
こんにちは、ことばです( *´艸`)
今回のテーマは
「福祉に携わるには、強い動機って必要なの?」
という内容です。
結論から書きますと
「人への興味が薄く、意思が弱くて、
他人への発信する力が弱い人でも、環境が成長を
促してくれるので、オススメ!」
というものです。
これから書くことは、経験から得た個人的な意見であり
特定の何かを否定したり、優劣をつけたいわけでは
ありません。
飽くまで「こういう考え方をしている介護職もいる」
というものです。
よろしくお願いいたします( *´艸`)
【福祉職のイメージ】
あなたが持つ、福祉関係のお仕事のイメージってどういったものですか?
・人と関わるのが好き
・人のお世話をする事が好き
・優しい、献身的な性格、性質
自分が介護の仕事を長年させて頂いている中でも
「やっぱり福祉職に従事されている方は、優しい人が
多いんだろうなあ」と、勝手に思っています。
逆に言うと「人と関わることが好きじゃないと
福祉の仕事って出来ないのかな?」みたいに
二の足を踏んでおられるかたも
いらっしゃるかも知れません💦
かくいう自分はどうなのか?というと
「人と関わるのが好きではないし、
熱い想いも持ち合わせていない」
という、散々な自己評価です(;^ω^)ゴメンナサイ
というわけですので、福祉に興味があるけど
自分の性格的にどうなんだろう?という方にむけて、
今回は書いてみたいと思います。
【優しいとは?】
勝手なイメージですが「福祉に関わる人は、優しいんだろうな」
「人に興味があるんだろうな」という
考えがあります。
まず「優しい」という言葉の意味ですが
他人に対して思いやりがある。性質が素直で淑やか。
控えめ、慎ましやか、刺激が少ないなどです。
これだけだと、なんともいえない感じですが
個人差はあれど皆、他人に対しての
思いやりをお持ちでしょうし
上手く表現出来ないだけ、という方もいらっしゃいます。
昔ながらの職人気質の方とか「男は背中で語る」
みたいな方ですとか・・。
日本では詫び寂(わびさび)文化のような
「言葉を尽くすこと=無粋」みたいな考え方って
根強いものですし、自分もそういった価値観が
体現できない分、憧れる面はあります。
でもお仕事だと、利用者様に「こちらが何を考えているか
くらい、言わずとも察してよ」なんてケアは
通用しませんよね💦
だからこそ、言語や非言語を尽くして表現するわけですが
それを、ともすれば「優しい」と形容して下さる方も
いらっしゃいます。
相手がそう思って下さるのであれば、何を否定する事も
ありませんが、飽くまで自分は「仕事で関わっている」
というスタンスで、介護をさせて頂いていますし
これからも、そうでありたいと考えています。
色々な介護への考え方、向き合い方があるので
一概にどうという事ではないですし
実際に現場で、熱意を持って介護に携わっている方を
否定したいわけでは、もちろんありません。
わざわざ自分から「介護は仕事で関わっているだけです」
なんて発信をした事は、一度もありません。
ただ、これをご覧になられた方は
「仕事で関わっているだけって・・冷たすぎない?」
などと、思われるかも知れませんよね。
ここからは「なぜ自分がこういう考え方をするように
なったのか」を、お話させて頂きますね(*‘v‘ *)
【仕事に対しての向き合い方】
まず、自分は確固たる「目的」があって介護士になったわけではありません。
目的とは「誰かの役に立ちたい!」とか
「新しい介護士の急先鋒になる!」とか
そういった「高い志」のことです。
では、何故介護士になったのかというと
「人に勧められて、なんとなく」です。
なんとなくで介護をする奴なんているのか?と
思われるかも知れません(;^ω^)
すみません、ぼくがそうでした。
当時アルバイトをしていた職場の直属の上司に
「お前は介護職に向いている」と
言われたことがありました。
その方は、ぼくにとって職場の中で
一番怖い上司で、叱責されてばかりでしたし
一緒に働かせてもらっていた中で、その方に
仕事で褒められた事は、一度もありませんでした。
若干美談っぽく聞こえるかも知れませんが
全っ然そんな事はなく、当時は正直、なかなかに
精神的に追い詰められていました。
目をつけられて、毎日怒鳴られていた時は
帰ってから、お湯を張ってない浴槽の中で
裸で一時間体育座りしていたり
(何故かは覚えていません)
今日は何を言われるのだろう
また怒鳴られるのかな、失敗したらどうしようみたいな
ストレスで、吐き気が一日中収まらなかったり
(実際トイレで吐いていましたが)
仕事を辞めることだけを考えていたけれど
辞めたら食べていけないな、ぼくを雇ってくれる所なんて
もうないだろうし、実家に帰るしかないかな
でも帰っても親に迷惑をかけるな、だったらいっそ
自殺しようかな、みたいな
超がつくネガティブ思考で、本当に
「今日も一日、なんとか生き延びた・・」
みたいな感覚を持ちながらの日常生活でした。
そういうしんどい時期が一年くらい続いたのですが
怒られながらも、シフトを欠勤せずに埋めていたお陰で
(後で聞いたことですが)
「こいつは仕事は出来ないけど、根性だけはある」と
その一点だけを評価してくれたみたいで
「お前は介護に向いている」
という言葉は、そこからのものだったのかも
知れません。
で、その方が色々な理由で職場を離れた時に
「もうあの人に怒られなくてすむ!」と
僕は内心小躍りしていたのですが
「俺の知り合いの介護の会社の
面接を受けてみないか?」と勧められて
「分かりました」と返事をしたわけでした。
・・お分かりのように、介護に興味があったというよりも
今までの関係性もあり、お誘いを断れなかったんです。
こういった流れで、
介護の仕事を選択したわけですが、当初は
人の役に立ちたいとか、福祉の仕事が
したいといった、目的意識は特になかったです。
面接に合格して、実際に働くとなってから
色々と介護について調べたりはしましたが
インターネットの、介護士さんの書き込みに
「介護士に向いているかどうかは、何日も便が出ていない
利用者さんの排便が、たくさん出た時に喜べるかどうか」
みたいな事が書いてあって
「人の便を見て、自分は喜べるのかな・・」と、
調べるほどに、不安は増しました(;^ω^)
その時の同じアルバイトのスタッフさんにお話ししましたら
「介護士は、保育士と違って、成長に携わる仕事ではないし
衰退させないように関わって、終わりを見届ける
仕事だから、意欲を維持するのが難しいって聞くよ」とか
「介護はしんどいぞ・・絶対続かないから
やめとけよ」とか
「お前が半年、介護を続けられたらおごってやるわ」
みたいに、みなさん、肯定的に介護を・・というか
ぼくのことを捉えていない(ようにみせて、発破をかけて
くれていた)ように思います(;^ω^)
で、いざ実際に現場に入ってみたら
どうだったかというと・・
個人的には、アルバイトの店舗接客の方が
何倍もしんどかったです。
介護施設っていわゆる「3K」のような、労働環境の
良くないところだと、勝手に考えていました。
グループホームで、身体的に重度の方が
あまりいらっしゃらなかったのもありますが、
仕事中にイスに座って作業が出来る時間がある事が
衝撃でしたし、
「お年寄りの施設って、施設の雰囲気とかも
暗めなのかな・・」みたいな失礼な事を
ぼんやり考えていましたが、利用者様、職員さんともに
すごく明るくて、前向きな方が多かったです。
認知症の周辺症状も、自分が聞きかじったものや
想像していたものよりも、随分マシに思えたので
「想像と全然違う!」とびっくりしました。
怖~い上司に正当な理由で叱責されていた頃と
比べたら、本っ当に楽だったんです。
自分が働かせて頂いた施設が、たまたま
自分に合っていただけかも知れませんが
その職場で年数を重ねる事が
出来て、良かったなと思っています。
特に印象に残っていることは
看取りを経験させてもらったことです。
看取りとは、施設で終末期を迎える選択をされた方に
介護士として、その方にとって適切なケアを
実施する事ですが
「人の生命活動が終わる瞬間」を実際に経験した時は
家に帰っても、しばらく気分が沈みました。
「もっと出来ることがあったかも」
「自分の対応は、これで本当に良かったのか」
など、考えても仕方のないことを考えたりもしました。
実際、看取りでショックを受けて、その後の勤務に
影響を受けた方も、何名かいらっしゃいました。
【燃え尽き症候群】
「燃え尽き症候群」という言葉があります。強い責任感を持って仕事を実施していた人が
何らかの切っ掛けで意欲を失ったり、落ち込んだりする
症状を指します。
対人援助職の方が陥りやすい症状のようですが
自分は、それに近かったのかなと思います。
ぼくも、その時は辞めようかなとも思いました。
嫌とか、辛すぎて、というわけではなく
言い表せない空虚感というか、自然と考えていました。
でも、これで退職する事に何の意味があるのか
見出せなかったので、その時から、
少しずつ、介護に対する考え方を変えようと思いました。
以前は「介護士なんだから、人に対してもっと
興味を持たないといけない」とか
「ボランティア精神が必要な仕事なんだ」とか
「想いが熱い人ほど、良い介護士になれる」とか。
勝手に自分で考えて、どれも自分にない要素で
劣等感を覚えていました。
ですが、年数を重ねるうちに、人に対しての想いが
熱い介護士さんほど、接遇を疎かにしたり
主体が介護士のように捉えられるようなケアをしたり
自分のケアに自信を持つがあまり、他の職員と
ケアの方法で揉めた結果、退職してしまったり・・という
状況を、頻繁に見るようになりました。
人が人を想う気持ちは、性格と同じで
多様な表現方法があるのに、それが自分と違うだけで
人と諍いを起こしたり、揉めたり・・
それで辞めてしまう選択をする人達を見ながら
「想いの熱さって、結果マイナスな事が多いのかな・・」
って、考えるようになりました。
管理者をさせて頂くようになってからは
「現場の職員さんの、利用者様に対する熱い想いを、
どうすれば良い方法で、伝達させてあげられるか」を
考えています。
気持ちが入ると、声が大きくなりますよね。
相手の事を想うと、色々して差しあげたくなりますよね。
出来るなら、それをそのまま表現せずに
「接遇」のフィルターを通して、発信して欲しいなと
思っています。
それは、同じ職員さんに対してもそうです。
相手に伝わらない正論は、意味を成しません。
自分は正論にこだわらずに、お互いが気持ち良く
働けて、利用者様がのんびり出来る環境の
職場、施設、家を皆さんと作っていけたら
いいなあと思っています。
長く介護職を続ける中で、自分の仕事に対しての
介護への向き合い方は
「自分がボランティアをしてでも、相手に尽くす」から
「仕事というフィルターで、気持ちを線引きしながら、
関わる全ての存在の、折り合いをつける」
というものに変わりました。
これは、管理側の立場を経験させてもらっているのも
大きいと思います。
【まとめ】
今回は「福祉に関わるには、強い動機は必要か」について、書かせて頂きました。
一個人の意見ですので、参考にならないかも
しれませんが、自分に確かに言えるのは
「仕事の介護を始めた時、強い動機なんてなかった」
ことです。
「生きる意味」とか「なぜ生きているのか?」といった
悩みのように「生きる事そのものに明確な目的はなく、
生きていく中で、自分なりの意味を見出す」ような事と
似ていたなと思います。
日本人は生真面目な気質ですので、考え方も
「他人に迷惑をかけてはいけない」という教え方をしますが
インドでは「人は迷惑をかける生き物なので、他人の事も
許してあげなさい」と、教えるそうです。
仕事で福祉、介護に携わる方は、自分を守るためにも
色々な価値観に触れて、受け入れる努力をすることって
大事なのかもしれないと、長く介護職をさせて頂く中で
思いました。
というわけですので、人に対して熱い想いがある方は
もちろんなのですが、明確な理由がたとえなくても
「仕事の介護」を始めてみても、良いと思います。
ぼくのように、意思や発信力が弱く、
自分きっかけで成長が出来ない人間でも
周りの環境が成長を促してくれる、そんな仕事が介護です。
読んで下さってありがとうございました。