のなさも、卑下する癖も
一朝一夕で培ったものではないので
なかなか治らないでしょう。

ですが「マシになった」と自分では思います。
以前と比較して、この世界で少しだけ
「生きていきやすくなった」と思えます。

それは、色々な価値観に触れて
経験させてもらった結果です。

あなたも、もし今が苦しくても
どうしようもないと思っていても

「それでいいや」と受け入れて
ゆるゆる生きたらいいと思います。


「何かを生み出さないと
生きている意味がないなんて
そんな馬鹿なことがあるもんか」

※ハチミツとクローバーより※

意味とか、理由とか
効率とか、生産的とか


考えると疲れてしまう時期もありますね。

そんなときは「ありのまま」
現状の自分の受け入れ
自分で自分を、肯定して差し上げて下さいね。


あなたは、あなたのままでいいんです。
ありのままに生きましょう。


・・こんな長文ですみません。
まとまってないですし💦

ことばでした( *´艸`)
読んで下さってありがとうございました。


とろっことは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「目的のためなら手段を選ばないやり方」を
あなたはどう思いますか?

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

今回は、その内のひとつ
「マキャベリズム」について
どういったものかを、簡単に説明させて
頂くと共に

「この思想の何に問題があるのか」

書かせて頂きます。

よろしくお願いいたします(*‘v‘ *)

マキャベリズムとは

マキャベリズムは、ルネサンス期の外交官である
ニッコロ・マキャヴェッリさんの思想
および著書である「君主論」の内容に、由来します。

「政治は道徳や宗教から、切り離して行うべき」という
政治理論が転じて「目的を達成するためなら、どんな
手段も厭わないやり方」
を、指すようになりました。

「マキャベリズムを支持する人や、実行する人を
「マキャベリスト」と呼びます。

「どんな手段も」というところに、この思想の怖さが
垣間見えるかと思います。

元の政治思想が

「政治に道徳的観念の介在する余地はない」

という、過激なものなので
「非道徳的、非人道的な手段も、目的を達成するために
必要ならば厭わない」という考え方です。

マキャベリズムの特徴

「マキャベリズム」傾向の方の特徴として
以下のようなものが挙げられます。

・秘密主義

・人脈を重視する

・多数のために少数を犠牲に出来、必要であれば
 その逆の選択も出来る



「マキャベリズム」傾向の方は
秘密主義の方が多いようです。

秘密主義とは、物事をすべて秘密にして
他の人と共有する事をしない、または
そういった行動をとる人の事を指します。

例えば、自身のプライベートな事や、自分の
気持ちなどを一切話さない方や、

外界の刺激に対して感情の起伏が緩やかな方など
とにかく「相手に与える情報を最小限にとどめる」
ような方を表しています。

なぜ、こういった行動を取るのかというと
「マキャベリズム」の方は、自身の目標のため
必要があれば「他人」を犠牲に出来る考え方です。

「必要な時に最善の選択が出来るように」
自分の情報は極力、相手に渡さないように
努めます。「自分の情報」を相手に知られるほど
「弱点」「自分の弱み」を相手に握らせている
ようなものだからです。

「人脈を重視する」のも、結論は同じです。

「マキャベリズム」傾向の方にとっては
「人との繋がり」は「選択肢」であり

最良の結果を最善のタイミングで生み出すまでに
築いておきたい「人の脈」です。

「マキャベリズム」の傾向が強い方ほど
人を踏み台のようにしか捉えられなくなっていきます。

そして「多数を守るため、少数を犠牲にする選択」
が、必要であれば躊躇なく実行できる人です。


とても有名な思考実験の問題に
「トロッコの問題」があります。
「暴走したトロッコの先には5人の作業員がおり
線路を切り替えれば1人の作業員がいます。
あなたは線路を切り替えますか?」

という「多数を取るか、少数を生かすか」の
典型の問題かと思いますが、
「マキャベリズム」傾向の方は、こういった
思考実験に、明確に答えを出します。

「目的を達成するためなら、手段は問わない」という
分かりやすい例になるかと思います。

マキャベリズムとの関わり方

では「マキャベリズム」傾向の方と関わるには
どういった事に気を付ければ良いでしょうか?

・(相手にとって)自身の価値を示す


簡単ですが、これに尽きるかなと思います。

「自分が、相手の目的にとっての手段にならない」

つまり、相手にとって利用価値のある存在で
あり続ければ、必然的に
「手段として切り捨てられる」事はなくなります。

この辺の回答は、以前の「サイコパス」
「ナルシシズム」
と、似たようなものに
なってしまいますね(;^ω^)
【dark triad】は、その性質的に
似通った部分が多く存在します。

良ければ、以前の記事も合わせて
読んで見て下さいねっ( *´v`)

ま と め

今回は「マキャベリズム」について
その特徴を注意点を、書かせて頂きました。

「マキャベリズム」とはルネサンス期の
外交官の政治思想が元になっており
「目的を達成するためなら、どんな
手段も厭わないようなやり方」を指します。

現代のビジネスシーンに置き換えると
「自身の出世のため、どんな汚い手段や
他人を犠牲にしても、それを成し遂げる」

ような、強さと独善性を合わせ持った
思想であると言えますね。

実際マキャベリズム傾向の方は
人心掌握にも長けており、

最大の効果を引き出せるチャンスが来るまでは
目立たず、機を窺うようなしたたかさも
持っています。

大変明晰な頭脳を有しているといえますね。

実際の政治家の方に、この性質の方が
多いとされています。

卵が先か、鶏が先か・・。



ことばは、地道にいきます~( *´艸`)

よんでくださって、ありがとうございましたっ!



あっぷことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは、自分の容姿って好きですか?
今回は「自己愛が過ぎると、どうなるか?」
突き詰めて考えてみたいと思います。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「ナルシシズム」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願いいたします(*´v`*)

ナルシシズムとは

語源はギリシャ神話に登場する人物
美少年「ナルキッソス」が、水面に映る自身の姿に
恋をしたというエピソードに由来したものです。

水面に映る自分の姿に恋って・・
インコちゃんみたい(;^ω^)

意味は、自己を愛する、自己を性的対象とみなす
というものから「自己陶酔」「うぬぼれ」といった
意味合いで使われることが多いです。

「ナルシシズム」の性質を持つ方、または
他人にそのような特徴を持つと思われている方を
「ナルシスト」と言ったり、呼んだりします。

日常ではナルシストという言葉の方が身近ですね。

ナルシシズムの問題点

「自分の事を好きって、いいことじゃない?」

このブログでも、
自己評価の低い人に関しての記事や
コミュニケーション障害に関しての記事を
書かせて頂きました。

そういった方に共通する要素として
「自分に自信がない」という事実があります。

自分で自分を好きになることは、
自分に何らかの自信がないと難しいですよね。

その観点からすれば
「ナルシスト」ってむしろ良い事なのでしょうか?

自己評価は、低すぎても高すぎても
社会で生きていく上では、難しいものです。

「ナルシシズム」の性質の問題点は、
とっても簡単に説明すると

常に「俺はまだ本気出してないだけ思考」
なってしまうという事です。

「自分の事が好き」という思考は
「好き」の理由がどこにあるか、が重要です。

容姿、性格、能力、実績、などが
他者と比較して優れていると一目して
分かる場合などは

「他人よりも優れている部分を
有している自分が好き」
というのは
理屈として分かります。

自分を磨いて手に入れた価値に対して
正当な評価が出来ているのならば健全ですが
そうではない場合は、どうでしょうか?

「自分が自分だから理由なく好き」という
自己愛の形は、非常に保身的な考え方であり
「強固なもの」になりがちです。

つまり「理由もなく自分が好き」という思考が
絶対であればなるほど、他人への興味や配慮が
薄くなり、自分を守るため、他人を貶める事に
抵抗感を感じなくなる
、ということです。

「ナルシシズム」は自己中心的な思考であり
その根本を脅かしたり、考えが揺らぐ危険性が
ある場合、

手段を問わず、その脅威を排除しようとする
傾向があります。

対話して相手を納得させようとしたり、
相手の価値観を理解しようと努めるような
考え方にならないということですね💦

ですので「ナルシシズム」の性質の方は
自分を守るための手段が、常に
「相手に対しての攻撃」だったり

「相手より優れているという思い込み」
があるので
「相手の気持ちを無視した言動、行動」
が目立ちます。

上記のような特性を踏まえながら、
「自分は特別」という根拠のない思い込みで
自分以外の物事に対する、あらゆる配慮が
欠けるため、

関わる周囲の人間を疲弊させる
目的のために他人を利用する、などが
主な問題点といえるでしょうか(;^ω^)

ナルシシズムのメリットは?

では「ナルシスト」と関わることの
メリットとは、なんでしょうか?

これは「自己を愛する方法を学べる」こと
かなと考えます。

自己肯定感の低い人であれば
「自分を好きになるためのヒント」を
「ナルシシズム」の考え方から、学ぶことが
出来ます。

「ナルシスト」はポジティブな性質の方が
多いです。「自己を守るため」なのですが
「失敗」しても他責にしますし、自己愛を
高めるためならば「努力」もします。

自己愛の強さは自信に繋がりますので
目標が決まれば、それに向かって
能動的に動くエネルギーも豊富です。

上手く歯車がかみ合えば、社会的に成功する事も
出来る、考え方なのです。


対して「自己肯定感が低い」事は、直接
他人に迷惑をかける事は少ないかも知れませんが

「社会で成功したい」という願望があっても
自信の無さから能動的に動くことが出来ず
チャンスを逃したりすることが多いようです💦

「自信が無いこと」は
「過剰に根拠のない自信がある」
ことよりも
実は、難しい問題かも知れません(;^ω^)

「ナルシスト」の考え方、価値観は
なかなか理解できないかも知れませんが

いまは理解できない考え方にも
「参考に出来る」ことが必ず隠れているものです。

自分を評価することが苦手な方は、
他人への観察眼を凝らして下さい。

きっといつか「自分に転化」出来る日が
きますよ(*´v`*)

ま と め

今回は「ナルシシズム」「ナルシスト」
ついて、書かせて頂きました。

「ナルシシズム」とは「自己陶酔」や
「うぬぼれ」といった意味合いの言葉で

「過剰な自己愛」を有した性質の方を
「ナルシスト」と呼びます。

周囲に「ナルシスト」な考え方を持つ方が
いらっしゃる場合は、対処方法を考えないと

振り回されて疲れたり、(自分を守るため)
攻撃されたりというデメリットがありますが

自分に自信を持てない、という人の場合は
積極的に観察してみても、いいかも知れませんね。

どんな性質も一長一短だったりします。

世間ではマイナスイメージ一辺倒な言葉も
実際関わってみたら、全然違ったなんてことは
よくありますよね(#^v^#)

「レッテル」ではなく「その人自身」
関わる中で、自分も成長出来たら
素晴らしいですよね。


よんでくださって、ありがとうございましたっ



まうことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

いきなりですが、あなたは
人の気持ちが分かりますか?

ぼくには全然分かりません(;^ω^)

そもそも人の気持ちって、なんなんでしょう?
気持ちが分かるとは、どういう事なのか・・

今回のテーマはサイコパスについてです。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「サイコパス」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願い致します。

サイコパスとは

サイコパスとは、一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

和名では『精神病質者』と呼ばれています。

どういった特徴を持つ方が、一般に
サイコパスと分類されるのでしょうか?

・他人への共感能力が低い
・感情は希薄だが、表現能力は高い
・自信家で魅力的
・偏った思考
・嘘をつくのが上手い
・他人を心理的に操るのが上手い


などなど・・
これだけでも、人と違う感じを
醸し出していますね。

ひとつずつ、簡単に説明を
させて頂きますね(*´v`*)

共感というのは、例えば
相手が悲しそうな表情、態度を表しているとき
それを見た自分が「相手が悲しんでいる」という
ことを「理解できる」という事です。

悲しそうな相手をみると、自分も悲しくなったり
することが、共感です。

介護の仕事では「受容と共感」という言葉で
高齢者の方と接する心構えをお話する事もあります。

「介助者は相手の想いを受け止め、その
評価をせず、ただ分かろうと努めることが、
相手の満足度を高める、質の良いケアに繋がる」

という、介護の考え方の一つです。

共感する能力が低いというのは

相手が悲しんでいても、それが「理解できない」
相手が喜んでいても「気持ちを推し量れない」
という意味なのだと思います。

ですが人間は、常に相手に共感して
生きているわけではありません。
共感は、相手との関わりや状況に寄ります。

「誰もが感動する話」を聞いて、
泣けなかったとしても「共感能力が低い」と
括るのは、早計かなと思います。

・感情が薄いというのは
外界からの刺激に対して、あまり感じ入るものが
ないという意味です。
いわゆる「クールキャラ」です。

感情が薄くても、その表現が魅力的であれば
相手には「とても感情豊かな人だな」という
ような印象になります。

・自分に自信のある方の発言は、内容如何よりも
声量や口調から、相手が説得力を感じてしまいやすい
ようです。

・人の思考は偏るものですが、その偏り方が極端で
社会や他人に損害を与えるようなものが
サイコパスの方には多く見られます。

・「嘘」は事実と異なる発言を
意図的にすることですが

「嘘」を吐く本人が「事実」と「思い込んでいる」
場合、相手にはそれが「嘘」かどうか
判断することも、難しい場合があります。

・上記の特徴を持つ方が他人と接する場合
多くの人が、その人を「魅力的」だと
認識してしまいます。

相手に好意を持たれれば、相手の行動を
制限したり、支配したりという事も
可能になってきます。


では、こういった特徴を持たれた方と
上手く接するには、どういった態度を
取った方が良いのでしょうか?

サイコパスとの関わり方

サイコパスは「精神的な病変」のひとつで
精神の病気は、そのカテゴリの中でも
様々な幅があります。

マイナスに捉えられる事が多いですが
「自分の性質を自分で把握」している方は

サイコパスの特徴を持つ方でも、自身を活かして
ビジネスの場で成功されている方も多いようです。

ただ「サイコパス」の性質を持つ方が周囲にいる
環境は、それに関わる人を消耗させやすいです。

相応の対処方法を、事前に考えていく必要が
あるかと思います。

サイコパスの特徴は多様ですが、
表現は限られます。気を付けるべきこととして、
以下の点が挙げられます。
(相手がサイコパスの特徴を持つ場合)

・感情的な対処をしない

・自分の主張は、ある程度決めておく

・積極的に関わりを持たないようにする


当たり前ですが、人の想いの表現手段は
「言葉」によるコミュニケーションが
大部分を占めます。

言葉は、自分の感情をストレートに乗せるほど
伝えたかった「本来の意図」が
相手に伝わらなくなってしまう
なかなか難しいツールです。

サイコパスの特徴を持たれる方は
感情が希薄なので、言葉に感情が乗りません。

ですが表現自体は上手なので、
言葉に抑揚を付けたり、間を上手く使うなど
「言葉での想いの伝え方」を、
よく分かっている方が多いです。

そういう方に感情的な対処をする事は
「弱点をさらけ出している」ようなもの
ですので、努めて冷静に会話をするように
心掛けた方が良いかと思います。

また「自分はここまでは譲ることが出来るが
このラインを越える事は絶対に出来ない」

いうような「自分ルール」は
きちんと決めておいた方がいいかなと思います。

サイコパスの特徴を持つ方は
相手へお願いすることも上手です。

気づいたら、相手の手足のように
動いていた、なんてことにならないように
「なあなあ」にならず、距離感を把握しながら
関わった方がいいかなと思います。

一番良いのは「自分からは関わらない」こと
ですが、仕事などの場合は、なかなかそうも
行かないですよね💦

まずは相手をよく観察することが
大事なのかなと、思います。

ま と め

今回はサイコパスについて
書かせて頂きました。

サイコパスとは一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

サイコパス=犯罪者というわけではなく

ご自分の性質と向き合いながら、その能力を上手に
社会の中で活かしておられる方も大勢おられます。

人は、誰しもサイコパスの性質の一端を
持っています。

大事なのは、その人それぞれの「違い」を知り
評価ではなく「まず受け入れ、尊重する」という
単純な作業です。

自分も、過去に職場の先輩で、
仲良くして頂いた人に「人の気持ちが分からない」
と言っていた方がいました。

その人は当時女性と6股をしていて、ぼくに
「こんなメールがきたけど、どう思う?」
などと言って、ぼくの反応を
楽しんでいたように思います。

「どうして6人の人と
同時に付き合えるんですか?」

みたいなことを質問したら

「特別という感覚がないから。
1人だけと付き合う方が、俺には不自然に思える」

みたいな事を、言っていました。

いま、思い出しても、理屈がさっぱりです(;^ω^)

先輩がサイコパスの性質を有していたかは
分かりませんが、魅力的な人だったのは
間違いありません。

・・良い悪いはさておき、人間は、ほんと
得体の知れない不思議な生き物ですね(*´v`*)


さて、ぼくはその先輩に言われたことがあります。












おまえは、おれに、よく「似ている」と。


げきおこことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「この人、デリカシーない人だな」と思ったり
人から「デリカシーないね」って言われる・・。

あなたにも、経験がありませんか?

この【デリカシー】って、一体なんでしょうか?

今回は「デリカシー」の意味と
どういう行動が、他人にとって嫌われやすいのか

また「デリカシーのない人」と思われないための
改善方法などを解説できればと考えています。

よろしくお願いいたします。

「デリカシー」とは

【デリカシー】の意味は

辞書によりますと
「感覚、感情などのこまやかさ。繊細さ。
微妙さ」ということのようです。

なんだか意味が微妙だなと思うのは
自分だけでしょうか(;^ω^)

「デリカシー」「デリケート」の名詞形であり
語源はラテン語「うっとりさせるような」
という意味合いのものです。

物質的に繊細なもの、壊れやすいものを感じとり
柔らかく扱おうと苦心する行動を、

いつしか人の性格などに当て嵌め
「デリカシーのない人」などと、
人を表現する言葉としても使うように
なったようです。

心理学的には「デリカシーがない人」
近い性質を持つ人の特徴として

【サイコパス】共感能力の欠如
【ナルシシズム】過剰な自己愛
【マキャベリズム】手段を厭わない利己主義


【Dark Tried】を共通項として
挙げられています。

デリカシーに欠ける人の特徴

「デリカシーがない」と言われる人に
共通する行動って、何でしょうか?

冒頭では【デリカシーがない人と言われる】
と書きましたが、実際は面と向かって
言われるような言葉ではないかな
と思います。

「デリカシーがないね」って、結構な悪口です。

大抵の人は、思っても、それをあえて本人に
伝えたりはしないと思います。

「デリカシーがない」と人に伝えるような人もまた
「デリカシーに欠けている」と、言わざるを
得ないからです(;^ω^)

【デリカシーがないと言われる行動】

①相手の体形や容姿を話題にする

➁一方的に喋る、話を聞かない

③立場をわきまえない、しない



①人の体系や容姿をどう感じるかは
「個人の主観」に寄ります。

例えば「ペットボトルの形状」
「意識して見たことない」人が多いなかで

「美しい」と感じる人「繊細」と感じる人
また「醜い」と感じる人なども、
少数ながらいらっしゃいます。

ですがこれは「個人の主観」ですので
公の場で、あえて話題には出しませんよね。

もしも職場などで「俺はペットボトルの形。
あれが正直、気持ち悪くてさ」
とか

「あのフォルム、感性を刺激される!」みたいな
事を、一般のコミュニティで言い出す方って
「変わってるなぁ」って思いませんか?

人の容姿などを、積極的に話題に出す方は
これと同じ事を【さらに難しいモチーフで】
していると、考えてみて下さい。

そして、そういう方は「悪感情」
喚起させる言い方をする事が多いです。

余程の語彙と、豊富な表現、そしてユーモアが
なければ、人の容姿を話題にして、
その場の主導権を握ったり、相手に好印象を
与えるなんてことは、

出来ないと思っておいた方がいいかなと思います。

➁言語によるコミュニケーションは
「対話」によって成り立ちます。

「自分ばかり喋る」という状況は
対話が成立しているとは言い難く

「相手」にとって、会話の満足度が
高いとは言えない状況になりやすいです。

また「人の話を遮る」
「相手の話題に乗っかって、
そのまま自分が喋ってしまう」
ことも

相手や周囲にとって「この人デリカシーないな」
思わせてしまう要因になります。

③自分が所属している会社で、
役職者や上役にも「自分の友達」のように
接してしまう方がいらっしゃいます。

これは「あえてそうしている」方や
「会社の社風」などで敬語を使わないように
言われている所など、その方のキャラクターや
会社の環境にも寄りますが

「その人の立場を尊重した態度」
取った方が「礼儀正しい人」「信頼できる人」
のように、周りが評価してくれる確率が高いため
結果的に、自分にとってプラスになります。

【デリカシーがない】と思われないために

相手に「デリカシーがない人」
思われないためには、何に気を付けたら
良いのでしょうか?

これは、自分の経験をもとに
お話をさせて頂きますね(*´v`*)

①何かを表現する時は、言葉を尽くす

例えば、相手の容姿をどうしても褒めたい時
(相手に自分を覚えてもらいたい時とか)

「かわいいね」「きれいだね」みたいな
【簡単な表現】では、聞き流されるどころか

「なんだこいつ、きもっ」みたいに、
逆に相手に不快感を持たれてしまう場合が
多いです( ;∀;)

特に男性が、女性の容姿を口に出す場合などです。

※基本的に女性は、好意のない男性には
【何をされても】嬉しいなどと思いませんし
逆に不信感を持たれてしまいます。

ですので褒めるのなら「容姿」ではなく
「内面的要素」「実際の作業」
褒めた方が無難です。

(ある程度関係性を築いた上で、ですが)
「〇〇さん、いつも助かっています。
今日のあの仕事は、〇〇さんだったので、
安心して任せる事が出来ました。
その柔らかい気配りと感性、
自分も見習います」

みたいなことを真面目に言ってみて下さい。
相手は「あ、ありがとうございます」
というしかないと思います。
・・あっ、これ引いてるのかも知れません!

そういえば、自分がコミュ障でした。
参考にならないですね(;^ω^)
反面教師にして頂ければ幸いです。

ぼくのことはともかく
どういった状況でも「言葉を尽くす」のは、
良い結果に繋がる事が多いですよ(*´v`*)

自分的には
「相手との文章のやり取りでは
相手の文章量と同等か、
それ以上の文章量で返信する」
ということを
常に意識しています。

これも勝手なこだわりです💦

➁「話す」より「聞く」

会話は「相手のお話を引き出し、聞く」ことが
出来れば、大成功です。

「自分の事を伝える」のは「求められた時」
だけでもいいのかなと思います。
「自分語り」は楽しいので、難しいですよね💦

「相手の自分語り」「楽しそうに聞け」れば
「デリカシーのない人」などと思われることは
きっとなくなりますよっ(#^v^#)

③相手の状況に合わせた対応をする

これは「空気読み」の能力とも言えますが

上司と個人的に仲が良いのであれば
職場でも「相手が良ければ」二人きりの時は
ため口でも良いと思います。

気を付けないといけないのは
例えば本社から、上役が職場に
来ている時も「上司に普段と同じように接する」
ことです。

こういう時、誰が一番怒られると
思われます?

そう「仲の良い上司」ですよね(;^ω^)

本社の上役から、職場の上司が
「お前は普段、職員にあんな態度を
取らせていて、何を考えているんだ」


「指導もまともに出来ないのか」

なんて、言われかねません💦

「仲が良い」方であれば、そんな人に
迷惑をかけないためにも

自分の「公」「私」の態度は常に
意識しておきたいものですね。

ま と め

今回は「デリカシー」について
その意味と「デリカシーのない人」について
書かせて頂きました。

「デリカシー」とは
「デリケートの名詞形」


「繊細さ。感覚や感情の細やかさ、
微妙さ」
を意味する言葉です。

「デリカシーがない」とは
「感覚や感情に対する配慮を欠いている状態」
というわけですね。

「デリカシーのある、なし」の判断基準に
絶対的な物差しはなく、個人の主観に寄ります。

「ここまではOK、ここからはNG」という
ラインを、関係性の中で判断しながら
「ギリギリを攻める」のが「芸人さん」だったり
「話術に長けている人」なのですね。

個人的には「話術スキル」って万能で、
コスパも汎用性も最強だと思っています(*´v`*)

今度生まれ変わったら、話術を勉強して
「ことばさんって面白ーい!」って言われるような
人生を送りたいなと思っています。

・・いや今からでもいいじゃん!










はい、今日もまた、ひとすべり。


読んでくださって、ありがとうございました。

しらないことばことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「人は鏡っていうけれど
どういうこと?」
という内容です。

あなたは、「最初は何とも
思っていなかったのに、気づいたら
好きになっていた」

「買う予定なんてなかったのに
店員さんに進められて、つい買ってしまった」


みたいな経験って、ありますか?

これって「自分って意思が弱いな~」とか
「気が多いな・・」とか、思いがちです。

ですが実は、相手が「心理的なテクニック」
駆使した結果、だったりするかも
知れませんよ・・(;^ω^)

今回は、誰にでも分かるように、人の心理を
応用した「ビジネスの技」を、お話します。

よろしくお願い致します。

「返報性の原理」とは


「好き」と言われたら「好き」になる。

「褒められた」「褒め返し」たくなる。

これらは、特別なことではなく
自分で意識していなくても起こる
逆らいがたい「こころの動き」です。

この「こころの動き」に、
賢い方は、名称を付け、定義づけしています。


「返報性(へんぽうせい)の原理」といいます。

これは「相手に何らかの対応をしてもらった時
そのお返しをしなくては、相手に対して
申し訳ないというような気持ちになる
心理作用」
を表しています。

人は普段、特に意識せずに言語で
好意や悪意を伝え合っています。

返報性の原理を「意識して」実践しているのが
「商品を売ること」を仕事にされている方ですね。

それと詐欺師・・。

返報性は、いくつかの種類に分かれます。

・好意の返報性

・悪意の返報性

・譲歩の返報性

・自己開示の返報性


どれも本質は一緒です
「譲歩の返報性」というのは「譲り合い」
関西でいうところの「遠慮のかたまり」
でしょうか(;^ω^)笑

「自己開示の返報性」というのは
「相手にプライベートな情報を開示されると
自分も、同質の情報を開示したくなる」
という
心理傾向です。

相手と仲良くなるためのテクニックの一つ
みたいなものですね。


この「人の心理傾向」を知っておくと
「仲良くなりたい相手」には
「自分から好意を伝えること」
有効であることが分かりますし、

「自分から情報を開示する」ことで
「相手の情報を知る」確率も
高くなるということですね。

返報性の原理の欠点

では「返報性の原理」が効果のない
状況とは、どういう時でしょうか?

①相手が「返報性の原理」を知っている

➁自分の「打算」が垣間見える人

③相手の自己愛が強い人

④相手の自己肯定感が低い人



①は・・簡単に言うなら
「メンタリストのDaiGoさんには通じない」
ということです(;^ω^)笑

「返報性の原理?ああ、あれは
先月、〇〇大学の2万人を対象にした研究結果で
根拠がない事が、科学的に証明されたよ」

みたいに言われそうです(妄想です、すみません)

➁「人」は「言葉」よりも
「その人の態度」「権威性」「印象」
重視する傾向があります。

返報性の原理を利用して、何らかの
利益を得ようと考えても、

「態度」に表れたり、「印象」の段階で相手に
マイナスなイメージを与えていると、
良い効果が得られません。

③と④は、心理傾向は真逆でありながら
抱える本質は似ています。

どちらの心理傾向の方も
「相手の話を聞けていない」方が多いです。


例えば、自己愛の強い方に
「あなたが好きです」と伝えると

「あ、そう?まあ当然だけど。
今更好きとか言われても、困る的な面も
あるっちゃあるけどー」


のような、心の動きになります。
(一例ですよ)

対して自己評価の低い方に
「あなたが好きです」と伝えると

「いやいやいや、自分みたいなカスに
好きとか、ないわ。罰ゲーム?罰ゲームなの?」


のような、心の動きになります。
(一例ですよ)

どちらの方も「自分の心の動き」
流されて「相手が伝えた好意」
「正当に評価」出来ていません。

こういう方には「返報性の原理」の効果は
薄いと考えられています。

「返報性と一貫性」のテクニック

相手や状況にも左右されますが
ビジネスにも「返報性の原理」
応用されています。

例えば、SNSで「フォロワー」「いいね」
増やしたい時は、どう行動すれば良いと
思われますか?

「自分からフォローしたり、いいねを押す」
・・とっても簡単ですね(;^ω^)

ですが、相手をフォローしたり、いいねを
押したからといって、相手から
リターンが得られない事が「当たり前」です。

「フォローしてあげたのに、なんで
フォローバックしてくれないんですか」

みたいな態度は
ただ自分の価値を自分で下げるだけの行為です。

本来SNSのフォローやいいねは、
自分が興味のある人、良いと思った内容に対して
のみ、行うのが健全です。

ですが例えば
「ビジネス目的でフォロワーを増やす必要」がある時は

「自分の考えを曲げてでも、フォロワーを増やす行動を
取らないといけない」
状況が生まれます。

「自身の行動、発言、態度、信念に対して
一貫したものとしたい
」という心理傾向を

「一貫性の原理」
と呼称します。

この、「一貫性の原理」を応用したテクニックを
「フット・イン・ザ・ドア」と言います。
(スタンドみたい・・)

簡単に言うと
「ハードルの低い要求から始めて、徐々に段階を上げていき
本題を伝える」
というテクニックです。

「最初の小さな要求を受け入れたから、その一貫性を
保ちたい」
という、人の心理を応用した
ビジネステクニックです。

「ドア・イン・ザ・フェイス」という
テクニックもあります。

こちらは「返報性の原理」を応用したもので
「最初の要求で無理難題を提示してから、本題を伝える」
というものです。
「最初の要求を断ってしまった、心理的な後ろめたさ」
利用するわけですね。

ま と め

今回は「返報性の原理」のビジネス的な
応用方法などを、簡単に紹介させて頂きました。

「返報性の原理」とは
「相手にしてもらったことを、返したくなる
心理作用」
です。

人の心理作用は、個人差はありますが
「こうすれば、こうなる」みたいな
大まかな流れは決まっています。

その辺を、ビジネスに詳しい方は
学習していまして、あの手この手で
ぼくらに「モノ」を買わせようと
してきます(;^ω^)

ですので、要らないものを
衝動買いしないよう、
一緒に勉強していけたらいいですね(*´v`*)

これからも、ビジネス心理学や用語、
マーケティングなどにスポットを当てた
ブログを書いていきます。

心理学とビジネスって、共通項が
たくさんあるな
と、だんだん気づいてきた
ことばでした( *´艸`)


読んでくださって、ありがとうございましたっ

コミュ障ことは
コミュニケーションって?

こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「コミュニケーションの
本質って?」
という内容です。

よく「コミュ障」という言葉を耳にされませんか?

この言葉は「コミュニケーション障害」という言葉の
略語で、「自称」と「医学的な診断名」との
二つに分かれます。

今回、ここでテーマにしたいのは「自称」の方です。

コミュニケーションで悩まれているあなたが
少しでも、楽になればいいなと
思っています。

よろしくお願いします。

「コミュニケーション障害」

ぼくもよく、文章では使います。

「自分はコミュ障なので・・」
みたいに。

この言葉の意図は、飽くまで自分的には
「ぼくは、人と関わるのが
苦手だと自覚している人間です。

喋るのが得意ではありません。
ユーモアがありません。絡んでも面白くありません。
飲み会などに誘わないで下さい。

内向的な人間です。ぼくと絡んでも、
あなたが得るものはありません。

ギブとテイクが成立しません。申し訳ありません。」


ということを、一文で伝えるためのものです。

・・いえ、実際本当に思っています(;^ω^)
もちろん伝わりませんが、承知の上です。

ただそれとは別に、相手とのやりとりの駆け引
使ったりします。

この言葉を盾に・・というか「免罪符」にして
相手に「ことばは人見知りで、人と話すのが
苦手な人なんだな」
という印象を、自覚的に相手に
与えるために、あえて使ったりしています。

最近はとくに、自分が興味のない事柄に
時間を奪われる事を苦痛に感じていますので
自衛の意味合いで使用しています( ;∀;)

職場の飲み会とか。たいてい特定の個人に対しての
愚痴に終始するので、これほど無意味で時間の無駄な
交流もないなと思います(;^ω^)

良い交流の出来る場であれば、良いのですが💦

「コミュ障」は、「ネガティブ?」

自分を表現する手段として「ぼくはネガティブです」
と、こちらも文章では、よく書いたりします。

「コミュ障」と「ネガティブ」の意味を混同しがちですが、
コミュ障は「言語、非言語における相手との接触において
自身の主観で、何らかの支障を感じている状態」


「ネガティブ」は「物事に対して否定的、消極的、
悲観的であり、そのような心理の状態」
です。

つまり、相手との何らかのやり取りの中で
「あ、今変な間が空いた。自分がコミュ障だからか?
どうすればこの間を埋めれるんだ・・。」
と思うのと

「あ、変な間が空いた・・。どうせ自分と
話しても、つまらないよね・・。」と思うのは
似てるようで違という事です。

どちらも、コンプレックスというか「欠点」のように
捉えられる特徴ですが、実際どうなのでしょうか?

もちろん、これは一例に過ぎませんが、
「自覚的なコミュ障」の方は、実は「自分だけの思い込み」
で、他者から見ると「コミュニケーションに問題がある」
なんて、まったく思われていないことがあります。

その理由は、「相手とのコミュニケーションが
上手くいかないことを、コミュ障の方は、
とても恐れている」
からです。

そう、怖いんです。

「相手にどう思われているのか」が。

「相手の話の意図を、自分は汲み取れているのか?」

「自分の声量は?態度は?話をまとめられるのか?」

「目を見て話した方がいいのか?失礼なことはないか?」

「間が空いたらどうする?自分が埋めるべきなのか?」


コミュ障は、ほんといちいち気になるんです。

怖いから、その恐怖を現実のものとしないよう
なるべく、「相手の話を聞こうとする」
「伝わるように喋ろうとする」「落ち着いて話そうとする」

という行動をとろうと努力します。

失敗したら深く反省し、次があれば
なるべく活かそうともします。

こういう行動を繰り返すと、相手からは
どう見られるでしょう?

「この人、自分の話を聞いてくれるし、話し方も
いい感じだな」とむしろ真逆の評価
与えられることが多いのです。

これとは逆に「自分はコミュ障じゃない」
「人と話すのが好き、得意」という自覚のある方は
プロの芸人さんとかではない限りは、
少し、気を付けた方がいいかも知れません💦

なぜかは・・もうお分かりですよね?

先ほどの話と、逆の現象が起きやすいから
です。

「コミュニケーション」の「本質」の一旦は
「相手に気持ちよく話してもらう」
ことです。

当然ですが、「相手」がいるからこそ
対話が成立します。

自分の経験上の話で恐縮なのですが
「人と関わるのが好き」と仰る方は
「自分のことをお話する」のが、お好きな方が
多いです。

ですが、たいていの場合
「相手」が興味を持っているのは「自分」
ではなく「相手自身のこと」です。

コミュニケーションの手段として
自分のことを知ってもらおうと、相手の話を聞かず
自分の過去の武勇伝だったりをお話される方は、

後で「上手く話せた」と自賛しても、
相手には「人の話が聞けない人だな」
という印象で終わることもあります・・。( ;∀;)

つまり、本当にコミュニケーションに
長けている人というのは
「相手が何を望んでいるかを察知するのが
上手い方」
という事です。

相手に合わせて「この人は喋りたい人だ」
「この人は喋るのが苦手な人だ」という
肌感覚を、会話や雰囲気で感じて

「自分が話す割合を相手に合わせて調節できる」
という人ではないのかな
と思います。

もちろん、ぼくには出来ません・・(;^ω^)
認知症の方へのコミュニケーション

余談になりますが
ぼくは、仕事で認知症介護を専門に、
勉強させて頂いています。

介護に携わる前までは、割と本気で
「コミュ障」だったのですが、仕事の影響で
少し、良い方向に変化したように思います。

認知症を疾患されている方は
「言語」を介したコミュニケーションが、上手く
成立しないという状況が多いです。

例えば「〇〇さん、おやつが出来ました」と
テーブルに、お菓子を配膳させて頂いた際
その方が言語障害をお持ちの方の場合

「ぼくのいう事は理解できるけど、それを言語で
表現することが難しい」
という状態なわけです。

その時、相手に無用なプレッシャーを
与えている可能性があります。

「かけられた言葉に対して、
言葉で何も返せない」
感じて頂く必要のない申し訳のなさ、相手に
与えてしまうことになるのかも知れません。

自分は、「普段から使用するコミュニケーションツール」
を使用しただけです。

ですが相手が、それを使用することが
難しい場合、どうすれば良いと思いますか?

そういうときは
「相手と同じ表現方法を使うようにする」
ほうが
良いのかな、と思います。

「言語以外でのコミュニケーション」は
「非言語コミュニケーション」と呼ばれています。

身振り、手ぶり、表情、態度、生活音、アイコンタクト・・
これらはすべて、相手に「自分の想い」を伝えるための
重要な手段となります。

言語障害をお持ちの方でしたら、
「非言語」を使って「対話」をするような心持ちで
接してみる。

それを継続していくと、相手に自分の
「心遣い」「気配り」「優しさ」のようなものが
不思議と伝わることが多いです。

人間って、ふしぎ。

ま と め

世界に、意思疎通の図れる存在が
誰もいなければ、「自分はコミュ障だ」
「ネガティブだ」と悩むこともなかったでしょう。

孤独は、ひとりでいる時よりも
大勢の中にいるときの方がより強く
感じたりもします。

「相手」という存在がいて、
初めて生まれる感情なのだなと思うと
ちょっと・・得したような気分になるのは
ぼくだけでしょうか?でしょうね(;^ω^)

ぼくは「友達を作る作業」をしてきませんでした。

「他人」と関わるより「自分の内面」と関わっていた
方が、楽しく有意義に感じてしまうからです。

今は動画配信などで、他者の経験や知識を
知る事が出来ますし、人と関わるメリットについて
いろいろ悩んだり、考えたりもします。

この性質は、もう変わることはないんだろうなと
思っています。

・・唐突な闇展開ですみません(;^ω^)

人と関わるのが好きな方、そうでもない方。
多様な価値観があって、それがぶつからず、共存
できるのも、コミュニケーションが取れるからです。

生き方に優劣はないので、自分の人生を
他人の責にしないような生き方がしたいなあと
いつも思っている、ことばでした。


読んでくださり、ありがとうございましたっ

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