
こんにちは、ことばです( *´艸`)
今回のテーマは
「がんばらなくてもいいけれど・・」です。
あなたは「がんばれ」って
言ったり、言われたりしたことありますか?
がんばっている人、無理しているなと感じる人に
清涼剤的に、かけてあげたくなる言葉かもしれません。
ただ、この言葉、個人的には使うとき
または使われるとき
ちょっと気を付けないといけないかも?と
感じています。
その辺の機微も含めたお話ができたらいいなと思います。
よろしくお願いします。
【「がんばれ」は重い言葉?】
「がんばれ!あなたならできる!」
「ここまでやってきたんだろう?もっとがんばれよ」
「お仕事がんばってね!」
自分が相手に期待しているときや
元気を出してもらうために
「がんばれ」と、人は伝えます。
この「がんばれ」という言葉を、例えば
「落ち込んでいる状態の人に対して、使用しない方がよい」
みたいな暗黙のマナー、ご存じですか?
自分は、テレビとかの情報を見聞きして
なんとなくですが、伝わっています。
「そうなんだ~」程度の知識と認識ですが
それ以降は、誰かに個人的なメールをする時は
なんとなく「がんばって」という文言は使用していません。
ぼくは根は暗いですが、相手とやり取りする時は
お互いに気持ち良くやりとり出来ればいいなと
思っていますし
文面だけでは、相手の状態を推し量るのが
難しい事もありますので
「がんばれ」という文言の代わりとして
「無視しないで下さいね」みたいな言葉を
使用するようになりました。
「がんばれ」という言葉、人に寄っては
とても重く捉えられます。
自分はただ励ましているだけのつもりでも
相手にはプレッシャーにしか感じてもらえなかったり
「もう十分がんばっているのに
まだがんばらないといけないの?」みたいに
言葉をプラスに考えられない時
「がんばれ」がその代名詞のように
なってしまいます。
あなたも、きっと同じような経験をされていると
思います。誰かに「がんばれ」と
言ったり言われたりする中で
自分の意図が上手く伝わらないモヤモヤした葛藤を
抱えておられるのではないでしょうか。
どんな言葉も「重く捉える」のは相手であり
自分との関係性、立場、信頼で変化するものです。
「相手を励ますことも出来ないのかよ」と
憤るよりも、個人的には
自分が相手と良好な関係を築けていれば
たとえ自分が「がんばれ」と言ったとしても
相手は適切に、受け止めてくれるように思いますし
関係性が出来ていれば、相手は自分の言葉の意味を
汲み取ろうとしてくれるので
お互いに誤解で嫌な思いをする状況も
減るのかも知れませんね。
京都のぶぶ漬けや
月が綺麗ですねの意味など
皮肉や照れ隠し、裏腹な感情からか
ひとつの言葉に沢山の要素、意味を
隠したり、持たせたりするのが
日本人の奥ゆかしさ、日本語の楽しさの
一つでもあるのですが
昨今のメディアに代表されるような
自分が子供の頃と比べての
やや過剰とも思えるような表現の規制は
SNSの普及によって発信する力を得た人々が
苦情、クレームをスポンサーの企業に
なりふり構わずにされるようになった事も
無関係ではないかなと思います。
ネットの普及する以前から
電話などでクレームを
入れていた視聴者さんはいらしたようですが
SNSは「個」ではなく「群」なので
そういった時代の波が、急速に
現代の価値観として、形作られたのでしょうね。
人が人に優しい世界は大好きですし
その形に近づいている過程なのであれば
受け入れるべきことなのですが
いま、この世界に生きて実感している感覚は
その理想に近づいているとは
感じがたいものではあります・・。
チームで認知症の施設利用者様の
お世話をする仕事なのですが
身体介助という業務がありまして
例えば、おひとりでは排泄が困難な方の
サポートとして、車椅子で
お手洗いまでお連れして
ご自分で立位(立った状態のままの姿勢)
が取れない方に、体を抱えて支え
便座に移って頂くという動作のサポートを
しています。
排泄介助は1日に複数回、実施します。
トイレが1日1回で済む方はいないので
当然ですよね。
例えば、利用者様が大柄な男性の場合
女性の職員さんだと、何度も業務をこなすのが
肉体的に、大変な作業であるのは
お分かりになるかと思います。
自分は管理者をさせてもらっているので
職員さんの業務の相談などを
よく受けるのですが
「管理者、私では〇〇さんの介助は無理です!」
「なんとかして下さい!」
のような相談を受ける場合もあります。
あなたなら、こういう時に
なんと返答しますか?
こういう相談、割りと日常茶飯事なのですが
返答はとても難しいんです💦
例えばぼくが
「いや、仕事なんですから
やってもらわないと困るんです」とか
「ぼくは出来ますよ?
〇〇さんが出来ないのは、単純に
技術や努力が足りないんじゃないですか?」
みたいな言葉をかけたら、どうなると
思われますか?
多分、ひと昔前でしたら
こういう返答でも、さして問題に
ならなかったと思うんです。
今、こんなことを職員さんに
言おうものなら
「管理者にこんなひどい事を言われた!」と
他の職員さんに言いふらされますし
その程度ならまだいいのですが
話を膨らませて本社や外部に
相談される可能性がとても高いです。
現代の風潮は、被害者の被害者意識を
より増大させて、加害者を追い詰めてしまう
構造を孕んでいるように感じています。
物事の大小はあまり重視されずに
構図だけを見て、加害の側をより批判する
体制といいますか・・。
すみません、いつも話が長くて💦
僕は職員さんの相談に対しては
まず「この人が何を問題にしているのか」と
「根本を探り、解決できるかどうか」を
意識するようにしています。
「介助が無理!」と仰る職員さんには
「そうなんですか、確かに〇〇さんの介助は
大変ですよね。他の職員さんも大変だと
言っていました」
みたいに、初手で想いに「共感」します。
この時点でトーンダウンされる方も
いらっしゃいます。
ここで「相談」か「愚痴」かを見極めます。
愚痴でしたら、一通り想いを聞かせて頂いたら
「聞いてくれて、ありがとうございます」と
スッキリして、また仕事をして下さいます。
男性の自分からしたら「聞くだけでいいの?」と
拍子抜けする事もありますが
そこは男女の違いなのかも知れません( *´艸`)
相談の場合は、職員さんが感じている
「問題はどこか」を質問しながら考えます。
無理だと思う理由は
「利用者様との体格差?」
「認知症の方とのコミュニケーション?」
「自分の体調?腰を痛めているの?」など
仕事でしている事を「無理」と
ひと言で片づけられると、
自分の本心としては「ん?」と
構えてしまうところがあるのですが
言葉に惑わされず、分解して
問題を突き詰めるように、心掛けています。
それでですね、ごめんなさい💦
ここからが本題なのですが
「がんばらなくても大丈夫ですよ」という
言葉を、職員さんにかけさせて
頂いた事があるんです。
それは、相談された中で
「私はこんなに仕事をがんばっている」的な
ことを言われた時、少し肩の力を抜いてもらおうと
意図を込めて言ったつもりなのですが
その職員さんが言葉を割と額面通りに
受け取ってしまったみたいで
苦手な利用者様の業務を避けたりなど
怠慢ではないのですが、自分のやりやすいように
仕事をするようになってしまいました。
「がんばれ」と「がんばらなくてもいい」は
言葉の意味的には真逆なのに
相手に誤解を生んでしまいやすい言葉なのですね。
配慮が足らなかったなと反省しました。
がんばる必要はありませんし
他人の「がんばれ」には、深い意味は
ありません。
それと同様に「がんばらなくてもいい」を
受け入れすぎる事も、少し難点なのかなと思います。
恐らく「がんばれ」を重く感じる方は
「がんばらなくてもいい」を必要以上に
受け入れてしまいがちかと考えます。
これは介護の仕事の話ですが
がんばらない職員さんが、
手のかかる利用者様の介助を
避け続けたら、どうなると思いますか?
がんばらない職員さんの仕事のカバーは
他の職員さんがします。
「がんばらない人」が多ければ多いほど
他の人を「がんばらせてしまう」んです。
この状態は職場で色々な問題を生んでしまいます。
「なんでこの職員さんは
〇〇さんの介助に入らないの?」
「なんで私ばかり、この人の介助をさせるの?」
とか。
信頼関係が崩れると、施設全体でケアの質が
下がりますし、結果的にがんばらない人も
損をしてしまうと思います。
問題は、問題に感じる人がいて
初めて問題になります。
行動の責任は最終的に自分がとるしか
ありませんので
人がかけて下さる言葉に
必要以上に重きを置かないようにしたいですね。
個人的な経験から書かせて頂くと
他人に自分の弱さを吐き出すことは
「信頼」と引き換えにしているなと
考えています。
人と仲良くなると
個人的な悩みや愚痴を聞いてもらったり
すると思いますが
その頻度が多くなったり
あまりにも一方的になると
次第に、友達から連絡がなくなったり
距離を置かれたりしませんか?
あれは、今まで築いてきた「信頼の貯金」を
自分の「愚痴」や「悩み」を聞いてもらう
対価として、支払っているもので
弱さを自覚して、自分の中である程度消化しないと
次第に、それを発揮出来る状況や場所が
狭まっていくのではないかなと考えています。
「弱い自分を認める」ということは
そのまま「強さ」に繋がるということ
なのかも知れませんね。
それは、がんばる他人あっての考え方かも」
という内容で、書かせて頂きました。
現代はSNSの普及により、
誰でも気軽に発信できる
世の中になった功罪として
被害者の被害者意識は増大し
加害者に対しての排斥は日を追うごとに
高まるような風潮です。
優しい世界の過程の中での
現在の状態であれと願うのですが
あまりそういう印象は感じ取れない中
「がんばれ」「がんばらなくてもいい」
それぞれの他人からの言葉を
あまり重く受け止めすぎないように
過ごしていきたいものですね。
自分の人生の責任は、自分しかとれません。
「あの時、あいつががんばれなんて
言わなければ・・!!」なんて
今際の際に思う人生、やりきれないです。
「がんばらなくてもいい」
この言葉は、とても優しいものですが
「もうがんばらない」と決めた
自分を支えるのは
「いまもがんばっている」
他の誰かの存在なのかも知れません。
他人に優しく、甘く接するだけで
生きていけたら、本当に楽で
幸せなんですけどね( *´艸`)
あなたも、無理なさらないで下さいね。
以上、ことばという他人のことばでしたっ
読んでくださってありがとうございました。
抱えておられるのではないでしょうか。
どんな言葉も「重く捉える」のは相手であり
自分との関係性、立場、信頼で変化するものです。
「相手を励ますことも出来ないのかよ」と
憤るよりも、個人的には
自分が相手と良好な関係を築けていれば
たとえ自分が「がんばれ」と言ったとしても
相手は適切に、受け止めてくれるように思いますし
関係性が出来ていれば、相手は自分の言葉の意味を
汲み取ろうとしてくれるので
お互いに誤解で嫌な思いをする状況も
減るのかも知れませんね。
【捉え方の温度と感覚】
人は、言葉を様々な要素と絡めて捉えます。京都のぶぶ漬けや
月が綺麗ですねの意味など
皮肉や照れ隠し、裏腹な感情からか
ひとつの言葉に沢山の要素、意味を
隠したり、持たせたりするのが
日本人の奥ゆかしさ、日本語の楽しさの
一つでもあるのですが
昨今のメディアに代表されるような
自分が子供の頃と比べての
やや過剰とも思えるような表現の規制は
SNSの普及によって発信する力を得た人々が
苦情、クレームをスポンサーの企業に
なりふり構わずにされるようになった事も
無関係ではないかなと思います。
ネットの普及する以前から
電話などでクレームを
入れていた視聴者さんはいらしたようですが
SNSは「個」ではなく「群」なので
そういった時代の波が、急速に
現代の価値観として、形作られたのでしょうね。
人が人に優しい世界は大好きですし
その形に近づいている過程なのであれば
受け入れるべきことなのですが
いま、この世界に生きて実感している感覚は
その理想に近づいているとは
感じがたいものではあります・・。
【言葉の限界】
ぼくは、介護の施設で働いています。チームで認知症の施設利用者様の
お世話をする仕事なのですが
身体介助という業務がありまして
例えば、おひとりでは排泄が困難な方の
サポートとして、車椅子で
お手洗いまでお連れして
ご自分で立位(立った状態のままの姿勢)
が取れない方に、体を抱えて支え
便座に移って頂くという動作のサポートを
しています。
排泄介助は1日に複数回、実施します。
トイレが1日1回で済む方はいないので
当然ですよね。
例えば、利用者様が大柄な男性の場合
女性の職員さんだと、何度も業務をこなすのが
肉体的に、大変な作業であるのは
お分かりになるかと思います。
自分は管理者をさせてもらっているので
職員さんの業務の相談などを
よく受けるのですが
「管理者、私では〇〇さんの介助は無理です!」
「なんとかして下さい!」
のような相談を受ける場合もあります。
あなたなら、こういう時に
なんと返答しますか?
こういう相談、割りと日常茶飯事なのですが
返答はとても難しいんです💦
例えばぼくが
「いや、仕事なんですから
やってもらわないと困るんです」とか
「ぼくは出来ますよ?
〇〇さんが出来ないのは、単純に
技術や努力が足りないんじゃないですか?」
みたいな言葉をかけたら、どうなると
思われますか?
多分、ひと昔前でしたら
こういう返答でも、さして問題に
ならなかったと思うんです。
今、こんなことを職員さんに
言おうものなら
「管理者にこんなひどい事を言われた!」と
他の職員さんに言いふらされますし
その程度ならまだいいのですが
話を膨らませて本社や外部に
相談される可能性がとても高いです。
現代の風潮は、被害者の被害者意識を
より増大させて、加害者を追い詰めてしまう
構造を孕んでいるように感じています。
物事の大小はあまり重視されずに
構図だけを見て、加害の側をより批判する
体制といいますか・・。
すみません、いつも話が長くて💦
僕は職員さんの相談に対しては
まず「この人が何を問題にしているのか」と
「根本を探り、解決できるかどうか」を
意識するようにしています。
「介助が無理!」と仰る職員さんには
「そうなんですか、確かに〇〇さんの介助は
大変ですよね。他の職員さんも大変だと
言っていました」
みたいに、初手で想いに「共感」します。
この時点でトーンダウンされる方も
いらっしゃいます。
ここで「相談」か「愚痴」かを見極めます。
愚痴でしたら、一通り想いを聞かせて頂いたら
「聞いてくれて、ありがとうございます」と
スッキリして、また仕事をして下さいます。
男性の自分からしたら「聞くだけでいいの?」と
拍子抜けする事もありますが
そこは男女の違いなのかも知れません( *´艸`)
相談の場合は、職員さんが感じている
「問題はどこか」を質問しながら考えます。
無理だと思う理由は
「利用者様との体格差?」
「認知症の方とのコミュニケーション?」
「自分の体調?腰を痛めているの?」など
仕事でしている事を「無理」と
ひと言で片づけられると、
自分の本心としては「ん?」と
構えてしまうところがあるのですが
言葉に惑わされず、分解して
問題を突き詰めるように、心掛けています。
それでですね、ごめんなさい💦
ここからが本題なのですが
「がんばらなくても大丈夫ですよ」という
言葉を、職員さんにかけさせて
頂いた事があるんです。
それは、相談された中で
「私はこんなに仕事をがんばっている」的な
ことを言われた時、少し肩の力を抜いてもらおうと
意図を込めて言ったつもりなのですが
その職員さんが言葉を割と額面通りに
受け取ってしまったみたいで
苦手な利用者様の業務を避けたりなど
怠慢ではないのですが、自分のやりやすいように
仕事をするようになってしまいました。
「がんばれ」と「がんばらなくてもいい」は
言葉の意味的には真逆なのに
相手に誤解を生んでしまいやすい言葉なのですね。
配慮が足らなかったなと反省しました。
【弱さを自覚するという強さ】
他人に「がんばれ」と言われてもがんばる必要はありませんし
他人の「がんばれ」には、深い意味は
ありません。
それと同様に「がんばらなくてもいい」を
受け入れすぎる事も、少し難点なのかなと思います。
恐らく「がんばれ」を重く感じる方は
「がんばらなくてもいい」を必要以上に
受け入れてしまいがちかと考えます。
これは介護の仕事の話ですが
がんばらない職員さんが、
手のかかる利用者様の介助を
避け続けたら、どうなると思いますか?
がんばらない職員さんの仕事のカバーは
他の職員さんがします。
「がんばらない人」が多ければ多いほど
他の人を「がんばらせてしまう」んです。
この状態は職場で色々な問題を生んでしまいます。
「なんでこの職員さんは
〇〇さんの介助に入らないの?」
「なんで私ばかり、この人の介助をさせるの?」
とか。
信頼関係が崩れると、施設全体でケアの質が
下がりますし、結果的にがんばらない人も
損をしてしまうと思います。
問題は、問題に感じる人がいて
初めて問題になります。
行動の責任は最終的に自分がとるしか
ありませんので
人がかけて下さる言葉に
必要以上に重きを置かないようにしたいですね。
個人的な経験から書かせて頂くと
他人に自分の弱さを吐き出すことは
「信頼」と引き換えにしているなと
考えています。
人と仲良くなると
個人的な悩みや愚痴を聞いてもらったり
すると思いますが
その頻度が多くなったり
あまりにも一方的になると
次第に、友達から連絡がなくなったり
距離を置かれたりしませんか?
あれは、今まで築いてきた「信頼の貯金」を
自分の「愚痴」や「悩み」を聞いてもらう
対価として、支払っているもので
弱さを自覚して、自分の中である程度消化しないと
次第に、それを発揮出来る状況や場所が
狭まっていくのではないかなと考えています。
「弱い自分を認める」ということは
そのまま「強さ」に繋がるということ
なのかも知れませんね。
【まとめ】
今回は「別にがんばらなくてもいいけれどそれは、がんばる他人あっての考え方かも」
という内容で、書かせて頂きました。
現代はSNSの普及により、
誰でも気軽に発信できる
世の中になった功罪として
被害者の被害者意識は増大し
加害者に対しての排斥は日を追うごとに
高まるような風潮です。
優しい世界の過程の中での
現在の状態であれと願うのですが
あまりそういう印象は感じ取れない中
「がんばれ」「がんばらなくてもいい」
それぞれの他人からの言葉を
あまり重く受け止めすぎないように
過ごしていきたいものですね。
自分の人生の責任は、自分しかとれません。
「あの時、あいつががんばれなんて
言わなければ・・!!」なんて
今際の際に思う人生、やりきれないです。
「がんばらなくてもいい」
この言葉は、とても優しいものですが
「もうがんばらない」と決めた
自分を支えるのは
「いまもがんばっている」
他の誰かの存在なのかも知れません。
他人に優しく、甘く接するだけで
生きていけたら、本当に楽で
幸せなんですけどね( *´艸`)
あなたも、無理なさらないで下さいね。
以上、ことばという他人のことばでしたっ
読んでくださってありがとうございました。