ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

2020年06月

魔法は使えないことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「人は魔法が使えるのか?」
という内容です。

結論から伝えますと
「人は魔法が使えません」という事です。

・・何が伝えたいのか、これだけでは
さっぱり分かりませんね💦

よろしくお願いいたします( *´艸`)

【魔法なんかじゃない】

まず、自分の話をさせて下さい。

ぼくは現在、介護施設で管理者をさせて
頂いています。

立場的には役職を頂いていまして
請求業務や、シフトの管理などが仕事です。

どの業態も同じかと思いますが
介護施設も、人員が足りているとは言い難く

日によって、現場で勤務される職員さんが
足りない、なんて状況はザラにあります。

そんな時、ぼくも現場で勤務させて頂いています。
元々現場育ちなので、自分的には何の苦もありません。

現場の日は、他の職員さんと協力して
利用者様の介助(お世話)をさせて頂くのですが

たま~にぼくの介助を、職員さんがこう表現して
下さるんです。

「管理者さんの介助は、魔法みたいですね」

何故、こんな事を仰って下さるのかというと

例えば、職員さんが認知症の利用者様に対して
「〇〇さん、トイレに行きませんか?」と
声掛けをさせて頂いても、上手く誘導出来ない。


果てには「もう、ええって言ってるのに!
誰かきてー!!」みたいに、利用者様が立腹されて
目的が達成出来なかった。

そんな状況のあとでぼくが、トイレ誘導のお誘いをすると
拒否もなく、スッと立たれてお手洗いに行かれた。

そういう状況を何回か目撃されているので
「管理者さんすごい!魔法みたい!」という
表現で、対応を褒めて下さって頂いているのだと
考えています。

もちろん褒めて頂けて、とっても嬉しいですし
意欲も爆上がりします。

と同時に、心の中でこういう想いも
次第に芽生え始めました。

「魔法なんかじゃない。
努力で身に着けた技術なんです」

【ユマニチュード】

「ユマニチュード」という言葉を聞いたことは
ありますでしょうか?

介護の仕事をされている方でないと
聞き馴染みはないかなと思います。

「ユマニチュード」とは
フランス語で「人間らしさ」を意味する言葉です。


「人とは何か」の哲学的な思想を元にした
「認知症の方に効果的なケア」の考え方
実践的な技術の総称です。

この「ユマニチュード」はよく
「魔法のような認知症ケア」と称されます。

「ユマニチュードを実践して、認知症の方の
周辺症状(認知症を起因とした様々な行動、言動)が
収まった。マシになった」

「お薬をいくら飲ませても
環境を変えてもダメだったのに、凄い!」


みたいな事例が、いくつもあるみたいです。
テレビなどでも紹介される時「魔法のような」という
形容をされることがよくあります。

ここだけ聞くと「へぇ、ユマニチュードってすごいなあ
どんな方法なんだろう」
って思われますよね?

細かい説明は省かせて頂きますが
ユマニチュードを、簡単に説明すると

「目を合わせて、相手のお話をちゃんと聞いて
優しく触れて、穏やかに前向きな表現で返答して
相手の意思を尊重しながら、生活のお手伝いをする」

というものです。

あなたにお聞きしたいのですが

これ「魔法」だと感じますでしょうか?

ぼくもあなたも、基本的には
普段、人に対してしている事ですよね?

ごめんなさい「ユマニチュード」を否定している
わけではなくて、僕が疑問に思っているのは

「ユマニチュードを魔法と表現すること」です。

「認知症の方に、上記の対応をする事が
まず難しくて、それを実践出来るから魔法なのでは?」


そうですね。それこそ認知症の周辺症状と
いうものは、発現理由も人によって様々です。

「徘徊」の症状ひとつとっても

「帰る家を探している」
「死別した伴侶を探している」
「失った何かを探しているが思い出せない」
「理由はないが、なんとなく歩きたい」

みたいに「徘徊という行動」は同じでも
「理由」は皆様違います。

その中で、ユマニチュードを過不足なく
実践出来る人は「魔法」と称されても
違和感はないのかも知れませんが

そこは「魔法」ではなく

実践者が「いかにユマニチュードの効果を
最大化するか」を考え、試行錯誤を重ねて体得した

「技術」

と、表現すべきなのではないのかなと
思うのです。

【「魔法みたい」という表現の危うさ】

「魔法」という言葉の意味ですが
「人間の力ではなし得ない不思議な事を行う術」

創作の世界、主にファンタジーなどでは
「敵に対抗する手段」
「絶対不利な状況から抜け出す奇跡の一手」

のように、とても幅の広い解釈と用途で
使われていますよね。

飽くまで自分の感覚としてですが

実際に成果の出ていること、ものを
例える時「魔法みたい」という表現を使われる方って

「瞬間の結果にしか目を向けていない」ような
印象を受けるんです。

ぼくの介護の話で例えますと

自分はコミュ障で、人と積極的に関わったり
喋ったりすることは、得意ではありません。

介護の仕事は10年くらい続けていますが
「お誘いする声掛け」だけをとってみても、

利用者様の中には、けんもほろろに断られたり
いきなり立腹されたり、上手くいかないことも
多かったです。

それでも、何年も現場で働かせて頂くうちに
「この人は、一緒に歩きながら
声掛けすれば成功確率が高いな」とか

「このタイミングで声掛けしても厳しいな」とか

「この人には、このくらいのテンポ、声量で。
右耳が聞き取りやすいから、肩に手を置かせてもらって
このワードで声掛けしよう」みたいに

段々と「自分の特性」と「相手の特性」の
両方が、掴めてくるものです。


言ってしまえば「声掛けのマニュアル」が
確立出来ている状態なんです。

今の自分の職場環境は
立場的には管理者、そして利用者様は
オープンの頃から知っている、関係性の出来た方。

ぶっちゃけ毎日、完全に「ホーム試合」です。

成功した瞬間だけみたら「魔法みたい」と思うのは
不思議ではないのかも知れません。

ですが、職員さんが魔法のように見えているのは
「楽に仕事と向き合える環境を生み出すため
苦労して考え、実践し続けてきた成果」
であり

「努力を重ねた経験から得た、お客様と接する技術」
何者でもないのです。

【「〇〇だから、出来たんだろ」】

「キングコング」というお笑い芸人さんを
ご存知ですか?

現在、梶原さんはyoutuberで登録者200万人以上で
いまの、芸能人のyoutube参戦祭りのきっかけとなり

西野さんは絵本や個展、日本1位の
オンラインサロンを運営されている方として

コンビで突出した結果を残されている方々です。

ごめんなさい、数年前まで
あんまり好きな芸人さんではなかったんです💦

梶原さんがyouteberを始めた直後くらいから
芸人さんとの対談動画を目当てに見ていたのですが

その時の梶原さんの、聞き役としての上手さや
想いなどを拝見するたびに
「テレビの時の印象と違うなぁ」と思うようになり

結果的に良くも悪くも「テレビ」が
いかに印象を操作する力が強いかが分かりました。

西野さんも、同様です。
梶原さんきっかけで「毎週キングコング」という
毎週お二人で雑談するチャンネルも見ているのですが

その時の西野さんの、梶原さんに対しての
「聞く姿勢」の素晴らしさが好きで
「本当、イメージって当てにならないんだな」
偏見だらけの自分を恥じました。

ちょっと本題とズレました、ごめんなさい💦

例えば、キングコングのお二人の
「努力量」「作業量」を知らなかった
以前の僕のような人間からすれば

「キングコング梶原
Youtube登録者数200万人突破!」
「キングコング西野、オンラインサロン
6万人突破!国内1位!」


という
「結果」だけをポンと突き付けられた時

「そりゃキングコングだからなぁ」とか
「あの二人だから出来たことでしょ」みたいな

「もともとその人は能力あったんだから」という
考え方、納得の仕方をしてしまいがちと思うんです。

これって、前の項目でお話した
「技術を魔法と形容している」のと
考え方としては同じなのかな
と、思ったんです。

こういう考え方をするようになると
「積み上げる思考が出来なくなる」というか

「継続することで得られる価値」を
知らず知らずのうちに、自分から
放棄してしまう人間になってしまうのでは
ないのかな
と、考えるようになりました。

キングコングのお二人が突出した結果を残せたのは
才能はもちろんですが
凄まじい努力と、作業量がすべてです。
決して「有名だから」ではありません。

ぼくが、キングコングの何を知っているわけでも
ありませんが少なくとも、人が結果を残した時は

そこに至ったその人の背景も想像しながら
自分とも比較して、物事を考えられたら
いいなと、いまは思っています。

【まとめ】

今回は「人は魔法が使えるのか」という
テーマで書かせて頂きました。

「魔法みたいですね!」と褒められて
引っかかるような偏屈は、多分僕だけです💦

相手もそんな深く考えているわけでは
ないと、分かっていますので
職員さんに指摘したりはしません(;^ω^)
(むしろネタを頂けて感謝しています)

有名人が、最初から有名だったわけではないし
結果を残した人の結果が、最初から
そこにあったわけではありませんよね。

色々考えるのは、やっぱり
「自分がより良く生きていくため」です。

他人を否定せず、受け入れながら
その行動や発言を自分の糧に出来ればいいな

思う、ことばでした( *´艸`)

読んで下さって、ありがとうございました。

ドメイン?ことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは、僕が目指している
「ブログを収益化する」までの道のり(の途中まで)を
主観でお話します、という内容です。

途中までという言葉どおり
まだ1円も稼げていません(;^ω^)

自分が、どういう手順で進めているのかを
記録しておいた方が、3年後とかに読み返したら
ニヤニヤ出来るかもというのがネタにした動機です。

PV、UUを報告している「ブログ活動報告」と同様

「ブログでお金を稼ぐ事に興味を持たれている方」
に少しでも、知識としてのお役に立てれば
いいなと思います。

実績0円の人間の文章となりますが
読んで頂けたら嬉しいです(*´v`*)

 

【初めに】

まず、いきなり夢の無い話を
しなければなりません💦

「楽してお金を稼ぎたい」のであれば
「アルバイトした方がいい」
です(;^ω^)

労働者なんて楽ではない?

いえ、労働者の方が楽です。
これは成果報酬型のお金の稼ぎ方に
チャレンジして、現在実感していることです。

ツイッターなどで調べると
「ブログ初めて1ヶ月で〇万円達成!」とか
「3ヵ月継続して、月に〇十万PV!」とか

結構、華やかで楽そうな成功事例ばかりが
目につきますが、そういう方は芸能人で
成功されている人と同じように、ほんの一握りです。

アフィリエイトブログは
短期間に成果が出るようなものではない

ということが、分かってきました。

「成果の出ない自分を守っているだけ」
とも言えるかも知れません(;^ω^)
ただ、包み隠さず伝えたいんです。

【ブログを始めた理由】

ぼくがアフィリエイトに興味を持ったのは
「ゆうしゃ」という、youtubeでゲーム実況や
ビジネスの考えを発信されている方に
影響を受け

「自分も、収入の柱を複数持ちたい」
思うようになったからです。

ゆうしゃさんのことも記事にしています。

なぜブログという手段を選んだかというと

元々文章を書くことが苦ではなかったことと
現在勤めている会社で、社員ブログを担当していて
偉い方からも「ええこと書いてるやん」と
一定の評価を頂いていたことなどで

「自分でブログを書いたら、稼げるようになるかも」
という想いが、段々芽生えていったからです。

その時は、アフィリエイトの意味もピンときて
いませんでしたし、そもそもブログに広告を
貼るやり方も、お金の入ってくる仕組みも
分かっていませんでした。

ライブドアブログを選んだ理由ですが

社員ブログでもライブドアブログを使っているので
慣れていた
ことと、ライブドアブログでは
アフィリエイトをしてもOKだったから
です。

2019年8月初旬にこのブログを開設し
まず雑記的な、日記のような記事を書きながら
反応をみていました。

もちろんPVはずっと0・・。
誰も自分の事を知らないのだから当然です。

「ツイッターで宣伝したら、少しは変化するかなぁ」
みたいに、考えていました。

めちゃめちゃ勇気をだして、ツイッターで
報告したのが8月中旬です。報告したくらいからは
記事の内容で日記的なものを書かないように
気を付けていきました。

【率直な違和感の正体】

ぼくがツイッターで
「アフィリエイトブログを始めます」
発信した後、数日間でフォロワーが
バババっと増えた
期間がありました。

ぼくは普段は余程、その方に興味を持たないと
フォローされてもフォローを返す事は
ない
のですが、ブログを始めた直後でもあり

「こういうのは返した方が、いいんだろうな」
少し自分の考えを曲げて、リフォローをさせて
頂いていました。

フォローして下さった方をリフォローした瞬間に
「フォローありがとうございます!」

「〇〇と申します。ことばさんがアフィリエイト
を始めたきっかけは、なんですか?」


みたいなDMが、ポンと届きました。

最初は「ぼくみたいな何の実績もない人間に
なんて優しい人なんだろう・・!」

反応を頂けた嬉しさや、興味を持って頂けたことに
感謝して、返信させて頂いていた
のですが

日々、同じような内容のDMを何通も頂くたび
次第に違和感が募っていきました。

例えば、たった数通のやりとりで
「あなたとは、気が合いそうなので
電話しませんか?」
などと仰る方がいらしたり

「実はお世話になっている知人の新規案件の
お話があり、ことばさんでしたら
成果を出せると思います。
詳細をお聞きになりませんか?」
など
提案して下さる方がいらして

当時は「アフィリエイトで結果を出すには
こういう積極性が必要なのかな?」
とか

「こういうお誘いは、成功する人間を見極める
振るいのようなもので、僕を試しているのかな?」

とか、結構色々と考えました。

もし自分にサラリーとしての収入がなく
是が非でも短期間に結果を出したかったのであれば
電話をしたり、お誘いに乗っていたかも
知れません。

ですが、ぼくの目的は
「ブログを書いてお金を稼ぐこと」

「人と電話したい」わけでも
「人の事業をお手伝いしたい」わけでも
なかった
ので、申し訳ないと思いながら
丁重にお断りをさせて頂きました。

その頃から、DMを頂くことそのものが
苦痛になってしまいました。

やっぱり、どうしても感じてしまう違和は

「ビジネスで考えた場合、収益ゼロ、
実績ゼロの人間の相手をする事は
時間の無駄でしかないのに何故?」

というものでした。

あなたも、そうではありませんか?

「競争」の世界で、まだ実績のない人間に
興味を持つ理由はなんでしょうか?


考えられる理由は、2つです。

・それが自分の利益に繋がるから
・相手に途方もない才能、能力を感じるから


ぼくの場合、後者では無いことは
分かります。才能があるなら
すでに結果を出していますw

もちろん、この2つを同時に満たしている場合も
あるとは思いますが(相手に投資するという意味で)
自分には、置き換えられませんでした。

DMを送る相手が
「自分より実績のある人間」でしたら

「この人と電話をしたい」と思う事も
「新規の事業のお手伝い」をお願いする事も
自分の利益に繋がるため、理解できるのですが

実績のない人間に、上記のような提案を
DMでされる理由って、悲しいのですが
「良くない想像」しか、浮かびませんでした。

もちろん、DMを下さった方々に
何らかの悪意があったなどとは
思っていません( *´艸`)

ただ悪意はなくとも

「数通のやり取りで気が合いそうだと
思えてしまい、それを文章で送ってしまえる
価値観の人」と自分とは、多分合わない
だろうし

仮にビジネスパートナーになっても、お互いに
ストレスを溜めてしまうのではないかなあ

思えてしまいます。

これは自分がコミュ障であることが
原因です、申し訳ありません💦

ツイッターで「DMは確認しません、ごめんなさい」と
打った途端、DMはピタっと届かなくなりました。

ほんとうに、ホッとしましたけれど
やっぱり申し訳のなさは消えないものですね💦

【ドメインを変えた理由】

最初はブログを、ほぼ毎日更新していましたが
30数日間しか続きませんでした💦

「1記事2000文字以上」
「構成を考える」
「他人の観賞にある程度耐えられるものを」

などの自分的な条件を意識していたので
次第に苦しさが、楽しさを上回るようになりました。

この辺の想いは、こちらの記事で書いています。

「第3回ブログの今を、ご報告するの巻」
「第4回ブログの今を、ご報告するの巻」
色々と気持ちを整理して、5月の終わりくらいから
またブログを再開しました。

今は「週に1記事以上」を目標にしています。

サーチコンソールで分析したら
上位表示されている記事が少しずつ増えてきている
みたいで、現在PV、UUともに10を超えるくらい
日が、数日ですが出てきました。

月でみた時、今月はPVが100を超えている記事
ありました。書けない苦しい期間が長かったので
とっても嬉しいです(*´v`*)

6月11日に、A8.netさん経由で
「Amazonの商品をブログに貼っても
良いでしょうか?」
的な申請をさせて頂きました。

これがまさにアフィリエイトというやつで
「自分のブログに貼ったAmazonの商品を
ブログを見に来てくれた方が、クリックして
購入されたら、その代金の〇%分かが報酬で頂ける」

という仕組みです。

その申請は、読ませてもらった限りでは
審査基準がそこそこ厳しめで

結果が出るまで30日前後期間が必要だったり
記事の内容や、記事の量、更新頻度なども
審査対象になっているみたいで

「ま、ダメもとで申請してみよう」
気楽に申請しました。

一ヵ月くらいかかると思っていたのに
通知が来たのが、まさかの翌日
結果は「貼ってもいいですよ~」でした。

「ホントにちゃんと審査しているのかな・・」
内心は思ったのですが、審査をクリアしたのは
単純に、とってもとっても嬉しかったです。

会社の面接に受かったような高揚感でした。

普段は今の立場的に、面接をさせて頂く側なので、
「やっぱり、面接に来てくれた方
ひとりひとりの想いを大事にしないとな」
とも
改めて、思いました。

アフィリエイトとは別の報酬を頂くやり方もあり
こちらは「アドセンス」というみたいです。

アフィリエイトは「自分が貼った広告から流れて
商品を購入してくれた時」
に初めて
報酬を頂けるのですが

アドセンスは「広告がクリックされた段階で
報酬が発生する」
もので

「報酬が発生するまでの難易度」は
「アドセンス」の方が圧倒的に低いです。
(その分、単価は安いのですが)


段々と、その違いも分かってきたので
「Googleアドセンス」も申請してみようと思い
つい先日、申請をしようと思ったのですが

まさかの「無料ドメインでは申請出来ません」
文言・・。

「無料ドメイン?ライブドアブログで最初に
作ったやつのこと?独自のドメインに
切り替える事も出来るみたいだけど
これをしないとアドセンス申請出来ないの?」


「でも、どうやって切り替えたらいいの?」

アドセンスの申請がしたかった

これが、独自ドメインに切り替えた理由です。

【そもそもドメインってなに?】

独自ドメインの取得方法ですが

ネットで「独自ドメインを販売しているサイト」
たくさんありまして、その中のどこかから
購入するだけです。

ぼくは「お名前.com」さんから購入しました。

他にも「ムームードメイン」さん
「VALUEーDOMAIN」さん
「さくらのドメイン」さんなど
購入できるサイトはたくさんあります。

あまり調べずに勢いで購入した手前
「サイトの違い」の比較は出来ないのですが
「お名前.com」さんが購入しにくいことはなく
初心者にも、分かりやすかったです。

「家電を買うお店」の違いのようなものですね。
「ヨドバシカメラ」か「ヤマダ電機」か
みたいな。

吟味したい方は
色々調べてみてくださいね(*´v`*)

ドメインってそもそもなんなの?ですが
「インターネットにおける住所」という

認識が、妥当みたいです。

「インターネット上の住所」は、もうひとつ
「IPアドレス」というものがありますね。

「IPアドレス」と「ドメイン」の違いって
なんでしょうか?

大まかにいえば
「どちらも同一の地点を示すもの」のようです。

「IPアドレス」が「緯度経度」のようなもので
僕らは「自分の家の住所」は覚えていても
それを「緯度経度」で示されても
「???」ってなると思います。


例えば
「緯度:35.456737 経度134:567489」
示されても、その場所が「どこ」なのかが
分かる方って、ほとんどいらっしゃらないと
思いますが

この場所を住所で置き換えると
「東京都練馬区豊玉〇丁目〇番地」となるとして

それでしたら「あ~あそこね」って分かる方も
いらっしゃると思います。
(この緯度経度は適当です、念のため)

コンピューター同士のやり取りだけでしたら
「分かりやすさ」は必要ないのですが

「人同士のやり取り」では、それでは
円滑なコミュニケーションを行うのが難しいため

「IPアドレス」を
「人間に理解しやすい文字列に置き換えたもの」が
「ドメイン」です。


では「無料ドメイン」「独自ドメイン」の違いは
なんでしょうか?

これは「他人の店舗」「自分の店舗」の違いか
だと、ぼくは認識しています。

ブログを始めた時、無料で取得できるドメインは
「お金はかからないけど、こっちのルールには
ちゃんと従ってね。守れないなら辞めていいし
破ったらこっちの判断で処分するね」

という前提で取得するものなので
一定の制約を設けられています。

対して独自ドメインは
「更新料金はかかるけれど、無料ドメインよりも
出来る幅が広がる」
ものかなと考えています。

今回のような「Googleアドセンス」の申請などです。

ただ、ぼくはいま「ライブドアブログ」さんの
「他人様の土地」の中「独自ドメイン」で
「自分の店舗」を出店しているようなものなので

「制約」などは、あまり変わりません(;^ω^)
大手の企業様のサービスを使わせて頂いてる事に
変わりありません
からね。

独自ドメインが本当に活きるのは
「ワードプレス」などで自分のウェブサイトを
作成し、ブログ運営を始めた時かなと思います。

「自分の土地で、自分の店舗を出店する」
そして収益化まで持っていければ
収入の柱を複数持つという夢に、近づくのでは
ないのかなと思っています。

今は「ワードプレス」がなんなのかすら
よく分かっていない段階なので
もう少し、期間はかかりそうですが💦

ここからは、独自ドメインを取得する際に
「やっちまった」僕の失敗です(;^ω^)

【スペル間違え6年契約】

「お名前.comさんでドメイン買おう」
選んでいたのですが、まず

ドメインの後ろの
「.com」やら
「.net」やら
「.Jp」やらの違いが
さっぱり分かりませんでした。

しかも値段が違う・・。
1円のものもあれば、数万円のものもあり
「なんじゃこれ・・」状態でした💦

ネットで違いを調べてもですね

TLD(トップレベルドメイン・・末尾の記号のことです)は

「金額が高い方がSEOに有利」とか
「SEO関係ない」とか
「最初が肝心」とか
「好みで選んでも大丈夫」とか・・

情報の玉石混交状態で
正直どれが正しいのか、判断できなかったです。


ぼくが選んだ方法はですね

まず「ゆうしゃ」さんで検索して
「ゆうしゃさんのFXのサイト」を確認しました。

そのブログのアドレスの末尾が「.com」だったので
「ゆうしゃさんが.comなら、.comにしよう!」

それで「.com」にしました。

もし、あなたが独自ドメイン取得の際
末尾の記号で悩むことがあれば

「自分の好きな人が運営しているサイト」を
確認すると、いいかも知れませんっ


そして晴れて、独自ドメインを取得したのです。

kotoba-0bigi.com
というドメインを、まず3年更新の契約
オプションなども含めて購入しました。

もろもろ1万円、かからないくらいでした。

で、ちゃんと購入出来たのか確認している中で
どうやら「同じ契約で2回購入していた」らしく
気づけば「3年契約をもう3年延長した状態」の
「6年更新しなくていいよ」になっていました。

「まあ、使うものだからいいか」と
その時は気にしていませんでした。

で、ライブドアブログで、無料ドメインから
独自ドメインに切り替える操作を調べながらして
無事に完了。

取得から切り替えまで、3時間くらいかかりました。

「よし、ツイッターで報告しよう」と思って
自分の独自ドメインのスペルを見直した瞬間、戦慄。

「bigi・・?ビギってなに・・?」
「ビジネスのスペル間違えてるこれ・・?」


「ことばの0からのビジネス」という
タイトルのブログで、分かりやすくするために
kotoba-0bigi.comというドメインを取得したのですが

「business」の「busi」の部分を、何を血迷ったのか
「bigi」というスペルで打ち込んで、取得していました。

正直気づいた時の絶望は、ハンパなかったです(;^ω^)

もちろん返品や解約できるものではないので
6年契約したドメインは諦めて、改めて
「kotoba-0busi.com」というドメインを取得し
ブログで再度、ドメインを切り替える作業を行いました。

1年契約で。

最初は3時間かかったことが、
2回目は5分で出来ました。

やってみるものですね。

絶対に誰も気にしないし、気づきもしないことだし
他人にとっては、何の意味もない、
どうでもいいことだと分かっているのです・・。


ですがぼくは、僕の見栄の感情を捨てきれませんでした。

そもそも学生の頃、英語をきちんと勉強していれば
良かったことなのです。ほんとお恥ずかしい限りです。

【まとめ】

今回は「ブログの収益化までの途中の道のり」
記事にさせて頂きました。

今はドメインを変更した手前
「いつ検索順位が下がるのか」にドキドキして
その日を待っているような状態です。

アドセンスの申請は、今の
順位変動のドキドキが落ち着いてから
しようかなと思っています。

申請の通ったAmazonの広告も
貼らないとなあと思っているのですが
多分貼るまでに数時間かかると思うので

その時間に、記事やイラストを描きたいなあ
と思ってしまいます・・どうもダメですね(;^ω^)

やっぱりぼくは、自分の性質的に
アフィリエイトに向いていません。


でもだからといって、向いてないから
辞めるのかというと、そういうものでも
ないですよね。

仕事って、続けてみて初めて分かること
ばかりです。

サラリーの収入があることが、こんなに
有難いことだと気づけたのは、確実に
このブログを始めたお陰です。

ブログを始める前は
「仕事、だるいし早く辞めたい」
「早く会社辞めて、働かずに暮らしたいから
貯金しまくるぞ」

くらいにしか思っていませんでした。

今は「会社は絶対に安易に辞めるべきじゃ
ないな。サラリーマンって恵まれているじゃん」

「成果じゃなく、時間に対して
お金が支払われるのって、有難いことなんだな」

と、価値観が変わりました。

「自分の本業の価値」を、改めて見直すためにも
副業って、やる価値はありますね( *´艸`)


このブログで1円でも稼げるようになった時
仕事、お金に対しての価値観がどう変わるのか
とても楽しみです。

こんな長文にお付き合い頂いて
ありがとうございました(*´v`*)

こうしんことは

こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「PVとUUのお知らせをします」という
内容です。


このブログのコンセプトである
「アフィリエイトの知識、能力のない人間が
0からブログを始めた場合、稼げるようになるのか」


ありのままにお伝えしようと考えています。

同じようにブログで悩んでいる方の清涼剤になれば
いいなと思っています( *´艸`)

読んでいただけると嬉しいです。


【以前の更新報告の記事】

「第1回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第2回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第3回ブログの今を、ご報告するの巻」

【ちょっと期間が空きました】

ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~は
2019年8月2日から始めて、
今回の記事で65記事目です。

第3回から期間が空いていた理由は
がっつり心が折れていたからです(;^ω^)

第3回の報告記事を書いた後くらいから
「ネタが思い浮かばなくて書けない」

「ブログ更新の意義が感じられない」

「自分の性質と、アフィリの噛み合わなさ」

などの悩みと理由が、心を席巻してしまい
すべてが止まってしまいました( ;∀;)

この辺の想いは、記事の後半で書かせて頂きます。

では、2020年4月度、5月度、6月度の
PVとUUの報告と、現在までの総数をお伝えします( *´艸`)

(なぜ4月からなのかは、ライブドアブログの
アクセス数の確認が、過去3ヵ月以前は
できない感じだからです、ごめんなさい💦)

【PVとUUのご説明】

「PV」(ページビュー)とは
このブログが何回開かれたか数値です。

ぼくがブログを開いても、あなたがブログを
開いて下さっても「1」カウントされ、
更新する(ページ移動する)たびに増えます。

「UU」(ユニークユーザー)とは
このブログに訪問して下さったの数値です。

ぼくが訪問しても、あなたが訪問して下さっても
「1」カウントされます。

日付が更新されるまでは、同じ方が
何度ページ更新しても
こちらのカウント(UU)は増えません。

それでは、この記事を書いている
段階の数値をご報告します('◇')

【結果発表】

現在の総PV数が942(推定)
現在の総UU数が574
となっております。

月別で見ますと

2019年8月は、PV154、UU50
2019年9月は、PV220、UU75
2019年10月は、PV39、UU20(26日まで)

(2019年11月~2020年3月の期間は
PV133、UU133(推定)

2020年4月は、PV61、UU55
2020年5月は、PV145、UU107
2020年6月は、PV190、UU134(20日まで)


となっております。

【0から始めるとこんな感じです】

昨年11月から今年の5月中旬までの約半年間は
このブログを全く更新していませんでした。


にも関わらず、平均して月に25人ほど
どなたかが訪問して下さっていた事に
なります。

実際、まだ記事を更新していた
2019年10月の数字よりも、良いものでした。

こんなことって、あるのでしょうか?

実はこれは(ちょっと悲しいのですが)
「ことばのブログが認知されてきた」わけでも
「少しづつ、注目され始めている」わけでもなく

「このブログの中の1つの記事が、特定の言葉で
検索した時、検索順位3位以内に表示されていた」
からだったのです。

2019年の年末あたりまでは
管理画面にはログインして、PVやUUを
確認したりしていました。

もちろん確認するたび「0」の数字が並んでいて
「まあ、それはそうだよな・・」みたいに
諦観し、PCをそっ閉じしていた日々でした。

異変?に気づいたのは、5月に入ってからです。

仕事で、自分的にはかなりショックな事があり
「この経験はプラスに変えないとダメだ」
久し振りにブログの管理画面を開いたのですが

その時、毎日UUとPVが2~4くらいあって
「え、更新してないのになんで?」と
びっくりして「人気記事」の項目をみたら

「とある記事」だけ、他の記事の30倍くらいの
PVがあって(分母は1とか2です、念のため・・)
「え、なんでなんで!」とさらに混乱しました。

慌てて「特定の言葉」で検索してみたら
「検索結果の1ページ目」に、
「このブログのとある記事」が
表示されていたのです(`・ω・´)!

ブログのアフィリエイトを勉強する中で
「SEO」Search Engine Optimization】
(検索エンジン最適化)という概念を知り

「ブログはとにかくSEOが大事」だという事は
知っていましたし、解説動画なども見たのですが

もともと頭が良くないので
意味がよく理解できなかったことと

「SEO主体でブログを書く」ことが
自分の中で「SEOを気にすると、更新する
意欲そのものが奪われてしまうかも」という
危機感を、うっすら感じていたので

「今は書く経験を積み重ねよう」と
あまり重視しないことを決めていました。

そういう経験を経た中で
「更新していないうえに、誰も知らない
ブログの記事が、上位に表示されている」
という事実に気づいた時、唐突に

「そうか、これがブログというゲームなのか」
と思わされて、意識が少し変わりました。

「意識が変わった」というのは、良い意味で
「自分のブログの特別感が薄れた」というか

「記事の内容に関わらず、検索順位が上がれば
PVが伸びる」
という事実を体験できた事で

「あまり気負わなくてもいいのか」
肩の力が抜けたカンジです。

ただ、検索順位がPVに影響を与える事は
実感できたのですが、肝心の
「なぜ検索順位が上がったのか」は
さっぱり分かりませ
・・(;^ω^)

恐らく今年の3月終わりくらいから
上位表示され始めたと思います。それが
「何をきっかけにしたものだったのか」
が理解できない
ため、再現性がありません💦

今もこの記事は上位表示をキープしていて
そのお陰で、毎日UUが見込めています。

このブーストがいつまで続くのかは
分かりませんが、今はとにかく
「毎週更新くらい」を目標に、淡々と記事を
積み重ねていければいいなとおもっています。

目標は1000記事ですっ(`・ω・´)
我ながら頭の悪い目標ですが
息を吸うように継続出来ればいいなっ

読んでいただいてありがとうございました

なめないことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「ナメられたくない人の心理を考えて
職場環境その他もろもろを、良くしようっ」
です。


 

【職場環境、どうですか?】

今のあなたの職場は、あなたにとって
居心地が良い感じるものでしょうか?

空間の心地良さって、一体どんな要素で
決まるのか・・不思議ですよね(*‘ω‘ *)

アウトドア、お好きですか?

・・ごめんなさい、自分は生粋のインドアなので
経験も知識もないのですが

趣味で登山をされる方は、例えば富士山の
8合目くらいに売っているカップラーメンが

今まで食べたカップラーメンの中で
一番美味しかった
というのを聞いた事があります。

多分、このカップラーメンって、普通にコンビニや
スーパーで購入できるものとそれほど変わりませんよね?

富士山で食べるのと、普通に自宅で食べるのの違いって
一体なんなんでしょうか?

・・空気が澄んでいるから?

人の感覚というか、感じ方って不思議ですよね(;^ω^)

もっと身近にいうと、一人より、仲良しの二人で
ご飯を食べた方が美味しく感じますよね。


以前から「仕事」をテーマに据えてブログを書かせて
頂いてもいますが今回は

「職場の空気を良くすればおのずと離職を
考える方が減るのではないか」
という
観点でも、書かせて頂きます。

【人はマウントを取りたがる】

まず、あなたが職場で「嫌だなと感じること」って
なんですか?

もちろん、人それぞれだと思いますが
自分だったら「職員の悪口を職員が雑談している」
場面に出くわしたり

「仕事が出来てないことを本人ではなく
周りの職員に伝える人がいる」

「嫌だな」と思います(;^ω^)

「職場の飲み会」って、あなたは好きですか?

「親睦を深める」ための大事な場だと思いますが
気が付いたら、メンツが固定されていませんか?

最近の若い社会人は、職場の飲み会自体に
必要性を感じない方が多いようですが
ごめんなさい、これは自分的には・・ちょっと
歓迎している状況です( ;∀;)

「職場の飲み会」って、愚痴大会になりませんか?
もしくは、「仕事のダメ出し」(;^ω^)
親睦もなにもあったもんじゃないですよね💦
愚痴や、ダメ出しをされている張本人にしたら。

人って、マウントを取りたがります。

「マウントをとる」とは、
「相手より上のポジションを取り
優位性を自慢したり、威圧的な態度を取る」

という意味だそうです。

プロレスのような物理的なマウントではなく
精神的優位に立つ、という意味でのものです。

語弊を恐れずに書くならば

役職者は、職員に

ベテランは、新人に

経験者は、未経験者に


職場という空間の中では、
容易にマウントを取れる状態にあるわけですが

これを職場でしてしまう人がいると
「職場の空気が悪くなる」ことに
繋がるのかも知れません。

自分の経験上のお話で申し訳ないのですが
マウントを取りたがる精神性の方は、
「ナメられたくない」という意識の強い方が
多かったように思います。

相手に「ナメられる」と、例えば職場では
上司だったら指示が通らなくなる。
先輩だったら、言うことを聞かなくなる、

だから高圧的に話したり、不必要に大きな声で
叱責して、相手が自分より下だと思い込ませる
必要があったのだと考えます。

ですが、飽くまで個人的にはですが

尊敬や信頼は「大きな声で正論を言う人」が
得られるわけではないのかなと思います。


【体罰で、相手が得るものはあるか】

話は変わりますが
ぼくの小学校の頃は、体罰云々の議論は
今ほど活発ではなく、

指導の一環で、先生が生徒を普通に
「げんこつ」をしたりもしていました。

自分もある日、小学校の全校集会で、
ぼんやり参加しながら、教員のお話を
なんとなく聞いていたのですが

集会なので、出席番号順に縦に一列で
並ばされている僕の背後に
いきなり接近してきた体育教師が、無言で

「ガンッ!!!」

と、ぼくの足を思い切り蹴って、無言で離れていきました。

もう何がなにやら分からず、周りに注目は浴びるわ
なんかザワザワされるわで、びっくりしたのと
蹴られたショックと、恥ずかしさで

頭が真っ白になって、貧血で倒れそうでした。

蹴られた後に気づいたのですが
その時、僕は列から少しはみ出していた様子で
それを矯正するため、足を使ってご指導頂いたの
だろうと、後で納得しました。

また、当時の小学校の担任の先生は
クラスの生徒が宿題を忘れた時や
何か問題を起こした時(ささいなケンカなど)

「指導」として
「生徒の頬を両手で持ち、強くつねった後
外側に向かって思い切り引っ張る」
というのを
されていました。

当時は「悪い事をしたぼくらのせい」くらいにしか
思っていませんでしたが
今、改めて文章に起こしてみると

「子供の体に衝撃を与える行為に
教育としての価値があると本気で
思っておられたのかな?」
とか

「あの指導をされて
自分は何かを得られたのかな?」


など、疑問を覚えることばかりでした。

もちろん、先生方を全く恨んでいませんし、
たくさん良い思い出を頂いて、感謝しています。

ただ、自分が教師で、例えば列から少しはみ出していた
生徒がいたら、どう指導するかを考えた時

蹴るような行為は、やはり度が過ていると思うし
宿題を忘れた生徒の顔を
泣くくらいの力でつねる
のも、疑問に思います。

まあ、ぼくが単純に嫌われていただけかも
知れませんけど(;^ω^)

【認知症の方への対応】


 自分は、介護施設で働いていまして、仕事は主に
「認知症高齢者のお世話」となります。

昨今「介護施設での虐待」が報道され
問題となっていますが「虐待」の定義は

「自分が虐待と思っていなくとも、相手や
周りの人間に、そう捉えられるようであれば
それは虐待に相当する」
と、僕は考えています。

この点は「いじめ」と性質が似ているように思います。

もちろん「教師」と「介護職」では
立場が違います。「教育」と「お世話」では
対象への効果を生むための方法も異なるでしょうが

共通して言えることがあるとすれば、相手を
「人格を有する、いち人間として捉えるか、どうか」
だと、考えています。

「子供を子供として捉えるのではなく
人格を有する一人の人間として接する」


「認知症ではなく、その方が積みあげて
来られた人格と、関わる意識を持つ」

これだけで、相手に対しての
自分の言動、行動、態度は、自ずと変化するはずです。

「他人に尊重されている」と、感じる事は
人間を人間たらしめる、重要な要素です。

他人に認められたければ
「自分がいかに優れているか」ではなく
「相手をいかに尊重しているか」
を伝えるべきだと、僕は思います。

【まとめ】

今回は「マウントを取る方の心理」について
書かせて頂きました。

自分にも、そしてもちろん相手にも人生があり
「相手」との関わりは、お互いの一部分を
軽く見せ合っているに過ぎません。


どれほど自分に想いがあろうと、

その表現方法が例えば「体罰」などの
「後々相手に疑問を持たれる可能性を持つ関わり方」
では、本当に勿体ないな
と、思います。

勿体ないと思うのは
「あなたの想いは、相手には伝わっていない」
確信を持って言えてしまうからです。

「ナメられたくない」という気持ちは
疑問を持たれる関わり方を生みだして
しまいやすいような気がします。

相手に対して高圧的にふるまうよりも、
例えば職場でしたら、新人さんにも
ベテランさんにも変わらず

誰に対しても誠実に接するように
心がければ、あなたの価値は
「マウントを表現方法とされている方」よりも

的確に、誠実に、伝わりやすいと思います(*^w^*)

ここまで偉そうに書いてきましたが
かくいうぼくも、人一倍自尊心が強く
「ナメられたくない・・」と常に思っている
人間です💦


ですが、だからこそ
いっぱい失敗した中で、今はこれが
いちばん「人にナメられないやりかたかも!」

思っています。

一緒に、ナメられなくなるその日まで
「相手を尊重して」がんばりましょうねっ

ことばでした( *´艸`)

あやまりことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「そんなつもりじゃなかったって
言わない、言わせないために、考えること」
テーマにしたいと思います。

ぼくも、あなたも一度は使い、使われた経験がある
(と思われる)この言葉。

「悲しい気持ちのすれ違い」を少しでもなくすため
あなたが考えるきっかけの助けになれたら
嬉しいです(*^w^*)

よろしくお願い致します。

【そんなつもりでは・・】

ことばは、本当によく失敗してきました。

コミュニケーションが得意ではないですし
「自分が他人に受け入れられるわけがない」
という、歪んだ自意識を抱えていました。

今は介護職をしていますが、その前は
店舗での販売接客のアルバイトなどを
経験しました。

その中で先輩や同僚に
色々と指摘されていました。

例えば先輩に「ことば君、頼みたい仕事があるから、
手が空いたら声をかけてくれる?」

と、朝イチに言われた時

ぼくはその言葉を、額面どおりに受けとめ
「よし、手が空いたら、声をかけさせてもらおう」
午前中・・午後・・と、雑務をしていました。

そのまま夕方になり、
「結局、声をかけられなかったなあ・・」と思っていた所
先輩に呼び出され
「朝、手が空いたら声をかけてって言わなかった?」
と指摘されました。

ぼくはその時初めて「手が空いたら」という
言葉の意図に気付きました。

それは
「手が空かなかったら、声をかけなくても大丈夫だよ」
という意味ではなく

「ことば君も自分の仕事があるだろうから、
すぐとは言わないけど、なるべく早く声をかけてね」

という意味だったということです。

ぼくの事を気遣って、かけて下さった言葉でしたのに
その意味を考えようともせず、自分本位な解釈
してしまったことに、とても情けなくなりました。

その時先輩が「君は仕事を舐めているよね?」
きつい言葉をあえて仰って下さったのですが

自分はまさに「そんなつもりはないんです」
弁解をするしかありませんでした。

あの時「申し訳ありません。
自分は先輩の仰って下さった手が空いたらという言葉を
そのまま受けとってしまったことと

細々とした雑務が続いてしまい、
上手く時間を取る事が出来なかった自分の力量不足で
このような時間まで、先輩に声をかけさせて頂く機会を
持つことが出来ませんでした。

決して仕事を軽んじているわけではありません。」

みたいに説明でき・・ていても、
きっと呆れられるだけだったでしょうが

介護職を始める前は、こういう齟齬が
とてもたくさん、たくさんありました。

これは、自分の中に
「相手が何を求めているのか」を汲み取る意識が
決定的に欠けていたためだと思います。

あなたは、誰かから、または誰かに
「そんなつもりじゃない」と言われた、言った
経験って、おありですか?

とても悲しい言葉ですよね( ;∀;)

出来ればもう二度と、使いたくないですし
誰かに言わせたりもしたくありません。


言語でのコミュニケーションを主な手段としている以上
齟齬が起きることは、仕方のないことなのかも
知れませんが、その機会を極力減らせるよう
考えてみたいと思います。

【では、どんなつもりだったのか?】

相手に「そんなつもりじゃなかった」
言われた時、あなたはどう返しますか?

「では、どんなつもりだったの?」

・・自分には、妥当な返しが
このくらいしか思い浮かびません(;^ω^)

ただ、この返しは、相手を責めているような
ニュアンスを含んでいる
気もしますので
その場で持ち出す返答としては、
あまり適切でないのかなぁとも思います。

色々な状況が思い浮かびますが、こと仕事の場合
相手が「そんなつもりじゃない」と言う状況って

「自分が伝えた事に対して、相手の対応が
その水準に満たなかった時」


「相手が自分の言葉かけを、誤解していた」

「意図を理解しないまま物事を進めてしまった」

みたいなことかなぁと思います。

自分が指示する立場であれば、
相手を責めてしまいやすい状況になりますが

もしも自分が上司で、複数の部下などから
同じように「そんなつもりじゃなかった」という
返答をされた経験がおありならば

「自分の伝え方にも、相手が誤解して
しまいやすい言い回しが、含まれていたのでは?」

のように考え、次から言い方を変えてみるだとか

説明に割く時間を多めに取などの検討は、
言われた側も、してみる方が良いかも
知れませんね( *´艸`)

【双方を大切にする】

「アサーション」という言葉があります。

これは1950年代に、アメリカの
心理療法の中で生まれた言葉で

(当時の)意味としては「(強い表現での)主張」
というものでした。

当初は、自己主張が苦手な方を対象にした
カウンセリング技法として
実施されていたようですが

時代背景の変遷などによって、言葉の意味
意図がより現代に即したものに
変化していきました。

日本での心理学的な和訳としては
本来の和訳である「主張、断言」から受ける
【積極的な自己表現】というよりは

もっと柔らかくて

「相手を知るための自己表現」
「お互いの気持ちを尊重する」

という意図で、使用されています。

・・文章だと、堅苦しく感じますね💦

う~ん・・現代の流行りを取り入れて
簡単にいうと
ですね

Aさん「私は鬼滅(の刃)が好き!あなたは?」
Bさん「私も!え、推し(キャラ)は?」
Aさん「え、聞いてくれる義勇さんやばない?」
Bさん「はいはい(好意的な肯定)私は圧倒的伊之助」

みたいな会話の流れですね(*´ω`*)
※ことばの脳内会話です。実際のファンの方が
こういう会話をされているかは知り得ません💦

今回は女性同士の会話を想定させて頂きましたが

女性は一般的に「共感能力」が男性よりも
高い方が多く「無意識なアサーション」を
実践されておられる方が、多い印象を受けます。

Aさんが唐突に「漫画の話題」を振った時
Bさんは間、髪を入れずに同意し

「好きなキャラクター」を聞き返すという
「発展の姿勢」を示されています。

そしてAさんが「キャラクターの名前」を言いました。
そのお陰でBさんも「自身の主張」を発言できる
流れが生まれて

「私は(嘴平)伊之助が圧倒的に好き」

だと、Aさんに伝える事が出来たわけです。

Aさんも、恐らく普段からのBさんの行動を
観察しながら「自分と趣味が似ているかも知れない」
という感覚を持たれていたのでしょう。

この会話の流れは
「双方を大切にするやり取り」ですよね。
Aさん、Bさん、お互いが「有意義な時間を
共有出来ている」
と感じているでしょうから。

「自己表現」は「相手」あってのものです。

例えば「私は〇〇が好き」と相手に伝えるとき
相手には選択肢が3つ生まれます。

「そうなんだ~」と「共感」するか
「わかる!私は〇〇っ」と「発展」させるか
「え、ないかなぁ」と「否定」するかです


コミュニケーションに長けておられる方は
この「選択肢」を双方にとって
「気持ちの良いバランス」を
見極めながら、選ぶ力があります。

結果「会話が楽しい」と感じたり
「自分の事を理解してくれているな」などと
思ってくれやすくなったりするわけですね。

「アサーション」・・
「自分と相手の両方を尊重する」
ことを意識すれば

「そんなつもりじゃなかった」という
「悲しいやり取り」は、自然とこの世界から
消えていってくれるかも知れませんね( *´艸`)

【まとめ】

今回は「そんなつもりじゃなかったという
言葉を減らすには?」
というテーマで
書かせて頂きました。

ぼくは、自分の拙い言葉かけのせいで
相手とのやりとりに、齟齬が生まれた時
とても、とても、辛く悲しい気持ちになります。

ユーモアも発想力も乏しく、アドリブも効かないため
「喋って伝える」ということに、いつまでも
苦手意識を抱えていますが

だったらせめて文章で、自分の気持ちを
伝える事が出来たらという
思いがあって
こういったテーマでブログを書かせて頂いています。

ぼくが働いている介護の世界にも
「ユマニチュード」という
認知症の方に効果的なケアの方法論があります。

テレビなどで紹介される時には
「魔法」などと称されるものですが
ただの「技術」です。

このブログを続けていく中で
テーマにさせてもらえるかも知れません。
機会があれば、触れさせて頂きますね。

あなたの周りから
「そんなつもりじゃなかった」が
なくなりますように・・(*´ω`*)


たえることは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「誹謗と中傷と悪口と
事実の違いを考える」
という内容です。

自分は、介護の仕事をしています。

会社では、社員ブログを書かせて頂いても
いるのですが、ブログを書きながら

「人間は、お互いにどういう心持ちでいれば、
誤解せず暮らせるのか」
みたいな事を
漠然と考えるようになりました。

介護の精神性はおもてなしであり

「相手にいかに心地良い環境を提供するか」
下敷きにしないと、いくら技術を磨いても
良いケアには、繋がらないような気がしています。

ぼくは「伝え方」「言葉」について
やたらフォーカスした記事を書きますが、それは
自分が「人の心持ち」に興味を持っているからです。

今後も、同じような内容を何度も書くかも知れません。
それだけ「伝えたい」という事だと、ご理解頂ければ
嬉しく思います。

ただ「伝えたい」だけで
「正しい」わけではありません。


あなたがブログを読んで下さって
「そうだ」とか「違うだろ」とかいった

「なにか」を考えて頂けるなら
それだけで価値が生まれると考えます。

前置きが長くなりましたが
本題に入ります、よろしくお願い致します。

【人を傷つけるということ】

あなたは「誹謗中傷」をされたことは
ありますか?

「誹謗中傷」の言葉の意味ですが

「根拠のない悪口を言いふらして
他人を傷つけること」
とあります。

「誹謗」とは「悪口を言うこと」

「中傷」とは「根拠のないことを言い、
他人の名誉を傷つけること」
だそうです。


「根拠」の意味は「もとになること」だそうで
つまり誹謗中傷とは

「ありもしない悪いデマを拡散させて
相手を傷つけたり
名誉を棄損させる行為」
を指します。

では仮に、相手に少しでも「根拠になること」
存在した場合「誹謗中傷」という言い方を
する事は、適切なのでしょうか?

その「根拠」を元に他人の「悪口」を言い、
相手を傷つける行為は
誹謗中傷に当たると考えられますか?

僕の、過去の話をしますね。

【事実とは】

僕は人から「誹謗中傷」をされた事は
まだ、一度もありません。

介護の仕事の前は、
アルバイトで店舗接客の仕事を
していたのですが

自分は、仕事の仕方について
色々と先輩から指摘を受けていました。

仲良くもさせて頂いていたので
仕事以外のお話も、出来る関係ではありました。

僕は、自己肯定感の低い人間でしたので
「仕事が雑」「遅い」「言われた事も出来ない」
などの指摘を受ける度に、傷ついていたのですが

あんまり、僕ばかり責められているような
気がしたので、一度指摘して下さる先輩に

「なぜそんな、悪口ばかり言うのですか?」
『あまり傷つけないで欲しい』という
意思表示を込めて、伝えた事があります。

その時先輩は
「悪口を言っているつもりはないよ?
君に伝えているのは、全て俺が感じている
事実を伝えているだけだから」

のような意図の事を冷静に言われて

なんだか逃げ場がどこにもなくて

でも妙に納得して「そうか、悪く言っている
のではなくて、事実を言われているのか・・」

否が応にも思わされたという経験があります。

「悪口」とは
「他人を悪く言うこと」という意味ですが

あの時の先輩が仰るように
例えば仕事が遅い人に「仕事が遅い」
伝えるのは「悪口」ではなく

実際に仕事が遅い(と自分が感じる)相手に
「事実を伝えているという解釈である」という
言い分
は、言い得て妙だと、今でも思います。

では「事実」とは
どういった意味なのでしょうか?

「事実」とは「実際に起こった事柄」という意味で

例えば「AさんがBさんを殴った」という出来事に
対して「100人が100人、同じ状況を目撃した時、
同じ認識をする事柄」
に対して使われます。

「AさんがBさんを殴った」現場を「見た」とき
「BさんがAさんを殴った」「認識」する人は
いらっしゃらないです。

その中で、関係性、利害、感情、打算なども
交えながら「事実」「真実」にして
人に伝えます。

「事実」は客観的
「真実」は主観的
なのだそうです。

ですので「AさんがBさんを殴った」
という事実を「目撃」した人が
(Aさんは、Bさんに脅されていたのかも)とか
(Bさんが挑発していたのではないか?)などと

「事実認識を積み重ね、独自の解釈」をした上で
発言、発信する情報は「真実」
といいます。

言葉の上では
「事実は、いつもひとつ!
真実は、人の解釈の数だけ存在する!」

という事なのですね。

【事実がひとつならば】

では、先ほどの質問に戻りますね。

「根拠」を元に他人の「悪口」を言い、
相手を傷つける行為は
「誹謗中傷」に当たるのか?
ですが

「それは、相手が判断することであり
発信者は、最大限の配慮が必須」
だと考えます。

「悪口を言われる根拠」が相手にあろうと
なかろうと、社会の中で人と関わって
こられた人であれば

相手に「悪口」と捉えられないように
「自分の想いを伝える」という
「言葉の選択」が出来る
と思っています。

「相手を思いやる気持ち」への配慮が欠けた発信は
相手に「これは自分への誹謗中傷だ」と
思われてしまう可能性が、格段に高まります。


「事実」はひとつしか存在しませんが
「それをどのように表現するのか」
自分次第ですよね。

「悪口に聞こえる伝え方」
「ただの誹謗中傷に聞こえる伝え方」
「自分の想いを相手に届かせる伝え方」
「感動させる伝え方」・・・

言葉は
「事実をデコレーションするセンスそのもの」です。

無数の言葉の中で、なにを選びとるかで
相手は「あなた」という存在を作りあげます。

特にインターネットでの書き込みで顕著ですね。
こういったブログ、SNSでの文章のやりとりでは

書いた本人に、まったくそのつもりがなくても
読まれた方が、不快に思われるような事が
とても多いです。

【ま と め】

今回は「誹謗」「中傷」「悪口」「事実」の
違いを考える
というテーマで
書かせて頂きました。

自分も含めた「日本国民総発信者」時代である
いまを、ゆるゆる生き抜くために

①面と向かって、言えないようなことは
文章でも伝えない。

➁文章で相手に伝える必要がある時は、
普段の30%増のテンションで、普段の
2倍、言葉を尽くす。

③色々、思うだけにする。


くらいのことは、意識するべき
なのかなと考えています。

いつもえらそうに書いていますが
ことばも、まったく出来ていません。

でも「自分にとって」ではなく
「みんなにとって、優しい世界」が好きなので
今後も、こういうことをゆるゆる書いていけたら
いいなと思っています。

読んでくださって
ありがとうございました( *´艸`)


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