ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

ぬけたことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「がんばらなくてもいいけれど・・」です。

あなたは「がんばれ」って
言ったり、言われたりしたことありますか?

がんばっている人、無理しているなと感じる人に
清涼剤的に、かけてあげたくなる言葉かもしれません。

ただ、この言葉、個人的には使うとき
または使われるとき
ちょっと気を付けないといけないかも?
感じています。

その辺の機微も含めたお話ができたらいいなと思います。
よろしくお願いします。




【「がんばれ」は重い言葉?】


「がんばれ!あなたならできる!」
「ここまでやってきたんだろう?もっとがんばれよ」
「お仕事がんばってね!」


自分が相手に期待しているときや
元気を出してもらうために
「がんばれ」と、人は伝えます。

この「がんばれ」という言葉を、例えば
「落ち込んでいる状態の人に対して、使用しない方がよい」
みたいな暗黙のマナー、ご存じですか?

自分は、テレビとかの情報を見聞きして
なんとなくですが、伝わっています。

「そうなんだ~」程度の知識と認識ですが
それ以降は、誰かに個人的なメールをする時は
なんとなく「がんばって」という文言は使用していません。

ぼくは根は暗いですが、相手とやり取りする時は
お互いに気持ち良くやりとり出来ればいいなと
思っていますし

文面だけでは、相手の状態を推し量るのが
難しい事もありますので

「がんばれ」という文言の代わりとして
「無視しないで下さいね」みたいな言葉を
使用するようになりました。

「がんばれ」という言葉、人に寄っては
とても重く捉えられます。


自分はただ励ましているだけのつもりでも
相手にはプレッシャーにしか感じてもらえなかったり
「もう十分がんばっているのに
まだがんばらないといけないの?」
みたいに

言葉をプラスに考えられない時
「がんばれ」がその代名詞のように
なってしまいます。


あなたも、きっと同じような経験をされていると
思います。誰かに「がんばれ」と
言ったり言われたりする中で

自分の意図が上手く伝わらないモヤモヤした葛藤を
抱えておられるのではないでしょうか。

どんな言葉も「重く捉える」のは相手であり
自分との関係性、立場、信頼で変化するものです。

「相手を励ますことも出来ないのかよ」と
憤るよりも、個人的には

自分が相手と良好な関係を築けていれば
たとえ自分が「がんばれ」と言ったとしても
相手は適切に、受け止めてくれるように思いますし

関係性が出来ていれば、相手は自分の言葉の意味を
汲み取ろうとしてくれるので
お互いに誤解で嫌な思いをする状況も
減るのかも知れませんね。

【捉え方の温度と感覚】

人は、言葉を様々な要素と絡めて捉えます。

京都のぶぶ漬けや
月が綺麗ですねの意味など
皮肉や照れ隠し、裏腹な感情からか

ひとつの言葉に沢山の要素、意味を
隠したり、持たせたりするのが
日本人の奥ゆかしさ、日本語の楽しさの
一つでもあるのですが

昨今のメディアに代表されるような
自分が子供の頃と比べての
やや過剰とも思えるような表現の規制は

SNSの普及によって発信する力を得た人々が
苦情、クレームをスポンサーの企業に
なりふり構わずにされるようになった事も
無関係ではないかなと思います。

ネットの普及する以前から
電話などでクレームを
入れていた視聴者さんはいらしたようですが

SNSは「個」ではなく「群」なので
そういった時代の波が、急速に
現代の価値観として、形作られたのでしょうね。

人が人に優しい世界は大好きですし
その形に近づいている過程なのであれば
受け入れるべきことなのですが

いま、この世界に生きて実感している感覚は
その理想に近づいているとは
感じがたいものではあります・・。

【言葉の限界】

ぼくは、介護の施設で働いています。

チームで認知症の施設利用者様の
お世話をする仕事なのですが

身体介助という業務がありまして
例えば、おひとりでは排泄が困難な方の
サポートとして、車椅子で
お手洗いまでお連れして

ご自分で立位(立った状態のままの姿勢)
が取れない方に、体を抱えて支え
便座に移って頂くという動作のサポートを
しています。

排泄介助は1日に複数回、実施します。
トイレが1日1回で済む方はいないので
当然ですよね。

例えば、利用者様が大柄な男性の場合
女性の職員さんだと、何度も業務をこなすのが
肉体的に、大変な作業であるのは
お分かりになるかと思います。

自分は管理者をさせてもらっているので
職員さんの業務の相談などを
よく受けるのですが

「管理者、私では〇〇さんの介助は無理です!」
「なんとかして下さい!」


のような相談を受ける場合もあります。

あなたなら、こういう時に
なんと返答しますか?

こういう相談、割りと日常茶飯事なのですが
返答はとても難しいんです💦

例えばぼくが
「いや、仕事なんですから
やってもらわないと困るんです」
とか

「ぼくは出来ますよ?
〇〇さんが出来ないのは、単純に
技術や努力が足りないんじゃないですか?」


みたいな言葉をかけたら、どうなると
思われますか?

多分、ひと昔前でしたら
こういう返答でも、さして問題に
ならなかったと思うんです。

今、こんなことを職員さんに
言おうものなら
「管理者にこんなひどい事を言われた!」
他の職員さんに言いふらされますし

その程度ならまだいいのですが
話を膨らませて本社や外部に
相談される
可能性がとても高いです。

現代の風潮は、被害者の被害者意識を
より増大させて、加害者を追い詰めてしまう

構造を孕んでいるように感じています。

物事の大小はあまり重視されずに
構図だけを見て、加害の側をより批判する
体制といいますか・・。

すみません、いつも話が長くて💦
僕は職員さんの相談に対しては

まず「この人が何を問題にしているのか」
「根本を探り、解決できるかどうか」
意識するようにしています。

「介助が無理!」と仰る職員さんには
「そうなんですか、確かに〇〇さんの介助は
大変ですよね。他の職員さんも大変だと
言っていました」


みたいに、初手で想いに「共感」します。
この時点でトーンダウンされる方も
いらっしゃいます。
ここで「相談」か「愚痴」かを見極めます。

愚痴でしたら、一通り想いを聞かせて頂いたら
「聞いてくれて、ありがとうございます」と
スッキリして、また仕事をして下さいます。

男性の自分からしたら「聞くだけでいいの?」と
拍子抜けする事もありますが
そこは男女の違いなのかも知れません( *´艸`)

相談の場合は、職員さんが感じている
「問題はどこか」を質問しながら考えます。

無理だと思う理由は
「利用者様との体格差?」
「認知症の方とのコミュニケーション?」
「自分の体調?腰を痛めているの?」など

仕事でしている事を「無理」と
ひと言で片づけられると、
自分の本心としては「ん?」と
構えてしまうところがあるのですが

言葉に惑わされず、分解して
問題を突き詰めるように、心掛けています。

それでですね、ごめんなさい💦
ここからが本題なのですが

「がんばらなくても大丈夫ですよ」という
言葉を、職員さんにかけさせて
頂いた事があるんです。

それは、相談された中で
「私はこんなに仕事をがんばっている」的な
ことを言われた時、少し肩の力を抜いてもらおうと
意図を込めて言ったつもりなのですが

その職員さんが言葉を割と額面通りに
受け取ってしまったみたいで

苦手な利用者様の業務を避けたりなど
怠慢ではないのですが、自分のやりやすいように
仕事をするようになってしまいました。

「がんばれ」と「がんばらなくてもいい」は
言葉の意味的には真逆なのに
相手に誤解を生んでしまいやすい言葉なのですね。


配慮が足らなかったなと反省しました。

【弱さを自覚するという強さ】

他人に「がんばれ」と言われても
がんばる必要はありませんし
他人の「がんばれ」には、深い意味は
ありません。

それと同様に「がんばらなくてもいい」を
受け入れすぎる事も、少し難点なのかなと思います。

恐らく「がんばれ」を重く感じる方は
「がんばらなくてもいい」を必要以上に
受け入れてしまいがち
かと考えます。

これは介護の仕事の話ですが
がんばらない職員さんが、
手のかかる利用者様の介助を
避け続けたら、どうなると思いますか?

がんばらない職員さんの仕事のカバーは
他の職員さんがします。
「がんばらない人」が多ければ多いほど
他の人を「がんばらせてしまう」
んです。

この状態は職場で色々な問題を生んでしまいます。
「なんでこの職員さんは
〇〇さんの介助に入らないの?」
「なんで私ばかり、この人の介助をさせるの?」

とか。

信頼関係が崩れると、施設全体でケアの質が
下がりますし、結果的にがんばらない人も
損をしてしまうと思います。

問題は、問題に感じる人がいて
初めて問題になります。


行動の責任は最終的に自分がとるしか
ありませんので
人がかけて下さる言葉に
必要以上に重きを置かない
ようにしたいですね。

個人的な経験から書かせて頂くと
他人に自分の弱さを吐き出すことは

「信頼」と引き換えにしているなと
考えています。

人と仲良くなると
個人的な悩みや愚痴を聞いてもらったり
すると思いますが

その頻度が多くなったり
あまりにも一方的になると

次第に、友達から連絡がなくなったり
距離を置かれたりしませんか?

あれは、今まで築いてきた「信頼の貯金」を
自分の「愚痴」や「悩み」を聞いてもらう
対価として、支払っているもので

弱さを自覚して、自分の中である程度消化しないと
次第に、それを発揮出来る状況や場所が
狭まっていくのではないかな
と考えています。

「弱い自分を認める」ということは
そのまま「強さ」に繋がるということ
なのかも知れませんね。

【まとめ】

今回は「別にがんばらなくてもいいけれど
それは、がんばる他人あっての考え方かも」


という内容で、書かせて頂きました。

現代はSNSの普及により、
誰でも気軽に発信できる
世の中になった功罪として

被害者の被害者意識は増大し
加害者に対しての排斥は日を追うごとに
高まるような風潮です。

優しい世界の過程の中での
現在の状態であれと願うのですが
あまりそういう印象は感じ取れない中

「がんばれ」「がんばらなくてもいい」
それぞれの他人からの言葉を

あまり重く受け止めすぎないように
過ごしていきたいものですね。

自分の人生の責任は、自分しかとれません。

「あの時、あいつががんばれなんて
言わなければ・・!!」
なんて
今際の際に思う人生、やりきれないです。

「がんばらなくてもいい」
この言葉は、とても優しいものですが

「もうがんばらない」と決めた
自分を支えるのは
「いまもがんばっている」
他の誰かの存在なのかも知れません。


他人に優しく、甘く接するだけで
生きていけたら、本当に楽で
幸せなんですけどね( *´艸`)

あなたも、無理なさらないで下さいね。

以上、ことばという他人のことばでしたっ
読んでくださってありがとうございました。


おこりことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

更新がとっても滞ってしまってごめんなさい💦
世の中のエンタメに時間を奪われ続けていました。

エンタメのせいではなく、自分のせいです。

今回のテーマですが
「どういう考え方をすれば、職場で他人に怒らずに
色々と、対応する事が出来るか」
です。

お仕事をされている皆様におかれましては
日々、職場でのストレスと向き合い、それでも果敢に
対処をされ続けておられるのではないかなと思います。

本当に、素晴らしいです(*´v`)

でも、例えば自分が上司で
指示をした動きを職員さんがしてくれない時や
頼んでいた仕事の進捗の報告が特にない時

「どうなっているんだ?」
みたいに、なんだかイライラしてきますよね。

そんな時、そのまま感情的に相手に気持ちを
ぶつけてしまうと、今の世の中
「あの上司にパワハラされた・・」

自分に全くそんなつもりがなくても
SNSに書かれたり、自分よりさらに上の役職に訴えられたり
とにかく大きな問題になる事が多いです。

もういちど書きますが
「自分に全くそんなつもりがなくても」です。

職場で感情的になる事はリスクでしかない
昨今ですが、自分の性格、考え方はそうそう
変えられません。

それが分かっていたとしても
このリスク管理は早めにしておいた方が
絶対に良いです( ;∀;)

多分この風潮は長く続きますし
今後もますます増大すると思います。

自分は介護施設で働いていますが
利用者様と接する時「態度や声掛け」
気を配っています。

それと同等、いえそれ以上に
「職員さんと接する時の、自分自身の態度や声掛け」
にも、気を配るべきだなと思っています。

詳細は書けませんが
自分も、最近大きな失敗をしたばかりです💦

この失敗談は、またどこかのタイミングで
ブログで書かせて頂く予定です。

それでは、ことばが考える仕事での怒りの対策や
考え方を、文章にさせて頂きますね。


【怒りの原因と対策】

仕事で人が怒りを感じる原因は
大まかに二つあります。

①(自分は)聞いていなかった

②相手の仕事の考え方、価値観が理解出来ない


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

①自分は聞いていなかったについてですが
例えば、自分の知らないところで勝手に物事が決まったり
変更されたりすることについて

「自分は聞いてない!」
「勝手に変更して、どういうつもりだ!」

感情的になってしまう方がおられます。

役職を持たれている方や、職場で年数が経過する程
自分は知らされていない事に関して
プライドが刺激されるため、怒りに転化してしまいやすい
ように思います。

それは責任感の表れであり、当然の事なのですが
感情的にならないようにする考え方って、あるのでしょうか?

個人的には
「なぜ自分を抜いて勝手に進めたんだ!」と
他人を主体に考えるよりも

「なぜ自分には物事が知らされなかったのか」と
自分を主体にして考えた方が
怒りには結び付きづらいのかなと思います。


自分に物事が知らされなかった理由として

「自分は普段どういう態度で人と接しているのか」

「その物事に、自分はどの程度影響していたのか」

「発信者と、適切に信頼関係が築けていたのか」を


自分で客観的に評価して、それでも
自分が知らないのは業務上適切ではなかったと
考えて、初めて指摘をするべきかなと思います。

会社は、組織で共通の目的を達成するための集団ですので
個人がすべての流れを把握する事は不可能です。

「自分が知らなくても、滞りなく物事が進み
終わるのであればそれで良い」
と考える事が出来たのなら
無用に感情を動かさなくて、よくなりますよね。

また自分が「相談しづらい人」になっていないかは
意識しておいた方がいいかなと
思います。

部下は、上司の行動をよく見ています。

表情、姿勢、仕草、言葉の数、選択、抑揚などが
複雑に絡んで、相手の印象として
「話かけやすい、話しかけにくい」雰囲気を形作ります。

「仕事なんだから、そんなの関係なく報告してよ」
思われますよね?

難しい事に、それが通用しなくなってきているのが
今の時代の流れなのかも知れません💦

「自分は聞いていないぞ!」と憤る前に
「自分が相手にどういった情報を与えているか」は
振りかえってみても、損はしないかなと考えています。



②の相手の考え方が理解出来ないについてですが
人は「自分が理解出来ないもの」に出会うと
「怒り」を感じてしまいやすいです。

これは、状態としては
「理解出来ない=その物事に対しての知識不足」
という事だと考えています。

例えば指導の時、何回言っても同じミスをする新人さんに
「何回言えば分かるんだ!」と感情的になってしまう場合。

どちらに非があるかという問題はさておき
「なぜ怒りを感じたか」の理由として
「なんで同じミスをするのか、理解出来ない」という
感じ方をされるかと思います。

ですが「何回も指摘している」事実は
自分にも当てはまる事です。

指摘する時に
「前も同じことを言ったよね?」とか
「これ〇回目なんだけど」みたいな言葉を
使った経験は、ありませんか?僕はあります。

こういう言葉は往々にして、相手を焦らせて
プレッシャーを与えます。

仕事でプレッシャーを与えられると思考能力が
極端に低下して、何も考えられなくなる方もおられます。

指導する側は「何度も機会があった」のであれば
その新人さんの「情報」も得ているはずです。

その情報が「知識」です。

新人さんの性格や考え方は、指導の中で知識として
何も知らなかった時よりも高まります。

それを「どうやって指導するべきか」の「対策」に
変えて、活かすようにすれば良いのかなと思います。


例えば「このミスは、仕事の優先順位が分からない
せいで発生したのかも。まずは優先順位を徹底して
覚えてもらうべきかな」
とか

「時間にルーズな面があるから、仕事における
時間の重要さをまずは教えるべきかな」
のように

新人さんの事が何もわからなかった時よりも
情報として得た新人さんの性格や性質を知識として得た
段階の方が、相手への「理解出来ない」が薄まっているため

怒りを感じる要素も薄まるのかなと考えます。

指導で重要なのは「回数」ではなく「質」です。

相手が仕事が出来る、出来ないよりも
自分が相手に対して効果的な指導が出来ているかを
基準にしていけたら良いですね。


【いま、気を付けるべきこと】

自分から他人に向けての行動や言動には
とても鈍感なのが、人間という生き物です。


「そんなつもりはなかった」という言葉を
加害の立場になってしまった方は、使う印象があります。

あれは本当にそう思っていたのだと感じます。

自分の「そんなつもりはない」は自分では許すのに
相手の「そんなつもりはない」は許さないのも
「自分が他人に与える影響に鈍感」だからです。


介護施設でたびたび報道される
施設利用者様への虐待も、同じ理由です。

時に苛烈な、相手の周辺症状に対して
鈍感な自分が、相手への影響を考えずに対応すれば
「虐待」と判断されてしまうケースは高まります。

昨今、議論が絶えない「〇〇ハラスメント」の問題も
「そんなつもりがない」自分が起こした言動、行動を
相手が許さなかったからこそ、表面化しています。

相手ではなく、自分の言動、行動にこそ
細心の注意を向けないと、とにかくリスクだけが
高まるのが、今の時代です。

そのリスクへの対処法というか
考え方ってあるのでしょうか?

ことばが考える4つの「リスクへの対策」
お伝えさせて頂きますね。

【リスクへの対処法】

加害の立場になってしまうリスクは
社会に関わる皆様は、誰しもが抱えるものです。

そのリスクを少しでも減らすための「考え方」を
まとめました。以下の4つです。

①知識をつける
②他人の課題にまで踏み込まない
③「正論」と「自分が正論を言う正しさ」は別
④自分の影響力を正しく把握する


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

①知識をつける
先述させて頂いたように「人への怒り」の理由の大半は
「自分の知識不足で、その物事の解決法が分からない」
というものです。

例えば、自分が新しい仕事を任された時に
特に引継ぎをされずに前任者が退職されたとします。

「あの人、何も教えてくれなかった!」
その前任者に対して怒りを覚えますよね。

ですが、予め仕事の段取りや、何をすればよいのかを
把握した状態であれば、その怒りは和らぐと思います。

「あの人、何も教えてくれなかったけど
大体分かるからいいか」

くらいの温度感に、落ち着くのではないでしょうか。

前任者の行動は変わらないのに
自分の感情は変化していますね。

この理由は「自分に対応出来る知識があるかどうか」です。

翻して考えれば「知識をつければ、他人に怒りを抱く可能性を
減らす事ができる」ということです。


②の他人の課題にまで踏み込まないですが

それでも、責任感の強い方であれば
「前任者がちゃんと引継ぎをしないのは、仕事として
間違っているのではないか」

「引継ぎをしてくれていれば、もっと理解が出来たのに!」

みたいな理由で、怒りを感じてしまう方も
少なくないと思います。

心情はとても理解出来るつもりですが
考え方として、この怒りは
「あなたが感じる必要のないもの」です。

細かく書きますと、この前任者は
この時だけではなく、常にこういう仕事を
されていると、推測が出来ます。

相手に必要な情報を与えないとか
説明を面倒くさがるとか
伝達の意識がそもそも薄いとか・・。

責任感の強い方は、こういう仕事の価値観の人と
ウマが合わない事が多いと思います。

ですがこれは「前任者の課題」であり
「あなたの課題」ではありません。


今後、前任者も他の職場で同様の仕事の仕方をされると
思いますが、こういう仕事を続けて、一番リスクがあるのは
結局この方、ご自身です。

あなたが感情的に、前任者に指摘をして
「パワハラだ!」なんて言われた日には
何がしたかったのか、分からなくなりますよね💦

自分の課題と他人の課題は
切り分けて考えたいものですね。


③「正論」と「自分が正論を言う事の正しさ」は別物
これは、過去にこのブログでも書かせて頂きましたが

「正論」には、罠が潜んでいます。
それは「正論なんだから絶対にこちらの言い分が正しい」と
錯覚してしまいやすいということです。


自分が正しいという想いが強ければ強いほど
感情が乗りやすいですし、理解してくれない相手に対して
強い口調になってしまいやすいです。

ですがたとえ正論だったとしても、相手に伝わらなければ
意味がありませんし、それこそこちらが感情的だったり
威圧的だったりすれば、相手には

「正論ばかり言う、嫌な人」
みたいに、マイナスな印象しか与える事が出来ません。

正論を言う時には
「いま、この場でこの正論を職員さんに伝える事は
行動として正しいのか」を考えて

伝える時の自分の言い方、口調、声量、態度などにも
気を回して欲しいなと思います。


④自分の影響力を、自分で把握するですが

あなたは会社の中で、どういった役割の方でしょうか?
基本的には役職が上がり、年数が経過するほど
その職場の中で、影響力は高まっていきます。

もちろん、どれほど役職があがろうが
勤続年数が経過しようが、人間的な価値は変わりません。

役職者は責任の重さと、会社に勤続された年数の信頼が
待遇に反映されているのですが、年功序列の考え方が
今もなお根強い日本では

役職を自分の価値そのものと錯覚した挙句
自分より下の人に対して、高圧的な言動、行動を
相手への敬意を払わずに使う方が、一部いらっしゃいます。

役職者や、立場が上の方が、自身の影響力を
正しく把握せずに使う言動ほど、誤解されやすいものはなく

それこそがリスクの温床だと感じています。

心理学で「自己覚知」という言葉があります。

意味としては「自分と対話し、自分の性質を
正しく把握する」
というものです。

傲慢にならずに卑下をせずに、正しくある事は
とても難しい事ですが、少しずつでも相手に与える
自分の影響は、どのくらいなのかを考える事が
出来れば、悲しい誤解は減らせるではないかなと思います。

【まとめ】


今回は「仕事で怒らないようにする考え方」みたいな
ことを、書かせて頂きました。

まとめますと、仕事で怒る原因は、主に
①自分は聞いていなかった
②相手の価値観が理解出来ない


の2つになるかなと思います。

そして、この現代のハラスメントへの対策として
加害の立場にならないように気を付けるための
考え方として

①知識をつける
②他人の課題に踏みこまない
③正論と、自分が正論を言う正しさは別
④自分の影響力を自分で把握する


以上の4点を意識するべきなのかなと
考えています。

現代は、お金を稼ぐ手段が増えましたね。

必ずしも会社に勤めて、年数をかけて信頼を得る事に
こだわらなくても、自分の能力を磨き、発信する事で
組織に所属せずとも、生きていくための金銭を得る事が
出来る時代です。

ですが、組織に所属するメリットはとても大きいものです。
だからこそ、今のうちに色々な知識や価値観に触れて
対応力を磨いていければいいなと思います。
(自分に言い聞かせています)

人は集団の中でこそ磨かれ、その経験で成長できます。

自分は聞いていなくても、相手の事が理解出来なくても
あなたがそれで感情的になる必要はないと思います。

あなたがそうであるように「人材」は会社にとって
かけがえのない「財産」です。


宝物同士で傷つけあうのではなく
相手をより輝かせるためには、どうしたら良いか
一緒に考えていけたらいいですね( *´艸`)


読んで下さって、ありがとうございました。

魔法使いことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「福祉に携わるには、強い動機って必要なの?」
という内容です。

結論から書きますと
「人への興味が薄く、意思が弱くて、
他人への発信する力が弱い人でも、環境が成長を
促してくれるので、オススメ!」

というものです。

これから書くことは、経験から得た個人的な意見であり
特定の何かを否定したり、優劣をつけたいわけでは
ありません。

飽くまで「こういう考え方をしている介護職もいる」
というものです。

よろしくお願いいたします( *´艸`)


【福祉職のイメージ】

あなたが持つ、福祉関係のお仕事のイメージって
どういったものですか?

・人と関わるのが好き
・人のお世話をする事が好き
・優しい、献身的な性格、性質

自分が介護の仕事を長年させて頂いている中でも
「やっぱり福祉職に従事されている方は、優しい人が
多いんだろうなあ」
と、勝手に思っています。

逆に言うと「人と関わることが好きじゃないと
福祉の仕事って出来ないのかな?」
みたいに
二の足を踏んでおられるかたも
いらっしゃるかも知れません💦

かくいう自分はどうなのか?というと
「人と関わるのが好きではないし、
熱い想いも持ち合わせていない」

という、散々な自己評価です(;^ω^)ゴメンナサイ

というわけですので、福祉に興味があるけど
自分の性格的にどうなんだろう?
という方にむけて、
今回は書いてみたいと思います。

【優しいとは?】

勝手なイメージですが
「福祉に関わる人は、優しいんだろうな」
「人に興味があるんだろうな」という
考えがあります。

まず「優しい」という言葉の意味ですが
他人に対して思いやりがある。性質が素直で淑やか。
控えめ、慎ましやか、刺激が少ない
などです。

これだけだと、なんともいえない感じですが
個人差はあれど皆、他人に対しての
思いやりをお持ちでしょうし
上手く表現出来ないだけ、という方もいらっしゃいます。

昔ながらの職人気質の方とか「男は背中で語る」
みたいな方ですとか・・。

日本では詫び寂(わびさび)文化のような
「言葉を尽くすこと=無粋」みたいな考え方って
根強いものですし、自分もそういった価値観が
体現できない分、憧れる面はあります。

でもお仕事だと、利用者様に「こちらが何を考えているか
くらい、言わずとも察してよ」
なんてケアは
通用しませんよね💦

だからこそ、言語や非言語を尽くして表現するわけですが
それを、ともすれば「優しい」と形容して下さる方も
いらっしゃいます。

相手がそう思って下さるのであれば、何を否定する事も
ありませんが、飽くまで自分は「仕事で関わっている」
というスタンスで、介護をさせて頂いていますし

これからも、そうでありたいと考えています。

色々な介護への考え方、向き合い方があるので
一概にどうという事ではないですし

実際に現場で、熱意を持って介護に携わっている方を
否定したいわけでは、もちろんありません。

わざわざ自分から「介護は仕事で関わっているだけです」
なんて発信をした事は、一度もありません。

ただ、これをご覧になられた方は
「仕事で関わっているだけって・・冷たすぎない?」
などと、思われるかも知れませんよね。

ここからは「なぜ自分がこういう考え方をするように
なったのか」
を、お話させて頂きますね(*‘v‘ *)

【仕事に対しての向き合い方】

まず、自分は確固たる「目的」があって介護士に
なったわけではありません。

目的とは「誰かの役に立ちたい!」とか
「新しい介護士の急先鋒になる!」とか
そういった「高い志」のことです。

では、何故介護士になったのかというと
「人に勧められて、なんとなく」です。

なんとなくで介護をする奴なんているのか?と
思われるかも知れません(;^ω^)

すみません、ぼくがそうでした。

当時アルバイトをしていた職場の直属の上司に
「お前は介護職に向いている」
言われたことがありました。

その方は、ぼくにとって職場の中で
一番怖い上司で、叱責されてばかりでしたし

一緒に働かせてもらっていた中で、その方に
仕事で褒められた事は、一度もありませんでした。

若干美談っぽく聞こえるかも知れませんが
全っ然そんな事はなく、当時は正直、なかなかに
精神的に追い詰められていました。

目をつけられて、毎日怒鳴られていた時は
帰ってから、お湯を張ってない浴槽の中で
裸で一時間体育座りしていたり
(何故かは覚えていません)

今日は何を言われるのだろう
また怒鳴られるのかな、失敗したらどうしようみたいな
ストレスで、吐き気が一日中収まらなかったり
(実際トイレで吐いていましたが)

仕事を辞めることだけを考えていたけれど

辞めたら食べていけないな、ぼくを雇ってくれる所なんて
もうないだろうし、実家に帰るしかないかな
でも帰っても親に迷惑をかけるな、だったらいっそ
自殺しようかな、みたいな

超がつくネガティブ思考で、本当に
「今日も一日、なんとか生き延びた・・」
みたいな感覚を持ちながらの日常生活でした。

そういうしんどい時期が一年くらい続いたのですが
怒られながらも、シフトを欠勤せずに埋めていたお陰で
(後で聞いたことですが)
「こいつは仕事は出来ないけど、根性だけはある」と
その一点だけを評価してくれたみたいで

「お前は介護に向いている」
という言葉は、そこからのものだったのかも
知れません。

で、その方が色々な理由で職場を離れた時に
「もうあの人に怒られなくてすむ!」と
僕は内心小躍りしていたのですが

「俺の知り合いの介護の会社の
面接を受けてみないか?」と勧められて

「分かりました」と返事をしたわけでした。

・・お分かりのように、介護に興味があったというよりも
今までの関係性もあり、お誘いを断れなかったんです。

こういった流れで、
介護の仕事を選択したわけですが、当初は
人の役に立ちたいとか、福祉の仕事が
したいといった、目的意識は特になかったです。

面接に合格して、実際に働くとなってから
色々と介護について調べたりはしましたが
インターネットの、介護士さんの書き込みに

「介護士に向いているかどうかは、何日も便が出ていない
利用者さんの排便が、たくさん出た時に喜べるかどうか」

みたいな事が書いてあって

「人の便を見て、自分は喜べるのかな・・」と、
調べるほどに、不安は増しました(;^ω^)

その時の同じアルバイトのスタッフさんにお話ししましたら
「介護士は、保育士と違って、成長に携わる仕事ではないし
衰退させないように関わって、終わりを見届ける
仕事だから、意欲を維持するのが難しいって聞くよ」
とか

「介護はしんどいぞ・・絶対続かないから
やめとけよ」
とか

「お前が半年、介護を続けられたらおごってやるわ」
みたいに、みなさん、肯定的に介護を・・というか
ぼくのことを捉えていない(ようにみせて、発破をかけて
くれていた)ように思います(;^ω^)

で、いざ実際に現場に入ってみたら
どうだったかというと・・

個人的には、アルバイトの店舗接客の方が
何倍もしんどかったです。


介護施設っていわゆる「3K」のような、労働環境の
良くないところだと、勝手に考えていました。

グループホームで、身体的に重度の方が
あまりいらっしゃらなかったのもありますが、
仕事中にイスに座って作業が出来る時間がある
衝撃でしたし、

「お年寄りの施設って、施設の雰囲気とかも
暗めなのかな・・」
みたいな失礼な事を
ぼんやり考えていましたが、利用者様、職員さんともに
すごく明るくて、前向きな方が多かったです。

認知症の周辺症状も、自分が聞きかじったものや
想像していたものよりも、随分マシに思えたので
「想像と全然違う!」とびっくりしました。

怖~い上司に正当な理由で叱責されていた頃と
比べたら、本っ当に楽だったんです。

自分が働かせて頂いた施設が、たまたま
自分に合っていただけかも知れませんが
その職場で年数を重ねる事が
出来て、良かったなと思っています。

特に印象に残っていることは
看取りを経験させてもらったことです。

看取りとは、施設で終末期を迎える選択をされた方に
介護士として、その方にとって適切なケアを
実施する事ですが

「人の生命活動が終わる瞬間」を実際に経験した時は
家に帰っても、しばらく気分が沈みました。

「もっと出来ることがあったかも」
「自分の対応は、これで本当に良かったのか」


など、考えても仕方のないことを考えたりもしました。

実際、看取りでショックを受けて、その後の勤務に
影響を受けた方も、何名かいらっしゃいました。

【燃え尽き症候群】

「燃え尽き症候群」という言葉があります。

強い責任感を持って仕事を実施していた人が
何らかの切っ掛けで意欲を失ったり、落ち込んだりする
症状を指します。

対人援助職の方が陥りやすい症状のようですが
自分は、それに近かったのかなと思います。

ぼくも、その時は辞めようかなとも思いました。
嫌とか、辛すぎて、というわけではなく
言い表せない空虚感というか、自然と考えていました。

でも、これで退職する事に何の意味があるのか
見出せなかったので、その時から、
少しずつ、介護に対する考え方を変えようと思いました。

以前は「介護士なんだから、人に対してもっと
興味を持たないといけない」
とか
「ボランティア精神が必要な仕事なんだ」とか
「想いが熱い人ほど、良い介護士になれる」とか。

勝手に自分で考えて、どれも自分にない要素で
劣等感を覚えていました。

ですが、年数を重ねるうちに、人に対しての想いが
熱い介護士さんほど、接遇を疎かにしたり
主体が介護士のように捉えられるようなケアをしたり


自分のケアに自信を持つがあまり、他の職員と
ケアの方法で揉めた結果、退職してしまったり・
という
状況を、頻繁に見るようになりました。

人が人を想う気持ちは、性格と同じで
多様な表現方法があるのに、それが自分と違うだけで
人と諍いを起こしたり、揉めたり・・

それで辞めてしまう選択をする人達を見ながら
「想いの熱さって、結果マイナスな事が多いのかな・・」
って、考えるようになりました。

管理者をさせて頂くようになってからは
「現場の職員さんの、利用者様に対する熱い想いを、
どうすれば良い方法で、伝達させてあげられるか」

考えています。

気持ちが入ると、声が大きくなりますよね。
相手の事を想うと、色々して差しあげたくなりますよね。

出来るなら、それをそのまま表現せずに
「接遇」のフィルターを通して、発信して欲しいなと
思っています。
それは、同じ職員さんに対してもそうです。

相手に伝わらない正論は、意味を成しません。

自分は正論にこだわらずに、お互いが気持ち良く
働けて、利用者様がのんびり出来る環境の
職場、施設、家を皆さんと作っていけたら
いいなあと思っています。

長く介護職を続ける中で、自分の仕事に対しての
介護への向き合い方は

「自分がボランティアをしてでも、相手に尽くす」から

「仕事というフィルターで、気持ちを線引きしながら、
関わる全ての存在の、折り合いをつける」

というものに変わりました。

これは、管理側の立場を経験させてもらっているのも
大きいと思います。

【まとめ】

今回は「福祉に関わるには、強い動機は必要か」
について、書かせて頂きました。

一個人の意見ですので、参考にならないかも
しれませんが、自分に確かに言えるのは
「仕事の介護を始めた時、強い動機なんてなかった」
ことです。

「生きる意味」とか「なぜ生きているのか?」といった
悩みのように「生きる事そのものに明確な目的はなく、
生きていく中で、自分なりの意味を見出す」
ような事と
似ていたなと思います。

日本人は生真面目な気質ですので、考え方も
「他人に迷惑をかけてはいけない」という教え方をしますが
インドでは「人は迷惑をかける生き物なので、他人の事も
許してあげなさい」
と、教えるそうです。

仕事で福祉、介護に携わる方は、自分を守るためにも
色々な価値観に触れて、受け入れる努力をすることって
大事なのかもしれないと、長く介護職をさせて頂く中で
思いました。

というわけですので、人に対して熱い想いがある方は
もちろんなのですが、明確な理由がたとえなくても
「仕事の介護」を始めてみても、良いと思います。

ぼくのように、意思や発信力が弱く、
自分きっかけで成長が出来ない人間でも
周りの環境が成長を促してくれる、そんな仕事が介護です。

読んで下さってありがとうございました。

魔法は使えないことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「人は魔法が使えるのか?」
という内容です。

結論から伝えますと
「人は魔法が使えません」という事です。

・・何が伝えたいのか、これだけでは
さっぱり分かりませんね💦

よろしくお願いいたします( *´艸`)

【魔法なんかじゃない】

まず、自分の話をさせて下さい。

ぼくは現在、介護施設で管理者をさせて
頂いています。

立場的には役職を頂いていまして
請求業務や、シフトの管理などが仕事です。

どの業態も同じかと思いますが
介護施設も、人員が足りているとは言い難く

日によって、現場で勤務される職員さんが
足りない、なんて状況はザラにあります。

そんな時、ぼくも現場で勤務させて頂いています。
元々現場育ちなので、自分的には何の苦もありません。

現場の日は、他の職員さんと協力して
利用者様の介助(お世話)をさせて頂くのですが

たま~にぼくの介助を、職員さんがこう表現して
下さるんです。

「管理者さんの介助は、魔法みたいですね」

何故、こんな事を仰って下さるのかというと

例えば、職員さんが認知症の利用者様に対して
「〇〇さん、トイレに行きませんか?」と
声掛けをさせて頂いても、上手く誘導出来ない。


果てには「もう、ええって言ってるのに!
誰かきてー!!」みたいに、利用者様が立腹されて
目的が達成出来なかった。

そんな状況のあとでぼくが、トイレ誘導のお誘いをすると
拒否もなく、スッと立たれてお手洗いに行かれた。

そういう状況を何回か目撃されているので
「管理者さんすごい!魔法みたい!」という
表現で、対応を褒めて下さって頂いているのだと
考えています。

もちろん褒めて頂けて、とっても嬉しいですし
意欲も爆上がりします。

と同時に、心の中でこういう想いも
次第に芽生え始めました。

「魔法なんかじゃない。
努力で身に着けた技術なんです」

【ユマニチュード】

「ユマニチュード」という言葉を聞いたことは
ありますでしょうか?

介護の仕事をされている方でないと
聞き馴染みはないかなと思います。

「ユマニチュード」とは
フランス語で「人間らしさ」を意味する言葉です。


「人とは何か」の哲学的な思想を元にした
「認知症の方に効果的なケア」の考え方
実践的な技術の総称です。

この「ユマニチュード」はよく
「魔法のような認知症ケア」と称されます。

「ユマニチュードを実践して、認知症の方の
周辺症状(認知症を起因とした様々な行動、言動)が
収まった。マシになった」

「お薬をいくら飲ませても
環境を変えてもダメだったのに、凄い!」


みたいな事例が、いくつもあるみたいです。
テレビなどでも紹介される時「魔法のような」という
形容をされることがよくあります。

ここだけ聞くと「へぇ、ユマニチュードってすごいなあ
どんな方法なんだろう」
って思われますよね?

細かい説明は省かせて頂きますが
ユマニチュードを、簡単に説明すると

「目を合わせて、相手のお話をちゃんと聞いて
優しく触れて、穏やかに前向きな表現で返答して
相手の意思を尊重しながら、生活のお手伝いをする」

というものです。

あなたにお聞きしたいのですが

これ「魔法」だと感じますでしょうか?

ぼくもあなたも、基本的には
普段、人に対してしている事ですよね?

ごめんなさい「ユマニチュード」を否定している
わけではなくて、僕が疑問に思っているのは

「ユマニチュードを魔法と表現すること」です。

「認知症の方に、上記の対応をする事が
まず難しくて、それを実践出来るから魔法なのでは?」


そうですね。それこそ認知症の周辺症状と
いうものは、発現理由も人によって様々です。

「徘徊」の症状ひとつとっても

「帰る家を探している」
「死別した伴侶を探している」
「失った何かを探しているが思い出せない」
「理由はないが、なんとなく歩きたい」

みたいに「徘徊という行動」は同じでも
「理由」は皆様違います。

その中で、ユマニチュードを過不足なく
実践出来る人は「魔法」と称されても
違和感はないのかも知れませんが

そこは「魔法」ではなく

実践者が「いかにユマニチュードの効果を
最大化するか」を考え、試行錯誤を重ねて体得した

「技術」

と、表現すべきなのではないのかなと
思うのです。

【「魔法みたい」という表現の危うさ】

「魔法」という言葉の意味ですが
「人間の力ではなし得ない不思議な事を行う術」

創作の世界、主にファンタジーなどでは
「敵に対抗する手段」
「絶対不利な状況から抜け出す奇跡の一手」

のように、とても幅の広い解釈と用途で
使われていますよね。

飽くまで自分の感覚としてですが

実際に成果の出ていること、ものを
例える時「魔法みたい」という表現を使われる方って

「瞬間の結果にしか目を向けていない」ような
印象を受けるんです。

ぼくの介護の話で例えますと

自分はコミュ障で、人と積極的に関わったり
喋ったりすることは、得意ではありません。

介護の仕事は10年くらい続けていますが
「お誘いする声掛け」だけをとってみても、

利用者様の中には、けんもほろろに断られたり
いきなり立腹されたり、上手くいかないことも
多かったです。

それでも、何年も現場で働かせて頂くうちに
「この人は、一緒に歩きながら
声掛けすれば成功確率が高いな」とか

「このタイミングで声掛けしても厳しいな」とか

「この人には、このくらいのテンポ、声量で。
右耳が聞き取りやすいから、肩に手を置かせてもらって
このワードで声掛けしよう」みたいに

段々と「自分の特性」と「相手の特性」の
両方が、掴めてくるものです。


言ってしまえば「声掛けのマニュアル」が
確立出来ている状態なんです。

今の自分の職場環境は
立場的には管理者、そして利用者様は
オープンの頃から知っている、関係性の出来た方。

ぶっちゃけ毎日、完全に「ホーム試合」です。

成功した瞬間だけみたら「魔法みたい」と思うのは
不思議ではないのかも知れません。

ですが、職員さんが魔法のように見えているのは
「楽に仕事と向き合える環境を生み出すため
苦労して考え、実践し続けてきた成果」
であり

「努力を重ねた経験から得た、お客様と接する技術」
何者でもないのです。

【「〇〇だから、出来たんだろ」】

「キングコング」というお笑い芸人さんを
ご存知ですか?

現在、梶原さんはyoutuberで登録者200万人以上で
いまの、芸能人のyoutube参戦祭りのきっかけとなり

西野さんは絵本や個展、日本1位の
オンラインサロンを運営されている方として

コンビで突出した結果を残されている方々です。

ごめんなさい、数年前まで
あんまり好きな芸人さんではなかったんです💦

梶原さんがyouteberを始めた直後くらいから
芸人さんとの対談動画を目当てに見ていたのですが

その時の梶原さんの、聞き役としての上手さや
想いなどを拝見するたびに
「テレビの時の印象と違うなぁ」と思うようになり

結果的に良くも悪くも「テレビ」が
いかに印象を操作する力が強いかが分かりました。

西野さんも、同様です。
梶原さんきっかけで「毎週キングコング」という
毎週お二人で雑談するチャンネルも見ているのですが

その時の西野さんの、梶原さんに対しての
「聞く姿勢」の素晴らしさが好きで
「本当、イメージって当てにならないんだな」
偏見だらけの自分を恥じました。

ちょっと本題とズレました、ごめんなさい💦

例えば、キングコングのお二人の
「努力量」「作業量」を知らなかった
以前の僕のような人間からすれば

「キングコング梶原
Youtube登録者数200万人突破!」
「キングコング西野、オンラインサロン
6万人突破!国内1位!」


という
「結果」だけをポンと突き付けられた時

「そりゃキングコングだからなぁ」とか
「あの二人だから出来たことでしょ」みたいな

「もともとその人は能力あったんだから」という
考え方、納得の仕方をしてしまいがちと思うんです。

これって、前の項目でお話した
「技術を魔法と形容している」のと
考え方としては同じなのかな
と、思ったんです。

こういう考え方をするようになると
「積み上げる思考が出来なくなる」というか

「継続することで得られる価値」を
知らず知らずのうちに、自分から
放棄してしまう人間になってしまうのでは
ないのかな
と、考えるようになりました。

キングコングのお二人が突出した結果を残せたのは
才能はもちろんですが
凄まじい努力と、作業量がすべてです。
決して「有名だから」ではありません。

ぼくが、キングコングの何を知っているわけでも
ありませんが少なくとも、人が結果を残した時は

そこに至ったその人の背景も想像しながら
自分とも比較して、物事を考えられたら
いいなと、いまは思っています。

【まとめ】

今回は「人は魔法が使えるのか」という
テーマで書かせて頂きました。

「魔法みたいですね!」と褒められて
引っかかるような偏屈は、多分僕だけです💦

相手もそんな深く考えているわけでは
ないと、分かっていますので
職員さんに指摘したりはしません(;^ω^)
(むしろネタを頂けて感謝しています)

有名人が、最初から有名だったわけではないし
結果を残した人の結果が、最初から
そこにあったわけではありませんよね。

色々考えるのは、やっぱり
「自分がより良く生きていくため」です。

他人を否定せず、受け入れながら
その行動や発言を自分の糧に出来ればいいな

思う、ことばでした( *´艸`)

読んで下さって、ありがとうございました。

ドメイン?ことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは、僕が目指している
「ブログを収益化する」までの道のり(の途中まで)を
主観でお話します、という内容です。

途中までという言葉どおり
まだ1円も稼げていません(;^ω^)

自分が、どういう手順で進めているのかを
記録しておいた方が、3年後とかに読み返したら
ニヤニヤ出来るかもというのがネタにした動機です。

PV、UUを報告している「ブログ活動報告」と同様

「ブログでお金を稼ぐ事に興味を持たれている方」
に少しでも、知識としてのお役に立てれば
いいなと思います。

実績0円の人間の文章となりますが
読んで頂けたら嬉しいです(*´v`*)

 

【初めに】

まず、いきなり夢の無い話を
しなければなりません💦

「楽してお金を稼ぎたい」のであれば
「アルバイトした方がいい」
です(;^ω^)

労働者なんて楽ではない?

いえ、労働者の方が楽です。
これは成果報酬型のお金の稼ぎ方に
チャレンジして、現在実感していることです。

ツイッターなどで調べると
「ブログ初めて1ヶ月で〇万円達成!」とか
「3ヵ月継続して、月に〇十万PV!」とか

結構、華やかで楽そうな成功事例ばかりが
目につきますが、そういう方は芸能人で
成功されている人と同じように、ほんの一握りです。

アフィリエイトブログは
短期間に成果が出るようなものではない

ということが、分かってきました。

「成果の出ない自分を守っているだけ」
とも言えるかも知れません(;^ω^)
ただ、包み隠さず伝えたいんです。

【ブログを始めた理由】

ぼくがアフィリエイトに興味を持ったのは
「ゆうしゃ」という、youtubeでゲーム実況や
ビジネスの考えを発信されている方に
影響を受け

「自分も、収入の柱を複数持ちたい」
思うようになったからです。

ゆうしゃさんのことも記事にしています。

なぜブログという手段を選んだかというと

元々文章を書くことが苦ではなかったことと
現在勤めている会社で、社員ブログを担当していて
偉い方からも「ええこと書いてるやん」と
一定の評価を頂いていたことなどで

「自分でブログを書いたら、稼げるようになるかも」
という想いが、段々芽生えていったからです。

その時は、アフィリエイトの意味もピンときて
いませんでしたし、そもそもブログに広告を
貼るやり方も、お金の入ってくる仕組みも
分かっていませんでした。

ライブドアブログを選んだ理由ですが

社員ブログでもライブドアブログを使っているので
慣れていた
ことと、ライブドアブログでは
アフィリエイトをしてもOKだったから
です。

2019年8月初旬にこのブログを開設し
まず雑記的な、日記のような記事を書きながら
反応をみていました。

もちろんPVはずっと0・・。
誰も自分の事を知らないのだから当然です。

「ツイッターで宣伝したら、少しは変化するかなぁ」
みたいに、考えていました。

めちゃめちゃ勇気をだして、ツイッターで
報告したのが8月中旬です。報告したくらいからは
記事の内容で日記的なものを書かないように
気を付けていきました。

【率直な違和感の正体】

ぼくがツイッターで
「アフィリエイトブログを始めます」
発信した後、数日間でフォロワーが
バババっと増えた
期間がありました。

ぼくは普段は余程、その方に興味を持たないと
フォローされてもフォローを返す事は
ない
のですが、ブログを始めた直後でもあり

「こういうのは返した方が、いいんだろうな」
少し自分の考えを曲げて、リフォローをさせて
頂いていました。

フォローして下さった方をリフォローした瞬間に
「フォローありがとうございます!」

「〇〇と申します。ことばさんがアフィリエイト
を始めたきっかけは、なんですか?」


みたいなDMが、ポンと届きました。

最初は「ぼくみたいな何の実績もない人間に
なんて優しい人なんだろう・・!」

反応を頂けた嬉しさや、興味を持って頂けたことに
感謝して、返信させて頂いていた
のですが

日々、同じような内容のDMを何通も頂くたび
次第に違和感が募っていきました。

例えば、たった数通のやりとりで
「あなたとは、気が合いそうなので
電話しませんか?」
などと仰る方がいらしたり

「実はお世話になっている知人の新規案件の
お話があり、ことばさんでしたら
成果を出せると思います。
詳細をお聞きになりませんか?」
など
提案して下さる方がいらして

当時は「アフィリエイトで結果を出すには
こういう積極性が必要なのかな?」
とか

「こういうお誘いは、成功する人間を見極める
振るいのようなもので、僕を試しているのかな?」

とか、結構色々と考えました。

もし自分にサラリーとしての収入がなく
是が非でも短期間に結果を出したかったのであれば
電話をしたり、お誘いに乗っていたかも
知れません。

ですが、ぼくの目的は
「ブログを書いてお金を稼ぐこと」

「人と電話したい」わけでも
「人の事業をお手伝いしたい」わけでも
なかった
ので、申し訳ないと思いながら
丁重にお断りをさせて頂きました。

その頃から、DMを頂くことそのものが
苦痛になってしまいました。

やっぱり、どうしても感じてしまう違和は

「ビジネスで考えた場合、収益ゼロ、
実績ゼロの人間の相手をする事は
時間の無駄でしかないのに何故?」

というものでした。

あなたも、そうではありませんか?

「競争」の世界で、まだ実績のない人間に
興味を持つ理由はなんでしょうか?


考えられる理由は、2つです。

・それが自分の利益に繋がるから
・相手に途方もない才能、能力を感じるから


ぼくの場合、後者では無いことは
分かります。才能があるなら
すでに結果を出していますw

もちろん、この2つを同時に満たしている場合も
あるとは思いますが(相手に投資するという意味で)
自分には、置き換えられませんでした。

DMを送る相手が
「自分より実績のある人間」でしたら

「この人と電話をしたい」と思う事も
「新規の事業のお手伝い」をお願いする事も
自分の利益に繋がるため、理解できるのですが

実績のない人間に、上記のような提案を
DMでされる理由って、悲しいのですが
「良くない想像」しか、浮かびませんでした。

もちろん、DMを下さった方々に
何らかの悪意があったなどとは
思っていません( *´艸`)

ただ悪意はなくとも

「数通のやり取りで気が合いそうだと
思えてしまい、それを文章で送ってしまえる
価値観の人」と自分とは、多分合わない
だろうし

仮にビジネスパートナーになっても、お互いに
ストレスを溜めてしまうのではないかなあ

思えてしまいます。

これは自分がコミュ障であることが
原因です、申し訳ありません💦

ツイッターで「DMは確認しません、ごめんなさい」と
打った途端、DMはピタっと届かなくなりました。

ほんとうに、ホッとしましたけれど
やっぱり申し訳のなさは消えないものですね💦

【ドメインを変えた理由】

最初はブログを、ほぼ毎日更新していましたが
30数日間しか続きませんでした💦

「1記事2000文字以上」
「構成を考える」
「他人の観賞にある程度耐えられるものを」

などの自分的な条件を意識していたので
次第に苦しさが、楽しさを上回るようになりました。

この辺の想いは、こちらの記事で書いています。

「第3回ブログの今を、ご報告するの巻」
「第4回ブログの今を、ご報告するの巻」
色々と気持ちを整理して、5月の終わりくらいから
またブログを再開しました。

今は「週に1記事以上」を目標にしています。

サーチコンソールで分析したら
上位表示されている記事が少しずつ増えてきている
みたいで、現在PV、UUともに10を超えるくらい
日が、数日ですが出てきました。

月でみた時、今月はPVが100を超えている記事
ありました。書けない苦しい期間が長かったので
とっても嬉しいです(*´v`*)

6月11日に、A8.netさん経由で
「Amazonの商品をブログに貼っても
良いでしょうか?」
的な申請をさせて頂きました。

これがまさにアフィリエイトというやつで
「自分のブログに貼ったAmazonの商品を
ブログを見に来てくれた方が、クリックして
購入されたら、その代金の〇%分かが報酬で頂ける」

という仕組みです。

その申請は、読ませてもらった限りでは
審査基準がそこそこ厳しめで

結果が出るまで30日前後期間が必要だったり
記事の内容や、記事の量、更新頻度なども
審査対象になっているみたいで

「ま、ダメもとで申請してみよう」
気楽に申請しました。

一ヵ月くらいかかると思っていたのに
通知が来たのが、まさかの翌日
結果は「貼ってもいいですよ~」でした。

「ホントにちゃんと審査しているのかな・・」
内心は思ったのですが、審査をクリアしたのは
単純に、とってもとっても嬉しかったです。

会社の面接に受かったような高揚感でした。

普段は今の立場的に、面接をさせて頂く側なので、
「やっぱり、面接に来てくれた方
ひとりひとりの想いを大事にしないとな」
とも
改めて、思いました。

アフィリエイトとは別の報酬を頂くやり方もあり
こちらは「アドセンス」というみたいです。

アフィリエイトは「自分が貼った広告から流れて
商品を購入してくれた時」
に初めて
報酬を頂けるのですが

アドセンスは「広告がクリックされた段階で
報酬が発生する」
もので

「報酬が発生するまでの難易度」は
「アドセンス」の方が圧倒的に低いです。
(その分、単価は安いのですが)


段々と、その違いも分かってきたので
「Googleアドセンス」も申請してみようと思い
つい先日、申請をしようと思ったのですが

まさかの「無料ドメインでは申請出来ません」
文言・・。

「無料ドメイン?ライブドアブログで最初に
作ったやつのこと?独自のドメインに
切り替える事も出来るみたいだけど
これをしないとアドセンス申請出来ないの?」


「でも、どうやって切り替えたらいいの?」

アドセンスの申請がしたかった

これが、独自ドメインに切り替えた理由です。

【そもそもドメインってなに?】

独自ドメインの取得方法ですが

ネットで「独自ドメインを販売しているサイト」
たくさんありまして、その中のどこかから
購入するだけです。

ぼくは「お名前.com」さんから購入しました。

他にも「ムームードメイン」さん
「VALUEーDOMAIN」さん
「さくらのドメイン」さんなど
購入できるサイトはたくさんあります。

あまり調べずに勢いで購入した手前
「サイトの違い」の比較は出来ないのですが
「お名前.com」さんが購入しにくいことはなく
初心者にも、分かりやすかったです。

「家電を買うお店」の違いのようなものですね。
「ヨドバシカメラ」か「ヤマダ電機」か
みたいな。

吟味したい方は
色々調べてみてくださいね(*´v`*)

ドメインってそもそもなんなの?ですが
「インターネットにおける住所」という

認識が、妥当みたいです。

「インターネット上の住所」は、もうひとつ
「IPアドレス」というものがありますね。

「IPアドレス」と「ドメイン」の違いって
なんでしょうか?

大まかにいえば
「どちらも同一の地点を示すもの」のようです。

「IPアドレス」が「緯度経度」のようなもので
僕らは「自分の家の住所」は覚えていても
それを「緯度経度」で示されても
「???」ってなると思います。


例えば
「緯度:35.456737 経度134:567489」
示されても、その場所が「どこ」なのかが
分かる方って、ほとんどいらっしゃらないと
思いますが

この場所を住所で置き換えると
「東京都練馬区豊玉〇丁目〇番地」となるとして

それでしたら「あ~あそこね」って分かる方も
いらっしゃると思います。
(この緯度経度は適当です、念のため)

コンピューター同士のやり取りだけでしたら
「分かりやすさ」は必要ないのですが

「人同士のやり取り」では、それでは
円滑なコミュニケーションを行うのが難しいため

「IPアドレス」を
「人間に理解しやすい文字列に置き換えたもの」が
「ドメイン」です。


では「無料ドメイン」「独自ドメイン」の違いは
なんでしょうか?

これは「他人の店舗」「自分の店舗」の違いか
だと、ぼくは認識しています。

ブログを始めた時、無料で取得できるドメインは
「お金はかからないけど、こっちのルールには
ちゃんと従ってね。守れないなら辞めていいし
破ったらこっちの判断で処分するね」

という前提で取得するものなので
一定の制約を設けられています。

対して独自ドメインは
「更新料金はかかるけれど、無料ドメインよりも
出来る幅が広がる」
ものかなと考えています。

今回のような「Googleアドセンス」の申請などです。

ただ、ぼくはいま「ライブドアブログ」さんの
「他人様の土地」の中「独自ドメイン」で
「自分の店舗」を出店しているようなものなので

「制約」などは、あまり変わりません(;^ω^)
大手の企業様のサービスを使わせて頂いてる事に
変わりありません
からね。

独自ドメインが本当に活きるのは
「ワードプレス」などで自分のウェブサイトを
作成し、ブログ運営を始めた時かなと思います。

「自分の土地で、自分の店舗を出店する」
そして収益化まで持っていければ
収入の柱を複数持つという夢に、近づくのでは
ないのかなと思っています。

今は「ワードプレス」がなんなのかすら
よく分かっていない段階なので
もう少し、期間はかかりそうですが💦

ここからは、独自ドメインを取得する際に
「やっちまった」僕の失敗です(;^ω^)

【スペル間違え6年契約】

「お名前.comさんでドメイン買おう」
選んでいたのですが、まず

ドメインの後ろの
「.com」やら
「.net」やら
「.Jp」やらの違いが
さっぱり分かりませんでした。

しかも値段が違う・・。
1円のものもあれば、数万円のものもあり
「なんじゃこれ・・」状態でした💦

ネットで違いを調べてもですね

TLD(トップレベルドメイン・・末尾の記号のことです)は

「金額が高い方がSEOに有利」とか
「SEO関係ない」とか
「最初が肝心」とか
「好みで選んでも大丈夫」とか・・

情報の玉石混交状態で
正直どれが正しいのか、判断できなかったです。


ぼくが選んだ方法はですね

まず「ゆうしゃ」さんで検索して
「ゆうしゃさんのFXのサイト」を確認しました。

そのブログのアドレスの末尾が「.com」だったので
「ゆうしゃさんが.comなら、.comにしよう!」

それで「.com」にしました。

もし、あなたが独自ドメイン取得の際
末尾の記号で悩むことがあれば

「自分の好きな人が運営しているサイト」を
確認すると、いいかも知れませんっ


そして晴れて、独自ドメインを取得したのです。

kotoba-0bigi.com
というドメインを、まず3年更新の契約
オプションなども含めて購入しました。

もろもろ1万円、かからないくらいでした。

で、ちゃんと購入出来たのか確認している中で
どうやら「同じ契約で2回購入していた」らしく
気づけば「3年契約をもう3年延長した状態」の
「6年更新しなくていいよ」になっていました。

「まあ、使うものだからいいか」と
その時は気にしていませんでした。

で、ライブドアブログで、無料ドメインから
独自ドメインに切り替える操作を調べながらして
無事に完了。

取得から切り替えまで、3時間くらいかかりました。

「よし、ツイッターで報告しよう」と思って
自分の独自ドメインのスペルを見直した瞬間、戦慄。

「bigi・・?ビギってなに・・?」
「ビジネスのスペル間違えてるこれ・・?」


「ことばの0からのビジネス」という
タイトルのブログで、分かりやすくするために
kotoba-0bigi.comというドメインを取得したのですが

「business」の「busi」の部分を、何を血迷ったのか
「bigi」というスペルで打ち込んで、取得していました。

正直気づいた時の絶望は、ハンパなかったです(;^ω^)

もちろん返品や解約できるものではないので
6年契約したドメインは諦めて、改めて
「kotoba-0busi.com」というドメインを取得し
ブログで再度、ドメインを切り替える作業を行いました。

1年契約で。

最初は3時間かかったことが、
2回目は5分で出来ました。

やってみるものですね。

絶対に誰も気にしないし、気づきもしないことだし
他人にとっては、何の意味もない、
どうでもいいことだと分かっているのです・・。


ですがぼくは、僕の見栄の感情を捨てきれませんでした。

そもそも学生の頃、英語をきちんと勉強していれば
良かったことなのです。ほんとお恥ずかしい限りです。

【まとめ】

今回は「ブログの収益化までの途中の道のり」
記事にさせて頂きました。

今はドメインを変更した手前
「いつ検索順位が下がるのか」にドキドキして
その日を待っているような状態です。

アドセンスの申請は、今の
順位変動のドキドキが落ち着いてから
しようかなと思っています。

申請の通ったAmazonの広告も
貼らないとなあと思っているのですが
多分貼るまでに数時間かかると思うので

その時間に、記事やイラストを描きたいなあ
と思ってしまいます・・どうもダメですね(;^ω^)

やっぱりぼくは、自分の性質的に
アフィリエイトに向いていません。


でもだからといって、向いてないから
辞めるのかというと、そういうものでも
ないですよね。

仕事って、続けてみて初めて分かること
ばかりです。

サラリーの収入があることが、こんなに
有難いことだと気づけたのは、確実に
このブログを始めたお陰です。

ブログを始める前は
「仕事、だるいし早く辞めたい」
「早く会社辞めて、働かずに暮らしたいから
貯金しまくるぞ」

くらいにしか思っていませんでした。

今は「会社は絶対に安易に辞めるべきじゃ
ないな。サラリーマンって恵まれているじゃん」

「成果じゃなく、時間に対して
お金が支払われるのって、有難いことなんだな」

と、価値観が変わりました。

「自分の本業の価値」を、改めて見直すためにも
副業って、やる価値はありますね( *´艸`)


このブログで1円でも稼げるようになった時
仕事、お金に対しての価値観がどう変わるのか
とても楽しみです。

こんな長文にお付き合い頂いて
ありがとうございました(*´v`*)

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