ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

2019年09月


とろっことは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「目的のためなら手段を選ばないやり方」を
あなたはどう思いますか?

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

今回は、その内のひとつ
「マキャベリズム」について
どういったものかを、簡単に説明させて
頂くと共に

「この思想の何に問題があるのか」

書かせて頂きます。

よろしくお願いいたします(*‘v‘ *)

マキャベリズムとは

マキャベリズムは、ルネサンス期の外交官である
ニッコロ・マキャヴェッリさんの思想
および著書である「君主論」の内容に、由来します。

「政治は道徳や宗教から、切り離して行うべき」という
政治理論が転じて「目的を達成するためなら、どんな
手段も厭わないやり方」
を、指すようになりました。

「マキャベリズムを支持する人や、実行する人を
「マキャベリスト」と呼びます。

「どんな手段も」というところに、この思想の怖さが
垣間見えるかと思います。

元の政治思想が

「政治に道徳的観念の介在する余地はない」

という、過激なものなので
「非道徳的、非人道的な手段も、目的を達成するために
必要ならば厭わない」という考え方です。

マキャベリズムの特徴

「マキャベリズム」傾向の方の特徴として
以下のようなものが挙げられます。

・秘密主義

・人脈を重視する

・多数のために少数を犠牲に出来、必要であれば
 その逆の選択も出来る



「マキャベリズム」傾向の方は
秘密主義の方が多いようです。

秘密主義とは、物事をすべて秘密にして
他の人と共有する事をしない、または
そういった行動をとる人の事を指します。

例えば、自身のプライベートな事や、自分の
気持ちなどを一切話さない方や、

外界の刺激に対して感情の起伏が緩やかな方など
とにかく「相手に与える情報を最小限にとどめる」
ような方を表しています。

なぜ、こういった行動を取るのかというと
「マキャベリズム」の方は、自身の目標のため
必要があれば「他人」を犠牲に出来る考え方です。

「必要な時に最善の選択が出来るように」
自分の情報は極力、相手に渡さないように
努めます。「自分の情報」を相手に知られるほど
「弱点」「自分の弱み」を相手に握らせている
ようなものだからです。

「人脈を重視する」のも、結論は同じです。

「マキャベリズム」傾向の方にとっては
「人との繋がり」は「選択肢」であり

最良の結果を最善のタイミングで生み出すまでに
築いておきたい「人の脈」です。

「マキャベリズム」の傾向が強い方ほど
人を踏み台のようにしか捉えられなくなっていきます。

そして「多数を守るため、少数を犠牲にする選択」
が、必要であれば躊躇なく実行できる人です。


とても有名な思考実験の問題に
「トロッコの問題」があります。
「暴走したトロッコの先には5人の作業員がおり
線路を切り替えれば1人の作業員がいます。
あなたは線路を切り替えますか?」

という「多数を取るか、少数を生かすか」の
典型の問題かと思いますが、
「マキャベリズム」傾向の方は、こういった
思考実験に、明確に答えを出します。

「目的を達成するためなら、手段は問わない」という
分かりやすい例になるかと思います。

マキャベリズムとの関わり方

では「マキャベリズム」傾向の方と関わるには
どういった事に気を付ければ良いでしょうか?

・(相手にとって)自身の価値を示す


簡単ですが、これに尽きるかなと思います。

「自分が、相手の目的にとっての手段にならない」

つまり、相手にとって利用価値のある存在で
あり続ければ、必然的に
「手段として切り捨てられる」事はなくなります。

この辺の回答は、以前の「サイコパス」
「ナルシシズム」
と、似たようなものに
なってしまいますね(;^ω^)
【dark triad】は、その性質的に
似通った部分が多く存在します。

良ければ、以前の記事も合わせて
読んで見て下さいねっ( *´v`)

ま と め

今回は「マキャベリズム」について
その特徴を注意点を、書かせて頂きました。

「マキャベリズム」とはルネサンス期の
外交官の政治思想が元になっており
「目的を達成するためなら、どんな
手段も厭わないようなやり方」を指します。

現代のビジネスシーンに置き換えると
「自身の出世のため、どんな汚い手段や
他人を犠牲にしても、それを成し遂げる」

ような、強さと独善性を合わせ持った
思想であると言えますね。

実際マキャベリズム傾向の方は
人心掌握にも長けており、

最大の効果を引き出せるチャンスが来るまでは
目立たず、機を窺うようなしたたかさも
持っています。

大変明晰な頭脳を有しているといえますね。

実際の政治家の方に、この性質の方が
多いとされています。

卵が先か、鶏が先か・・。



ことばは、地道にいきます~( *´艸`)

よんでくださって、ありがとうございましたっ!



あっぷことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは、自分の容姿って好きですか?
今回は「自己愛が過ぎると、どうなるか?」
突き詰めて考えてみたいと思います。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「ナルシシズム」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願いいたします(*´v`*)

ナルシシズムとは

語源はギリシャ神話に登場する人物
美少年「ナルキッソス」が、水面に映る自身の姿に
恋をしたというエピソードに由来したものです。

水面に映る自分の姿に恋って・・
インコちゃんみたい(;^ω^)

意味は、自己を愛する、自己を性的対象とみなす
というものから「自己陶酔」「うぬぼれ」といった
意味合いで使われることが多いです。

「ナルシシズム」の性質を持つ方、または
他人にそのような特徴を持つと思われている方を
「ナルシスト」と言ったり、呼んだりします。

日常ではナルシストという言葉の方が身近ですね。

ナルシシズムの問題点

「自分の事を好きって、いいことじゃない?」

このブログでも、
自己評価の低い人に関しての記事や
コミュニケーション障害に関しての記事を
書かせて頂きました。

そういった方に共通する要素として
「自分に自信がない」という事実があります。

自分で自分を好きになることは、
自分に何らかの自信がないと難しいですよね。

その観点からすれば
「ナルシスト」ってむしろ良い事なのでしょうか?

自己評価は、低すぎても高すぎても
社会で生きていく上では、難しいものです。

「ナルシシズム」の性質の問題点は、
とっても簡単に説明すると

常に「俺はまだ本気出してないだけ思考」
なってしまうという事です。

「自分の事が好き」という思考は
「好き」の理由がどこにあるか、が重要です。

容姿、性格、能力、実績、などが
他者と比較して優れていると一目して
分かる場合などは

「他人よりも優れている部分を
有している自分が好き」
というのは
理屈として分かります。

自分を磨いて手に入れた価値に対して
正当な評価が出来ているのならば健全ですが
そうではない場合は、どうでしょうか?

「自分が自分だから理由なく好き」という
自己愛の形は、非常に保身的な考え方であり
「強固なもの」になりがちです。

つまり「理由もなく自分が好き」という思考が
絶対であればなるほど、他人への興味や配慮が
薄くなり、自分を守るため、他人を貶める事に
抵抗感を感じなくなる
、ということです。

「ナルシシズム」は自己中心的な思考であり
その根本を脅かしたり、考えが揺らぐ危険性が
ある場合、

手段を問わず、その脅威を排除しようとする
傾向があります。

対話して相手を納得させようとしたり、
相手の価値観を理解しようと努めるような
考え方にならないということですね💦

ですので「ナルシシズム」の性質の方は
自分を守るための手段が、常に
「相手に対しての攻撃」だったり

「相手より優れているという思い込み」
があるので
「相手の気持ちを無視した言動、行動」
が目立ちます。

上記のような特性を踏まえながら、
「自分は特別」という根拠のない思い込みで
自分以外の物事に対する、あらゆる配慮が
欠けるため、

関わる周囲の人間を疲弊させる
目的のために他人を利用する、などが
主な問題点といえるでしょうか(;^ω^)

ナルシシズムのメリットは?

では「ナルシスト」と関わることの
メリットとは、なんでしょうか?

これは「自己を愛する方法を学べる」こと
かなと考えます。

自己肯定感の低い人であれば
「自分を好きになるためのヒント」を
「ナルシシズム」の考え方から、学ぶことが
出来ます。

「ナルシスト」はポジティブな性質の方が
多いです。「自己を守るため」なのですが
「失敗」しても他責にしますし、自己愛を
高めるためならば「努力」もします。

自己愛の強さは自信に繋がりますので
目標が決まれば、それに向かって
能動的に動くエネルギーも豊富です。

上手く歯車がかみ合えば、社会的に成功する事も
出来る、考え方なのです。


対して「自己肯定感が低い」事は、直接
他人に迷惑をかける事は少ないかも知れませんが

「社会で成功したい」という願望があっても
自信の無さから能動的に動くことが出来ず
チャンスを逃したりすることが多いようです💦

「自信が無いこと」は
「過剰に根拠のない自信がある」
ことよりも
実は、難しい問題かも知れません(;^ω^)

「ナルシスト」の考え方、価値観は
なかなか理解できないかも知れませんが

いまは理解できない考え方にも
「参考に出来る」ことが必ず隠れているものです。

自分を評価することが苦手な方は、
他人への観察眼を凝らして下さい。

きっといつか「自分に転化」出来る日が
きますよ(*´v`*)

ま と め

今回は「ナルシシズム」「ナルシスト」
ついて、書かせて頂きました。

「ナルシシズム」とは「自己陶酔」や
「うぬぼれ」といった意味合いの言葉で

「過剰な自己愛」を有した性質の方を
「ナルシスト」と呼びます。

周囲に「ナルシスト」な考え方を持つ方が
いらっしゃる場合は、対処方法を考えないと

振り回されて疲れたり、(自分を守るため)
攻撃されたりというデメリットがありますが

自分に自信を持てない、という人の場合は
積極的に観察してみても、いいかも知れませんね。

どんな性質も一長一短だったりします。

世間ではマイナスイメージ一辺倒な言葉も
実際関わってみたら、全然違ったなんてことは
よくありますよね(#^v^#)

「レッテル」ではなく「その人自身」
関わる中で、自分も成長出来たら
素晴らしいですよね。


よんでくださって、ありがとうございましたっ



まうことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

いきなりですが、あなたは
人の気持ちが分かりますか?

ぼくには全然分かりません(;^ω^)

そもそも人の気持ちって、なんなんでしょう?
気持ちが分かるとは、どういう事なのか・・

今回のテーマはサイコパスについてです。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「サイコパス」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願い致します。

サイコパスとは

サイコパスとは、一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

和名では『精神病質者』と呼ばれています。

どういった特徴を持つ方が、一般に
サイコパスと分類されるのでしょうか?

・他人への共感能力が低い
・感情は希薄だが、表現能力は高い
・自信家で魅力的
・偏った思考
・嘘をつくのが上手い
・他人を心理的に操るのが上手い


などなど・・
これだけでも、人と違う感じを
醸し出していますね。

ひとつずつ、簡単に説明を
させて頂きますね(*´v`*)

共感というのは、例えば
相手が悲しそうな表情、態度を表しているとき
それを見た自分が「相手が悲しんでいる」という
ことを「理解できる」という事です。

悲しそうな相手をみると、自分も悲しくなったり
することが、共感です。

介護の仕事では「受容と共感」という言葉で
高齢者の方と接する心構えをお話する事もあります。

「介助者は相手の想いを受け止め、その
評価をせず、ただ分かろうと努めることが、
相手の満足度を高める、質の良いケアに繋がる」

という、介護の考え方の一つです。

共感する能力が低いというのは

相手が悲しんでいても、それが「理解できない」
相手が喜んでいても「気持ちを推し量れない」
という意味なのだと思います。

ですが人間は、常に相手に共感して
生きているわけではありません。
共感は、相手との関わりや状況に寄ります。

「誰もが感動する話」を聞いて、
泣けなかったとしても「共感能力が低い」と
括るのは、早計かなと思います。

・感情が薄いというのは
外界からの刺激に対して、あまり感じ入るものが
ないという意味です。
いわゆる「クールキャラ」です。

感情が薄くても、その表現が魅力的であれば
相手には「とても感情豊かな人だな」という
ような印象になります。

・自分に自信のある方の発言は、内容如何よりも
声量や口調から、相手が説得力を感じてしまいやすい
ようです。

・人の思考は偏るものですが、その偏り方が極端で
社会や他人に損害を与えるようなものが
サイコパスの方には多く見られます。

・「嘘」は事実と異なる発言を
意図的にすることですが

「嘘」を吐く本人が「事実」と「思い込んでいる」
場合、相手にはそれが「嘘」かどうか
判断することも、難しい場合があります。

・上記の特徴を持つ方が他人と接する場合
多くの人が、その人を「魅力的」だと
認識してしまいます。

相手に好意を持たれれば、相手の行動を
制限したり、支配したりという事も
可能になってきます。


では、こういった特徴を持たれた方と
上手く接するには、どういった態度を
取った方が良いのでしょうか?

サイコパスとの関わり方

サイコパスは「精神的な病変」のひとつで
精神の病気は、そのカテゴリの中でも
様々な幅があります。

マイナスに捉えられる事が多いですが
「自分の性質を自分で把握」している方は

サイコパスの特徴を持つ方でも、自身を活かして
ビジネスの場で成功されている方も多いようです。

ただ「サイコパス」の性質を持つ方が周囲にいる
環境は、それに関わる人を消耗させやすいです。

相応の対処方法を、事前に考えていく必要が
あるかと思います。

サイコパスの特徴は多様ですが、
表現は限られます。気を付けるべきこととして、
以下の点が挙げられます。
(相手がサイコパスの特徴を持つ場合)

・感情的な対処をしない

・自分の主張は、ある程度決めておく

・積極的に関わりを持たないようにする


当たり前ですが、人の想いの表現手段は
「言葉」によるコミュニケーションが
大部分を占めます。

言葉は、自分の感情をストレートに乗せるほど
伝えたかった「本来の意図」が
相手に伝わらなくなってしまう
なかなか難しいツールです。

サイコパスの特徴を持たれる方は
感情が希薄なので、言葉に感情が乗りません。

ですが表現自体は上手なので、
言葉に抑揚を付けたり、間を上手く使うなど
「言葉での想いの伝え方」を、
よく分かっている方が多いです。

そういう方に感情的な対処をする事は
「弱点をさらけ出している」ようなもの
ですので、努めて冷静に会話をするように
心掛けた方が良いかと思います。

また「自分はここまでは譲ることが出来るが
このラインを越える事は絶対に出来ない」

いうような「自分ルール」は
きちんと決めておいた方がいいかなと思います。

サイコパスの特徴を持つ方は
相手へお願いすることも上手です。

気づいたら、相手の手足のように
動いていた、なんてことにならないように
「なあなあ」にならず、距離感を把握しながら
関わった方がいいかなと思います。

一番良いのは「自分からは関わらない」こと
ですが、仕事などの場合は、なかなかそうも
行かないですよね💦

まずは相手をよく観察することが
大事なのかなと、思います。

ま と め

今回はサイコパスについて
書かせて頂きました。

サイコパスとは一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

サイコパス=犯罪者というわけではなく

ご自分の性質と向き合いながら、その能力を上手に
社会の中で活かしておられる方も大勢おられます。

人は、誰しもサイコパスの性質の一端を
持っています。

大事なのは、その人それぞれの「違い」を知り
評価ではなく「まず受け入れ、尊重する」という
単純な作業です。

自分も、過去に職場の先輩で、
仲良くして頂いた人に「人の気持ちが分からない」
と言っていた方がいました。

その人は当時女性と6股をしていて、ぼくに
「こんなメールがきたけど、どう思う?」
などと言って、ぼくの反応を
楽しんでいたように思います。

「どうして6人の人と
同時に付き合えるんですか?」

みたいなことを質問したら

「特別という感覚がないから。
1人だけと付き合う方が、俺には不自然に思える」

みたいな事を、言っていました。

いま、思い出しても、理屈がさっぱりです(;^ω^)

先輩がサイコパスの性質を有していたかは
分かりませんが、魅力的な人だったのは
間違いありません。

・・良い悪いはさておき、人間は、ほんと
得体の知れない不思議な生き物ですね(*´v`*)


さて、ぼくはその先輩に言われたことがあります。












おまえは、おれに、よく「似ている」と。


さくらみることは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回は、自分語りです(*´v`*)

あなたは「漫画」読まれますか?

ぼくは「絵」を描く事が好きなので
数年前は結構な量、読んでいました。

最近の作品は、まったく読めていませんが、
今まで読んできた漫画の中で
「印象に残っている作品」
紹介させて頂きます。

面白かった作品

いま、ざっと思いつくものは・・

「HUNTER×HUNTER」
「あひるの空」
「うしおととら」
「ハチミツとクローバー」
「3月のライオン」
「彼氏彼女の事情」
「おまけの小林クン」
「GS美神 極楽大作戦!!」
「フルーツバスケット」


いま、思いついたものだけなので
もちろん、面白い漫画なんて
星の数ほどあります( *´v`)

「HUNTER×HUNTER」
面白さを、今更語るなんて野暮ですよね(;^ω^)

富樫先生の作品は「幽遊白書」から
なのですが、小学生の頃から読んでいました。

今思うと、子供に読ませて大丈夫な内容かは
ちょっと悩みます(;^ω^)
・・なんて書くところ、自分はモンペになる素質が
あるのかも知れませんね。

これはよくないぞっ( ゚Д゚)

「レベルE」の完成度なんて、ヤバイです。
また読み返したくなります。

「あひるの空」は、単行本の表紙絵が
描かれなくなるくらいまでは、
ずっと追いかけていましたが

時期的にちょうど就職や結婚したのもあって、
以降は読めていません💦
こんな絵が、ストーリーが生み出せたらと
読むたびに思っていました。

週刊少年サンデーで連載されていた漫画で
好きなのは「うしおととら」「GS美神」です。

「うしおととら」は、完結して相当経ってから
職場の人に勧められて、読んでみたのですが、

中盤から、止め時が見つからなくなり
ラストの展開と最終決戦の熱さに
鳥肌が立ちまくりでした。

「GS美神」は、アニメから作品を知ったのですが
幽霊のヒロイン「おキヌちゃん」がすごく好きで
正直おキヌちゃん目当てに買っていました(;^ω^)

自分が好きになってきた女性キャラのタイプは
「GS美神」の「おキヌちゃん」
「まもって守護月天!」の「シャオリン」さん
「フルーツバスケット」の「本田透」さんみたいな

「男性のイメージの女性性を特化させたキャラ」
で、自分の幼稚さをさらけ出されて
恥ずかしいのですが、

彼女たちのどこに惹かれたのかというと
「性的な魅力」と言うよりは

「誰にでも分け隔てなく接する」
「人に対しての愛情」「献身的」

みたいな所なんです。

「自分もこんな人間になりたい」
深層では思っていたような気がします。

・・良い話風にしようとしています。

それと「横島」くん。
キャラクターとして、すごい魅力的です(*´ω`*)

あんなに物語を引っかきまわしてくれて
なおかつスケベで、でも周囲の人間からは
放っておけない、なんか好かれている・・
みたいな。

あのキャラを生み出せた時点で「GS美神」
面白い漫画になることが約束されたような
ものです(*´ω`*)

終盤の「成長した横島くん」も、とても好きです。
「文殊」の設定とか、大好きです。

そうだ「BLEACH」も好きなんです。

この作品の何が好きかって
「言葉の組み合わせ方」が、センスの塊です。

尸魂界(ソウルソサエティ)虚圏(ウェコムンド)
完現術(フルブリング)
とか!

中二病気質には、たまりません(*ノωノ)

「黒棺」の詠唱を書きたいのですが
やめときます
( ;∀;)

ぼくてきには、織姫さんの能力
盾舜六花(しゅんしゅんりっか)
初お披露目の回が、BLEACHの中で
一番好きです。

ジャンプを立ち読みして、リアルタイムで
この回の話を読んだ時「なにこの漫画、
面白すぎるだろ・・!」
と衝撃を受けました。

たつきさんの「いま・・狙った・・!?」という
あの状況で、あの台詞、あの展開、あんなの
かっこよすぎです( ;∀;)
(手元に5巻がないので、うろ覚えですが💦)

思えば自分の中二病気質はラノベの
「スレイヤーズ!」から始まっているような。

「青魔烈弾波」(ブラムブレイザー)とか
「崩霊裂」(ラ・ティルト)とか

「呪文一覧表」みたいなのを作って
必死にノートに書いていました(笑)

いまは「なろう系」とよばれるジャンルが
ラノベの主流(なのかな?)ですが

今は今の、そして以前の作品には
以前の「良さ」があります( *´v`)

この辺、作品毎に細かく記事にしだすと
延々書けそうな気がします(笑)


ま と め

自分語りは、まだ
「小説編」「ライトノベル編」「アニメ編」
細かく分けて、回数を重ねる事が出来そうです。

「紹介」とか書いておいて、この程度の
情報量です、ごめんなさい💦

また第2回、3回と好きな漫画を
紹介できればいいなと思います(*´v`*)

ブログを書き始めてから、読書量が
すごく増えました。
アウトプットするため、インプットをしなければ
ならないためです。

これだけでも、ブログを毎日書く価値は
ありました( *´艸`)
最近の漫画も、読もうかなあ。

1日24時間じゃ足りない・・( ;∀;)


こんな自分語りの記事を
読んで下さって、ありがとうございました!

げきおこことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「この人、デリカシーない人だな」と思ったり
人から「デリカシーないね」って言われる・・。

あなたにも、経験がありませんか?

この【デリカシー】って、一体なんでしょうか?

今回は「デリカシー」の意味と
どういう行動が、他人にとって嫌われやすいのか

また「デリカシーのない人」と思われないための
改善方法などを解説できればと考えています。

よろしくお願いいたします。

「デリカシー」とは

【デリカシー】の意味は

辞書によりますと
「感覚、感情などのこまやかさ。繊細さ。
微妙さ」ということのようです。

なんだか意味が微妙だなと思うのは
自分だけでしょうか(;^ω^)

「デリカシー」「デリケート」の名詞形であり
語源はラテン語「うっとりさせるような」
という意味合いのものです。

物質的に繊細なもの、壊れやすいものを感じとり
柔らかく扱おうと苦心する行動を、

いつしか人の性格などに当て嵌め
「デリカシーのない人」などと、
人を表現する言葉としても使うように
なったようです。

心理学的には「デリカシーがない人」
近い性質を持つ人の特徴として

【サイコパス】共感能力の欠如
【ナルシシズム】過剰な自己愛
【マキャベリズム】手段を厭わない利己主義


【Dark Tried】を共通項として
挙げられています。

デリカシーに欠ける人の特徴

「デリカシーがない」と言われる人に
共通する行動って、何でしょうか?

冒頭では【デリカシーがない人と言われる】
と書きましたが、実際は面と向かって
言われるような言葉ではないかな
と思います。

「デリカシーがないね」って、結構な悪口です。

大抵の人は、思っても、それをあえて本人に
伝えたりはしないと思います。

「デリカシーがない」と人に伝えるような人もまた
「デリカシーに欠けている」と、言わざるを
得ないからです(;^ω^)

【デリカシーがないと言われる行動】

①相手の体形や容姿を話題にする

➁一方的に喋る、話を聞かない

③立場をわきまえない、しない



①人の体系や容姿をどう感じるかは
「個人の主観」に寄ります。

例えば「ペットボトルの形状」
「意識して見たことない」人が多いなかで

「美しい」と感じる人「繊細」と感じる人
また「醜い」と感じる人なども、
少数ながらいらっしゃいます。

ですがこれは「個人の主観」ですので
公の場で、あえて話題には出しませんよね。

もしも職場などで「俺はペットボトルの形。
あれが正直、気持ち悪くてさ」
とか

「あのフォルム、感性を刺激される!」みたいな
事を、一般のコミュニティで言い出す方って
「変わってるなぁ」って思いませんか?

人の容姿などを、積極的に話題に出す方は
これと同じ事を【さらに難しいモチーフで】
していると、考えてみて下さい。

そして、そういう方は「悪感情」
喚起させる言い方をする事が多いです。

余程の語彙と、豊富な表現、そしてユーモアが
なければ、人の容姿を話題にして、
その場の主導権を握ったり、相手に好印象を
与えるなんてことは、

出来ないと思っておいた方がいいかなと思います。

➁言語によるコミュニケーションは
「対話」によって成り立ちます。

「自分ばかり喋る」という状況は
対話が成立しているとは言い難く

「相手」にとって、会話の満足度が
高いとは言えない状況になりやすいです。

また「人の話を遮る」
「相手の話題に乗っかって、
そのまま自分が喋ってしまう」
ことも

相手や周囲にとって「この人デリカシーないな」
思わせてしまう要因になります。

③自分が所属している会社で、
役職者や上役にも「自分の友達」のように
接してしまう方がいらっしゃいます。

これは「あえてそうしている」方や
「会社の社風」などで敬語を使わないように
言われている所など、その方のキャラクターや
会社の環境にも寄りますが

「その人の立場を尊重した態度」
取った方が「礼儀正しい人」「信頼できる人」
のように、周りが評価してくれる確率が高いため
結果的に、自分にとってプラスになります。

【デリカシーがない】と思われないために

相手に「デリカシーがない人」
思われないためには、何に気を付けたら
良いのでしょうか?

これは、自分の経験をもとに
お話をさせて頂きますね(*´v`*)

①何かを表現する時は、言葉を尽くす

例えば、相手の容姿をどうしても褒めたい時
(相手に自分を覚えてもらいたい時とか)

「かわいいね」「きれいだね」みたいな
【簡単な表現】では、聞き流されるどころか

「なんだこいつ、きもっ」みたいに、
逆に相手に不快感を持たれてしまう場合が
多いです( ;∀;)

特に男性が、女性の容姿を口に出す場合などです。

※基本的に女性は、好意のない男性には
【何をされても】嬉しいなどと思いませんし
逆に不信感を持たれてしまいます。

ですので褒めるのなら「容姿」ではなく
「内面的要素」「実際の作業」
褒めた方が無難です。

(ある程度関係性を築いた上で、ですが)
「〇〇さん、いつも助かっています。
今日のあの仕事は、〇〇さんだったので、
安心して任せる事が出来ました。
その柔らかい気配りと感性、
自分も見習います」

みたいなことを真面目に言ってみて下さい。
相手は「あ、ありがとうございます」
というしかないと思います。
・・あっ、これ引いてるのかも知れません!

そういえば、自分がコミュ障でした。
参考にならないですね(;^ω^)
反面教師にして頂ければ幸いです。

ぼくのことはともかく
どういった状況でも「言葉を尽くす」のは、
良い結果に繋がる事が多いですよ(*´v`*)

自分的には
「相手との文章のやり取りでは
相手の文章量と同等か、
それ以上の文章量で返信する」
ということを
常に意識しています。

これも勝手なこだわりです💦

➁「話す」より「聞く」

会話は「相手のお話を引き出し、聞く」ことが
出来れば、大成功です。

「自分の事を伝える」のは「求められた時」
だけでもいいのかなと思います。
「自分語り」は楽しいので、難しいですよね💦

「相手の自分語り」「楽しそうに聞け」れば
「デリカシーのない人」などと思われることは
きっとなくなりますよっ(#^v^#)

③相手の状況に合わせた対応をする

これは「空気読み」の能力とも言えますが

上司と個人的に仲が良いのであれば
職場でも「相手が良ければ」二人きりの時は
ため口でも良いと思います。

気を付けないといけないのは
例えば本社から、上役が職場に
来ている時も「上司に普段と同じように接する」
ことです。

こういう時、誰が一番怒られると
思われます?

そう「仲の良い上司」ですよね(;^ω^)

本社の上役から、職場の上司が
「お前は普段、職員にあんな態度を
取らせていて、何を考えているんだ」


「指導もまともに出来ないのか」

なんて、言われかねません💦

「仲が良い」方であれば、そんな人に
迷惑をかけないためにも

自分の「公」「私」の態度は常に
意識しておきたいものですね。

ま と め

今回は「デリカシー」について
その意味と「デリカシーのない人」について
書かせて頂きました。

「デリカシー」とは
「デリケートの名詞形」


「繊細さ。感覚や感情の細やかさ、
微妙さ」
を意味する言葉です。

「デリカシーがない」とは
「感覚や感情に対する配慮を欠いている状態」
というわけですね。

「デリカシーのある、なし」の判断基準に
絶対的な物差しはなく、個人の主観に寄ります。

「ここまではOK、ここからはNG」という
ラインを、関係性の中で判断しながら
「ギリギリを攻める」のが「芸人さん」だったり
「話術に長けている人」なのですね。

個人的には「話術スキル」って万能で、
コスパも汎用性も最強だと思っています(*´v`*)

今度生まれ変わったら、話術を勉強して
「ことばさんって面白ーい!」って言われるような
人生を送りたいなと思っています。

・・いや今からでもいいじゃん!










はい、今日もまた、ひとすべり。


読んでくださって、ありがとうございました。

いとまことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは「今の労働環境」に満足されていますか?
「セミリタイア」「アーリーリタイア」
労働者の夢ですが、実際はどうなのでしょうか?

今回は「セミリタイア」について
言葉の定義、メリット、デメリット

そして実際にセミリタイアを実行した時
どういった心境になるのか
解説していきます。

よろしくお願いいたします(*´v`*)

「セミリタイア」の定義

「セミリタイア」という言葉は、現在
辞書に載っていません。

この言葉は、1990年にタレントの
大橋巨泉さんが
「芸能界との交流を保ちながら海外で生活をする」
ことを「セミリタイア」と表現されたことで

世間に、徐々に浸透していった言葉です。

「セミリタイア」とは

「自分の時間を、仕事以外の事に使うために
定年を待たずに退職をする」
ことです。

アメリカでは「FIRE」
Financial Independence,Retire Early】という
言葉がムーブメントになっていまして

20代、30代の若さで「セミリタイア」をされる
若者が増えているようです。


もちろん、仕事を辞めたら収入が無くなり
生活が成り立たなくなるので、資産、貯蓄を
あらかじめ作っておき、

ここから片手間で仕事をしながら、収入を得ます。

この「完全に収入減を絶たない」ところに
「セミ」が、かかっていまして

「全く収入を得ないで、貯蓄のみで生活をする」
ことは「完全リタイア」と表現されるようです。

完全リタイア・・すごいですね(;^ω^)

「アーリーリタイア」という言葉もありますが
こちらは「早期退職」という意味合いの方が近く

企業の「早期優遇退職制度」に基づいて、定年前に
退職金を受け取ることです。
「希望退職」とも言いますね。

退職金を、数千万レベルで頂けるなら
「アーリーリタイア」も、魅力的ですよね(*ノωノ)
バブルの時代であればともかく
今、そんな企業が存在するのかという話ですが💦

こういった言葉は「サラリーマン」にとっては
やっぱり憧れるものです( *´v`)

時間労働の制約から逃れ、仕事のストレスから
解放され、毎日好きなことを、好きなだけ出来る・・

正に夢のような話です。

では「セミリタイア」のメリット、そして
デメリットとは、一体何でしょうか?

「セミリタイア」のメリット、デメリット

【セミリタイアのメリット】

①時間に余裕が生まれる

➁仕事のストレスが減る、なくなる

③生き方、場所の制限がなくなる



①これが一番のメリットですよね。

サラリーマンは固定給ですので、例えば
自分の仕事が早くて、他の方の半分の時間で
ノルマを終わらせた
としても

「その分、早く帰れる」
わけではありませんし
「技術が、給与に直接反映される」わけでは
ありませんよね。

優秀な方ほど、サラリーマンとしての働き方に
疑問を持ちやすいのは、こういう所だと
思います。

セミリタイアによって
時間に余裕が生まれるので、片手間で
収入を得られるようなことを、
のんびりやったらいいですし

➁の仕事のストレスも、会社員時代と比べると
随分と軽減するのではないかなと思います。

「仕事のストレス」って、大半は
「人間関係」ですので、そこを気にしなくても
良くなりますし、嫌だったら職場を変えるという選択が
以前よりやり易くなるかなと思います。

「生き方、場所の制限がなくなる」というのは

「職場に通う」という場所の制限が
なくなることで、好きな時に、好きな場所に
いけるようになります。

それこそサラリーマン時代では出来なかった
「海外でのんびり暮らす」
なんていう選択も、視野に入れやすいのでは
ないでしょうか。

「企業」に所属するということは「自身の
発言、行動」
を制限することと一緒です。

自分が勤めている企業の価値を損なうような
発言や行動をする事は
必然的に出来なくなりますよね。

これは、広い意味で考えれば
「自分の生き方の方向性」を仕事によって
制限、強制されているわけです。

もちろん、セミリタイアしたからといって
犯罪はダメですが「より自由に、どんな立場でも」
発言、発信が出来る余裕が生まれることは
メリットと言えるのかなと、思います。

【セミリタイアのデメリット】

では、セミリタイアのデメリットとは
どういったことが考えられるでしょうか?

①収入が(以前より)減る

➁「貯蓄」が減っていく

③社会との繋がりが希薄になる

④メンタルコントロールの難しさ


一応、項目として分けましたが、実は
「セミリタイア」をするデメリットは
一つに集約されると言ってもいいかと思います。

それは「精神を病む可能性がある」です。

「楽が出来ると思ってセミリタイアしたのに
どういうこと?」
と思われるかも知れません。

あなたは日々、どうやって
「じぶんのこころ」を保っていますか?

ぼくは、こうやってもくもくとブログを描いたり
イラストを描いたりという「作業」の時間と

妻と毎日、仕事や家のこと、これからの生き方、
他愛のない話をする「家族」の時間と

仕事で緊張感を持って、様々な人と関わって
人の機微を感じとる「仕事」の時間の中で

「誰かに必要とされているような」
錯覚を持ちながら、それが
いまのところバランス良く循環してくれているので
「こころ」を保っていられています。

「セミリタイア」とはこのうち「仕事」での
コミュニティを、意図的に「崩す」ことを
意味しています。

「今の仕事」に、何の意味も意義も
感じられず、自分にとって「マイナス」
でしかなければ別ですが

「今の仕事」に一定の価値を感じながらも
「セミリタイア」を選択された場合
その循環を崩すことになりますので

大抵の場合、精神に不調をきたします。

人間は「他者」の存在によって、
初めて「自己」を確立できます。
「ひとりで生きていける」人なんていません。

「自分以外」のすべてが、いつも様々な
ことば、反応、対応をしてくれるから、
傷ついたり、笑ったり、怒ったりできます。

他者との関わりで生まれる「悩み」
「自分の根源的な悩み」を一時的に
忘れさせてくれますが、

それがなくなった時「自分の根源的な悩み」
が肥大していきます。

例えば自分の「存在」を、好きになれない方が
「他者」との関わりでの悩みが無くなった時
楽に生きられるかというと、そうではなく

「そもそも自分は、なんでこんな醜いの」
「いつまでこんなに自分は気持ち悪いんだろう」


みたいに「自身の存在」について、
思考するようになります。

いえ、こんな風に言語化出来るものでも
ないのかも知れませんね。

漠然としたモヤモヤが次第に大きくなっていく
ような「不安の理由」が掴めない状態に
なるのは、とてもしんどいです。

こういう状態は、他者との関わりが希薄な環境ほど
なりやすく「セミリタイア」されて間もない頃は
状況に、精神が不慣れなため、メンタルが不調に
なりやすいです。

以上が「セミリタイア」のデメリットと
呼べるものかと考えます。

ま と め

今回は「セミリタイア」について
書かせて頂きました。

「セミリタイア」とは
「定年を待たずに退職し、仕事以外の
自分が有意義と思う時間の使い方をする
生き方の、ひとつの選択」
です。

「仕事をしないで、好きな生き方をする」
ということは、社会人からすれば
大変魅力的な選択であり

そこに「セミリタイア」を目標にされる方の多さが
表れているわけですが、

「完全な自由とは、牢獄である」という
言葉にもあるとおり、

「なにもしなくてもいい」というのは
「なにかをしなければいけない」ことよりも
実は、辛いことなのかも知れません(;^ω^)

やっぱり、選択の前には、思考が必須ですね。

折角勝ち取った「セミリタイア」の特権を
謳歌するため、そこに至る前に
「どうしたいか」「なにをするか」
事前に考えておきたいですね( *´艸`)


よんでくださって、ありがとうございましたっ

ほうこくことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは
「今月のPVとUUをお知らせします」
という内容です(*ノωノ)だいにかい。

こちらが前回の記事です。
「第1回ブログの今を、ご報告するの巻」


ことばの【0からのビジネス】ゼロビジブログ
(先日タイトルを変更しました)も
2019年8月2日から始めて、今日で47記事目です。

何度も書きますけれど、このブログは
後々収益化を目指しています。

アドセンスか、アフィリエイトかは
考えますが、目標は
「数年後に毎月500円以上」です( *´v`)

正直、収益化の目標があるので
毎日更新を維持できています。

タイトルや方向性が今後、変わろうとも
そこはブレずに、目指したいなあと
思っています。

そして、進捗状況のご報告は毎月、
定期的にさせて頂きます(*´v`*)

よろしくおねがいいたします。

【PVとUUのご説明】

「PV」(ページビュー)とは
このブログが何回開かれたか数値です。

ぼくがブログを開いても、あなたがブログを
開いて下さっても「1」カウントされ、
更新する(ページ移動する)たびに増えます。

「UU」(ユニークユーザー)とは
このブログに訪問して下さったの数値です。

ぼくが訪問しても、あなたが訪問して下さっても
「1」カウントされます。

日付が更新されるまでは、同じ方が
何度ページ更新しても
こちらのカウントは増えません。


それでは、この記事を書いている
段階の数値をご報告します('◇')

現在の総PV数が331
現在の総UU数が100


となっております( *´艸`)

月別で見ると・・
2019年8月は、PV154、UU50
2019年9月は、PV177、UU50


となっております。

ちょっと数字が伸びましたねっ(#^v^#)

しかも、今月は「水増し」をあんまり
していないんです。

先月の数字は、正直8割自分が訪問してます。
今月は3割くらいです。3割・・いや4割・・。

緩やかな右肩上がりです、うへへ。

まだ9月は日数もありますので、PV、UUとも
増えてくれたら嬉しいです。

これは、実際にこのブログを読んで下さる方が
増えている
という事で、本当に感謝しています。

ありがとうございます。

UUの0更新が続いた日は、自分で勝手にしている事
とはいえ、やっぱり凹みます(;^ω^)

「やはり、常に石ころぼうしを被っているような
ぼくのすることなど、誰の目にも留まらないよな」

みたいな思考になります。

これで「1」でもカウントがあると
救われるというか・・。

だから「0」が確定しそうな日は
自分で訪問して「1」を付けています(*ノωノ)

・・ああ、なんというよわいにんげん!

あと、ツイッターとかで検索していると
「初心者ブロガーが、2か月目で
月収〇〇万達成!」
とかの報告ばかりで
正直これも、自分との落差に激しく落ち込みますw

こういう時サラリーの収入がある事で
救われています。

副業を考えていない時は
「早くセミリタイアしたい~」みたいに
軽く思っていましたが、

いざ実際に副業を行動に移すと
「いや、今の状況では仕事辞められない」
みたいな思考になりました。

あと、イケダハヤトさんの動画で
勉強している時に、イケハヤさんが

「ブログで食べていくなんて、音楽で
食べていくのと一緒」
と仰っていまして
「なるほど・・」と感銘を受けました。

才能と運の世界でもあるのですね。
やっぱり、簡単に考えていたなあと思います。

でも、これも行動に移したからこそ
実感できたことです。

目標は「PVとUUの推移を確認しながら、
出来るだけ毎日更新をする。更新しない日は
自分なりに分析をして、リライトもする」

上記の作業を繰り返しながら「1000記事」
書いてみようと思っています。

「1000記事」は、今のペースなら
多分3年くらいで到達出来ると思いますので
その間に収益化できればいいなとも
思いますし、無理ならまた考えます(*´v`*)

きっと色々あると思いますが、数字の推移も
自分のこころの動きも、なるべく隠さず

報告出来ればいいなと思っています。


今回の更新報告は、以上となります。


よんでくださって、ありがとうございましたっ


しゅはりことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたには「師匠」「指導者」と呼べる方は
いますか?人はいつか指導者から離れ、自分の足で
歩いていかなければならない時がきます。

今回は「守破離」(しゅはり)という言葉から
ビジネスで稼いでいくための基本的な考え方を
一緒に勉強していきたいと考えています。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

「守破離」とは

あなたは「守破離」って言葉、知っていましたか?

ぼくはぜんっぜん知りませんでした( ;∀;)

なんだかエヴァンゲリオンの劇場版のタイトル
「序破急(Q)」に、響きが似ていますね。
(序破急の意味も知りません)

「守破離」とは、もともとは芸事における
師弟関係の在り方
を示した言葉です。

語源は諸説あるようですが、その中でも
千利休の創作した和歌の一節

「規矩(きく)作法り尽くしてるとも
るるとても本を忘るな」から引用し

修行に際しての「心構え」を弟子に説く時に
用いられているというのが、有名です。


これをビジネスでも「成果を上げるための考え方」
として、広く実践されているわけなのですね。

このブログを読み終わる頃には、
ぼくもあなたも「あの時、守破離の意味さえ
知っていれば・・!」
みたいな状況に陥ることは
なくなります。やりましたねっ(*´v`*)

ではいきましょう~

「守破離」の「守」

「守」は「起承転結」で言えば最初の
「起」の段階ですね。

「師匠」の指導を受けながら、自身の技術を
磨いたり、教えを忠実に守りながら、修行や鍛錬を
積み重ねる時期と言えます。

ぼくでいうと、ブログが正に「守」の時期ですね。

確固たる「師匠」と呼べる方は・・
様々な方から、様々な影響を日々、受けながら
更新を重ねていますので「この方!」と呼べる人
を想定出来ていません( ;∀;)

周囲に、ブログを書いている方も
いらっしゃいませんし・・
(今後は分かりませんが)

この辺は、活動を地道に続けていく中で
「気の置けない相談者」を自分で
作っていければいいなと思っています。

どの世界もそうですが、まずは「模倣」から
入るのが、上達の近道なのですね。
それも徹底的な。

この段階では、半端なオリジナリティなんて
むしろ上達を、阻害するだけなのでしょう。
「絵」もそうです(*´ω`*)

「同人活動」を少しだけしていましたが
「2次創作絵」
「自分の絵柄でキャラを描く」よりも

「徹底的に原作に絵柄を寄せる」方が、
お客様の反応が良かったです。

ブログも「師匠」を想定した方が
いいのでしょうね💦
今後の課題とします・・。

「守破離」の「破」

「破」の段階は「起承転結」で言えば
「承」「転」に当たりますね。
・・なんで起承転結で例えたんだろう( ゚Д゚)

今まで忠実に教えを守り、基礎を固めた弟子が
その経験と技術を中核に据えながら、徐々に
自身の考え、個性を混ぜて表現をしていく・・

という段階で「守」の殻を破る段階です。

徹底した模倣と基礎固めで師匠の技、
技術をその身に叩き込んだ弟子が

その「型」と自分を照らし合わせ研究し
より良いと思われる「型」
生み出していきます。

ビジネスでいうと、今までの「成功者の模倣」
で得た知識、技術を自分なりの工夫で応用、
発展させる段階です。

「守破離」「守」の段階が一番「重要」
言われていますが「破」の段階が一番
「大変」な時期なのではないでしょうか。

「今後、どうしていくか」
「どういう色で自分を表現するか」
の段階なので
思考しながら方向性を定めていく必要があります。

ですが一番「楽しい時期」でも
ありますよね( *´v`)
自分を「表現する、表現できる」ことは
いつでも苦しみと嬉しさが混在していますもの。

ぼくも「破」の段階まで到達できるよう
更新を重ねてみようと思います。

「守破離」の「離」

「守破離」「離」は「起承転結」で言えば
「結」の部分です。

師匠から教えられた技術に自分の色を徐々に
混ぜながら、形を作っていきます。

研鑽の果て、最終的に「守」にとらわれず
「破」も意識しない、全く新しい「技術」
「型」「作品」が生まれるというわけですね。

「師匠」のもとから「弟子」が離れるとき。
それが「離」の段階です。

泣けます( ;∀;)

そして「離」に到達した後は
また新たな「守」を実践します。

千利休の和歌の
「規矩(きく)作法 守り尽くしてるとも
るるとても本を忘るな」とあるように

「教えを守り、発展させ、新しい形を生み出したと
しても「根源の精神」を見失ってはならない」
言われています。

たとえその道を究めても、基本を忘れない事が
大切だという事ですね。

ビジネスの手法では「かけ合わせ」
「ポジション取り」することが重要視されています。

立場×媒体×種類×特技みたいなものでしょうか。

自分で言いますと
「管理職」が「ブログ」で
「ビジネスを学び」ながら「絵も描く」

みたいな感じですよね(*´v`*)

レッドオーシャンな要素が多くて
笑いますが、何事も経験です。

1000記事書いてPVが今と変わらなかったら
一旦辞めて、この経験を担保にまた
なにか考えてみます。

ま と め

今回は「守破離」の意味を
説明させて頂きました。

「守破離」とは
「守」教えを忠実に守り
「破」それを発展させ
「離」オリジナルを生み出す

という、考え方です。

この考え方は芸事や武道、ビジネスだけでなく
あらゆる世界の物事の学び方として
活用できるものだと思いますので

様々な分野の趣味、仕事などで
「成果が出ない」「上手くならない」といった
悩みをお持ちの方は、いらっしゃると思います。

一度この「守破離」の教えを
実践してみるのも、良い気づきになるかも
知れませんね(*´ω`*)


よんでくださって、ありがとうございましたっ

こくはくことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

「自分の価値」を、自分で正当に
評価出来ない方がいらっしゃいます。
そんな人が「楽に生きるための考え方」って
あるのでしょうか?

今回のテーマは「自己肯定感の低いままでも
それなりに、幸せに生きる方法」

考えていければと思います。

よろしくお願いいたします( *´艸`)

自己肯定感の低い人の特徴

「自己肯定感」とは
「自己を評価する感情」のことです。

自分のことを自分で「好き」「嫌い」
「よくやった」「なにしてんだ」などと
評価、判断する感情の動きのことです。

この、自分に対する感情の振れ幅が
マイナスに常に傾いている方は
「自己肯定感の低い人」と言えるかと思います。

まず「自己肯定感の低さ」における
「自分」「周囲」の認識の違いを
ぼくなりの解釈で、お伝えします。


まず「周囲」での「自己肯定感の低い人」の
認識ですが「こだわりの強い人」という
イメージです。

ぼくも「自己肯定感が低い」「自認」されて
いる方と、お話させて頂く機会がありますが

いつも「頑固だなあ・・」という印象を持ちます。
(相手もぼくのことを頑固だと言っています)

「自分に自信がない人は、他人の意見に
流されやすい」
と思われがちですが、実は逆です。

他人のアドバイスを「そうした方が良い」
分かっていながらも、受け入れて、
実践する事が出来ません。

例えば「元々は喋るのが苦手だった人が、努力して
クラスの人気者になった」
という人の話を
「現在、喋るのが苦手な人」

「こうした方が良いよ」と、
アドバイスしたとします。

アドバイスする側は「自身の成功体験」
親身になって、伝えているわけですが、
これは「現在、喋るのが苦手」という人には
刺さらない可能性が高いです。

自己肯定感の低い人は「成功体験」系の
アドバイスをもらった時、こういった思考に
なりがちです。


「この人だから、出来たんだ。私には無理だ」


これは「自信は無いけど他人のアドバイスは
聞けない」
という心理傾向です。

もちろん、どちらにも非はないのですが
お互いにとって、有益ではありませんよね💦

アドバイスは「助言をする」
「相手のためになる言葉をかける」
という
意味ですが

「相手のためになるかどうかは
自分が判断することではない」
ので
アドバイスという心持ち、それ自体が
「自己肯定感の低い人」からすれば
「しんどい」かも知れませんね(;^ω^)

次に「自己肯定感が低いこと」の
「自分」の認識ですが

これは大抵「ネガティブな思考」
陥りやすいです。

「なんで私は、自信がないんだろう」
「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」
「こんな私だから、誰にも好かれないんだ」


のような「過度な内罰思考」のループで
物事が上手くいっても、正当に評価できないし
失敗すれば、過剰に落ち込むという
「負のスパイラル」になります。


ここでひとつ、お気づきかと思います。

「自己肯定感の低い人」における
「周囲」「自分」の認識には
かなりの「差異」がありますよね。

これって、どういうことなのでしょうか?

これは、多分なのですが・・

「自分」が思う「自分」の姿と
「相手」が思う「自分」の姿は

ぜんぜん違う、ということなのかも
知れません。

「なぜ自己肯定感が低い」のか

では、なぜ人によって「自己肯定感」
差が生まれるのでしょうか?

これは「幼少期の体験」や「環境」などの
要素で、複雑に形成される「自我」に寄るものです。

「生まれ持った個々の性質」という解釈も
ありますが、ぼくは

「人の本質」とは「変わらない」ものではなく
「変えようと意識しても、たまたま変わらなかった
部分を、段々自分が本質と勝手に思い込む」
のだと
思っています。

つまり、自分の自己肯定感の低さは
基本的に「外的要因」に寄るものなので

自分次第で変えられるものだと、思っています(*´v`*)

いえ、もちろん変えなくてもいいんですけどね。

ただ、あなたがもし

「こんな自分がいやだ、苦しい」
「変わりたい」


などと、思っていらっしゃるのであれば

もう少し、お付き合いくださると嬉しいです。

すこしでも楽に生きるために

まず「仕事」が、今のあなたにとって
「自己肯定感を下げる要因」なのであれば

今すぐ、辞めてしまって構いません(*´w`*)

その会社がブラックだろうがホワイトだろうが
お世話になっていようが、関係ありません。


「自分では辞めれない」という方は
「退職代行サービス」のようなものもありますよ。

「上司から怒られる」⇒正式な手順を踏んで
(退職する〇〇日以内に申し出るみたいな)
正式に退職するのであれば、怒られる筋合いは
あなたには、ありません。

「会社に迷惑がかかる」⇒いま、あなたに迷惑が
かかっている、この事実を問題にしましょう。

「無責任だと言われる」⇒その言葉を発する
側にも「責任」はありません。そして
あなたの人生の「責任」は、あなたしか取れません。

「陰口を言われるのが怖い」⇒そうですね。
自己肯定感の低い人にとって、それが一番
しんどいですよね。

職場を辞める時、残った職員から
「逃げた」ように表現されることが多いですが
そういう方は「選択したあなたへの嫉妬」や
「羨ましい」という感情が混じっています。

ぼくは、今、たまたま管理職なので
「退職したい」という方の相談は、
何度も受けてきました。

「雇用される側」は「管理側」の気持ちって
掴みづらいですよね。

自分は、基本的には「この人が退職した後
シフトをどうやって回すか」
しか
考えていません。

相談させてもらった結果、
相手の退職の気持ちを変えられないのなら

「いかに相手に悪感情を抱かせずに、
退職して頂くか」
に注力します。

管理側は、職員が退職される時につい
「今辞められたら現場が回らない」
「この人手不足の時に、無責任だ」
「ここを辞めて、通用するのか?」

みたいな「女々しいこと」
言ってしまいがちです。

これは管理側なりの
「責任感」から出る言葉で「相手を
責める」
という意味合いではないのですが
こういう事を口に出してしまう上司は

「自身のメンタルの管理能力」
問題がある場合が多いので
「自己肯定感の低い人」との相性が
良くないことが多いです。

会社のために、あなたが有るのではありません。

自己肯定感を高める練習と思って
「辞める」という選択をする「自分」
「肯定して」差し上げて下さいね。


今の職場を辞めたところで、あなたの価値は
損なわれませんし、基本的に今は、
どこも人手不足です。

別の職場、職種を探すのも良いですし
実家で暮らされているのであれば、しばらく
休息期間を設けるのも、良いですね。

自己肯定感は、別にお仕事をしていなくても
高めることが出来ます( *´v`)

例えばお休みの日「朝8時に起きる!」
前日に決めて、時間通りに起きれたら
「偉いぞ自分っ」と、褒めてみるですとか

がんばって外出して、コンビニで
商品を買って、店員さんに感謝の気持ちで
軽く会釈が出来たら「自分天才か」
褒めてみるですとか

そんな些細なことで、いいんです。

「自己肯定感を高める」には
「成功体験の積み重ね」が必要です。

「成功体験」って「自分が設定した目標に
到達する」
ことで得られます。

それは「些細なこと」でも効果があります。

それに「休みの日にコンビニに行く」って
結構ハードル高いですよね( ;∀;)

ぼくだったら「休みの日まで人と会いたくねぇ」
ってなりますもの。

それを目標に設定できる人って
すごいと思います。

ま と め

今回は「自己肯定感の低い人」という
テーマで書かせて頂きました。

たとえ自己肯定感が低くても、相手が自分に抱く
印象は、悪いものだとは限りません。

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)
「繊細、神経質、内向的と言われる方々がもつ気質」
が、一般的にも知られるようになってきましたが

ぼくはHSPの方から言われた言葉で、
深く傷ついた経験から

「繊細とはなんだろう」
「優しいとはなんだろう」

考えるきっかけになりました。

誰も傷つけない表現なんてありません。

自分も、多くの人を傷つけてきました。

何かを選択するということは
それ以外の何かを捨てることなのかも
知れませんが、あらゆる可能性を考えて
試してみたいと、思っています。

全然まとめられていないですね💦
ごめんなさい💦


悩んでいるのは、あなただけでは
ありませんよ( *´v`)

質ことはVS量ことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

成果を上げるために必要な事は
「質を追求する」「量をこなす」ことか。

あなたは、どちらだと思われますか?

今回のテーマは、結果を出すまでの行動として
作品の「質と量」どちらを重視するべきか?
という内容で、書かせて頂きます。

構成としては、まず
「量よりの方の主張をお伝えします。

その後に「質よりの方の主張を
お伝えします。

最後に、自分の意見を交えつつ、まとめます。

よろしくおねがいいたします(*´v`*)

「質」を重視する方の意見

成果を上げるためには、どちらを
重視するべきか、というお話で

「質派の意見」としては、例えば

SNSで「集客を上げるために、
まずはをこなさないと!」と考え、
1日に〇回投稿を、継続して実践したとします。

ですが、同じような事をしている方は、
山ほいます。

さらに、ネットの膨大な情報量の中では
自分の発信を気に留めてくれる人なんて
ほぼいません。

「質の高い発信」であればともかく
「量」を重視しただけの投稿であれば
なおさらです。


「大海の中で、一枚の紙きれが浮かんでいる」
のと、同じようなものだからです

この点だけをピックしても、質を求めず、ただひたすら
「量」をこなしても、「大きな成果は生まれない」ことが
お分かりになるかと思います。


「量をこなさないと、上達もしない」

「質を高めるために、まずは量を」


というのが「量派」の方の意見ですが
その前提が、そもそも違うようです。

「質」「量」をこなさなくとも、上げる事が可能です。

そもそも「質」「量」は、リンクしたものではなく
それぞれ別々に、考えるべき事柄です。


「質」
を高めるには「分析」です。


自分が「量」の努力をしなくても

成功者が「なぜ成功しているか」を分析し
そのやり方を「盗む」「模倣する」
これだけで、努力を重ねる必要はありません。

さらに、ビジネスで重要なのは
「量をこなして自分のスキルを高める」ことよりも

「自分は、どのポジションを取るか」
ポジション取りです。

「量をこなさないと成功しない」ということは
その人が「競争の激しい市場に身を置いている」
ためです。

最初に「分析」し、そして徹底的に
「成功者のやり方を模倣」することで

「量をこなさなくても戦える市場」を見つける。

そこで自身のポジションから「質」を重視した
発信を、コンスタントに続ければ、それだけで
集客は見込めます。

つまり「量派」の考え方は「努力」という言葉の
好きな「日本人的」な思想に寄るものであり

合理的に考えれば「必要のない努力」
をするよりも

「分析」によって手薄な市場を探り、そこで
ポジションを取り「質の高い」発信をする方が

ビジネス的な目線で言えば
「理にかなっている」と言えます。

以上が「質派」の主張です。

「量」を重視する方の意見

次は「量派の方の意見です。

ビジネスを、0からスタートした方が
「量よりも、とにかく徹底しただ!」

SNSなどで「〇週に1回」の頻度で
質の高い投稿をしたとしても、まず
誰の目にも留まりません。

「0からスタートした方」は、当たり前ですが
「実績」「権威性」「根拠」
ありません。

人は「発信された内容そのもの」ではなく
「その人が言っているから」という
「権威性」の方を重視する傾向があります。

例えば「松本、動きます」というツイートは
「松本人志」さんが「発信」したから
あそこまでバズったのであって

「権威性」を示せていない方が
同じようなツイートをされても、反応がない
のは、お分かり頂けるかと思います。

「何者かも分からない誰か」
「素晴らしい投稿」は、たとえ発見されたとしても
「ふ~ん」で、終わってしまうかも知れません。

ですので「何者でもない」段階で、まず
実践しなければならないことは
「質」ではなくをこなす」ことです。

「成功者」「スタートラインに立った人」
唯一、対等に「勝負」できることって
なんだと思われますか?

それは「作業量」です。

「作業量だけであれば、自分の努力次第で
成功者と、肩を並べる事が出来ます。

「量」をこなしていない人は、高められる
「質」も知れています。

「量」をこなせばこなすほど「質」の水準も
自然に上がっていきます。

週に10回の投稿と、週に100回の投稿では
人の目に触れる確率も、段違いです。

「質派」の方の意見として

「量をこなすよりも分析」

という意見がありますが

自身がプレイヤーとして価値を生み出す場合は

いくら「分析」を積んでも「出力するスキル」
低ければ、その価値は半減します。

人は、経験した事しか身に付きません。
「経験を積む」には「量をこなす」のが最善です。

これらのことから、
まずは「量」をこなすことが重要です。

以上が「量派」の意見です。

ま と め

今回は「質」「量」どちらを重視するべきか?
というテーマで、それぞれの方の主張を
書かせて頂きました。

色々な考え方があって、面白いですね(*´v`*)

どちらも、意見に説得力があって
「なるほど~」と思ってしまいます。

大事なのは「それぞれの考え方で、
それぞれの事例で成功されている」
という事です。

ぼくは「質より量」の考え方です。

やはり自分は「なにものでもない」のが
大きいですね。

まず毎日ブログを書いて
「人の目に触れる機会」を増やす。

イラストや内容で、なんとか
少しでも「興味」を持ってもらう。

それを何年も継続して、
少しずつ「認知度」を高めていくしかないなと
いう考え方です。

仕事に近道はないですね(;^ω^)

ぼくの好きな実況者の、ゆうしゃさんも

最初は「youtubeに動画1000本投稿する」
ことを目標に「評価」「反応」を気に留めないで
ただ黙々と作業をされていたと、
動画で仰っていました。

「なにものでもない」うちは「量」なのかなと
やっぱり思っています。

あなたは、どういう考えですか?

「量派」でも「質派」でも
根本は同じなので、楽しみながら
何かに関わっていられたら、最高ですね( *´v`)


読んでくださって、ありがとうございましたっ


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