ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

2021年04月

うらではつらいことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「楽しい仕事なんてあるのかな?」
という内容です。

結論から書かせて頂きますと
「仕事は楽しくはないけれど、他人に
楽しく伝えることは出来るかも」
というものです。

よろしくお願い致します( *´艸`)

【仕事とは、そもそもなんなのか】

あなたはお仕事、楽しいですか?
いま、楽しく感じられているのであれば
本当になによりです( *´艸`)

ぼくの今までの仕事経験ですが、
真似事の営業から始まり
いくつかの接客業を経て、今は福祉・・
介護施設で働いています。

子供の頃は「消防士になりたい」などと
思っていました(ミニカーが好きだったので)

「仕事の定義」ってなんでしょうか?

ググってもいまいち要領を得なかったので
自分で考えてみますね。

「自分が世の中に与えた価値が
金銭的な対価として、1円でも受け取れるもの」

なのかなと、思います。

「金銭を受け取れる作業」が仕事で
「金銭が発生しない作業」はボランティアだと
自分では考えています。

今は、職業選択のための材料というか
「その職業に就く前に、ネットなどで
情報をいくらでも仕入れることが出来る」
ため

自分の性格、性質と相対して考えて
「自分に合うか、合わないか」の見極めが
ひと昔前より、容易になったと考えています。

ですのでネットが普及する以前よりも

「この仕事、思っていたカンジじゃない」
とか
「まじでぜんっぜん想像と違う💦」みたいな理由で
即退職される方って、総数的には
減っているのではないかな?と思います。

若い方は「Youtuberなどの配信者」になりたい方や
ひと昔前でしたら「芸能人」「お笑い芸人」
「プロのスポーツ選手」などが、上位ですし
もちろん今も、人気で憧れられる職業と言えます。

単純に疑問に思いませんか?

「星の数ほど仕事が存在する中で
なぜ人気がある職業と、ない職業が生まれるのか」


「人気のある職業とない職業の違いは
いったい何なのか?」


ぼくも、もちろんすべての職業を経験したことは
ありませんが、大半の「仕事」は
「単純な作業の繰り返し」で構成されています。

突き詰めれば、どの「仕事」だって
「人間が作業として実施すること」の差に
そこまで違いはないはずなんです。

なのに「人気、不人気」の差は
どこで、何が理由で発生するのか。


ぼくは「その職業で、仕事を魅力的に伝える
象徴のような存在がいるかどうか」
だと
考えるようになりました。

【魅力の伝え方】

ぼくは、介護職をしています。
あなたは「仕事の介護」
どのようなイメージを持たれていますか?

ブログのネタ探しのため、SNSなどで
「介護」で検索をしますけれど

なんというか、介護の仕事の内容を
楽しそうに書いていたり、伝えていたり
されている方って、少ない・・というか

ほとんどいらっしゃらないような
印象を受けます。
(ぼくが探し切れていないだけかも)

介護職の方のつぶやきって、おおまかに
2つに分かれている印象です。

①仕事の愚痴、不満をつぶやく方

②いかに「やりがい」のある
仕事なのかをつぶやく方


①の方は、例えば
「今日、利用者様に〇〇みたいな暴言を吐かれた」

「ほんと最悪。〇〇(職員さん)がミスしてくれた
お陰でサビ残(サービス残業)だわ」

「この施設終わってるわww
今月だけで〇人辞めたww」


みたいな、ネガティブな発信をされている方。

そして②は、例えば

「介護はお金じゃない!人のためになる
崇高な仕事なんです」


「今日も一日、利用者様から感謝の言葉をもらえて
本当に充実していた。介護ってホント
やりがいがあって楽しい♪」

のような感じです。

どのつぶやきの方も、その方なりの事情や
価値観があり、否定をしたいわけではない事を
前提に、書かせて頂きたいのですが

仕事はなにをしても、不満は生まれますし
愚痴を言いたい時もあります。

そして、楽しく感じる瞬間も、報われたような感動を
覚える瞬間も、継続していく中で、必ずあります。

テレビなどで介護職の特集をされる時
必ずと言っていいほど飛び出すワードに
「やりがい」があります。

以前、介護施設での画期的なケアの取材をされていた
中での、職員さんへのインタビューの中で
その職員さんが

「確かに給与は低いかも知れないが
やりがいを感じる仕事だ」
みたいな
締め方をされていました。

個人的には、すこし悲しくなりました。

だって、見る人がみれば
「やりがいがあっても、給与は低い仕事なのか」
って、思われてしまいかねません。

人が仕事をしなければならない理由は
「やりがい」ではなく「お金」です。

「やりがい」「価値観」ですが
「お金」「価値」です。

仕事の介護は「やりがい」をやたらと
強調される印象を、自分は持っていますが

翻せば「給与の面」
では魅力が薄いんだろうなと
見る人には、思われるような気がしています。

「やりがい推し」は、伝え方としては
適切ではないのかな?と勝手に悩んでいます。

結局は
「仕事のどこを、切り取って伝えるか」
重要なのかなとも思っています。

【すべらない話】

お笑い番組の「すべらない話」って
ご存知ですか?

ダウンタウンの松本さんを中心に
人気のお笑い芸人の皆さんが集まって

自分が思う「鉄板の面白い話」
披露してゆく、という番組なのですが

例えば、あの番組で披露されたお話の中で
千原ジュニアさんの「タートルトーク」があります。

東京ディズニーシーに行かれた
ジュニアさん達が、アトラクションのひとつ
「ウミガメのクラッシュ」の中で
体験された出来事を、お話しているのですが

仮にぼくが、ジュニアさんと全く同じ体験をしたとして
それを誰かに「面白い話」として披露しても
「確実にウケない」と断言出来ます。

ぼくとジュニアさんでは
「体験した出来事のどこをピックして
どこが必要ないか、どこを膨らませるか」

の技術、知識、感覚、経験に
天地の差があるからです。

芸人さんの話が面白く感じるのは
「芸人さんの毎日が特別だから」ではありません


芸人さんは「面白いとはなにか」を常に考えていて
起こる出来事すべてにアンテナを立てています。

だから、人と同じ出来事を経験しても
「聞く人が魅力を感じやすいような伝え方」
自然と、出来るようになるのだと考えます。

「芸人」という職業が、ずっと人気なのは
メディアに露出した時、圧倒的な話術で
役割を十二分に全うしているから
なのだろうなと思います。

今年、残念ながら解散されましたが
「ザブングル」というお笑い芸人が、以前
闇営業問題のゴタゴタで謹慎されていた時期に
介護施設でボランティア活動をされていました。


この記事、好きです。

介護を不祥事の禊に使うなとか
否定的な見解の方もいらっしゃいます。

ただ、自分の考えとしては、こんな風に
有名で、発信力のある方が
どんどん仕事の介護を経験して
実際を伝えてもらった方が

ネガティブなイメージが先行しやすい
仕事には、実際を正しく伝えるという意味で
結果的にプラスになるのではないかな

考えています。

人気の職業には
「自分の職業を魅力的に伝えることの出来る人」
確実に存在しています。

それは、その方にとって「意識しての行動」では
ないのかも知れませんが「人気の職業」には
「象徴」のような存在が、確実にいます。

ネガティブなイメージが先行しやすい仕事には
芸人でいう「ダウンタウン」のような存在が
必要なのかも知れませんね。

【介護職、実際は?】

「イメージの上げ方」は、なんとなく
目途はつきましたが「実際はどうなの?」
というところですよね。

「介護職、未経験の方が仕事を始めて
果たしてどうなのか?」
ですが

ぼくの印象を正直に書きますと
「仕事量に対しての金銭的な対価は
まだまだ低いと言わざるを得ない」
ですが

「お客様からの感謝がダイレクトに伝わるので
その部分は、直接消費者と関われない製造業などと
比較すると、意欲に変わりやすい」

「トライ&エラーの繰り返しに
自分なりの意味、意義を見出せるかが重要」

といったところでしょうか。

さらに個人的な感想を書かせてもらえれば
「継続していければ、相手が何を求めているのかを
自然と考えられるようになる」
という
メリットがあります。

介護も、お店の店員さんも、同じ接客業ですが
一人のお客様と関わる密度や時間が
圧倒的に深く、長いのが介護の特徴です。

※優劣の話ではありません。念のため・・。

仮にお店で、一人のお客様にNGを出されても
影響はそこまでないのかも知れませんが

一人のお客様に対してのコストをかける介護では
その影響は比較して、大きなものだといえます。

自分は店舗接客も、アルバイトで経験しましたが
とても難しくて、叱責されてばかりでした。
ただその経験は、介護の接客で活きています。

例えば、ぼくが実際に介護現場で経験した事を
「ネガティブ寄り」に切り取らせてもらいますと

・レビー小体型認知症の利用者様に、
泥棒と勘違いされ首を絞められました・・。

・更衣介助中に、肩を思いっきり噛まれました。
出血して、痣が残りました・・。

・夜間、不眠で立腹されている利用者様に
いきなりビンタされ「ひとごろし!」と叫ばれました。

現場が長いので、こういう体験も、少しはしています。

未経験の方が、そこだけ伝えられたら
「なんて怖い世界なんだ、介護って・・」
捉えられても、不思議ではありませんよね💦

でも実際は、続きがあるんです。

・レビー小体型認知症の利用者様には、後で
「本当に、申し訳ないことをした」と謝られました。

ぼくは「あなたの人柄は、分かっているつもりですので
どうか、お気になさらないで下さい」と伝えました。

その方は、自分がした行動をとても悔いておられ
苦しみが伝わる分、その事の方が辛かったです。

・肩を噛まれた時は、確かに痛みはありましたが
制服の上からですし、出血も微々たるものでした。
痣もすぐ治りました笑

自分の技術が未熟で、相手に抵抗感を
与えてしまった事で起こった出来事だと
認識しています。

・そしてビンタの件も、夜間せん妄の症状が
見受けられる方に、不用意に声掛けを
した事が、起因となります。
(ぼくが戦時中の兵隊に見えたようです)


物事は「一面的」に捉えると、どうしても
「極端」に寄りますが、本来すべては「多面的」です。

認知症の方の周辺症状も、その方の「生活歴」
「嗜好」を知り、行動を見極めた上で
「人としての礼節、接遇」を心がければ

「本来、その方が積み上げてこられた人格」
次第に顔を覗かせるようになります。

そうなればもう、後は「どうすれば、この環境を
心地良いと思って下さるのか」
に注力すれば
良いだけかなと思います。

ただ、これで終わると「キレイゴト」
なるので、さらに伝えます。

ネットの書き込みでよくある
「現場の対応次第で、周辺症状は治まる」というのは
半分まゆつばだと思っています💦

職員さんが、どれほど完璧に対応しても
礼節を尽くし、接遇を心掛けたとしても
周辺症状が治まらない方も、いらっしゃいます。

だって職員さんも、利用者様も「人間」ですもの。

なぜか認知症の周辺症状の対応の時だけ
職員さんを万能戦士のように扱うんですよね💦

虐待や、暴力は許されませんが
手を上げたくなる気持ちは、とてもよく分かります。

あと、お薬を服薬させることを極端に嫌う現場や
管理職さんも、たまにいらっしゃいます。

メマリーやドネペジルなどの認知症のお薬が
処方された時、過剰な意見を他職種の方にぶつけて
連携を乱してしまったり。

価値観は人それぞれなので、難しいですね。

個人的には「環境」で認知症は大部分
マシになりますが、そうならない方も
いらっしゃいます。

そんな時「お薬」という選択肢を試してみても
いいんじゃないかなと、考えます。
そのために「お薬」は存在するのですから。

解決の手段を、特定の何かに盲信したりせず
知識をつけて、「自分がどうか」ではなく
「相手がどうか」を主体に考えたい
ものですね。

【まとめ】

今回は「楽しい仕事ってあるのかな?」
という内容で、書かせて頂きました。

冒頭に書かせて頂いた結論の通り
「楽しい仕事なんてなく、その仕事に
携わる方の伝え方で、イメージの大半は決まる」

ということだと、今は考えています。

「仕事」は日々楽しい事、辛い事、両方ありますが
折角自分で選んだのですから

「自分の仕事を誰かに魅力的に伝えたい」
思って欲しくて、書きました。

余計なお世話ですね、すみません。

対外的にどうか、だけではなく
「楽しくない仕事を、どうすれば楽しめるのか」
という考え方も、大事なのかなと思います。

ほんと、話術スキルが高い人は憧れます。

ことばでした。
読んで下さって、ありがとうございました。

れってることは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「レッテルを貼ろうとする意識が
僕らに与える悪影響って?」
みたいな内容です。

他人にはもちろん、自分自身に対しても
知らず知らずのうちに貼ってしまう「レッテル」

偏見を持たず、フラットに生きていくためには
どういう考えかたをするべきか、
書いていきたいと思っています。

よろしくお願い致します。


【レッテルの「意味」】

「レッテル」は、オランダ語「letter」に由来する言葉で
「文字」「手紙」「値札」「ラベル」という意味を指します。

商品、品物に貼って値段を表示する「値札」を指しても
意味としては、伝わりますね。

この「レッテル」を人物に貼ると
「物事についての主観的な評価を示す言葉」
意味が変わります。

商品に貼るレッテル(値札)は
例えば「これは1980円です」とお客さんに
その商品の価値を提示する役割のものですが

人物に貼る「レッテル」には
どういった役割や効果があるのでしょうか。

少し、自分の話をさせて下さいね。

【レッテルを「貼られる」】

ぼくは一時期、高校の先輩とルームシェアをしていました。
この先輩が、いわゆる「不良」と、他の学生や先生方に
言われるような人でした。

自分は中学の頃に登校拒否になり、
高校は行きたくなかった挙句に定時制を選択した
(というより、親に道を示してもらった)のですが

とある切っ掛けで、その先輩と
交流を持つようになりました。

高校の頃は、学年も違うのでそこまで一緒に
いたわけではなかったのですが
たまに先輩と一緒にいると
後日先生に自分だけ呼び出され

「ことば、〇〇に脅されているのか?」
「〇〇に何か言われたのか?」

みたいに、すごく心配されました。

自分は典型の「いじめっこの的になりそうな
弱々しい生徒」
だったので
構図としては「不良に絡まれる生徒」のように
映ったと思うのですが

自分的には先生の仰る先輩と、
自分が印象として受けた先輩のイメージが
重ならないため、とても変な感じでした。

先輩の内面を知るようになるのは、ずっと後に
なってからですが、当時の自分の印象としては

「この人、そこまで悪い人なのかな?」
「不良って言われてるけど、そうでもないような・・」


というもので、確かに見た目は金髪でしたし
いつも誰かを威圧するような感じでした。
態度や口調は、先生方には乱暴だったように思います。

そういった印象を総合すると「不良」と呼ばれても
仕方ないという感じでしたが「悪い人」という感覚は
自分の中にはありませんでした。


そんな先輩に、キレられた事があります。

ぼくは自己評価の低い人間で、
とにかく自信がなかったため

謙遜と保険の意味合いで「自分なんか」とか
「どうせ自分なんて」みたいなワードを
会話の中で多用していました。

ある日先輩に「お前、俺をバカにしてんのか?」
言われました。

前後の流れを考えても、自分が先輩を
不快にさせた理由が全く分からず
「え?え?」とおろおろしていると、先輩が

「お前はよく自分を卑下するけど、それはお前を
大事に思っている奴を、一緒に下げているのと同じだ。
お前にとって、俺はその程度の存在だと言っているのと
同じだ。お前にとって、俺はその程度なのか?」

みたいな事を言われました。

当時は正直、意味がよく理解できず
「え・・ご、ごめんなさい」みたいに
謝ることしかできませんでしたし

「自分なんかって言葉は、先輩の機嫌を損ねるから
言わない方がいいのか・・」

くらいにしか、思いませんでした。

いま考えても、本当にありがたい言葉をかけて
頂いていたなぁ
と思いますし、当時から
こういう考え方ができた先輩って、きっと

色々な経験をされたが故に傷ついていたのだと思いますし
「不良」のレッテルを貼られたが故に失った、
様々な形のないものに対して
苦悩していたのかな、と思います。

もちろんレッテルが先に貼られたわけではなく
先輩の行動や言動によって「不良」と呼ばれるように
なったわけですから、自業自得な面の方が
大きい
とは思います。

ですが、自分にはあんな考え方
到底思い至りません
し、今でも出来ません。
「不良」とレッテルを貼られた先輩は

その内面を、その繊細な感覚を
「レッテル」によって、多くの人に伝える機会を
失ってしまった
といえるのではないでしょうか。

【レッテルを「剥がす」】

レッテルという言葉を人に対して使う時
そこには「偏見」という価値観が含まれている
場合が多いです。

「偏見」の意味ですが
「根拠のない、感情や主観により形成された思考」
一面的な物の見方や表現に対しても使用されます。

例えば、ぼくは学生の頃に自分の事を
「いじめっこの的になりそうな弱い人間」だと
思っていました。

「弱い」という意味の定義も特に定めず
見た目や内面から「弱い」と勝手に思い込み

結果、どんどん引っ込み思案になり
話せなくなり・・と良くない循環の偏見に
囚われていました。

これは、誰のせいでもない
自分で自分に「レッテル」を貼った結果です。

自分には「自分が強いと定義できる根拠」もなければ、
また同様に「弱いと定義できる根拠」もありませんでした。

子供の頃に自分で貼った「自信喪失レッテル」が
未だに剥がせずに、今に至ります。
「偏った見方」をすることは、相手にも自分にも
良い結果を与えません。


人に貼るレッテルの正体は
「主観による思い込み」です。
レッテルにより、人は苦しみ、悩むのですが

自分で貼ったレッテルや、他人から貼られたレッテルを
「剥がす」ことって、出来るのでしょうか?

結論から書きますと
レッテルを剥がす事は、ほとんど無理に近いです。

ですが「上書き」することは出来ます。

【レッテルを「上書き」する】

例えば、自分で自分に貼ったマイナスなレッテルを
剥がそうと考えた場合。

時間が経てば経つほど「レッテル」と
「自分の認識」が同化していきますので
剥がすことが困難になっていきます。


ですので「上書きする」方法が
一番理想的かなと考えています。

学生の頃のぼくで言えば
「根暗で頭も要領も悪く、運動神経も悪い。
そして口下手の自分は、だれからも好かれないだろう」
「女の子ともろくに話せない。モテた経験がない。
友達もいない。こんな人間のどこに価値があるのだろう」

みたいな事を、多感な時期に考えていました。

ぼくは、この「思い込み」は、
事実認識を積み重ねた結果の上での、確たる根拠だと
当時は思っていましたが、実際はそうではなく

ただ何もしなかった、行動していなかっただけの
「積み重ねの中の主観」なだけだったなと
改めて思っています。

「頭が悪い」のは「勉強をろくにしていないから」

「要領が悪い」のは「経験を積んでいないから」

「人と話せない」のは「考えて喋っていなかったから」

「モテない」のは「自分の事ばかり考えていたから」


なんというか「自分のことなのに、他人のせい」
のような意識で、それにも気づかずに


ただレッテルの中に自分の可能性を押し込めて
傷つかないように、傷ついてもダメージを
最小限に出来るように、落差を感じないように
守っていた
ような感覚です。

自分の場合は、マイナスのレッテルを
貼り続けてしまったせいで、
もうこれを完全に剥がす事が出来なくなりました。

それでも、上書きを重ねた結果
元々のレッテルの文字は、薄くなりました。

自分で自分にレッテルを貼ることほど
悲しくて、後悔することはありません。

だから、剥がすというよりも
「レッテルの上書き」をする事をお勧めします。

まず、もしご自分を卑下してしまうのであれば
「自分のどこが、どういう風に嫌か」を
言葉に出来るくらいには、消化してみて下さい。

抽象的な話で申し訳ないのですが
自分の「嫌」な部分を抽出して
どうやったら「嫌」と折り合いがつくのか
考えるような感じです。

例えば
「なにをやっても続かないのが嫌」であれば
「意志が弱い」とか「継続できない」自分を自分で
よく思っていないという事です。

自分に「継続出来ない」レッテルを貼っている
この状態を改善するには

「継続できることを発見する」か
「そこは切り捨てて、新たな長所を発見する」か

だと思います。

そもそも人の意志は、とても揺らぎやすいので
自分の意志の力だけで物事を継続し続けることは
とても、とても困難です。

意志関係なく「気づいたら勝手に続いていた」ような
状態に持っていくことが重要です。

ぼくでしたら、ソシャゲのグランブルーファンタジーは
数あるソシャゲをしてきた中でも、唯一続いています。

自分の中で「グラブルで遊ぼう」とか
そんな感覚はもうなくて、起床後に必ずPCを起動して
グラブルの日課を消化しながらYouTubeを見るのが
ルーティーンになっています。

また、自宅から職場までの通勤時間は
音声コンテンツを聞き、ブログのネタを考えたりなど
インプットの時間に充てています。

これらは「継続しようという意志の力」は関係なく
「そういう仕組み」というだけです。


個人の意志の強さは、物事を継続できるかどうかに
あまり関係なく「いかに仕組みを作るか」の方が
大事です。

ぼくもこのブログを早く「仕組み」化しなくては・・

こんな風に自分の中で「何かが継続できて」いれば
「継続できないレッテル」は、認識との齟齬が
生まれるため、少しずつ薄まります。

「物事を継続できる」プラスのレッテルを
自分に「上書き」する事が出来れば
マイナスのレッテルを自分に貼る癖、そのものが
なくなっていくと思います。

【まとめ】

今回は「レッテルを貼ろうとする意識が
与える悪影響」
について、書かせて頂きました。

人は、人に抱いた印象を簡単に言葉にします。

その中には、相手の背景を想像せず
身体的な特徴を言葉で簡単に揶揄したり

プロの芸人さんのやり取りを、そのまま
コミュニティに持ち込んで、表面だけをなぞるような
行為で、結果として相手に
マイナスなレッテルを貼ってしまったり

レッテルは、貼るのは簡単ですが
剥がす事はとても難しく、時間のかかる作業です。


マイナスな言葉が、人に与える影響力は
絶大で、相手の意図と自分の姿は常に見えないため
そんなとき、言葉の影響力が際立ちます。

凶器と薬箱を常に持ち歩いている状態です。

自分の言葉を相手にも
そして自分自身に対しても凶器とせず
どうすれば、お薬として使用できるのか


少しでも、あなたが考えて下されば
嬉しく思います( *´艸`)

レッテルが抱える問題は
とてもとても、根深いものですが
あなたにとって、優しい世界が
訪れるよう、願っています。

・・全然まとまってないな、すみません💦

ことばでした。
読んで下さって、ありがとうございました。

こうしんことは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「このブログのPVとUUをお伝えします」という
内容です。

このテーマを書く理由は
ゼロビジブログのコンセプトの一つである
「アフィリエイトの知識、能力のない人間でも
0からブログを始めて、稼げるようになるのか」


ありのまま、お伝えしようと考えているためです。

同じようにブログや、自分の力で稼ごうと
考えておられる方の
清涼剤にでもなればいいなと
思っています(*´ω`)



 

【以前の更新報告の記事】

「第1回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第2回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第3回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第4回ブログの今を、ご報告するの巻」


【期間が空きまくっている言い訳】

ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~は
2019年8月2日から書き始めて
今回の記事で70記事です。


「毎月更新報告をします」などと
書いていたのに、全然出来ていなくて
お恥ずかしい限りです。

週に一回の更新もろくに出来ていないですし・・。
すみません💦

毎回、更新報告が言い訳の場になりつつあって
悲しいですが、ブログの更新が滞っていた理由は

がっつり心が折れていたことと、もうひとつ。
職場でPCR検査陽性の方の対応に追われていた
ことです。

幸い、大事には至らずに施設内では終息しました。

自分が働いている職場は介護施設ですので
この時期、お一人でも発熱が認められると
心穏やかではいられないんです。

でも、正直どんな事情があろうと
言い訳になりますね。


やると宣言した事が出来てない以上
すでに信頼は、損なわれています。

では2020年7月度から、2021年3月度までの
記録していた範囲でのPV、UUの報告です( *´艸`)

【PVとUUのご説明】

「PV」(ページビュー)とは
このブログが何回開かれたか数値です。

ぼくがブログを開いても、あなたがブログを
開いて下さっても「1」カウントされ、
更新する(ページ移動する)たびに増えます。

「UU」(ユニークユーザー)とは
このブログに訪問して下さったの数値です。

ぼくが訪問しても、あなたが訪問して下さっても
「1」カウントされます。

日付が更新されるまでは、同じ方が
何度ページ更新しても
こちらのカウント(UU)は増えません。

それでは、この記事を書いている
段階の数値をご報告します('◇')

現在の総PV数が2600(推定)
現在の総UU数が2140

となっております。

データを記録していた
直近の数か月ですと・・
2020年12月は  PV209、UU177
2021年1月は、PV259、UU197
2021年2月は、PV328、UU217
2021年3月は、PV328、UU269
2021年4月は、PV250、UU215(20日まで)

となっております。

2020年7月から、2020年11月の期間は
心が折れていたので、データを取れていません。
すみません💦

前回の報告は、昨年の6月にしました。
その時のUUの総数が574でしたので

着実に伸びている・・?
のでしょうか(;^ω^)
まだ1円も稼げていません。

まあ、広告を貼っていないので
当たり前なのですが。


もう、自分が何をしたいのか
よくわかりませんっ(*ノωノ)
 

【よく検索されている記事】

次は、今後のためにSEOの観点からみて
このブログで、どんな記事が
よく検索されているか
、紹介させて
頂きますね。

2021年3月の記事毎のPVはこんな感じでした。
右側の数字がPVです。
(アクセス解析のページをコピペしました)

1.2019-10-26「みんな言ってるよ」という言葉の恐ろしさ。148
2.2020-06-03「誹謗」と「中傷」と「悪口」と「事実」~思うだけでいいこと~28
3.2019-09-18弟子が、師匠から離れるとき【守破離】10
4.2019-09-28目的達成のため、手段は問わない~マキャベリズム~7
5.2019-08-28「無駄な努力、ご苦労様」だと・・!7
6.2019-09-10「ポジショントーク」と「詐欺」のおはなし。6
7.2019-08-17ゆうしゃさんは、ほんとうにゆうしゃだった。5
8.2020-06-14「ナメられたくないっ!」~マウントを取ってくる人へ贈ることば~5
9.2020-06-08「そんなつもりじゃない」なんて、言わないよ絶対。4
10.2021-04-11「怒るな、さらば与えられん」~怒らない考え方~3
11.2021-04-14「がんばらなくてもいい」けれど。3
12.2019-09-12「鏡のように跳ね返る」「好き嫌い」【返報性の原理】2
13.2019-08-29「まじめにがんばる」ほど「損」をする?1
14.2019-09-05「リーダー」が抱える「苦しみ」って?1
15.2019-09-20「働かなくてもいい」ことの難しさ【セミリタイア】1
16.2020-05-27「すれ違わない心」を目指す~折り合いのつけかた~1

 ・・これ、そのまま貼っても大丈夫ですよね?💦
なにか問題あれば教えて下さい、削除します。


1位の記事は、去年の4月くらいから
特定の言葉で検索すると、常に上位表示されています。

独自ドメインに切り替えて、数カ月間は
落ちましたが、3~4カ月後くらいすると
また上位表示されるようになりました。

やっぱり、いかに多くの人の目に触れるかが
大事なので、SEOをもっと勉強しないと
いけないのですが、難しい・・。
本当によく分からない・・。

【今後の展望】

とにかく記事を書かないと始まりませんので
更新はなんとか重ねたいと思っています。

死ぬまでに1000記事の目標は
変わっていませんっ


記事の質は落としたくないですが
文字数を増やす=記事の質を高めるということ
ではありませんよね。

自分は長文を書いてしまう癖があるので
客観的に考える余裕と視野を獲得しないと
いけませんね。

ほんと、こんなよく分からないブログに
少しでも目を通して、頂いてありがとうございます。

コメントも、お気軽にして頂ければ嬉しいです。

読んで下さって、ありがとうございました。

ぬけたことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「がんばらなくてもいいけれど・・」です。

あなたは「がんばれ」って
言ったり、言われたりしたことありますか?

がんばっている人、無理しているなと感じる人に
清涼剤的に、かけてあげたくなる言葉かもしれません。

ただ、この言葉、個人的には使うとき
または使われるとき
ちょっと気を付けないといけないかも?
感じています。

その辺の機微も含めたお話ができたらいいなと思います。
よろしくお願いします。




【「がんばれ」は重い言葉?】


「がんばれ!あなたならできる!」
「ここまでやってきたんだろう?もっとがんばれよ」
「お仕事がんばってね!」


自分が相手に期待しているときや
元気を出してもらうために
「がんばれ」と、人は伝えます。

この「がんばれ」という言葉を、例えば
「落ち込んでいる状態の人に対して、使用しない方がよい」
みたいな暗黙のマナー、ご存じですか?

自分は、テレビとかの情報を見聞きして
なんとなくですが、伝わっています。

「そうなんだ~」程度の知識と認識ですが
それ以降は、誰かに個人的なメールをする時は
なんとなく「がんばって」という文言は使用していません。

ぼくは根は暗いですが、相手とやり取りする時は
お互いに気持ち良くやりとり出来ればいいなと
思っていますし

文面だけでは、相手の状態を推し量るのが
難しい事もありますので

「がんばれ」という文言の代わりとして
「無視しないで下さいね」みたいな言葉を
使用するようになりました。

「がんばれ」という言葉、人に寄っては
とても重く捉えられます。


自分はただ励ましているだけのつもりでも
相手にはプレッシャーにしか感じてもらえなかったり
「もう十分がんばっているのに
まだがんばらないといけないの?」
みたいに

言葉をプラスに考えられない時
「がんばれ」がその代名詞のように
なってしまいます。


あなたも、きっと同じような経験をされていると
思います。誰かに「がんばれ」と
言ったり言われたりする中で

自分の意図が上手く伝わらないモヤモヤした葛藤を
抱えておられるのではないでしょうか。

どんな言葉も「重く捉える」のは相手であり
自分との関係性、立場、信頼で変化するものです。

「相手を励ますことも出来ないのかよ」と
憤るよりも、個人的には

自分が相手と良好な関係を築けていれば
たとえ自分が「がんばれ」と言ったとしても
相手は適切に、受け止めてくれるように思いますし

関係性が出来ていれば、相手は自分の言葉の意味を
汲み取ろうとしてくれるので
お互いに誤解で嫌な思いをする状況も
減るのかも知れませんね。

【捉え方の温度と感覚】

人は、言葉を様々な要素と絡めて捉えます。

京都のぶぶ漬けや
月が綺麗ですねの意味など
皮肉や照れ隠し、裏腹な感情からか

ひとつの言葉に沢山の要素、意味を
隠したり、持たせたりするのが
日本人の奥ゆかしさ、日本語の楽しさの
一つでもあるのですが

昨今のメディアに代表されるような
自分が子供の頃と比べての
やや過剰とも思えるような表現の規制は

SNSの普及によって発信する力を得た人々が
苦情、クレームをスポンサーの企業に
なりふり構わずにされるようになった事も
無関係ではないかなと思います。

ネットの普及する以前から
電話などでクレームを
入れていた視聴者さんはいらしたようですが

SNSは「個」ではなく「群」なので
そういった時代の波が、急速に
現代の価値観として、形作られたのでしょうね。

人が人に優しい世界は大好きですし
その形に近づいている過程なのであれば
受け入れるべきことなのですが

いま、この世界に生きて実感している感覚は
その理想に近づいているとは
感じがたいものではあります・・。

【言葉の限界】

ぼくは、介護の施設で働いています。

チームで認知症の施設利用者様の
お世話をする仕事なのですが

身体介助という業務がありまして
例えば、おひとりでは排泄が困難な方の
サポートとして、車椅子で
お手洗いまでお連れして

ご自分で立位(立った状態のままの姿勢)
が取れない方に、体を抱えて支え
便座に移って頂くという動作のサポートを
しています。

排泄介助は1日に複数回、実施します。
トイレが1日1回で済む方はいないので
当然ですよね。

例えば、利用者様が大柄な男性の場合
女性の職員さんだと、何度も業務をこなすのが
肉体的に、大変な作業であるのは
お分かりになるかと思います。

自分は管理者をさせてもらっているので
職員さんの業務の相談などを
よく受けるのですが

「管理者、私では〇〇さんの介助は無理です!」
「なんとかして下さい!」


のような相談を受ける場合もあります。

あなたなら、こういう時に
なんと返答しますか?

こういう相談、割りと日常茶飯事なのですが
返答はとても難しいんです💦

例えばぼくが
「いや、仕事なんですから
やってもらわないと困るんです」
とか

「ぼくは出来ますよ?
〇〇さんが出来ないのは、単純に
技術や努力が足りないんじゃないですか?」


みたいな言葉をかけたら、どうなると
思われますか?

多分、ひと昔前でしたら
こういう返答でも、さして問題に
ならなかったと思うんです。

今、こんなことを職員さんに
言おうものなら
「管理者にこんなひどい事を言われた!」
他の職員さんに言いふらされますし

その程度ならまだいいのですが
話を膨らませて本社や外部に
相談される
可能性がとても高いです。

現代の風潮は、被害者の被害者意識を
より増大させて、加害者を追い詰めてしまう

構造を孕んでいるように感じています。

物事の大小はあまり重視されずに
構図だけを見て、加害の側をより批判する
体制といいますか・・。

すみません、いつも話が長くて💦
僕は職員さんの相談に対しては

まず「この人が何を問題にしているのか」
「根本を探り、解決できるかどうか」
意識するようにしています。

「介助が無理!」と仰る職員さんには
「そうなんですか、確かに〇〇さんの介助は
大変ですよね。他の職員さんも大変だと
言っていました」


みたいに、初手で想いに「共感」します。
この時点でトーンダウンされる方も
いらっしゃいます。
ここで「相談」か「愚痴」かを見極めます。

愚痴でしたら、一通り想いを聞かせて頂いたら
「聞いてくれて、ありがとうございます」と
スッキリして、また仕事をして下さいます。

男性の自分からしたら「聞くだけでいいの?」と
拍子抜けする事もありますが
そこは男女の違いなのかも知れません( *´艸`)

相談の場合は、職員さんが感じている
「問題はどこか」を質問しながら考えます。

無理だと思う理由は
「利用者様との体格差?」
「認知症の方とのコミュニケーション?」
「自分の体調?腰を痛めているの?」など

仕事でしている事を「無理」と
ひと言で片づけられると、
自分の本心としては「ん?」と
構えてしまうところがあるのですが

言葉に惑わされず、分解して
問題を突き詰めるように、心掛けています。

それでですね、ごめんなさい💦
ここからが本題なのですが

「がんばらなくても大丈夫ですよ」という
言葉を、職員さんにかけさせて
頂いた事があるんです。

それは、相談された中で
「私はこんなに仕事をがんばっている」的な
ことを言われた時、少し肩の力を抜いてもらおうと
意図を込めて言ったつもりなのですが

その職員さんが言葉を割と額面通りに
受け取ってしまったみたいで

苦手な利用者様の業務を避けたりなど
怠慢ではないのですが、自分のやりやすいように
仕事をするようになってしまいました。

「がんばれ」と「がんばらなくてもいい」は
言葉の意味的には真逆なのに
相手に誤解を生んでしまいやすい言葉なのですね。


配慮が足らなかったなと反省しました。

【弱さを自覚するという強さ】

他人に「がんばれ」と言われても
がんばる必要はありませんし
他人の「がんばれ」には、深い意味は
ありません。

それと同様に「がんばらなくてもいい」を
受け入れすぎる事も、少し難点なのかなと思います。

恐らく「がんばれ」を重く感じる方は
「がんばらなくてもいい」を必要以上に
受け入れてしまいがち
かと考えます。

これは介護の仕事の話ですが
がんばらない職員さんが、
手のかかる利用者様の介助を
避け続けたら、どうなると思いますか?

がんばらない職員さんの仕事のカバーは
他の職員さんがします。
「がんばらない人」が多ければ多いほど
他の人を「がんばらせてしまう」
んです。

この状態は職場で色々な問題を生んでしまいます。
「なんでこの職員さんは
〇〇さんの介助に入らないの?」
「なんで私ばかり、この人の介助をさせるの?」

とか。

信頼関係が崩れると、施設全体でケアの質が
下がりますし、結果的にがんばらない人も
損をしてしまうと思います。

問題は、問題に感じる人がいて
初めて問題になります。


行動の責任は最終的に自分がとるしか
ありませんので
人がかけて下さる言葉に
必要以上に重きを置かない
ようにしたいですね。

個人的な経験から書かせて頂くと
他人に自分の弱さを吐き出すことは

「信頼」と引き換えにしているなと
考えています。

人と仲良くなると
個人的な悩みや愚痴を聞いてもらったり
すると思いますが

その頻度が多くなったり
あまりにも一方的になると

次第に、友達から連絡がなくなったり
距離を置かれたりしませんか?

あれは、今まで築いてきた「信頼の貯金」を
自分の「愚痴」や「悩み」を聞いてもらう
対価として、支払っているもので

弱さを自覚して、自分の中である程度消化しないと
次第に、それを発揮出来る状況や場所が
狭まっていくのではないかな
と考えています。

「弱い自分を認める」ということは
そのまま「強さ」に繋がるということ
なのかも知れませんね。

【まとめ】

今回は「別にがんばらなくてもいいけれど
それは、がんばる他人あっての考え方かも」


という内容で、書かせて頂きました。

現代はSNSの普及により、
誰でも気軽に発信できる
世の中になった功罪として

被害者の被害者意識は増大し
加害者に対しての排斥は日を追うごとに
高まるような風潮です。

優しい世界の過程の中での
現在の状態であれと願うのですが
あまりそういう印象は感じ取れない中

「がんばれ」「がんばらなくてもいい」
それぞれの他人からの言葉を

あまり重く受け止めすぎないように
過ごしていきたいものですね。

自分の人生の責任は、自分しかとれません。

「あの時、あいつががんばれなんて
言わなければ・・!!」
なんて
今際の際に思う人生、やりきれないです。

「がんばらなくてもいい」
この言葉は、とても優しいものですが

「もうがんばらない」と決めた
自分を支えるのは
「いまもがんばっている」
他の誰かの存在なのかも知れません。


他人に優しく、甘く接するだけで
生きていけたら、本当に楽で
幸せなんですけどね( *´艸`)

あなたも、無理なさらないで下さいね。

以上、ことばという他人のことばでしたっ
読んでくださってありがとうございました。


おこりことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

更新がとっても滞ってしまってごめんなさい💦
世の中のエンタメに時間を奪われ続けていました。

エンタメのせいではなく、自分のせいです。

今回のテーマですが
「どういう考え方をすれば、職場で他人に怒らずに
色々と、対応する事が出来るか」
です。

お仕事をされている皆様におかれましては
日々、職場でのストレスと向き合い、それでも果敢に
対処をされ続けておられるのではないかなと思います。

本当に、素晴らしいです(*´v`)

でも、例えば自分が上司で
指示をした動きを職員さんがしてくれない時や
頼んでいた仕事の進捗の報告が特にない時

「どうなっているんだ?」
みたいに、なんだかイライラしてきますよね。

そんな時、そのまま感情的に相手に気持ちを
ぶつけてしまうと、今の世の中
「あの上司にパワハラされた・・」

自分に全くそんなつもりがなくても
SNSに書かれたり、自分よりさらに上の役職に訴えられたり
とにかく大きな問題になる事が多いです。

もういちど書きますが
「自分に全くそんなつもりがなくても」です。

職場で感情的になる事はリスクでしかない
昨今ですが、自分の性格、考え方はそうそう
変えられません。

それが分かっていたとしても
このリスク管理は早めにしておいた方が
絶対に良いです( ;∀;)

多分この風潮は長く続きますし
今後もますます増大すると思います。

自分は介護施設で働いていますが
利用者様と接する時「態度や声掛け」
気を配っています。

それと同等、いえそれ以上に
「職員さんと接する時の、自分自身の態度や声掛け」
にも、気を配るべきだなと思っています。

詳細は書けませんが
自分も、最近大きな失敗をしたばかりです💦

この失敗談は、またどこかのタイミングで
ブログで書かせて頂く予定です。

それでは、ことばが考える仕事での怒りの対策や
考え方を、文章にさせて頂きますね。


【怒りの原因と対策】

仕事で人が怒りを感じる原因は
大まかに二つあります。

①(自分は)聞いていなかった

②相手の仕事の考え方、価値観が理解出来ない


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

①自分は聞いていなかったについてですが
例えば、自分の知らないところで勝手に物事が決まったり
変更されたりすることについて

「自分は聞いてない!」
「勝手に変更して、どういうつもりだ!」

感情的になってしまう方がおられます。

役職を持たれている方や、職場で年数が経過する程
自分は知らされていない事に関して
プライドが刺激されるため、怒りに転化してしまいやすい
ように思います。

それは責任感の表れであり、当然の事なのですが
感情的にならないようにする考え方って、あるのでしょうか?

個人的には
「なぜ自分を抜いて勝手に進めたんだ!」と
他人を主体に考えるよりも

「なぜ自分には物事が知らされなかったのか」と
自分を主体にして考えた方が
怒りには結び付きづらいのかなと思います。


自分に物事が知らされなかった理由として

「自分は普段どういう態度で人と接しているのか」

「その物事に、自分はどの程度影響していたのか」

「発信者と、適切に信頼関係が築けていたのか」を


自分で客観的に評価して、それでも
自分が知らないのは業務上適切ではなかったと
考えて、初めて指摘をするべきかなと思います。

会社は、組織で共通の目的を達成するための集団ですので
個人がすべての流れを把握する事は不可能です。

「自分が知らなくても、滞りなく物事が進み
終わるのであればそれで良い」
と考える事が出来たのなら
無用に感情を動かさなくて、よくなりますよね。

また自分が「相談しづらい人」になっていないかは
意識しておいた方がいいかなと
思います。

部下は、上司の行動をよく見ています。

表情、姿勢、仕草、言葉の数、選択、抑揚などが
複雑に絡んで、相手の印象として
「話かけやすい、話しかけにくい」雰囲気を形作ります。

「仕事なんだから、そんなの関係なく報告してよ」
思われますよね?

難しい事に、それが通用しなくなってきているのが
今の時代の流れなのかも知れません💦

「自分は聞いていないぞ!」と憤る前に
「自分が相手にどういった情報を与えているか」は
振りかえってみても、損はしないかなと考えています。



②の相手の考え方が理解出来ないについてですが
人は「自分が理解出来ないもの」に出会うと
「怒り」を感じてしまいやすいです。

これは、状態としては
「理解出来ない=その物事に対しての知識不足」
という事だと考えています。

例えば指導の時、何回言っても同じミスをする新人さんに
「何回言えば分かるんだ!」と感情的になってしまう場合。

どちらに非があるかという問題はさておき
「なぜ怒りを感じたか」の理由として
「なんで同じミスをするのか、理解出来ない」という
感じ方をされるかと思います。

ですが「何回も指摘している」事実は
自分にも当てはまる事です。

指摘する時に
「前も同じことを言ったよね?」とか
「これ〇回目なんだけど」みたいな言葉を
使った経験は、ありませんか?僕はあります。

こういう言葉は往々にして、相手を焦らせて
プレッシャーを与えます。

仕事でプレッシャーを与えられると思考能力が
極端に低下して、何も考えられなくなる方もおられます。

指導する側は「何度も機会があった」のであれば
その新人さんの「情報」も得ているはずです。

その情報が「知識」です。

新人さんの性格や考え方は、指導の中で知識として
何も知らなかった時よりも高まります。

それを「どうやって指導するべきか」の「対策」に
変えて、活かすようにすれば良いのかなと思います。


例えば「このミスは、仕事の優先順位が分からない
せいで発生したのかも。まずは優先順位を徹底して
覚えてもらうべきかな」
とか

「時間にルーズな面があるから、仕事における
時間の重要さをまずは教えるべきかな」
のように

新人さんの事が何もわからなかった時よりも
情報として得た新人さんの性格や性質を知識として得た
段階の方が、相手への「理解出来ない」が薄まっているため

怒りを感じる要素も薄まるのかなと考えます。

指導で重要なのは「回数」ではなく「質」です。

相手が仕事が出来る、出来ないよりも
自分が相手に対して効果的な指導が出来ているかを
基準にしていけたら良いですね。


【いま、気を付けるべきこと】

自分から他人に向けての行動や言動には
とても鈍感なのが、人間という生き物です。


「そんなつもりはなかった」という言葉を
加害の立場になってしまった方は、使う印象があります。

あれは本当にそう思っていたのだと感じます。

自分の「そんなつもりはない」は自分では許すのに
相手の「そんなつもりはない」は許さないのも
「自分が他人に与える影響に鈍感」だからです。


介護施設でたびたび報道される
施設利用者様への虐待も、同じ理由です。

時に苛烈な、相手の周辺症状に対して
鈍感な自分が、相手への影響を考えずに対応すれば
「虐待」と判断されてしまうケースは高まります。

昨今、議論が絶えない「〇〇ハラスメント」の問題も
「そんなつもりがない」自分が起こした言動、行動を
相手が許さなかったからこそ、表面化しています。

相手ではなく、自分の言動、行動にこそ
細心の注意を向けないと、とにかくリスクだけが
高まるのが、今の時代です。

そのリスクへの対処法というか
考え方ってあるのでしょうか?

ことばが考える4つの「リスクへの対策」
お伝えさせて頂きますね。

【リスクへの対処法】

加害の立場になってしまうリスクは
社会に関わる皆様は、誰しもが抱えるものです。

そのリスクを少しでも減らすための「考え方」を
まとめました。以下の4つです。

①知識をつける
②他人の課題にまで踏み込まない
③「正論」と「自分が正論を言う正しさ」は別
④自分の影響力を正しく把握する


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

①知識をつける
先述させて頂いたように「人への怒り」の理由の大半は
「自分の知識不足で、その物事の解決法が分からない」
というものです。

例えば、自分が新しい仕事を任された時に
特に引継ぎをされずに前任者が退職されたとします。

「あの人、何も教えてくれなかった!」
その前任者に対して怒りを覚えますよね。

ですが、予め仕事の段取りや、何をすればよいのかを
把握した状態であれば、その怒りは和らぐと思います。

「あの人、何も教えてくれなかったけど
大体分かるからいいか」

くらいの温度感に、落ち着くのではないでしょうか。

前任者の行動は変わらないのに
自分の感情は変化していますね。

この理由は「自分に対応出来る知識があるかどうか」です。

翻して考えれば「知識をつければ、他人に怒りを抱く可能性を
減らす事ができる」ということです。


②の他人の課題にまで踏み込まないですが

それでも、責任感の強い方であれば
「前任者がちゃんと引継ぎをしないのは、仕事として
間違っているのではないか」

「引継ぎをしてくれていれば、もっと理解が出来たのに!」

みたいな理由で、怒りを感じてしまう方も
少なくないと思います。

心情はとても理解出来るつもりですが
考え方として、この怒りは
「あなたが感じる必要のないもの」です。

細かく書きますと、この前任者は
この時だけではなく、常にこういう仕事を
されていると、推測が出来ます。

相手に必要な情報を与えないとか
説明を面倒くさがるとか
伝達の意識がそもそも薄いとか・・。

責任感の強い方は、こういう仕事の価値観の人と
ウマが合わない事が多いと思います。

ですがこれは「前任者の課題」であり
「あなたの課題」ではありません。


今後、前任者も他の職場で同様の仕事の仕方をされると
思いますが、こういう仕事を続けて、一番リスクがあるのは
結局この方、ご自身です。

あなたが感情的に、前任者に指摘をして
「パワハラだ!」なんて言われた日には
何がしたかったのか、分からなくなりますよね💦

自分の課題と他人の課題は
切り分けて考えたいものですね。


③「正論」と「自分が正論を言う事の正しさ」は別物
これは、過去にこのブログでも書かせて頂きましたが

「正論」には、罠が潜んでいます。
それは「正論なんだから絶対にこちらの言い分が正しい」と
錯覚してしまいやすいということです。


自分が正しいという想いが強ければ強いほど
感情が乗りやすいですし、理解してくれない相手に対して
強い口調になってしまいやすいです。

ですがたとえ正論だったとしても、相手に伝わらなければ
意味がありませんし、それこそこちらが感情的だったり
威圧的だったりすれば、相手には

「正論ばかり言う、嫌な人」
みたいに、マイナスな印象しか与える事が出来ません。

正論を言う時には
「いま、この場でこの正論を職員さんに伝える事は
行動として正しいのか」を考えて

伝える時の自分の言い方、口調、声量、態度などにも
気を回して欲しいなと思います。


④自分の影響力を、自分で把握するですが

あなたは会社の中で、どういった役割の方でしょうか?
基本的には役職が上がり、年数が経過するほど
その職場の中で、影響力は高まっていきます。

もちろん、どれほど役職があがろうが
勤続年数が経過しようが、人間的な価値は変わりません。

役職者は責任の重さと、会社に勤続された年数の信頼が
待遇に反映されているのですが、年功序列の考え方が
今もなお根強い日本では

役職を自分の価値そのものと錯覚した挙句
自分より下の人に対して、高圧的な言動、行動を
相手への敬意を払わずに使う方が、一部いらっしゃいます。

役職者や、立場が上の方が、自身の影響力を
正しく把握せずに使う言動ほど、誤解されやすいものはなく

それこそがリスクの温床だと感じています。

心理学で「自己覚知」という言葉があります。

意味としては「自分と対話し、自分の性質を
正しく把握する」
というものです。

傲慢にならずに卑下をせずに、正しくある事は
とても難しい事ですが、少しずつでも相手に与える
自分の影響は、どのくらいなのかを考える事が
出来れば、悲しい誤解は減らせるではないかなと思います。

【まとめ】


今回は「仕事で怒らないようにする考え方」みたいな
ことを、書かせて頂きました。

まとめますと、仕事で怒る原因は、主に
①自分は聞いていなかった
②相手の価値観が理解出来ない


の2つになるかなと思います。

そして、この現代のハラスメントへの対策として
加害の立場にならないように気を付けるための
考え方として

①知識をつける
②他人の課題に踏みこまない
③正論と、自分が正論を言う正しさは別
④自分の影響力を自分で把握する


以上の4点を意識するべきなのかなと
考えています。

現代は、お金を稼ぐ手段が増えましたね。

必ずしも会社に勤めて、年数をかけて信頼を得る事に
こだわらなくても、自分の能力を磨き、発信する事で
組織に所属せずとも、生きていくための金銭を得る事が
出来る時代です。

ですが、組織に所属するメリットはとても大きいものです。
だからこそ、今のうちに色々な知識や価値観に触れて
対応力を磨いていければいいなと思います。
(自分に言い聞かせています)

人は集団の中でこそ磨かれ、その経験で成長できます。

自分は聞いていなくても、相手の事が理解出来なくても
あなたがそれで感情的になる必要はないと思います。

あなたがそうであるように「人材」は会社にとって
かけがえのない「財産」です。


宝物同士で傷つけあうのではなく
相手をより輝かせるためには、どうしたら良いか
一緒に考えていけたらいいですね( *´艸`)


読んで下さって、ありがとうございました。

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