ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

カテゴリ: 楽に生きるための考え方

たえることは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「誹謗と中傷と悪口と
事実の違いを考える」
という内容です。

自分は、介護の仕事をしています。

会社では、社員ブログを書かせて頂いても
いるのですが、ブログを書きながら

「人間は、お互いにどういう心持ちでいれば、
誤解せず暮らせるのか」
みたいな事を
漠然と考えるようになりました。

介護の精神性はおもてなしであり

「相手にいかに心地良い環境を提供するか」
下敷きにしないと、いくら技術を磨いても
良いケアには、繋がらないような気がしています。

ぼくは「伝え方」「言葉」について
やたらフォーカスした記事を書きますが、それは
自分が「人の心持ち」に興味を持っているからです。

今後も、同じような内容を何度も書くかも知れません。
それだけ「伝えたい」という事だと、ご理解頂ければ
嬉しく思います。

ただ「伝えたい」だけで
「正しい」わけではありません。


あなたがブログを読んで下さって
「そうだ」とか「違うだろ」とかいった

「なにか」を考えて頂けるなら
それだけで価値が生まれると考えます。

前置きが長くなりましたが
本題に入ります、よろしくお願い致します。

【人を傷つけるということ】

あなたは「誹謗中傷」をされたことは
ありますか?

「誹謗中傷」の言葉の意味ですが

「根拠のない悪口を言いふらして
他人を傷つけること」
とあります。

「誹謗」とは「悪口を言うこと」

「中傷」とは「根拠のないことを言い、
他人の名誉を傷つけること」
だそうです。


「根拠」の意味は「もとになること」だそうで
つまり誹謗中傷とは

「ありもしない悪いデマを拡散させて
相手を傷つけたり
名誉を棄損させる行為」
を指します。

では仮に、相手に少しでも「根拠になること」
存在した場合「誹謗中傷」という言い方を
する事は、適切なのでしょうか?

その「根拠」を元に他人の「悪口」を言い、
相手を傷つける行為は
誹謗中傷に当たると考えられますか?

僕の、過去の話をしますね。

【事実とは】

僕は人から「誹謗中傷」をされた事は
まだ、一度もありません。

介護の仕事の前は、
アルバイトで店舗接客の仕事を
していたのですが

自分は、仕事の仕方について
色々と先輩から指摘を受けていました。

仲良くもさせて頂いていたので
仕事以外のお話も、出来る関係ではありました。

僕は、自己肯定感の低い人間でしたので
「仕事が雑」「遅い」「言われた事も出来ない」
などの指摘を受ける度に、傷ついていたのですが

あんまり、僕ばかり責められているような
気がしたので、一度指摘して下さる先輩に

「なぜそんな、悪口ばかり言うのですか?」
『あまり傷つけないで欲しい』という
意思表示を込めて、伝えた事があります。

その時先輩は
「悪口を言っているつもりはないよ?
君に伝えているのは、全て俺が感じている
事実を伝えているだけだから」

のような意図の事を冷静に言われて

なんだか逃げ場がどこにもなくて

でも妙に納得して「そうか、悪く言っている
のではなくて、事実を言われているのか・・」

否が応にも思わされたという経験があります。

「悪口」とは
「他人を悪く言うこと」という意味ですが

あの時の先輩が仰るように
例えば仕事が遅い人に「仕事が遅い」
伝えるのは「悪口」ではなく

実際に仕事が遅い(と自分が感じる)相手に
「事実を伝えているという解釈である」という
言い分
は、言い得て妙だと、今でも思います。

では「事実」とは
どういった意味なのでしょうか?

「事実」とは「実際に起こった事柄」という意味で

例えば「AさんがBさんを殴った」という出来事に
対して「100人が100人、同じ状況を目撃した時、
同じ認識をする事柄」
に対して使われます。

「AさんがBさんを殴った」現場を「見た」とき
「BさんがAさんを殴った」「認識」する人は
いらっしゃらないです。

その中で、関係性、利害、感情、打算なども
交えながら「事実」「真実」にして
人に伝えます。

「事実」は客観的
「真実」は主観的
なのだそうです。

ですので「AさんがBさんを殴った」
という事実を「目撃」した人が
(Aさんは、Bさんに脅されていたのかも)とか
(Bさんが挑発していたのではないか?)などと

「事実認識を積み重ね、独自の解釈」をした上で
発言、発信する情報は「真実」
といいます。

言葉の上では
「事実は、いつもひとつ!
真実は、人の解釈の数だけ存在する!」

という事なのですね。

【事実がひとつならば】

では、先ほどの質問に戻りますね。

「根拠」を元に他人の「悪口」を言い、
相手を傷つける行為は
「誹謗中傷」に当たるのか?
ですが

「それは、相手が判断することであり
発信者は、最大限の配慮が必須」
だと考えます。

「悪口を言われる根拠」が相手にあろうと
なかろうと、社会の中で人と関わって
こられた人であれば

相手に「悪口」と捉えられないように
「自分の想いを伝える」という
「言葉の選択」が出来る
と思っています。

「相手を思いやる気持ち」への配慮が欠けた発信は
相手に「これは自分への誹謗中傷だ」と
思われてしまう可能性が、格段に高まります。


「事実」はひとつしか存在しませんが
「それをどのように表現するのか」
自分次第ですよね。

「悪口に聞こえる伝え方」
「ただの誹謗中傷に聞こえる伝え方」
「自分の想いを相手に届かせる伝え方」
「感動させる伝え方」・・・

言葉は
「事実をデコレーションするセンスそのもの」です。

無数の言葉の中で、なにを選びとるかで
相手は「あなた」という存在を作りあげます。

特にインターネットでの書き込みで顕著ですね。
こういったブログ、SNSでの文章のやりとりでは

書いた本人に、まったくそのつもりがなくても
読まれた方が、不快に思われるような事が
とても多いです。

【ま と め】

今回は「誹謗」「中傷」「悪口」「事実」の
違いを考える
というテーマで
書かせて頂きました。

自分も含めた「日本国民総発信者」時代である
いまを、ゆるゆる生き抜くために

①面と向かって、言えないようなことは
文章でも伝えない。

➁文章で相手に伝える必要がある時は、
普段の30%増のテンションで、普段の
2倍、言葉を尽くす。

③色々、思うだけにする。


くらいのことは、意識するべき
なのかなと考えています。

いつもえらそうに書いていますが
ことばも、まったく出来ていません。

でも「自分にとって」ではなく
「みんなにとって、優しい世界」が好きなので
今後も、こういうことをゆるゆる書いていけたら
いいなと思っています。

読んでくださって
ありがとうございました( *´艸`)


おりあいことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「上手な折り合いの付け方」
についてです。

【折り合いとは?】

「折り合い」の意味ですが
交渉などにおいて、互いにある程度譲り合って
双方が納得できる妥協点を定めること。

互いに意見が対立しないポイントを見出す

とあります。

仕事が嫌になる時って、大体のケースで
「〇〇と折り合いが付かなくなる」場合なのかな
と、思っています。

自分の周りの方々は、大概がそうでした。

ぼくは、今までのバイト歴も含めて
自分から「退職」を選んだ経験はありません。
使い物にならなくて
クビになってばかりでしたので。


今は介護職ですが
介護の業界に入って、まず驚いたことは
「○○が納得出来ないから辞めます」
「○○さんと合わないので辞めます」という
理由で、退職を選択される方が、
とても多いと感じたことでした。

飽くまで主観ですが、他の職種より
「折り合いがつかなくて辞める」という
ケースが多いように思います。

それは、介護士の慢性的な人材不足で
職場を吟味出来ること

(施設に寄りますが)無資格でも働けるなど
採用の間口が広いので、自分に合う職場探しも
比較的容易であることなどが

比較的簡単に、合わなければ別の職場を探そう
思う要因となっているように感じます。

【仕事はしんどいもの】

介護に限らず、仕事はどうしても
継続することが、しんどくなる時もあります。

同僚、部下、上司との人間関係を筆頭に、
モチベーションの低下、環境の変化、
異動、栄転、左遷・・

そんな時、自分の気持ちと上手に折り合いを
付けることが出来れば
、退職を選ばなくとも
なんとかなる・・かも知れません。

あなたのなかの「常識」って、なんですか?

誰かに質問した時に
「そんなことも分からないの?」って
言われてしまうようなこと全般が、
「常識」というものかも知れません。


「常識」は、仕事では如実に表れます。

例えば、グループホームで勤務される
男性介護士の中には、最初は
お米のとぎ方、洗濯物のたたみ方
洗濯機の使い方
など、日常的なあれこれが
分からない方が、いらっしゃいました。

これらは、女性介護士の多くの方には
「常識」の範疇かと思います。

ですが、例えばこれを指導の時に
「え、洗濯機も使ったことないの?」
というリアクションをされると、やっぱり
その方には辛いわけです( ;∀;)

その逆に、洗濯機は使えるけど
パソコンが苦手・・という方も
いらっしゃるかも知れません。

もしパソコンの使い方を指導される時
「え、電源の付け方も分からないの?」
みたいなリアクションを取られたら
腹が立ちませんか?

「自分が知っているだけで、それが
なんでも常識と思うなよ」
って!

「常識」という言葉には、罠が潜んでいます。

お互い、全然折り合いがついていないのに
この言葉だけで、無理やり物事を
着地させようとすると、
トラブルの元になります。

【言葉を尽くすこと】

介護の職場では、申し送りという
業務があるのですが
利用者様の周辺症状を説明するとき

暴力を振るわれ、暴言を吐かれた」とか

割と大きめの独語でした」とか

「あの人の物盗られ妄想は、かなりヤバい」みたいな
表現を多用される方がいらっしゃいます。

「常識」と同様、こういうあいまいな表現は、
認識の齟齬を生みやすいです

人により「暴言、暴力と感じる度合い」は
全然違います。

「死んでしまえ!!」は暴言ですか?

「馬鹿」は暴言ですか?

「身体的特徴を揶揄する言葉」は暴言ですか?


「あなたにとってどうなのか」
お互い分からない以上、物事を伝達する時は

例えばですが「○○と言われました」
「右手で背中を強く押されました」
のように、状況をなるべく言葉を尽くして説明したり
正確な表現を使うようにするなど、

「どうすれば状況を正確に伝えられるのか」を
心がけたいものですね( *´艸`)

【まとめ】

今回は「折り合い」の意味と
「常識」という言葉に潜む齟齬という罠に
ついて、書かせて頂きました。

人と、折り合いが付かなくなると
辛く、苦しいものです💦

この苦しさを少しでも解消するために
相手の事を知ろうと努力したり
理解しようと努めます。

人の相互理解が少しでも進み
気持ちのすれ違いから生まれる
悲しい事件が減ればいいなと願う、ことばでした。

読んで下さって、ありがとうございました( *´艸`)


伝えたいことは
こんにちはっ
ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「他人に伝える力を伸ばすために
考えないといけないことって?」
みたいな内容です。

あなたは、今の学生さん・・若い方の言葉について
何か思うところはありますか?

ぼくのような「おっさん」になりますと
学生の方と関わる機会なんて
まったくといっていいほど
ありませんので、実際のやり取りは分からず、
心苦しいのですが

あなたが何かを考えるきっかけになればいいなと
思い、このまま書かせて頂きます。

よろしくお願いいたします(*´w`)


【若者の読解力】

少し前、読売新聞に
「文章を作れぬ若者」という記事がありました。

要約すると、10代を中心とした若者の国語力が、
軒並み低下している
とのことでした。

その要因となっているのが、爆発的に普及した
LINEなどのSNS、コミュニケーションアプリだそうです。

今の学生さんのSNSでのやりとりって、
話し言葉のような短文や、スタンプで済ませることが
多いみたいですね(/・ω・)/

記事内では「正しい日本語に触れる機会が減ったことや
SNSを通じたやりとりで、推敲して文章の質を
高める努力をしなくなったことが、国語力、
読解力の低下に繋がっている」
というような内容でした。

僕はLINEを使っていませんが、例えば今、
自分が学生で周りの人たちが使っていたら、
自分も100%使っていると思います。

やりとりする相手が「り」了解、わかりましたの意味)や
「よき!」良いですねなどの肯定的な意味)とか
使う人だったら、僕もきっと使います(;^ω^)

だって、学校のような集団生活を行う場所で
孤立したら、とっても過ごしにくくなってしまいますもの💦

国語力、読解力の低下の要因をSNSにしたとして
LINEが流行り出した時、僕はもう大人でした。

「LINEを使う、使わない」は自分で判断出来ましたし
使っていないことを人に伝えても
「あ、そうなんだ。じゃあメールで」で、
済む問題でした。

学校では、こうはいきませんよね・・。

【正しい日本語とは】

また、少し前に
「目上の方に返信する時、『了解致しました』では
失礼に当たるから、『承知致しました』という言葉を
使いなさい」
というものが話題になりました。

顛末は「了解も特に、失礼には当たらない」と
いう結論で、落ち着いたように捉えています。

ですが「了解致しました」を
失礼と思い込んでいる方には
どれだけこちらが説明しても、
思い込んでる以上は、失礼に感じるわけです。

「了解致しました」でも「承知致しました」でも
失礼ではないのに、例えば上司に
「了解は失礼に当たるから承知を使いなさい」
指摘されれば、部下はそうせざるを得ません。

ここで大事なのは
「相手が失礼に感じるのであれば、使用法を
間違えていなくても、相手に合わせる方がベター」

という事です。
(相手が取引先とかであれば、より顕著です)

こういう話題でよく使われる「正しい日本語」とは
「個人の主観の中での正しさ」を指しているに
過ぎないのかも知れませんね・・。


個人的には、やり取りする相手に自分の想いが
伝わっていれば、別に短文でも、スタンプでも、
了解致しましたでも、問題はない
思います。

「正しい日本語」を使われる方々は
若い方の読解力低下を危惧しているようですが
やや偏向的かな、という考えを深める出来事が
もうひとつありました。

昨年末ごろに放送されました
「ワイドナショー」というテレビ番組でも
同様のテーマを取り扱った際に「読解力テスト」
というものが、出題されていたのですが

ダウンタウンの松本さんやゲストの古館伊知郎さん、
武田鉄矢さんといったコメンテーターの方は、
このテストを答える事が出来ていませんでした。

皆さん「伝える事のプロフェッショナル」なわけですが
観ていて、びっくりしました。

同時に「伝えることが上手な人でも、相手が何を
伝えたいかを汲み取る意識が、それほど
高くない方もいるのだな」
と、勉強になりました。

【伝えるということ】

SNSも、言葉そのものも「想いを伝える」ための
ツールでしかありません。

「個々がツールを正しく扱えているかどうか」ではなく
「相手に自分の想いが、きちんと伝わっているか」
大事です。

国語力や、読解力の差、以上に
相手とのやりとりに齟齬が生まれやすい要因は
年齢や性別の違いではないか思います。

時代における価値観の急激な変遷期という背景もあり
年齢、性別の差だけでも、まるで相手が異なる言語を
使っているような錯覚
すら、覚えてしまいがちです。

こういう時「若者の日本語は乱れている!」と
憤慨したり「JJIの長文マジ無理」などと壁を作るよりも

お互いの言葉の面白さ、発想に目を向けて
尊重したり、理解しあう事が出来れば
楽しいのにな
思います(*^v^*)

【まとめ】

今回は「伝える力を伸ばすために
考えること」
について
書かせて頂きました。

人間は自分の想いを、そのままの形で伝える手段を
持ち合わせていません。
ですので言葉や文章にしたり
体で表現しながら、なんとか相手に伝えようとします。

裏を返せば、相手に想いが伝わるのであれば
「正しい日本語」である必要は、ありませんよね。

ただ現代日本では国語の勉強は、
ある程度しておいた方がいいかなあと思います。

「語彙が増える」ではないですが、
相手の反応に合わせた微妙な言い回しが出来たり、
政治家のような、のらりくらりと相手の質問を
かわす技術も、身に付いたりするかも知れません(;^ω^)

ぼくは介護施設に勤務していますが
言葉は介護での声掛け、接遇とも
かなり密接に
関わってきます。

「自分が接すると、利用者様が不機嫌になるんです」

みたいな悩みを持たれている職員さんには
「日頃ご自身が、人に対してどういう態度で
接しておられるのか、一度振り返るのも、良いかも
知れませんね~」

みたいな感じで、やんわり伝えてみたりします。

小説や、詩を読む事が好きになれば、
自分が楽に過ごせたり、楽しめるコンテンツが増えたりと
いった豪華特典があるので、勉強は面倒くさいものですが
一緒にがんばりましょうね(*^v^*)

こんな長文のブログは「ながっ、読む気失せるわ」
思われて終わりなことが多いです💦

ですので若い方は「短文でのやりとり」
気持ちを伝えあい、ことたりているわけですから
そちらの方が「言語の正しい在り方」なのかも
知れませんよね( *´艸`)

見習いたいものだなぁと思う、ことばでした

きめことは(かきなおし)
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマはみんな言っていますという
フレーズの【みんな】って、誰のこと?」です。

「みんな」とは、誰のこと?
どういう意味なの?


言われた側は、疑問に思いますよね💦

「みんなという言葉を使う人」の想いを
探っていきながら、言われた時の対処法や
どういう気持ちで受け止めるべきか

考えていければいいなと思います(*^v^*)

【とても傷ついた経験】

職場で、このフレーズを聞かれたことって
あなたは、おありですか?

例えば、上司に業務改善の提案をする時
「倉庫の物品の置き方、使いにくいって
みんな言っています。変更してもいいですか?」
とか

自分が管理職で、職員さんから
「○○さんの勤務態度、施設長から話をして下さいよ~
みんな、同じこと言ってますよ
とか

はたまた同じ職員同士で
「○○さんから聞いたけど、あなたの勤務態度が
悪いって、みんな言っているらしいよ。なおした方が
いいんじゃない?」
とか

聞いたり、言われたり、使ったりしたことって
もしかしたら、一度はあるのではないでしょうか?

僕も実際に、言われた事があります。

介護現場で働いていた時、指導の意味合いで
だったと思うのですが、先輩職員から

「ことばくん、もう〇年目なんでしょ?
もう少し積極的に介助に入るとか、自分で考えて
動いてる?みんな言ってるよ?」

みたいなことを言われました。

指摘された時、
「そうか・・もっと考えて仕事しないとなぁ」
などと思・・えるわけもなく

「みんな言っている」
という、この言葉がとにかく頭に残り
指摘された事は心に刺さらず、ただただ
心に5倍(当社比)のダメージを受けました。

なぜこんなにも傷ついたのか、当時は
よく分かっていなかったのですが、今考えると

自分は指摘された時、先輩の仰る「みんな」
「職場の全職員」のようなイメージで
捉えてしまったため

「やっぱり、みんなが僕を無能だと
思っているのか・・」

みたいな、大変にネガティブな思考
展開させてしまったからなのかなと思います。

(普段、自分では仕事出来ないと思っていても
他の人に改めて言われると傷つく不思議)

先輩は、僕を落ち込ませようとされたのではなく
気持ちを奮い立たせようとしてくれて
いたのだと思いますが、それだけに

「みんな言っている」というこのフレーズは
とても強い力を持っていると、
お分かりになるかと思います。

ですが、その後も仕事の経験を重ねる中で
「この言葉を鵜呑みにはしない方がいいし
自分は使わない方がいいな」
という
考えに至りました。

【みんなという言葉の定義】

まず「みんな」という言葉の定義ですが

「全員」だったり「そこにいる人全て」だったり
「決まった仲の良い数人」だったりと、
意外と、広義な解釈の出来る言葉です。

つまり「言葉を使う人の、さじ加減」である事が
多い言葉です。

こういう広義な言葉は、誤解を与えやすいので
個人的には「使用しない方がいいと思う言葉」
かなと思っています。

【言葉の持つ力】

例えば、あなたが指導される側で

「あなたの声掛け、キツく聞こえるから
気を付けてね」

みんな言っていたけど、あなたの声掛け
キツく聞こえるから気を付けてね」では

どちらが、どのような印象を受けますか?


自分は率直に「みんなが言っていたとか
そんな情報、相手を傷つけるだけなのに
指導の時に必要なのかな?」
と思います。

これは、多くの人間が持つ「多数派の意見と
自分の意見が一致すれば安心する心理」
を取り入れた

「相手をコントロールする方法」
です。

個人の意見だとしても「みんなが言っている」
というフレーズを差し込むだけで

まるで「多数派の意見」のように
相手に思わせる事が出来て、
説得力を上げられる上に

言われた側を「少数派」の立場に追いやるので
自信を奪い、不安を与え、相手の行動を
制限しやすくなります。

また、発言の責任を問われた時に「自分だけでなく
他の人も同じ意見だった」
と思わせる、つまり

「個人の責任ではなく、みんなの責任」にして
発言の責任を回避する
手段にも有効です。

一石三鳥のような言葉ですね( ;∀;)

ですが、そんな上手い話ばかりではありません。

もし、この言葉を指導される際に使う、
もしくは今後使おうと考えておられるのであれば
控えた方がよいと思います。

それはなぜか?

あなた個人の「信頼」に関わるからです。

【強い言葉のデメリット】

「みんな言っている」は、便利な言葉ですが
この言葉を多用するほど、周りから信頼を得る事が
難しくなる
考えた方が良いと思います。

その理由は、メリットの裏を返すようなもので
「物事を深く考えず、責任を負いたくない人」
だと、思われてしまうからです。

例えば、ぼくは現在、たまたま
管理職をさせて頂いていますが、職員さんに
「〇〇さんですが、△△な理由で、
勤務態度に問題があります、注意して下さい。
みんな言っていました」

みたいな感じで、言われたとしたら

「みんな」とは、
具体的に誰が言っていましたか?」

と、聞くようにしています。

具体的に複数の職員の名前を挙げる方や
「それは言えません」みたいに仰る方、
それぞれですが

自分は必ず「みんなというフレーズ」に対して、
突っかかります。

それは、真偽は二の次で「みんな言っている」
という言葉を使うリスクを、分かって欲しいという
目的があります。

あと、今思いつきましたが
「僕の中のみんなは職員のみなさん、全員という
イメージですが、〇〇さんが今、仰ったみんなは
僕の認識と共通していますか?」

みたいに、今後は聞こうと思います。

管理職の方であれば、職員さんから
色々と意見を頂く状況が多いと思いますが
「結局、誰が得をするのか?」という
視点で考えれば

個人が何らかの利益を得たいだけなのか

本当に、職場の事を考えての意見なのか

分かりやすくなるかと思います。

その中で、職場の方向性と照らし合わせながら
より良い選択が出来ればいいですよね(*^v^*)

【まとめ】

今回は「みんな言っている」という言葉には
どういう力があるのか、
使う人は、どういう意図があり、
他人にどう思われやすいか、書かせて頂きました。

そもそも、数十人単位の職場でも、
仕事の価値観は、皆さんバラバラ
ですのに
「みんな言っています」なんて状況が、
成立する事はまずありません💦

ですので、このブログを読まれたあなたは
今後「みんな言っている」と誰かに言われたら

「みんなとは誰のことですか?」

具体的に聞くようにしてみて下さいね(*^v^*)

お互いに気持ち良く働くために
言葉の選定は不可欠です。

相手を無用に傷つけたり、軽んじたりせず

「言葉を尽くして」想いを伝えられるように
なりたいなどと考えている、ことばでしたっ

読んで下さって、ありがとうございました。


ことはさんはしゅちょうしたい
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたはオワコンって言葉、聞いたことがありますか?

ぼくはこの言葉、とても好きではありません。

オワコンに限らず「勝手な主観で、あるコンテンツや
物事にケチをつける」
日本のひとの、精神性というか
そういった風潮がとてもと~ってもイヤです。

だって、どれだけ傷つくか、分かりますか?

自分が好きなものを、他人がロクに知ろうともせずに
「○○なんてもうオワコンだしww」なんて言われたら
あなたはどう思いますか?

今回は「オワコン」という言葉について、その説明と
「ことば」がいかに、この「言葉」が好きではないか

そして、この言葉を使う事で生じるデメリット
(メリットなんてありませんっ!)
お話できればいいなと思います。

よろしくお願い致します( *´艸`)

【オワコンとは】

「オワコン」は、比較的最近に世間に定着した言葉です。

語源としては、今から10年程前に流行ったアニメの
ブームが過ぎた頃、

2chのアニメの関連のスレッドで
「○○はもう終わったコンテンツ」みたいな書き込みがあり
「終わったコンテンツ」=「オワコン」という言葉が
そのまま、色々な方面で使われ出して、定着したという
背景があるようです。

「オワコン」は、比較的最近の言葉ですが
「おなじようなもの」は昔からありました。

テレビ番組で「あの人は今」という番組が、
あったのを、ご存知でしょうか。

一時代を築いた芸能人に、スポットを当てて
ご本人から「あの頃は、どれくらい稼いでいたか」とか
それと対比して「今はどのような生活をされているか」
を、お話をするような番組です。

子供の頃は、特になんとも思いませんでしたが
今考えると、この番組に出演されていた方って
色々思う所があったんじゃないかな・・
と思います。

ひと昔前は、テレビの露出=タレントとして
売れているか、どうかみたいな価値観でした。

「あの人は今」に取り上げられる人というのは
「オワコンですよ」って、はっきりと
言われているような感覚じゃなかったのかなと
思います。

「あの人は今」というタイトルセンスは
他人の興味を引く、秀逸なものですが

この企画を見て「何を楽しむか」と言えば
「人の、絶頂期と現在との落差を見て楽しむ」ような
ものであるので、やっぱりぼくは好きではありません。

好きじゃないもので自分を語るのは
好きじゃないのですが、あとひとつ・・

「情報番組」全般も、好んで見ていません(;^ω^)

情報番組で取り扱う話題の9割が
「他人の何らかの不幸」ですよね。

それに対して、偏向的な価値観を乗っけて
お話する、一部のコメンテーターの方、
攻撃的、断定的な物言いをする方・・。

「これを見る、当事者は、どんな気持ちなのかな」
って考えたら「情報番組」に価値を
見出せなくなりました。
(お好きな方、ごめんなさい)

物事を「評価せず、ただひたすら肯定する」番組が
あればいいのになって思います。
・・視聴率取れないんですよね、分かります(;^ω^)

【オワコンを使うデメリット】

次に、コンテンツに対して安易に「オワコン」と
仰る方に、どのようなデメリットが発生するかを
考えてみます。

①「視野の狭さ」を、周囲に吹聴するのと同じ

②自分を含め、誰も得をしないアピール

③「マウントを取りたがる精神性」の発露


頻繁に「オワコン」のターゲットにされるのって
今で言うと「テレビ」かなって思います。

検索したら「テレビはオワコン?」みたいな記事が
山ほど出てきます(;^ω^)

これは、大衆の情報源が、ネットメディアに
移行しつつあること

動画サイトなどで、成功者がこぞって「テレビ」
不要なものとして、切り捨てていることなどが
要因の一つであると思います。

ですが「○○さんがテレビは不要って言ってたから
テレビはオワコン!」
なんて、自分で考えず
思っているのだとしたら、そこは改善するべきです。

テレビは、確かに情報を能動的に仕入れるのには
不向きですが、特定のコンテンツの情報を
仕入れたい」
という時は、

ネットではまだ難しい「専門的な映像と編集力」
番組を、追いかける事が出来ます。

映像の力って、やっぱり説得力があります。

動画サイトで個人が発信されている情報は、
有用なものも多いですが、量も質もピンキリです。

「専門性のある希少な映像」を、情報として
欲しい場合は、テレビの力って、
やはりとても大きいのかなって思います。

とある有名なブロガーさんも、情報収集源に
テレビを挙げておられました。

テレビの専門的な番組から得た情報を元に、
記事を書くこともあるそうです。

ネットの情報も、まだまだテレビ番組の後追い
だったりすることもありますし、影響力でいえば
依然、それほど変わらないのではないかなと
思っています。

こんな風に、特に知識のないぼくでも、
テレビを「オワコン」と括るには、早計かなと
思って頂けるような、文章を書くことが出来ます。

これは、どんなコンテンツに対してもそうです。

「オワコン」という言葉を好んで使う人は、
「物事を一面的にしか見れない、視野の狭い人」
だと、意図せず、思われてしまうかも知れません💦

そもそも「○○はオワコン」って発信することに
メリットなんてあるのでしょうか?

ブログの記事のタイトルで「○○は、もうオワコン!?」
みたいなものは、集客を狙ってのものだと分かりますが

「○○って、もうオワコンだよね」などと、会話の中で
使う人と、長く付き合いたいかなあと思うと
ちょっぴり疑問です(;^ω^)

また「特定の何かを否定することで、相対的に
自分の価値が上がったように感じる」

マウントをとるために、対象を落とすような人も
いらっしゃるかも知れません。

自分の価値は、自分が行動して初めて
高めることが出来るものです。

他人や、他人が創作したコンテンツを評価するばかり
では「自分の価値」を相手に理解してもらう事は
難しいのではないかなと考えています。

【ま と め】

今回は「オワコン」という言葉について
その意味と、デメリットをお話させて頂きました。

「オワコン」とは「終わっているコンテンツ」の略で

一時期話題になったもの、ブームになったコンテンツに
対して、時期を経て、使用される事が多い言葉です。

日本人は、言葉を省略するのが好きですよね(;^ω^)

キャッチーな響きになる反面、乱用され、本来の意図とは
違う使われ方になったり、不要に人を傷つける言葉に
なってしまったりと、良し悪しがあります。

クリエイターさんは「オワコン」という言葉を
嫌いな方が多いという印象を持っています。

本当に、コンテンツの幕を引くのは、外野ではなく
苦労して生み出した製作者であればいいなあ
と思います。

「オワコン」の意味が「コンテンツが終わって悲しい」
という意味に、いつか変わればいいなあと思う
ことばでした( *´艸`)

読んで下さって、ありがとうございました。

せいべつことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは「性別って、なんなんだろう」
思ったことってありますか?

ぼくは、たまに思う事があります。

難しいことは分からないので、飽くまで
個人的に思うことなのですが、今回は

「性別」があることにより生まれる
固定観念、あと個人的な悩みを書いて
いきたいと思います。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

「性別」とは

「性別」とは、生物的な意味と社会的、
心理的意味とに分かれます。今回は、心理的意味での
「ジェンダー」を主に取り上げさせて頂きます。

ジェンダーの意味は「社会的、心理的な
意味合いから見た男女における性の区別」です。

生物学的には「男性、女性」と分類されていたと
しても、自身がその性に違和感を感じたり、
認識とのズレを感じる心の揺れ動きには、
名前が付けられています

現在は「性同一性障害」と呼ばれています。
身体と心の性別が一致しない感覚ですね。

今年、WHOが性同一性障害を「精神障害」の分類から
除外し、名称も「性別不合」へと変更するそうです。

名称が人に与える影響って大きいですからね💦
「暴走族」⇒「珍走団」しかり・・

「自分の身体の性別に違和感を感じる心」
「病気」と言われるのって、なんだか嫌ですよね。
難しい問題です。

性別が与える「影響」とは

性別は、人をカテゴリ分けする最たるものです。
身体、精神にも性差がありますし、社会的な役割も
男女によって差がありますね。

これはヒトという種族が繁栄を遂げるため
その時代によって、最善と思われる方法で
男女の能力を活用してきた背景があります。

現代は価値観の変遷が目まぐるしいです。

例えば、ひと昔前の「男性は外で働いて、女性は
家で家事をする」
ですとか

「男は度胸、女は愛嬌」みたいな言葉は
古い価値観として、批判されやすいですよね。

度胸も愛嬌も、男性女性、ともに身に着ければ
良いだけですし、性別は関係ないはずなのですが
なんだかしっくりくる感覚もあります(;^ω^)
(ぼくがおっさんだからかも)

現在は「ジェンダーレス」という考え方や
ファッションも受け入れられています。

「男女の性差がない」「男性女性共通」
アイテムや服装、またはそういう価値観
ということですね。

「美少女Vtuberの中身がおじさん」とは
関係・・ないですね(;^ω^)


このように「性別」から派生する問題は、常に
大きな注目を浴び、様々な議論を生み、
社会的にも影響を与えています。

これは「性別を持たない人間が存在しない」ことが
起因しています。

つまり、ぼくらは生まれた時から
「2つのうち、どちらかのコミュニティに必ず
所属しなければならない」
ということで

これにより「性別」の問題は「他人事」では
なくなっています。

「誰に対しても身近に感じる問題」
上手くビジネスに応用できればいいですね( *´v`)
(思いつきません)

性別があって、嫌なこと

すみません
ここから話が個人的なものになります(;^ω^)

あなたは「男女の友情、存在する派」ですか?

ぼくは「存在する派」です。
そもそも友情ってナニ?って話じゃないですか?

えっと、ぼくは結婚していまして、妻がおります。
妻は大変愛情深くて、器量も良いです。

そんな事を抜きにしても。ぼくは妻を
尊敬しているのですが、長い事一緒にいますと、
もちろんケンカもします。

そのケンカの内容の9割「ぼくが他の女性の
ことを好きになっていないか。浮気をしていないか」
ということです。

こんなことを書くと、ぼくがモテているように
感じるかも知れませんが、まったくモテていません。

ただ、やはり妻以外にも、社会では女性と会話する
機会も生まれます。

もともと、ぼくは男性より女性と仲良くなれる
性質みたいなので、お話の合う方は
(合わせてくれる優しい人は)
いらっしゃいました。

もちろん性質は、結婚してからも変わりませんので
たまに女性のお知り合いの方から、
連絡を頂くこともあります。
こんなとき、とっても困るのです💦

「ああ、ぼくが男じゃなかったら、気兼ねなく
遊べるのに」
って!
もしくは「性別がなかったらいいのになあ」と。

同じ性別の仲良くしてくれる人だったら
二人で遊びにいけるのに。部屋に遊びにいって
朝まで、だらだら遊んで、お話できるのに。

なんで性別が違うだけで、それが
許されないんだろう・・と、悲しくなります。


「男は、絶対に下心があるもの」と思われる
でしょう?男性にも、それこそ逞しくてカッコいい
イケメンゴリラのシャバーニさんのような人も
いらっしゃいますが

ぼくみたいに、なよなよしててひょろひょろの
もやしのような人もいるのです。

「性欲」がないわけではありません。
でも「理性」があります。

ぼくが、一時の欲に負けるという事は
一生、妻を悲しませる、苦しませる事に
繋がる事が分かっている以上、
安易な事は出来ませんよね。

「墓場まで隠し通す能力」もありません。
むしろ開示したいんです( ;∀;)


そんなもやしにも、浮気の心配をして下さる方が
いるだけでも嬉しいです、もちろん。
でも、う~ん・・という感覚です。

ほんとに個人的なお話でした(;^ω^)

ま と め

今回は「ジェンダー」についてのお話と
現在の価値観、そして自分の悩みを
書かせて頂きました。

あなたは、性別を意識されますか?

ぼくがもっと「男性らしい」性質ならば
あんまり性別の事を考えたりしなかったかも
知れません。

「LGBT」運動のように、ジェンダーマイノリティ
の方々の声も、世界に受け入れられる世の中に
なってきましたね。

言葉を発することは、常に
「カテゴリ分け」の悩み、苦しみを抱えます。

ですが、個々の悩みを言葉を尽くして
言語化できた時「ひとりじゃなかったんだ」
辛さを共有でき、その方が救われる切っ掛けを
作り出せるかも知れません。

色々な価値観に触れる事ができるこの時代は
むかしよりも、ぼくは好きです。

人の考えを知る事は、楽しみ以外の、何物でも
ありませんよね( *´v`)

読んでくださって、ありがとうございました。


まうことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

いきなりですが、あなたは
人の気持ちが分かりますか?

ぼくには全然分かりません(;^ω^)

そもそも人の気持ちって、なんなんでしょう?
気持ちが分かるとは、どういう事なのか・・

今回のテーマはサイコパスについてです。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「サイコパス」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願い致します。

サイコパスとは

サイコパスとは、一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

和名では『精神病質者』と呼ばれています。

どういった特徴を持つ方が、一般に
サイコパスと分類されるのでしょうか?

・他人への共感能力が低い
・感情は希薄だが、表現能力は高い
・自信家で魅力的
・偏った思考
・嘘をつくのが上手い
・他人を心理的に操るのが上手い


などなど・・
これだけでも、人と違う感じを
醸し出していますね。

ひとつずつ、簡単に説明を
させて頂きますね(*´v`*)

共感というのは、例えば
相手が悲しそうな表情、態度を表しているとき
それを見た自分が「相手が悲しんでいる」という
ことを「理解できる」という事です。

悲しそうな相手をみると、自分も悲しくなったり
することが、共感です。

介護の仕事では「受容と共感」という言葉で
高齢者の方と接する心構えをお話する事もあります。

「介助者は相手の想いを受け止め、その
評価をせず、ただ分かろうと努めることが、
相手の満足度を高める、質の良いケアに繋がる」

という、介護の考え方の一つです。

共感する能力が低いというのは

相手が悲しんでいても、それが「理解できない」
相手が喜んでいても「気持ちを推し量れない」
という意味なのだと思います。

ですが人間は、常に相手に共感して
生きているわけではありません。
共感は、相手との関わりや状況に寄ります。

「誰もが感動する話」を聞いて、
泣けなかったとしても「共感能力が低い」と
括るのは、早計かなと思います。

・感情が薄いというのは
外界からの刺激に対して、あまり感じ入るものが
ないという意味です。
いわゆる「クールキャラ」です。

感情が薄くても、その表現が魅力的であれば
相手には「とても感情豊かな人だな」という
ような印象になります。

・自分に自信のある方の発言は、内容如何よりも
声量や口調から、相手が説得力を感じてしまいやすい
ようです。

・人の思考は偏るものですが、その偏り方が極端で
社会や他人に損害を与えるようなものが
サイコパスの方には多く見られます。

・「嘘」は事実と異なる発言を
意図的にすることですが

「嘘」を吐く本人が「事実」と「思い込んでいる」
場合、相手にはそれが「嘘」かどうか
判断することも、難しい場合があります。

・上記の特徴を持つ方が他人と接する場合
多くの人が、その人を「魅力的」だと
認識してしまいます。

相手に好意を持たれれば、相手の行動を
制限したり、支配したりという事も
可能になってきます。


では、こういった特徴を持たれた方と
上手く接するには、どういった態度を
取った方が良いのでしょうか?

サイコパスとの関わり方

サイコパスは「精神的な病変」のひとつで
精神の病気は、そのカテゴリの中でも
様々な幅があります。

マイナスに捉えられる事が多いですが
「自分の性質を自分で把握」している方は

サイコパスの特徴を持つ方でも、自身を活かして
ビジネスの場で成功されている方も多いようです。

ただ「サイコパス」の性質を持つ方が周囲にいる
環境は、それに関わる人を消耗させやすいです。

相応の対処方法を、事前に考えていく必要が
あるかと思います。

サイコパスの特徴は多様ですが、
表現は限られます。気を付けるべきこととして、
以下の点が挙げられます。
(相手がサイコパスの特徴を持つ場合)

・感情的な対処をしない

・自分の主張は、ある程度決めておく

・積極的に関わりを持たないようにする


当たり前ですが、人の想いの表現手段は
「言葉」によるコミュニケーションが
大部分を占めます。

言葉は、自分の感情をストレートに乗せるほど
伝えたかった「本来の意図」が
相手に伝わらなくなってしまう
なかなか難しいツールです。

サイコパスの特徴を持たれる方は
感情が希薄なので、言葉に感情が乗りません。

ですが表現自体は上手なので、
言葉に抑揚を付けたり、間を上手く使うなど
「言葉での想いの伝え方」を、
よく分かっている方が多いです。

そういう方に感情的な対処をする事は
「弱点をさらけ出している」ようなもの
ですので、努めて冷静に会話をするように
心掛けた方が良いかと思います。

また「自分はここまでは譲ることが出来るが
このラインを越える事は絶対に出来ない」

いうような「自分ルール」は
きちんと決めておいた方がいいかなと思います。

サイコパスの特徴を持つ方は
相手へお願いすることも上手です。

気づいたら、相手の手足のように
動いていた、なんてことにならないように
「なあなあ」にならず、距離感を把握しながら
関わった方がいいかなと思います。

一番良いのは「自分からは関わらない」こと
ですが、仕事などの場合は、なかなかそうも
行かないですよね💦

まずは相手をよく観察することが
大事なのかなと、思います。

ま と め

今回はサイコパスについて
書かせて頂きました。

サイコパスとは一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

サイコパス=犯罪者というわけではなく

ご自分の性質と向き合いながら、その能力を上手に
社会の中で活かしておられる方も大勢おられます。

人は、誰しもサイコパスの性質の一端を
持っています。

大事なのは、その人それぞれの「違い」を知り
評価ではなく「まず受け入れ、尊重する」という
単純な作業です。

自分も、過去に職場の先輩で、
仲良くして頂いた人に「人の気持ちが分からない」
と言っていた方がいました。

その人は当時女性と6股をしていて、ぼくに
「こんなメールがきたけど、どう思う?」
などと言って、ぼくの反応を
楽しんでいたように思います。

「どうして6人の人と
同時に付き合えるんですか?」

みたいなことを質問したら

「特別という感覚がないから。
1人だけと付き合う方が、俺には不自然に思える」

みたいな事を、言っていました。

いま、思い出しても、理屈がさっぱりです(;^ω^)

先輩がサイコパスの性質を有していたかは
分かりませんが、魅力的な人だったのは
間違いありません。

・・良い悪いはさておき、人間は、ほんと
得体の知れない不思議な生き物ですね(*´v`*)


さて、ぼくはその先輩に言われたことがあります。












おまえは、おれに、よく「似ている」と。


げきおこことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「この人、デリカシーない人だな」と思ったり
人から「デリカシーないね」って言われる・・。

あなたにも、経験がありませんか?

この【デリカシー】って、一体なんでしょうか?

今回は「デリカシー」の意味と
どういう行動が、他人にとって嫌われやすいのか

また「デリカシーのない人」と思われないための
改善方法などを解説できればと考えています。

よろしくお願いいたします。

「デリカシー」とは

【デリカシー】の意味は

辞書によりますと
「感覚、感情などのこまやかさ。繊細さ。
微妙さ」ということのようです。

なんだか意味が微妙だなと思うのは
自分だけでしょうか(;^ω^)

「デリカシー」「デリケート」の名詞形であり
語源はラテン語「うっとりさせるような」
という意味合いのものです。

物質的に繊細なもの、壊れやすいものを感じとり
柔らかく扱おうと苦心する行動を、

いつしか人の性格などに当て嵌め
「デリカシーのない人」などと、
人を表現する言葉としても使うように
なったようです。

心理学的には「デリカシーがない人」
近い性質を持つ人の特徴として

【サイコパス】共感能力の欠如
【ナルシシズム】過剰な自己愛
【マキャベリズム】手段を厭わない利己主義


【Dark Tried】を共通項として
挙げられています。

デリカシーに欠ける人の特徴

「デリカシーがない」と言われる人に
共通する行動って、何でしょうか?

冒頭では【デリカシーがない人と言われる】
と書きましたが、実際は面と向かって
言われるような言葉ではないかな
と思います。

「デリカシーがないね」って、結構な悪口です。

大抵の人は、思っても、それをあえて本人に
伝えたりはしないと思います。

「デリカシーがない」と人に伝えるような人もまた
「デリカシーに欠けている」と、言わざるを
得ないからです(;^ω^)

【デリカシーがないと言われる行動】

①相手の体形や容姿を話題にする

➁一方的に喋る、話を聞かない

③立場をわきまえない、しない



①人の体系や容姿をどう感じるかは
「個人の主観」に寄ります。

例えば「ペットボトルの形状」
「意識して見たことない」人が多いなかで

「美しい」と感じる人「繊細」と感じる人
また「醜い」と感じる人なども、
少数ながらいらっしゃいます。

ですがこれは「個人の主観」ですので
公の場で、あえて話題には出しませんよね。

もしも職場などで「俺はペットボトルの形。
あれが正直、気持ち悪くてさ」
とか

「あのフォルム、感性を刺激される!」みたいな
事を、一般のコミュニティで言い出す方って
「変わってるなぁ」って思いませんか?

人の容姿などを、積極的に話題に出す方は
これと同じ事を【さらに難しいモチーフで】
していると、考えてみて下さい。

そして、そういう方は「悪感情」
喚起させる言い方をする事が多いです。

余程の語彙と、豊富な表現、そしてユーモアが
なければ、人の容姿を話題にして、
その場の主導権を握ったり、相手に好印象を
与えるなんてことは、

出来ないと思っておいた方がいいかなと思います。

➁言語によるコミュニケーションは
「対話」によって成り立ちます。

「自分ばかり喋る」という状況は
対話が成立しているとは言い難く

「相手」にとって、会話の満足度が
高いとは言えない状況になりやすいです。

また「人の話を遮る」
「相手の話題に乗っかって、
そのまま自分が喋ってしまう」
ことも

相手や周囲にとって「この人デリカシーないな」
思わせてしまう要因になります。

③自分が所属している会社で、
役職者や上役にも「自分の友達」のように
接してしまう方がいらっしゃいます。

これは「あえてそうしている」方や
「会社の社風」などで敬語を使わないように
言われている所など、その方のキャラクターや
会社の環境にも寄りますが

「その人の立場を尊重した態度」
取った方が「礼儀正しい人」「信頼できる人」
のように、周りが評価してくれる確率が高いため
結果的に、自分にとってプラスになります。

【デリカシーがない】と思われないために

相手に「デリカシーがない人」
思われないためには、何に気を付けたら
良いのでしょうか?

これは、自分の経験をもとに
お話をさせて頂きますね(*´v`*)

①何かを表現する時は、言葉を尽くす

例えば、相手の容姿をどうしても褒めたい時
(相手に自分を覚えてもらいたい時とか)

「かわいいね」「きれいだね」みたいな
【簡単な表現】では、聞き流されるどころか

「なんだこいつ、きもっ」みたいに、
逆に相手に不快感を持たれてしまう場合が
多いです( ;∀;)

特に男性が、女性の容姿を口に出す場合などです。

※基本的に女性は、好意のない男性には
【何をされても】嬉しいなどと思いませんし
逆に不信感を持たれてしまいます。

ですので褒めるのなら「容姿」ではなく
「内面的要素」「実際の作業」
褒めた方が無難です。

(ある程度関係性を築いた上で、ですが)
「〇〇さん、いつも助かっています。
今日のあの仕事は、〇〇さんだったので、
安心して任せる事が出来ました。
その柔らかい気配りと感性、
自分も見習います」

みたいなことを真面目に言ってみて下さい。
相手は「あ、ありがとうございます」
というしかないと思います。
・・あっ、これ引いてるのかも知れません!

そういえば、自分がコミュ障でした。
参考にならないですね(;^ω^)
反面教師にして頂ければ幸いです。

ぼくのことはともかく
どういった状況でも「言葉を尽くす」のは、
良い結果に繋がる事が多いですよ(*´v`*)

自分的には
「相手との文章のやり取りでは
相手の文章量と同等か、
それ以上の文章量で返信する」
ということを
常に意識しています。

これも勝手なこだわりです💦

➁「話す」より「聞く」

会話は「相手のお話を引き出し、聞く」ことが
出来れば、大成功です。

「自分の事を伝える」のは「求められた時」
だけでもいいのかなと思います。
「自分語り」は楽しいので、難しいですよね💦

「相手の自分語り」「楽しそうに聞け」れば
「デリカシーのない人」などと思われることは
きっとなくなりますよっ(#^v^#)

③相手の状況に合わせた対応をする

これは「空気読み」の能力とも言えますが

上司と個人的に仲が良いのであれば
職場でも「相手が良ければ」二人きりの時は
ため口でも良いと思います。

気を付けないといけないのは
例えば本社から、上役が職場に
来ている時も「上司に普段と同じように接する」
ことです。

こういう時、誰が一番怒られると
思われます?

そう「仲の良い上司」ですよね(;^ω^)

本社の上役から、職場の上司が
「お前は普段、職員にあんな態度を
取らせていて、何を考えているんだ」


「指導もまともに出来ないのか」

なんて、言われかねません💦

「仲が良い」方であれば、そんな人に
迷惑をかけないためにも

自分の「公」「私」の態度は常に
意識しておきたいものですね。

ま と め

今回は「デリカシー」について
その意味と「デリカシーのない人」について
書かせて頂きました。

「デリカシー」とは
「デリケートの名詞形」


「繊細さ。感覚や感情の細やかさ、
微妙さ」
を意味する言葉です。

「デリカシーがない」とは
「感覚や感情に対する配慮を欠いている状態」
というわけですね。

「デリカシーのある、なし」の判断基準に
絶対的な物差しはなく、個人の主観に寄ります。

「ここまではOK、ここからはNG」という
ラインを、関係性の中で判断しながら
「ギリギリを攻める」のが「芸人さん」だったり
「話術に長けている人」なのですね。

個人的には「話術スキル」って万能で、
コスパも汎用性も最強だと思っています(*´v`*)

今度生まれ変わったら、話術を勉強して
「ことばさんって面白ーい!」って言われるような
人生を送りたいなと思っています。

・・いや今からでもいいじゃん!










はい、今日もまた、ひとすべり。


読んでくださって、ありがとうございました。

いとまことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは「今の労働環境」に満足されていますか?
「セミリタイア」「アーリーリタイア」
労働者の夢ですが、実際はどうなのでしょうか?

今回は「セミリタイア」について
言葉の定義、メリット、デメリット

そして実際にセミリタイアを実行した時
どういった心境になるのか
解説していきます。

よろしくお願いいたします(*´v`*)

「セミリタイア」の定義

「セミリタイア」という言葉は、現在
辞書に載っていません。

この言葉は、1990年にタレントの
大橋巨泉さんが
「芸能界との交流を保ちながら海外で生活をする」
ことを「セミリタイア」と表現されたことで

世間に、徐々に浸透していった言葉です。

「セミリタイア」とは

「自分の時間を、仕事以外の事に使うために
定年を待たずに退職をする」
ことです。

アメリカでは「FIRE」
Financial Independence,Retire Early】という
言葉がムーブメントになっていまして

20代、30代の若さで「セミリタイア」をされる
若者が増えているようです。


もちろん、仕事を辞めたら収入が無くなり
生活が成り立たなくなるので、資産、貯蓄を
あらかじめ作っておき、

ここから片手間で仕事をしながら、収入を得ます。

この「完全に収入減を絶たない」ところに
「セミ」が、かかっていまして

「全く収入を得ないで、貯蓄のみで生活をする」
ことは「完全リタイア」と表現されるようです。

完全リタイア・・すごいですね(;^ω^)

「アーリーリタイア」という言葉もありますが
こちらは「早期退職」という意味合いの方が近く

企業の「早期優遇退職制度」に基づいて、定年前に
退職金を受け取ることです。
「希望退職」とも言いますね。

退職金を、数千万レベルで頂けるなら
「アーリーリタイア」も、魅力的ですよね(*ノωノ)
バブルの時代であればともかく
今、そんな企業が存在するのかという話ですが💦

こういった言葉は「サラリーマン」にとっては
やっぱり憧れるものです( *´v`)

時間労働の制約から逃れ、仕事のストレスから
解放され、毎日好きなことを、好きなだけ出来る・・

正に夢のような話です。

では「セミリタイア」のメリット、そして
デメリットとは、一体何でしょうか?

「セミリタイア」のメリット、デメリット

【セミリタイアのメリット】

①時間に余裕が生まれる

➁仕事のストレスが減る、なくなる

③生き方、場所の制限がなくなる



①これが一番のメリットですよね。

サラリーマンは固定給ですので、例えば
自分の仕事が早くて、他の方の半分の時間で
ノルマを終わらせた
としても

「その分、早く帰れる」
わけではありませんし
「技術が、給与に直接反映される」わけでは
ありませんよね。

優秀な方ほど、サラリーマンとしての働き方に
疑問を持ちやすいのは、こういう所だと
思います。

セミリタイアによって
時間に余裕が生まれるので、片手間で
収入を得られるようなことを、
のんびりやったらいいですし

➁の仕事のストレスも、会社員時代と比べると
随分と軽減するのではないかなと思います。

「仕事のストレス」って、大半は
「人間関係」ですので、そこを気にしなくても
良くなりますし、嫌だったら職場を変えるという選択が
以前よりやり易くなるかなと思います。

「生き方、場所の制限がなくなる」というのは

「職場に通う」という場所の制限が
なくなることで、好きな時に、好きな場所に
いけるようになります。

それこそサラリーマン時代では出来なかった
「海外でのんびり暮らす」
なんていう選択も、視野に入れやすいのでは
ないでしょうか。

「企業」に所属するということは「自身の
発言、行動」
を制限することと一緒です。

自分が勤めている企業の価値を損なうような
発言や行動をする事は
必然的に出来なくなりますよね。

これは、広い意味で考えれば
「自分の生き方の方向性」を仕事によって
制限、強制されているわけです。

もちろん、セミリタイアしたからといって
犯罪はダメですが「より自由に、どんな立場でも」
発言、発信が出来る余裕が生まれることは
メリットと言えるのかなと、思います。

【セミリタイアのデメリット】

では、セミリタイアのデメリットとは
どういったことが考えられるでしょうか?

①収入が(以前より)減る

➁「貯蓄」が減っていく

③社会との繋がりが希薄になる

④メンタルコントロールの難しさ


一応、項目として分けましたが、実は
「セミリタイア」をするデメリットは
一つに集約されると言ってもいいかと思います。

それは「精神を病む可能性がある」です。

「楽が出来ると思ってセミリタイアしたのに
どういうこと?」
と思われるかも知れません。

あなたは日々、どうやって
「じぶんのこころ」を保っていますか?

ぼくは、こうやってもくもくとブログを描いたり
イラストを描いたりという「作業」の時間と

妻と毎日、仕事や家のこと、これからの生き方、
他愛のない話をする「家族」の時間と

仕事で緊張感を持って、様々な人と関わって
人の機微を感じとる「仕事」の時間の中で

「誰かに必要とされているような」
錯覚を持ちながら、それが
いまのところバランス良く循環してくれているので
「こころ」を保っていられています。

「セミリタイア」とはこのうち「仕事」での
コミュニティを、意図的に「崩す」ことを
意味しています。

「今の仕事」に、何の意味も意義も
感じられず、自分にとって「マイナス」
でしかなければ別ですが

「今の仕事」に一定の価値を感じながらも
「セミリタイア」を選択された場合
その循環を崩すことになりますので

大抵の場合、精神に不調をきたします。

人間は「他者」の存在によって、
初めて「自己」を確立できます。
「ひとりで生きていける」人なんていません。

「自分以外」のすべてが、いつも様々な
ことば、反応、対応をしてくれるから、
傷ついたり、笑ったり、怒ったりできます。

他者との関わりで生まれる「悩み」
「自分の根源的な悩み」を一時的に
忘れさせてくれますが、

それがなくなった時「自分の根源的な悩み」
が肥大していきます。

例えば自分の「存在」を、好きになれない方が
「他者」との関わりでの悩みが無くなった時
楽に生きられるかというと、そうではなく

「そもそも自分は、なんでこんな醜いの」
「いつまでこんなに自分は気持ち悪いんだろう」


みたいに「自身の存在」について、
思考するようになります。

いえ、こんな風に言語化出来るものでも
ないのかも知れませんね。

漠然としたモヤモヤが次第に大きくなっていく
ような「不安の理由」が掴めない状態に
なるのは、とてもしんどいです。

こういう状態は、他者との関わりが希薄な環境ほど
なりやすく「セミリタイア」されて間もない頃は
状況に、精神が不慣れなため、メンタルが不調に
なりやすいです。

以上が「セミリタイア」のデメリットと
呼べるものかと考えます。

ま と め

今回は「セミリタイア」について
書かせて頂きました。

「セミリタイア」とは
「定年を待たずに退職し、仕事以外の
自分が有意義と思う時間の使い方をする
生き方の、ひとつの選択」
です。

「仕事をしないで、好きな生き方をする」
ということは、社会人からすれば
大変魅力的な選択であり

そこに「セミリタイア」を目標にされる方の多さが
表れているわけですが、

「完全な自由とは、牢獄である」という
言葉にもあるとおり、

「なにもしなくてもいい」というのは
「なにかをしなければいけない」ことよりも
実は、辛いことなのかも知れません(;^ω^)

やっぱり、選択の前には、思考が必須ですね。

折角勝ち取った「セミリタイア」の特権を
謳歌するため、そこに至る前に
「どうしたいか」「なにをするか」
事前に考えておきたいですね( *´艸`)


よんでくださって、ありがとうございましたっ

こくはくことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「自分の価値」を、自分で正当に
評価出来ない方がいらっしゃいます。
そんな人が「楽に生きるための考え方」って
あるのでしょうか?

今回のテーマは「自己肯定感の低いままでも
それなりに、幸せに生きる方法」

考えていければと思います。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

自己肯定感の低い人の特徴

「自己肯定感」とは
「自己を評価する感情」のことです。

自分のことを自分で「好き」「嫌い」
「よくやった」「なにしてんだ」などと
評価、判断する感情の動きのことです。

この、自分に対する感情の振れ幅が
マイナスに常に傾いている方は
「自己肯定感の低い人」と言えるかと思います。

まず「自己肯定感の低さ」における
「自分」「周囲」の認識の違いを
ぼくなりの解釈で、お伝えします。


まず「周囲」での「自己肯定感の低い人」の
認識ですが「こだわりの強い人」という
イメージです。

ぼくも「自己肯定感が低い」「自認」されて
いる方と、お話させて頂く機会がありますが

いつも「頑固だなあ・・」という印象を持ちます。
(相手もぼくのことを頑固だと言っています)

「自分に自信がない人は、他人の意見に
流されやすい」
と思われがちですが、実は逆です。

他人のアドバイスを「そうした方が良い」
分かっていながらも、受け入れて、
実践する事が出来ません。

例えば「元々は喋るのが苦手だった人が、努力して
クラスの人気者になった」
という人の話を
「現在、喋るのが苦手な人」

「こうした方が良いよ」と、
アドバイスしたとします。

アドバイスする側は「自身の成功体験」
親身になって、伝えているわけですが、
これは「現在、喋るのが苦手」という人には
刺さらない可能性が高いです。

自己肯定感の低い人は「成功体験」系の
アドバイスをもらった時、こういった思考に
なりがちです。


「この人だから、出来たんだ。私には無理だ」


これは「自信は無いけど他人のアドバイスは
聞けない」
という心理傾向です。

もちろん、どちらにも非はないのですが
お互いにとって、有益ではありませんよね💦

アドバイスは「助言をする」
「相手のためになる言葉をかける」
という
意味ですが

「相手のためになるかどうかは
自分が判断することではない」
ので
アドバイスという心持ち、それ自体が
「自己肯定感の低い人」からすれば
「しんどい」かも知れませんね(;^ω^)

次に「自己肯定感が低いこと」の
「自分」の認識ですが

これは大抵「ネガティブな思考」
陥りやすいです。

「なんで私は、自信がないんだろう」
「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」
「こんな私だから、誰にも好かれないんだ」


のような「過度な内罰思考」のループで
物事が上手くいっても、正当に評価できないし
失敗すれば、過剰に落ち込むという
「負のスパイラル」になります。


ここでひとつ、お気づきかと思います。

「自己肯定感の低い人」における
「周囲」「自分」の認識には
かなりの「差異」がありますよね。

これって、どういうことなのでしょうか?

これは、多分なのですが・・

「自分」が思う「自分」の姿と
「相手」が思う「自分」の姿は

ぜんぜん違う、ということなのかも
知れません。

「なぜ自己肯定感が低い」のか

では、なぜ人によって「自己肯定感」
差が生まれるのでしょうか?

これは「幼少期の体験」や「環境」などの
要素で、複雑に形成される「自我」に寄るものです。

「生まれ持った個々の性質」という解釈も
ありますが、ぼくは

「人の本質」とは「変わらない」ものではなく
「変えようと意識しても、たまたま変わらなかった
部分を、段々自分が本質と勝手に思い込む」
のだと
思っています。

つまり、自分の自己肯定感の低さは
基本的に「外的要因」に寄るものなので

自分次第で変えられるものだと、思っています(*´v`*)

いえ、もちろん変えなくてもいいんですけどね。

ただ、あなたがもし

「こんな自分がいやだ、苦しい」
「変わりたい」


などと、思っていらっしゃるのであれば

もう少し、お付き合いくださると嬉しいです。

すこしでも楽に生きるために

まず「仕事」が、今のあなたにとって
「自己肯定感を下げる要因」なのであれば

今すぐ、辞めてしまって構いません(*´w`*)

その会社がブラックだろうがホワイトだろうが
お世話になっていようが、関係ありません。


「自分では辞めれない」という方は
「退職代行サービス」のようなものもありますよ。

「上司から怒られる」⇒正式な手順を踏んで
(退職する〇〇日以内に申し出るみたいな)
正式に退職するのであれば、怒られる筋合いは
あなたには、ありません。

「会社に迷惑がかかる」⇒いま、あなたに迷惑が
かかっている、この事実を問題にしましょう。

「無責任だと言われる」⇒その言葉を発する
側にも「責任」はありません。そして
あなたの人生の「責任」は、あなたしか取れません。

「陰口を言われるのが怖い」⇒そうですね。
自己肯定感の低い人にとって、それが一番
しんどいですよね。

職場を辞める時、残った職員から
「逃げた」ように表現されることが多いですが
そういう方は「選択したあなたへの嫉妬」や
「羨ましい」という感情が混じっています。

ぼくは、今、たまたま管理職なので
「退職したい」という方の相談は、
何度も受けてきました。

「雇用される側」は「管理側」の気持ちって
掴みづらいですよね。

自分は、基本的には「この人が退職した後
シフトをどうやって回すか」
しか
考えていません。

相談させてもらった結果、
相手の退職の気持ちを変えられないのなら

「いかに相手に悪感情を抱かせずに、
退職して頂くか」
に注力します。

管理側は、職員が退職される時につい
「今辞められたら現場が回らない」
「この人手不足の時に、無責任だ」
「ここを辞めて、通用するのか?」

みたいな「女々しいこと」
言ってしまいがちです。

これは管理側なりの
「責任感」から出る言葉で「相手を
責める」
という意味合いではないのですが
こういう事を口に出してしまう上司は

「自身のメンタルの管理能力」
問題がある場合が多いので
「自己肯定感の低い人」との相性が
良くないことが多いです。

会社のために、あなたが有るのではありません。

自己肯定感を高める練習と思って
「辞める」という選択をする「自分」
「肯定して」差し上げて下さいね。


今の職場を辞めたところで、あなたの価値は
損なわれませんし、基本的に今は、
どこも人手不足です。

別の職場、職種を探すのも良いですし
実家で暮らされているのであれば、しばらく
休息期間を設けるのも、良いですね。

自己肯定感は、別にお仕事をしていなくても
高めることが出来ます( *´v`)

例えばお休みの日「朝8時に起きる!」
前日に決めて、時間通りに起きれたら
「偉いぞ自分っ」と、褒めてみるですとか

がんばって外出して、コンビニで
商品を買って、店員さんに感謝の気持ちで
軽く会釈が出来たら「自分天才か」
褒めてみるですとか

そんな些細なことで、いいんです。

「自己肯定感を高める」には
「成功体験の積み重ね」が必要です。

「成功体験」って「自分が設定した目標に
到達する」
ことで得られます。

それは「些細なこと」でも効果があります。

それに「休みの日にコンビニに行く」って
結構ハードル高いですよね( ;∀;)

ぼくだったら「休みの日まで人と会いたくねぇ」
ってなりますもの。

それを目標に設定できる人って
すごいと思います。

ま と め

今回は「自己肯定感の低い人」という
テーマで書かせて頂きました。

たとえ自己肯定感が低くても、相手が自分に抱く
印象は、悪いものだとは限りません。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)
「繊細、神経質、内向的と言われる方々がもつ気質」
が、一般的にも知られるようになってきましたが

ぼくはHSPの方から言われた言葉で、
深く傷ついた経験から

「繊細とはなんだろう」
「優しいとはなんだろう」

考えるきっかけになりました。

誰も傷つけない表現なんてありません。

自分も、多くの人を傷つけてきました。

何かを選択するということは
それ以外の何かを捨てることなのかも
知れませんが、あらゆる可能性を考えて
試してみたいと、思っています。

全然まとめられていないですね💦
ごめんなさい💦


悩んでいるのは、あなただけでは
ありませんよ( *´v`)

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