ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

カテゴリ:日々思うことなど > 愚痴とか悩みとか

ひていしたくないことは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「人を否定しない考え方の
メリット、デメリット」
です。

ことばも常に悩んでいる
「人を傷つけない伝え方」
「表現方法」
のお話です。

「否定しないことにデメリットがあるの?」
って、疑問に思われるかも知れません。

「人を否定することを否定しつづける事」
には、明確にデメリットがあります。

今回は、その辺の考え方と
克服方法を考えていけたらと思います。

よろしくお願いいたします。

【人を否定することが嫌い】

あなたは、他人のすることや考え方が
自分と違う時、どういう行動をとりますか?

ぼくは、自分の立場や関係性と
照らし合わせて、自分と関係が深い人ほど

今後のお互いのために
考え方の違いについて
話をする機会を持とうとします。

それは「その人との関係を
今後も続けていきたいから」
という
理由に集約されます。

自分が正しいと思っているわけではなく
お互いの考え方の違いを
お互いが知っておくことで

必要のない摩擦を減らして
気持ちよく過ごしていくためです。

実際に何度も会ったり、遊んだり
お互いの内面を話したりするような人
でなければ、相手の考え方が自分と違っても
指摘したりすることは、自分はありません。

ことばの指向として、恥ずかしい話ですが
「人そのものへの興味が薄め」です。

他人がどんな行動をしても、自分や周囲に
強い影響が出なければ、良いかなと思います。

ですので、メディアの大衆の興味を
引くための、あえてのネガティブな報道や
有名な人の事件などには
あまり興味を持てません。

でも大多数の人は、そうなんじゃ
ないかなと思っています。

他人の人生の出来事の情報をいくら仕入れても
自分の人生は好転しませんものね💦

今回は、飽くまで個人的なお話なので
メディアの在り方や、仕組みに
言及したいわけではありません。

次の項目から「否定しないことの
メリット、デメリット」
をお伝えしますね。

【人を否定しないメリット】

そもそも「人を否定しない」とは
どういうことでしょうか?

否定の意味ですが
「そうではないと打ち消すこと」
とあります。

相手の提案や考え方に対して
「それは違う」「その考え方ではダメだ」などと
打ち消す行為を指します。

他人の意見を否定しない対応は
人間関係を作る上では色々なメリットがあります。
例えば・・

・相手との関係が良好になる

・議論が建設的になりやすい

・周囲の評価が上がり
より相談されやすくなる


などなど、
なんとなく想像が付きやすい
かなと思います。

相手が
「こういうのではどう?」
みたいに提案してきた時
「いや、そうではなくて自分はこう思う」
みたいに

否定から会話を始められると
相手が受ける印象として

「提案を否定された」という印象でなく
「提案をした自分自身を否定された」ように
感じてしまいます


相手の提案に対して、自分の意見が違う時も
「なるほど。自分はこう思うよ」のような

「肯定」から会話を始めると
相手の自尊心を刺激せず、適切な議論に
発展しやすいため、相手との関係が
良好になりやすい
といえます。

つまり、議論をする時や自分の考えを
相手に伝える必要がある時には

相手の考えを否定してから
自分の意見を言う流れの方が
なんとなく筋道が
立っているように感じてしまいますが

「相手の考えを否定するプロセス」を
挟まなくても、結果は変わらず
会話は成立する
という事ですね。

このように
「人を否定しない事」には
様々なメリットがあり、それに関して
たくさんの書籍、記事、動画があります。

では、ことばのように「人を否定する事は悪い事」
みたいな考え方が、自分に根付いてしまった場合は
どうなのでしょうか。

次の項目から、本題に入りますね。

【人を否定しないデメリット】

では、人を否定しないデメリットを
考えていきたいと思います。

これは
「すべての事柄において、人を否定する対応に
苦手意識を感じている」

自分自身の悩みでもあります。

人を否定しないデメリットは以下の通りです。

・人に指摘が出来なくなる

・合理的な判断が出来なくなる

・興味の幅が狭まり、人への関心が薄くなる

・「否定された時」の耐性が獲得しづらい

・「優しい人間」と誤解されやすい


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

★人に指摘が出来なくなる

自分は、仕事の役割として
職員さんに指摘をしなくては
ならない立場です。

「指摘」の意味ですが
「大切な点や注意すべきこと、欠点や過失などを
具体的に取り上げて指し示すこと」
とあります。

仕事として適切でない事を相手が実施した時
それを際立たせて自覚させ
言葉や行動で矯正させるのが
指摘する役割を担う人の仕事です。

つまり「価値観の上塗り」をするわけですが
常に悩みを抱えながら指摘をしています。

例えば、職場は介護施設なのですが
若い職員さんが不織布のマスクではなく
ウレタンのマスクで勤務をされていたとします。

マスクごとの性能差は、世間に周知されて
いますので、より性能の高いマスクを使用して

現場に入る事がベターなのは
お分かりになるかと思います。

こういう状況の時、あなたでしたら
何と言って指摘をされますか?

「〇〇さん、介護施設ですので
仕事中は施設に常備している
不織布のマスクで勤務して下さいね」

これで、いいじゃんと思われますよね。
いえ、ぼくもこれでいいと思います。

ぼくは指摘の前に、下記のような事を
ごちゃごちゃ考えてしまうんです💦

「この人なりの事情があるんじゃないのか?」
「そもそもマスクのデータは信頼できるのか?」
「本当にそこまでしないといけないのか?」
「自分も大衆に迎合されているだけではないのか?」
「自分の伝え方が悪くて、この人の価値感に
影響を与えてしまったらどうする?」


などと逡巡して、結局

「でも仕事なんだから。万一、利用者様が
感染症に罹って、一番傷つくのは誰だ?」

「自分が嫌われて、施設を守れるなら
それでいいか」


という思考に落ち着いて、ドキドキしながら
タイミングを見て指摘・・という
パターンが常です。

指摘ひとつで結構疲れているのですが
それも「人を否定する=悪い事」という
価値観が、ベースにあるからかなと思います。

★合理的な判断が出来なくなる

「人を否定する事を否定する考え方」
は、フラットなものではありません。

偏った思考というのは、その部分だけ見れば
素敵だったり、魅力的だったりするものですが
裏側から見ると、歪んでいるのかも知れません。

物事の理屈に照らし合わせて判断する
合理的な考え方ではなく、表層の感情の部分で
判断しているため、

否定することを否定する価値観のままでは

結局は、大局を見通せず失敗してしまう事が
多いのではないかなと思っています。

★興味の幅が狭まり、人への関心が薄くなる。

「人の事を悪く言うのが苦手な人」は
人から信頼されやすいです。


ですが、人が持つ独特の「おかしみ」ですとか
「滑稽さ」のような、思わず吹き出して
しまうような、ユーモラスな場面でも

「これを表現するなんて、悪い事だ」と
自分の想像力に蓋をしてしまいます。

「他人を表現しようとしない人」は
繊細な感性を育てる土壌を
自ずから、手放しているような印象
があります。

ぼくが正にそうです。

ユーモアが乏しく、お話をして人を笑わせたり
楽しませたりといった事に、苦手意識があります。

それは、普段から他人を悪く言ったりする事が
少ないため、それが結果として

「人を言葉で表現する」能力が
磨かれてこなかったのではないかなと
考えています。

卵が先か、鶏が先かの話になりますが
自分は他人への関心が薄いです。

他者に感情のエネルギーを長期に渡り向けるには
相手と関係性を築く必要があります。

自分は他人を怒ったり、恨んだりするほど
関心を持ったり、関係性を築けなかったため

ブラックなものを含めたユーモアが、あまり
磨かれなかったのではないのかなと
思っています。

ですので芸人さんや、話術が長けている
人に憧れたり、好きになったり
するのかも知れません。

★「否定された時」の耐性が獲得しづらい

「人を否定することを否定する」という事は
翻せば「自分が他人に、否定される対応を
取られたくない」
という事です。

ですので「否定してくる人」の心理を
理解しようとする時、どうしても
負の感情が先行しやすくなります。

「自分が苦手な否定する対応を
この人はしてくる・・」


という状況に、平静ではいられなくなり
相手の思考や自分に伝えたい事を
汲み取れない事が多くなるかと思います。

★「優しい人間」と誤解されやすい。

「優しい」とは何でしょうか?

「人を否定しない」ことが優しいのであれば
「何もしない傍観者」も優しいといえると
ぼくは思います。

無人島でひとりになった、何も出来ない人に
魚の捕り方ではなく、魚をただ渡して
去っていくだけの人も優しいです。

野良猫に餌をあげる人も優しいです。

子供が転んだ時、手を差し伸べて
立たせてあげる人も優しいです。

優しいと形容される行動が、一面的で
一方通行な時、それは「優しさ」ではなく
「エゴ」と形容されるべきものかも
知れません。

ぼくは自分を「優しい」とは思いません。

「人を否定しない」のは「自分のため」
「自分が社会の中で、摩擦なく生きていくため」
の行動だからです。

以上のように
人を否定する事を否定してしまうと
様々な自己矛盾に囚われてしまう事が
一番のデメリットなのかも知れません。

【まとめ】

今回は「人を否定しない考え方の
メリット、デメリット」
という内容で
書かせて頂きました。

・・すみません、後半の内容は
とても共感できるものでは
なかったと思います💦

社会で生活をしていく上で
「人を否定しない対応」は
是非とも身に着けるべきものです。

人との無用な軋轢や諍いを回避し
「肯定する対応」によって、あなたが
信頼の置ける人を、どんどんと
増やすことが出来るからです。


自分の場合、この否定しない考え方の
根幹は「自己評価の低さ」に由るものです。

「自分如きが他人を否定するなど何様だ」
という偏った価値観
思考が形を成したものなので

それを先述したように「優しい」などと
形容されると違和感や、罪悪感を覚えます。

物事は一面的に捉えると、どうしても極端に
寄ってしまいますが、本来多面的
です。

「弱者」や「繊細な感性」を持つ方が
主張する事柄が、必ずしも正しいわけ
ではありません。

自分の中の「正しさ」とはなにか。
考え続けたいと思います。

結論
「人を否定しない考え方」は
あなたを少し生きづらくするかも知れません。


でも、そんなあなただから
人に信頼され、人の中でより良く
生きていけるのだと思います。

辛い事があっても
一緒に生きていきましょうね。


ことばでした。
読んで下さって、ありがとうございました( *´艸`)

せいべつことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは「性別って、なんなんだろう」
思ったことってありますか?

ぼくは、たまに思う事があります。

難しいことは分からないので、飽くまで
個人的に思うことなのですが、今回は

「性別」があることにより生まれる
固定観念、あと個人的な悩みを書いて
いきたいと思います。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

「性別」とは

「性別」とは、生物的な意味と社会的、
心理的意味とに分かれます。今回は、心理的意味での
「ジェンダー」を主に取り上げさせて頂きます。

ジェンダーの意味は「社会的、心理的な
意味合いから見た男女における性の区別」です。

生物学的には「男性、女性」と分類されていたと
しても、自身がその性に違和感を感じたり、
認識とのズレを感じる心の揺れ動きには、
名前が付けられています

現在は「性同一性障害」と呼ばれています。
身体と心の性別が一致しない感覚ですね。

今年、WHOが性同一性障害を「精神障害」の分類から
除外し、名称も「性別不合」へと変更するそうです。

名称が人に与える影響って大きいですからね💦
「暴走族」⇒「珍走団」しかり・・

「自分の身体の性別に違和感を感じる心」
「病気」と言われるのって、なんだか嫌ですよね。
難しい問題です。

性別が与える「影響」とは

性別は、人をカテゴリ分けする最たるものです。
身体、精神にも性差がありますし、社会的な役割も
男女によって差がありますね。

これはヒトという種族が繁栄を遂げるため
その時代によって、最善と思われる方法で
男女の能力を活用してきた背景があります。

現代は価値観の変遷が目まぐるしいです。

例えば、ひと昔前の「男性は外で働いて、女性は
家で家事をする」
ですとか

「男は度胸、女は愛嬌」みたいな言葉は
古い価値観として、批判されやすいですよね。

度胸も愛嬌も、男性女性、ともに身に着ければ
良いだけですし、性別は関係ないはずなのですが
なんだかしっくりくる感覚もあります(;^ω^)
(ぼくがおっさんだからかも)

現在は「ジェンダーレス」という考え方や
ファッションも受け入れられています。

「男女の性差がない」「男性女性共通」
アイテムや服装、またはそういう価値観
ということですね。

「美少女Vtuberの中身がおじさん」とは
関係・・ないですね(;^ω^)


このように「性別」から派生する問題は、常に
大きな注目を浴び、様々な議論を生み、
社会的にも影響を与えています。

これは「性別を持たない人間が存在しない」ことが
起因しています。

つまり、ぼくらは生まれた時から
「2つのうち、どちらかのコミュニティに必ず
所属しなければならない」
ということで

これにより「性別」の問題は「他人事」では
なくなっています。

「誰に対しても身近に感じる問題」
上手くビジネスに応用できればいいですね( *´v`)
(思いつきません)

性別があって、嫌なこと

すみません
ここから話が個人的なものになります(;^ω^)

あなたは「男女の友情、存在する派」ですか?

ぼくは「存在する派」です。
そもそも友情ってナニ?って話じゃないですか?

えっと、ぼくは結婚していまして、妻がおります。
妻は大変愛情深くて、器量も良いです。

そんな事を抜きにしても。ぼくは妻を
尊敬しているのですが、長い事一緒にいますと、
もちろんケンカもします。

そのケンカの内容の9割「ぼくが他の女性の
ことを好きになっていないか。浮気をしていないか」
ということです。

こんなことを書くと、ぼくがモテているように
感じるかも知れませんが、まったくモテていません。

ただ、やはり妻以外にも、社会では女性と会話する
機会も生まれます。

もともと、ぼくは男性より女性と仲良くなれる
性質みたいなので、お話の合う方は
(合わせてくれる優しい人は)
いらっしゃいました。

もちろん性質は、結婚してからも変わりませんので
たまに女性のお知り合いの方から、
連絡を頂くこともあります。
こんなとき、とっても困るのです💦

「ああ、ぼくが男じゃなかったら、気兼ねなく
遊べるのに」
って!
もしくは「性別がなかったらいいのになあ」と。

同じ性別の仲良くしてくれる人だったら
二人で遊びにいけるのに。部屋に遊びにいって
朝まで、だらだら遊んで、お話できるのに。

なんで性別が違うだけで、それが
許されないんだろう・・と、悲しくなります。


「男は、絶対に下心があるもの」と思われる
でしょう?男性にも、それこそ逞しくてカッコいい
イケメンゴリラのシャバーニさんのような人も
いらっしゃいますが

ぼくみたいに、なよなよしててひょろひょろの
もやしのような人もいるのです。

「性欲」がないわけではありません。
でも「理性」があります。

ぼくが、一時の欲に負けるという事は
一生、妻を悲しませる、苦しませる事に
繋がる事が分かっている以上、
安易な事は出来ませんよね。

「墓場まで隠し通す能力」もありません。
むしろ開示したいんです( ;∀;)


そんなもやしにも、浮気の心配をして下さる方が
いるだけでも嬉しいです、もちろん。
でも、う~ん・・という感覚です。

ほんとに個人的なお話でした(;^ω^)

ま と め

今回は「ジェンダー」についてのお話と
現在の価値観、そして自分の悩みを
書かせて頂きました。

あなたは、性別を意識されますか?

ぼくがもっと「男性らしい」性質ならば
あんまり性別の事を考えたりしなかったかも
知れません。

「LGBT」運動のように、ジェンダーマイノリティ
の方々の声も、世界に受け入れられる世の中に
なってきましたね。

言葉を発することは、常に
「カテゴリ分け」の悩み、苦しみを抱えます。

ですが、個々の悩みを言葉を尽くして
言語化できた時「ひとりじゃなかったんだ」
辛さを共有でき、その方が救われる切っ掛けを
作り出せるかも知れません。

色々な価値観に触れる事ができるこの時代は
むかしよりも、ぼくは好きです。

人の考えを知る事は、楽しみ以外の、何物でも
ありませんよね( *´v`)

読んでくださって、ありがとうございました。


こくはくことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「自分の価値」を、自分で正当に
評価出来ない方がいらっしゃいます。
そんな人が「楽に生きるための考え方」って
あるのでしょうか?

今回のテーマは「自己肯定感の低いままでも
それなりに、幸せに生きる方法」

考えていければと思います。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

自己肯定感の低い人の特徴

「自己肯定感」とは
「自己を評価する感情」のことです。

自分のことを自分で「好き」「嫌い」
「よくやった」「なにしてんだ」などと
評価、判断する感情の動きのことです。

この、自分に対する感情の振れ幅が
マイナスに常に傾いている方は
「自己肯定感の低い人」と言えるかと思います。

まず「自己肯定感の低さ」における
「自分」「周囲」の認識の違いを
ぼくなりの解釈で、お伝えします。


まず「周囲」での「自己肯定感の低い人」の
認識ですが「こだわりの強い人」という
イメージです。

ぼくも「自己肯定感が低い」「自認」されて
いる方と、お話させて頂く機会がありますが

いつも「頑固だなあ・・」という印象を持ちます。
(相手もぼくのことを頑固だと言っています)

「自分に自信がない人は、他人の意見に
流されやすい」
と思われがちですが、実は逆です。

他人のアドバイスを「そうした方が良い」
分かっていながらも、受け入れて、
実践する事が出来ません。

例えば「元々は喋るのが苦手だった人が、努力して
クラスの人気者になった」
という人の話を
「現在、喋るのが苦手な人」

「こうした方が良いよ」と、
アドバイスしたとします。

アドバイスする側は「自身の成功体験」
親身になって、伝えているわけですが、
これは「現在、喋るのが苦手」という人には
刺さらない可能性が高いです。

自己肯定感の低い人は「成功体験」系の
アドバイスをもらった時、こういった思考に
なりがちです。


「この人だから、出来たんだ。私には無理だ」


これは「自信は無いけど他人のアドバイスは
聞けない」
という心理傾向です。

もちろん、どちらにも非はないのですが
お互いにとって、有益ではありませんよね💦

アドバイスは「助言をする」
「相手のためになる言葉をかける」
という
意味ですが

「相手のためになるかどうかは
自分が判断することではない」
ので
アドバイスという心持ち、それ自体が
「自己肯定感の低い人」からすれば
「しんどい」かも知れませんね(;^ω^)

次に「自己肯定感が低いこと」の
「自分」の認識ですが

これは大抵「ネガティブな思考」
陥りやすいです。

「なんで私は、自信がないんだろう」
「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」
「こんな私だから、誰にも好かれないんだ」


のような「過度な内罰思考」のループで
物事が上手くいっても、正当に評価できないし
失敗すれば、過剰に落ち込むという
「負のスパイラル」になります。


ここでひとつ、お気づきかと思います。

「自己肯定感の低い人」における
「周囲」「自分」の認識には
かなりの「差異」がありますよね。

これって、どういうことなのでしょうか?

これは、多分なのですが・・

「自分」が思う「自分」の姿と
「相手」が思う「自分」の姿は

ぜんぜん違う、ということなのかも
知れません。

「なぜ自己肯定感が低い」のか

では、なぜ人によって「自己肯定感」
差が生まれるのでしょうか?

これは「幼少期の体験」や「環境」などの
要素で、複雑に形成される「自我」に寄るものです。

「生まれ持った個々の性質」という解釈も
ありますが、ぼくは

「人の本質」とは「変わらない」ものではなく
「変えようと意識しても、たまたま変わらなかった
部分を、段々自分が本質と勝手に思い込む」
のだと
思っています。

つまり、自分の自己肯定感の低さは
基本的に「外的要因」に寄るものなので

自分次第で変えられるものだと、思っています(*´v`*)

いえ、もちろん変えなくてもいいんですけどね。

ただ、あなたがもし

「こんな自分がいやだ、苦しい」
「変わりたい」


などと、思っていらっしゃるのであれば

もう少し、お付き合いくださると嬉しいです。

すこしでも楽に生きるために

まず「仕事」が、今のあなたにとって
「自己肯定感を下げる要因」なのであれば

今すぐ、辞めてしまって構いません(*´w`*)

その会社がブラックだろうがホワイトだろうが
お世話になっていようが、関係ありません。


「自分では辞めれない」という方は
「退職代行サービス」のようなものもありますよ。

「上司から怒られる」⇒正式な手順を踏んで
(退職する〇〇日以内に申し出るみたいな)
正式に退職するのであれば、怒られる筋合いは
あなたには、ありません。

「会社に迷惑がかかる」⇒いま、あなたに迷惑が
かかっている、この事実を問題にしましょう。

「無責任だと言われる」⇒その言葉を発する
側にも「責任」はありません。そして
あなたの人生の「責任」は、あなたしか取れません。

「陰口を言われるのが怖い」⇒そうですね。
自己肯定感の低い人にとって、それが一番
しんどいですよね。

職場を辞める時、残った職員から
「逃げた」ように表現されることが多いですが
そういう方は「選択したあなたへの嫉妬」や
「羨ましい」という感情が混じっています。

ぼくは、今、たまたま管理職なので
「退職したい」という方の相談は、
何度も受けてきました。

「雇用される側」は「管理側」の気持ちって
掴みづらいですよね。

自分は、基本的には「この人が退職した後
シフトをどうやって回すか」
しか
考えていません。

相談させてもらった結果、
相手の退職の気持ちを変えられないのなら

「いかに相手に悪感情を抱かせずに、
退職して頂くか」
に注力します。

管理側は、職員が退職される時につい
「今辞められたら現場が回らない」
「この人手不足の時に、無責任だ」
「ここを辞めて、通用するのか?」

みたいな「女々しいこと」
言ってしまいがちです。

これは管理側なりの
「責任感」から出る言葉で「相手を
責める」
という意味合いではないのですが
こういう事を口に出してしまう上司は

「自身のメンタルの管理能力」
問題がある場合が多いので
「自己肯定感の低い人」との相性が
良くないことが多いです。

会社のために、あなたが有るのではありません。

自己肯定感を高める練習と思って
「辞める」という選択をする「自分」
「肯定して」差し上げて下さいね。


今の職場を辞めたところで、あなたの価値は
損なわれませんし、基本的に今は、
どこも人手不足です。

別の職場、職種を探すのも良いですし
実家で暮らされているのであれば、しばらく
休息期間を設けるのも、良いですね。

自己肯定感は、別にお仕事をしていなくても
高めることが出来ます( *´v`)

例えばお休みの日「朝8時に起きる!」
前日に決めて、時間通りに起きれたら
「偉いぞ自分っ」と、褒めてみるですとか

がんばって外出して、コンビニで
商品を買って、店員さんに感謝の気持ちで
軽く会釈が出来たら「自分天才か」
褒めてみるですとか

そんな些細なことで、いいんです。

「自己肯定感を高める」には
「成功体験の積み重ね」が必要です。

「成功体験」って「自分が設定した目標に
到達する」
ことで得られます。

それは「些細なこと」でも効果があります。

それに「休みの日にコンビニに行く」って
結構ハードル高いですよね( ;∀;)

ぼくだったら「休みの日まで人と会いたくねぇ」
ってなりますもの。

それを目標に設定できる人って
すごいと思います。

ま と め

今回は「自己肯定感の低い人」という
テーマで書かせて頂きました。

たとえ自己肯定感が低くても、相手が自分に抱く
印象は、悪いものだとは限りません。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)
「繊細、神経質、内向的と言われる方々がもつ気質」
が、一般的にも知られるようになってきましたが

ぼくはHSPの方から言われた言葉で、
深く傷ついた経験から

「繊細とはなんだろう」
「優しいとはなんだろう」

考えるきっかけになりました。

誰も傷つけない表現なんてありません。

自分も、多くの人を傷つけてきました。

何かを選択するということは
それ以外の何かを捨てることなのかも
知れませんが、あらゆる可能性を考えて
試してみたいと、思っています。

全然まとめられていないですね💦
ごめんなさい💦


悩んでいるのは、あなただけでは
ありませんよ( *´v`)

りーだーことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「リーダーの大変さは
経験した方でないと、分からないよね」
という
内容です。

仕事は、それぞれの方の立場で
それぞれの悩みが必ずあります。


今回は「リーダー」の「種類」や、「タイプ」を
紹介させて頂きながら、自分の経験談を
交えつつ、あなたの悩みに少しでも
寄り添えたら、と考えています。

よろしくおねがいします(*´v`*)
リーダーシップの「性質と種類」

現在、会社勤めをされている方は
職場などのコミュニティの中で

「物事を決める役割」

「従業員を管理する役割」を、
任されている方も、いらっしゃると思います。

まず、リーダーの性質は、おおまかに2つに
分けられ、タイプ別には5~6種類ほどに
分けることが出来ます。

個人的には「どの性質、タイプだから良い、悪い」
ということでは、一概にはないと考えています。

職種、役割はそれぞれの仕事で違いますし
その環境毎で、「解答」は変わるでしょうから
「そういうものなのか~」という程度で
大丈夫です(*´v`*)

リーダーの性質は
①支配型

➁支援型


2つに、おおまかに分かれます。

タイプ別には
①ビジョン提示型

➁コーチ型

③目標達成型

④民主型

⑤ペースセッター型


この5つに分かれます。

性質から、簡単に紹介しますね。

リーダーの性質

①「支配型」とは


「支配」と聞くと強制力がありますが
この性質の方は、自身の考え方を、部下に
魅力的に提示する能力があります。

「強い統率力で部下を引っ張っていく」という
ひと昔前の、日本におけるリーダーの価値観ですね。

「自分はこう考えている、だからこう動いてくれ」と
「力強い言葉と行動力」で、組織を「まとめ、導く」という
いわゆる「カリスマ性」のあるリーダー像です。

ただ「自身の役割」を、リーダー自身がはき違えると
いわゆる「ただのパワハラ上司」になる危険のある
性質でもあります(;^ω^)

➁「支援型」とは

「支援型」とは、数年前に「新たなリーダーシップ像」
として話題になった「サーバントリーダー」と呼ばれる
性質の方です。

「支配型」とは相対し、まずリーダー自ら部下に積極的に
支援、奉仕をすることで、全体からの信頼を得て、

その後に集団のビジョンを統一し、組織としての
課題に取り組むという、リーダー像です。

自身に明確な指導力や、強い発信力が備わっていなくても
心理的に他者をコントロールできるため、組織が安定し
長期的な視点で仕事に取り組むことが出来ます。

ただリーダー自身が、「部下への支援」の目的を
明確にしていないと、部下との関係が「なあなあ」
なりがちで、結果的に組織が崩壊する危険も孕んでいます。


リーダーのタイプ

①ビジョン型

「支配型」の性質のリーダーの中でも
特に魅力的なビジョンを発信する能力に長けた
カリスマ性が高いタイプのリーダーです。

リーダーに発信力があるので、人が集まりやすく
常に意識高く行動出来ます。

ですが、リーダーの考えがブレたり、リーダーが
プロジェクトを離れると、一気に計画が
立ち行かなくなってしまう、という危険性もあります。


➁コーチ型
「支援型」の性質のリーダーの中でも
それぞれの職員に対しての洞察をより深く持ち、
悩みなどに、個別に寄り添うことが出来るため、
全員から、深い信頼を得ることが出来るリーダーです。

職員への個別対応が出来るので、職員の能力の把握も
しやすい反面、組織の規模が大きい環境では、個別に
カバーしきれないため、比較的少人数の組織で
力を発揮するタイプです。

「自身の人間関係が直接仕事に影響してしまいやすい」
というデメリットも持ち合わせています。

③目標達成型
「支配型」の性質のリーダーの中でも
組織としての「利益」「目標」に対しての
「数字」を重視し、最適解をアプローチする
能力に長けたリーダーです。

「数字」という明確な目標に対しての「行動」
となるので、集団の目的が明確になりやすい
メリットがあります。

短期的に成果を出しやすいタイプのリーダーです。

反面、職員の悩み、感情の動きなどに興味が薄く
長期的な集団維持には、あまり適さないタイプでも
あります。

④民主型
「支援型」の性質のリーダーの中でも
組織全体の声を集約、把握し、個別の意見の
妥協点を見つけながら、目標達成に向けて
意見の方向を統一していく能力に長けた
リーダーです。

「コーチ型」と似ていますが、より大きな規模の
組織でも対応が出来、多角的な視野を獲得できるため
課題や問題点を発見しやすいメリットがあります。

反面、大人数の意見を集約し、統一するという
高負荷の作業を常に強いられます。リーダー自身の
成長も見込めますが、組織を維持、継続していくには
相当な忍耐力が必要
となります。

⑤ペースセッター型
リーダー自身の能力がそもそも高いため、
課題にまずリーダー自身が最初に取り組み、
部下にどう動けばいいのかの成功イメージを与えて、
人を導くというタイプのリーダーです。

「リーダーも、部下も優秀」という集団では
無類の強さを持つタイプのリーダーですが
部下とリーダーのスキルや意欲に開きがあると
「結局リーダーがぜんぶやればいいんじゃね?」という
意識に、部下をさせてしまう恐れがあります。

いかがでしょうか?

「自分はこのタイプかなぁ」というものは
ありましたか?

最初にも書きましたが
「この性質、タイプだから良い、悪い」とか
「このタイプだったらダメ。このタイプを目指さないと
成功しない」
などということは、ありません。

職場環境なんて、ピンキリです。
上手くいく、いかないは結果論であり
運のようなものでもあります。

例えば「介護現場」ひとつとっても、
上司が優秀で、職員の指導も完璧なのに
高齢者虐待で報道されてしまう施設もあれば

管理者が無能で、いつもうすぼんやりしていても、
周りが優秀で協力的なおかげで、施設としては
割と安定している、みたいなところもあります。
(ぼくのところの施設です)

ただ、管理者として、気をつけていることは
こんなぼくでもあります。

まず、自分の性質としては決定的に
「支援型」です。性格的にも、どう考えても
他人を引っ張っていく「支配型」ではなく
「やれ」と言われても出来ません💦

職場では、5つのことに気を付けています。

①常に敬語で話す。

➁職員さんから呼ばれたら、必ず
「顔を上げて」聞く。

③気分や感情で、相手への対応を変えない。

④「職員さん」は「友達」ではない。


⑤たかが仕事。

職場では、これくらいのことしか
意識していません(;^ω^)

いざ書いてみたら、当たり前すぎて
恥ずかしくなってきました。

でも、あなたの周りに、「横柄な管理職」
方って、いらっしゃいませんか?
「〇〇、やっといてー。」みたいな。
「相手を見ずに指示だけだす」みたいな。

ああいうのが、ぼくは嫌いなんです。

「役職」ってなんですか?
「人間ランキング」ですか?

役職を得たら、得ていない人よりも
人間的に上位に昇格するのですか?

役職を得たら、得た瞬間に「タメ口」に
なって、マウントを取るような、
浅い精神性の方とは、
お付き合いしたくありません。

「職場」なんて、ほんと「狭い関わり」です。
自分も相手も、職場で見せる顔なんて
ほんの一部分です。

リーダーの悩み

これだと、ただの愚痴に終始してしまうので
「リーダー」として悩んでいる方に
声をかけて差し上げられるとしたら・・

①「責任感」は持たなくていいです。

➁「仕事」を振ってみて下さい。

③「リーダーのくせに〇〇」みたいなことを
言ってくる人への対応。



「責任感」は、自分を追い詰めます。

あなたは「リーダー」に選ばれるくらい、会社から
期待されています。ですが、それは
会社の「勝手な期待」です。

「期待や言葉」が「お金」に代わるのなら
ガンガン期待して欲しいですが、別に変わりませんよね。

あなたの本来の資質と期待は、関係ありません。

リーダーであろうが仕事であろうが、周りが勝手に
期待していようが、「しんどいもの」は「しんどい」
「したくないこと」は「したくない」で、いいんです。

「したくないけど、やろう」と思えたのなら
その時に、「適当に」やったらいいんです。

仕事なんて、その程度でいいんですよ。

それと「リーダー」であろうが、なかろうが
「苦手」なものは「苦手」です。

適材適所という言葉どおり、万能な人間なんて
そうそう存在しません。

自分が苦手な仕事は、人に振ってみてください。

「仕事を振るって、相手に悪いなあ」とか
「自分でしろって思われないかなあ」と
不安になりますよね💦

ですが、これが逆なんですよ(#^v^#)

リーダーが職員さんに「〇〇さん、この仕事を
お願いしても良いですか?」って伝えた時
職員さんの心の動きとしては

「自分に仕事を任せてくれた」
「リーダーに頼られた」という承認欲求
満たされた状態になることが多いんです。

もちろん、普段の関係性を良好に保つ必要と
言い方を考える必要はありますが。

「仕事を振る」ことが苦手な方は多いです。
自分でやった方が、結果的に楽なことが
多いですからね(;^ω^)

ですが「仕事を上手く振れる」ようになれば
自分も相手も成長します。
(ぼくも振るのが苦手です)

それと、どんな環境でも
「リーダーのくせに・・」みたいなことを言う
方は、程度の差はあれ、いらっしゃるものです。

こういう人から自分を守る時だけ
「会社」を最大限に盾にしたら良いと思います。

「批判的な立場を相手が取る」理由は
「その方の性質」「自分への興味、嫉妬」
「生理的に嫌い」
のだいたい3つです。

このうち「その方の性質」であれば、自分にだけでなく
他の職員にも同じようなことを言っていたりしますので
「気にしない」で良いと思います。

リーダーである自分の立場に嫉妬していたり
興味から、攻撃的な態度を取られる方には
「丁寧に接して、時間をかけて味方に引き入れる」
「あえて弱みを見せて、懐柔させる」などで

管理側の立場の理解者になってもらうと楽です。

「生理的に嫌い」などと、社会人になっても
平然と仰るような方は、「職場を学校と
勘違いしている」のだと思います。

そんな方は、どの職場にいても長続きはしません。
自分以外の誰かと勝手に揉めて、勝手に
辞めていかれます。

それか、あえて徹底的に揉めて、会社に
第三者的に介入してもらって下さい。

あなたが会社にとって必要な人材ならば
揉めた相手よりも、
あなたの意見を尊重してくれる
と思いますよ。
「視野」と「視点」

どんな立場でも、悩みは尽きません。
ですが「悩む」ことはとても大事です。

ぼくは、会社で
役職に就く最大のメリットは「給与」ではなく
「その状況を経験できる」ことだと考えます。

「塊魂」(カタマリダマシイ)というゲームをご存知ですか?

よくわからないカタマリを転がしながら、周りのモノを
巻き込んで、とにかくカタマリを大きくしていくという
なんだかよくわからないゲームが昔、あったのですが

「役職」が上がっていくことは、「カタマリ」を
大きくしていって「プレイヤーの視点」が
徐々に上がっていくあの感覚に、よく似ています。

視点が上がると、視野が広がります。
視野が広がると、今まで見えなかったものが
見えてくるようになります。

それに比例して「自分」の存在が
段々小さくなっていんですよね。

それはつまり「悩みの対象」が
「個人」から「集団」、「集団」から「施設」
「施設」から「会社」・・のように
広く、大きくなっていくことと同じです。

ぼくは出世意欲もなく、なるようになればいいと
思っているだけなので、ここから視野が広がることは
ないと思っています。

こんな経験が出来ているだけでも、
まがりなりにも役職につけて
良かったなと、思っています。

こうやって、ブログのネタにもなるわけですし( *´艸`)

ま と め

「リーダー」なんて、中間管理職の最たるものなので
しんどいことばかりだと思います💦

ですが、あなたは今、得難い経験をしています。
あなたの苦悩は、あなただけのものです。

期待に応えようと気持ちを奮い立たせるのも
これ以上は無理だと、辞退することも

誰も経験できない、あなただけのものです。

あなたの経験を、あなたなりの言葉にして
同じような立場で苦しんでいる誰かに
伝えてみてください。

・・その経験、「金」になるかも
知れませんよ・・( *´艸`)

「たかが仕事」です。
どうかのんびり、いきましょうね(*´ω`*)

読んでくださって、ありがとうございましたっ


えがすきことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回はほぼ自分語りですっ

あなたが好きなことってなんですか?

「好き」というのがどのくらいのレベルかというと
「最終的にこれがあれば、なにもいらない」
思えるようなものです。

ぼくは、「絵」を描くことです(*´ω`)

ツイッターやブログに貼っているイラストを
見て頂ければ分かるとおり、たいして上手くありませんw

それでも好きなんです。
「描く」ということが。

ぼくが絵を描くことにハマったきっかけは
小学校、低学年の頃です。

当時、ゲーム作品を題材にした4コマ漫画の本が
色々と発売されていました。
(ドラゴンクエストの4コマ漫画劇場がブームになる
すこし前だったような・・)

確か、任天堂のゲームの4コマ漫画集みたいな本が
家にありまして、

マリオやらゼルダやらの題材で、複数の漫画家さんが
4コマ漫画を描いている本だったと思うのですが
その中に「MOTHER」というファミコンソフトの
4コマが載っていたんです。

内容や作画の方のお名前はもう、覚えていませんが
漫画化されたキャラの、女の子のイラストが
すっごく可愛くて(アナというヒロインの子です)
「こういう絵を自分でも描いてみたい・・!」
と、子供ながらに衝撃を受けたのです。

で、模写・・というよりトレースですね。
本を開いて、紙をのせて、そこから透けた絵をなぞる
という作業で、アナちゃんをトレースしていました。

トレースですし、線もガタガタなので
お世辞にも上手くはなかったと思うのですが

その絵をお母さんに見られたときに
「これあんたが描いたん?上手いなあ」
と言われた事が、すごく嬉しかったのを
覚えています。

あと「こんなかわいい女の子を自分でも
描けた・・!」
という変態性達成感がありました。

でまあ、そこからノートに自作の漫画を描いては
兄妹で見せ合って楽しむ、みたいな遊びをしていました。

よく、「絵が上手い人は元々ある程度上手かった」と
思われがちですが、ぼくは違います。

小学校から描き始めて、上手くなりたいと
思って描いていたのも関わらず
中学三年くらいまで、こんな画力でした。
むかし

ぼくの「絵」に関しての能力は
HUNTER×HUNTERという漫画で表すと
「本来は強化系の素質があるのに
無理やり具現化系の能力を修めようとした」

みたいな感覚が、「念」の設定を読んだ時に
「あ、これ・・」と自分の中でしっくりきたので

ぼくにとって「絵」は具現化系です
能力を引きだせません( ;∀;)笑

※ちなみに「強化系」にあたる自分の本来の
素質は、いまだに不明です。

ぼくの「絵」に関しての最大のコンプレックスは
「想像力のなさ」です。

他の人の思考を覗いたことがありませんので
比較は出来ませんが、例えばキャラがいた時に

「このキャラの何を描きたいか」というか
「何を伝えたいか」というテーマで絵を描くのが
すごく苦手です。

だいたいいつも
「人に伝えたいことなんて特にないな・・」という
思考になります(;^ω^)

クリエイターとして、ほんと
終わってる
としか思えない(笑)

この辺は、もともと自分で何かを発信するのが
苦手という性格の影響を受けているのかも知れません💦

ただ、「文章」という表現方法だとまた違うんですよね。
不思議なものです。


「創作する」というのは、ぼくの考え方ですが
「常に自分と向きあう作業」だと思っています。

だから「自分の中にあるモノ」を切り売りして
継続してお金を稼いでいける方というのは
凄いなと思いますし、ほんと憧れます。

どんな方も、自分の才能に絶望する瞬間というか
「なんでこんなことができないんだろう」
「結果が出ないんだろう」
と、心に葛藤を抱えながら

それでも、他人と共有できる感覚ではないので
絶望しようが打ちひしがれようが、吐くほどの苦悩に
苛まれようが、自分と向き合って生み出していくしか
ないわけです。

自身の無力感と、折り合いを上手につけながら
クリエイトを継続していくというのも、また才能なのかなと
思います。

「創作活動」を継続するということが、自身のメンタルを鍛える
ことに、結果的に繋がるのかも知れません( *´艸`)


ぼくの高校生くらいの夢は「人と関わりたくないから
漫画家になって食べていきたい
」というものでした。

今なら分かりますが、漫画家さんも大多数の人と
関わらないと仕事になりませんよね( ;∀;)

当時はネットがここまで普及していなかったので
あらゆることに対して無知でした。

※調べる手段はあったのですが
超受動人間ですので・・(;^ω^)

でまあ色々紆余曲折を経て、当時としては
考えられないような、「人と関わる」真逆の仕事をいま、
させて頂いているわけです。

人生何が起こるか分かりませんね。

「絵」が自分の人生に直接、プラスになったのか?
費やした時間に対してどのような見返りがあったか?と
いうと、「特にない」と思います。

「生きるための精神的支柱」になったぐらいでしょうか。
それだけでも十分かとは思いますが・・。

でも今後は分かりません。

ブログを始める前までは「絵は老後の楽しみに」という
考え方でしたが、ブログを始めてから
「絵もなんとか活かしたい」という方向にシフトしています。

ぼくが、フリーランスの生き方に憧れがあるのは
自分の元々の夢が、そちらの形に近かったから、というのが
大きいのかも知れません。

サラリーの収入も、システムも、ぼくにとっては大切です。

大事なのは、自分で生き方を選択するときに
どういう方法なら、楽しく過ごしていけるのかということに

尽きると思いますので、これからも楽しく労働して
楽しく夢を追いかけていければいいなと思います。


こんな自分語りのブログに、目を通して頂いて
ありがとうございました(#^w^#)




はんそくことはちゃん

「時間給」は、がんばるだけムダなの?

こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは「サラリーマン
別にがんばらなくてもいいんじゃない?」
って思うけど、「そうなのかな?」って
考えた結果、最後に結論を出す。

という内容です。

3分くらいで読めますので、良ければ
カップラーメンのタイマー代わりにでも。

「労働する」ということ

会社で働かれている、雇われて日々、労働されて
いる方は、「時間に対して賃金が発生」しています。


これは、つまり極論会社」に行きさえすれば
「お金」が支払われ
ということです。


ひと昔前まで、働き方がそれほど多様ではなく
「企業に就職し、同じ会社で定年まで勤める」ことが
スタンダードでした。

昨今は、トヨタ社長らの終身雇用への発言から
自社努力では、終身雇用を維持することが
どこの企業でも難しくなってきてい
ことが
分かります。

時代の移り変わり、働き方に対しての
大衆の価値観の変遷と、日本の終身雇用の
制度は、かにあまり噛み合わなくなってきている
ようにも見えますね・・。

「働くことへの考え方」はそれぞれ

賢い人たちは、こういう風に考えるようになります。

時給が一緒なら、無理にがんばる必要なくね?」

ほんと賢い。

こういう考え方、自分の中に一ミリもなかったです・・。

でも確かにそうですよね。

例えば時給が、1時間1000円であれば
「上司に怒られない最低限の仕事だけしてれば
いい


「がんばろうが、手を抜こうが変わらないから」

こういう発想に至るのは、当たり前のことかも
知れません。
(最低限の仕事が出来るだけでも、すごいと
思いますし)

その考え方への反論として

「仕事はまじめにするべき」

「働くことを舐めている」


みたいなことを仰るかたも、いらっしゃいます。
ぼくも、こちらの考え方が近いです。

ですが、これは「感情論」だと思います。

「なぜ、まじめに働かないといけないのか」
「同じ賃金で働く人よりも、余計に労働することに
どのようなメリットがあるのか」と問われれば

「う・・うぐぐ・・」
「そ・・そういうものだからだよ!」

みたいに、「反論したいけど、言葉が出てこない状況」
に陥ります。悔しいです。

考え方を変えてみます(;^ω^)

「損」か「得」か

ぼくは、現在の職場では、管理者という役割で
働かせて頂いています。

世間では「中間管理職」と呼ばれるものですね。

ぼくの浅い経験上のお話で恐縮なのですが

ぼくの働いている業界では
「労働」を損得で考えておられる方

非常に多い印象を受けます。

「難しい人のクレーム対応を担当させられた。
損した」
「今日は定時で帰れた、ラッキー♪」のような

他の人、以前の状況と比べて損だった、
得だった
」みたいなことを、よく話されます。

社内に、こういう感覚で仕事をされる方が
増えると、どうなるか?

「仕事が少しずつしんどくなります」


作業量のお話ではなく、自分の仕事への
考え方、捉え方に影響を与えます。

人が仕事して疲れる原因は
「強制された作業だから」です。


人間って不思議なもので、自分が納得して、
「楽しい!」「やりがいがある!」「生きがいだ!」と、
思い込んで作業されている時間は

たとえその労働に報酬が発生していなくても
ほとんど疲れを感じることはありません。

例えば、趣味が良い例で、自分が納得して始めて
趣味に打ち込んでいる時間は何よりも楽しく
何時間でも作業していられた、という方も

その趣味が仕事になり、人から依頼されたり
水準を要求されるようになると、自分が納得して
出来る状況
ばかりではなくなってきます。

そうなると、たとえ収入を得るようになっても
趣味でしていたことと同じことをしているつもりでも
疲れを感じるようになります。


話が逸れましたが、仕事を「損得」で考える
価値観の方は、そもそも「納得しての労働」では
ないのかも知れません。今の仕事を納得して出来ている
方は、あんまりそういう事を口に出さないような・・。

どうなんでしょう?

結論

ここで「時間給の労働をがんばる必要ある?」
という問題に立ち返ります。

これは、ぼくの今の考え方としては

「出来れば、がんばったほうがいいです。
なぜなら、そこは自身の学びの場だから」


という結論にたどり着きます。

どういうことかというと
その職場で、あなたは一生働くわけでは
恐らくないと思います。

今の職場は、あなたが、楽に生きる方法を
見つけるまでの「手段」でしかない場ですよね。

理想に近づくために
手っ取り早く、人より多くを吸収し、
人より信頼され、人より重宝されるには
「その状況、状況で、他の人よりプラスで動き、
お話をし、尽くす」
ことが最善かなと思います。

こういう思考の方は、たとえ自分のために
動いているのだとしても、職場内の評価や
信頼を得やすいものです。

起業を考えておられる方は
人脈を広げるためにも、信頼を得ることは
必要ですしね。

「がんばっても時給、変わらんし・・」と思うよりも
「どうせ時給変わらんなら、金以外の要素で
得るものを探してやろう」
と、考えを変えた方が

建設的ですし、結果的に自分が楽しいと思える
状況も、増えていくかも知れません( *´艸`)


ま と め

「時間給の労働、がんばりたくないという人も
時間給の労働でも、人よりがんばるという人も

根本は一緒です。

「自分のため」なんですよね

今、少しでも楽に生きたいのか
この先、今より楽に生きたいからなのか

という、生きる上での、考え方の違いだけで

結局は「自分のため」なので
「あんまり変わらないな」とすら思えてきました。

先程、ぼくの今の考えで結論を書きましたが

「否定も、肯定もするような話ではないのかも」
というのが感想です。

ただ、ぼくの考えをお話させて頂くとすれば
今後、楽に生きていけそうなのは
「時間給でも人よりがんばる」人かなと思います。

ものごとは、何もかも人を相手にしていかないと
進んでいかないので、その辺のことを考えても
よりメリットがありそうなのは、こちらかも知れません。

でも「消耗を抑える目的で無駄な労働はしない」という
コンセプトの方もいらっしゃるでしょうし・・

色々な考え方があるって楽しいですね(*´v`*)

あんまり否定したくないんです。すべてを。

「こんな考え方してるなんてww」みたいな発信は
特にネットだと目に付きやすいですが
その人の想いや、生活歴も知らないのに・・
って、もやもやします。

断定じゃなくて、対比しながら、お好きな方
楽な方を見つけてもらうような内容に
出来ればいいなと思います(*´v`*)

こんにちは、ことばです( *´艸`)

きょうは「自分語り」をどのくらいしてる?
というテーマです。

この言葉が流行ったのって、比較的最近ですよね?
隙あらば自分語り」ってのもあります。
(語感がなんか好きです)

自分の今までの人生や日々の出来事などを語ることを
指すネット用語
」だそうです。
この言葉が使われるとき、相手に対しての
軽視の意味を含んでいるように思います。


あれです、ドラえもんの「スネ夫」


スネ夫が、典型的な「反感を買う
自分語りの人」ですよね(;^ω^)
(作品では、主にのび太がスネ夫に対して)

特に周囲が聞いてもいないのに
自分のパーソナルな事、体験談、自慢をする。

明らかな主役が設定されている場面にも
関わらず、何かにつけて主体を自分に持っていき
自己アピールをする、だとかです。

人間には基本的に、相手よりも優位に立ちたいという
意識があります。

自分に、相手より優れた部分があると分かった時
それを発信したい欲に駆られることが多いです。

でも、自分語り・・してしまいますよね?
ぼくもします(;^ω^)

いまも絶賛、自分語り中です。

こんな「ブログを書く」なんて行為、自分語り以外の
なんだというのでしょう


大衆に自身の存在を認知してもらうためには
いまの段階では、とにかく「自分語り」をして
相手に自分の存在を知ってもらわないと
お話になりません💦

ああ、難しい。

ものを書くことには、なんの苦痛も感じないのですが
自分を「営業」していかなくてはならないこと

それを自分自身でしなければならないことに

現状の意識では、なかなか高いハードルを
感じています( ;∀;)

意識と相反する作業をしていくことに慣れないと。

仕事は最初は、苦手なこともしなくてはならない状況
ばかりですものね。

「営業」を誰かにお願いをするにしても
今は記事数が足りなすぎるので、とにかく書いて
更新して、内容を増やさないと。

・・色々な人とのプライベートな人付き合いを
避けてきた弊害が、ここにきて
表面化している気がする(;^ω^)

いえ、いまはどんな失敗も、
それをエンターテイメントにして
発信する能力があれば、その経験をビジネスチャンスに
することが出来る時代です。

個人的には、自分語りをやめたい。
でも仕事なのでやめませんっ('◇')ゞ

それに自分のことなら、いくらでも悪口を書けますw
自分をいくら非難しても、誰も文句は言いません。

「炎上系〇〇」のような、
「相手の行動や作品に対して、わざと煽るような視点で
指摘をしたり、クサして人を集め
知名度を得てお金を稼ぐ」ビジネスの手法がありますね。

あれで稼げている方は単純に、頭が良いし
強い人だなと思います。


あの手法は、かなりメンタルを消耗します。

相当数のアンチが生まれますし、動画を出せば叩かれ、
自身もネットのネタにされ、自分が失敗すればそれはもう
蜂の巣をつついたように、人から嘲笑をされると思います。

人を撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけ
ではありませんが、他者は常に自分の鏡です。

それともうひとつ、炎上系の方は
「自分を保てなくなっていく」と思うんですよね。

サイコパス的な気質の方は分かりませんが
「人の悪口を言い続ける」ってすごく難しいです。

相手を「けなす」のも、「ほめる」のも
行動自体はさほど変わりませんが
一つに特化していくと、発信者の
心のバランスが保てなくなっていくものです。

「こいつは褒めたい」という人が出てきても
ビジネス的にそれをすると、自身の商品的価値が
下がる恐れがあります。
(別の需要に繋がるかも知れませんが)

だから、炎上系は簡単に見えるかも知れませんが
有名な方は、そうとう考えて、言葉も選んで、その上で
メンタルのバランスを取りながら、発信をされていると
思います。特化する事は、なんでも苦しいものです。

でも炎上系の人にネタにされた本人は
たまったものではありませんけどね・・(;^ω^)

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