なめないことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「ナメられたくない人の心理を考えて
職場環境その他もろもろを、良くしようっ」
です。


 

【職場環境、どうですか?】

今のあなたの職場は、あなたにとって
居心地が良い感じるものでしょうか?

空間の心地良さって、一体どんな要素で
決まるのか・・不思議ですよね(*‘ω‘ *)

アウトドア、お好きですか?

・・ごめんなさい、自分は生粋のインドアなので
経験も知識もないのですが

趣味で登山をされる方は、例えば富士山の
8合目くらいに売っているカップラーメンが

今まで食べたカップラーメンの中で
一番美味しかった
というのを聞いた事があります。

多分、このカップラーメンって、普通にコンビニや
スーパーで購入できるものとそれほど変わりませんよね?

富士山で食べるのと、普通に自宅で食べるのの違いって
一体なんなんでしょうか?

・・空気が澄んでいるから?

人の感覚というか、感じ方って不思議ですよね(;^ω^)

もっと身近にいうと、一人より、仲良しの二人で
ご飯を食べた方が美味しく感じますよね。


以前から「仕事」をテーマに据えてブログを書かせて
頂いてもいますが今回は

「職場の空気を良くすればおのずと離職を
考える方が減るのではないか」
という
観点でも、書かせて頂きます。

【人はマウントを取りたがる】

まず、あなたが職場で「嫌だなと感じること」って
なんですか?

もちろん、人それぞれだと思いますが
自分だったら「職員の悪口を職員が雑談している」
場面に出くわしたり

「仕事が出来てないことを本人ではなく
周りの職員に伝える人がいる」

「嫌だな」と思います(;^ω^)

「職場の飲み会」って、あなたは好きですか?

「親睦を深める」ための大事な場だと思いますが
気が付いたら、メンツが固定されていませんか?

最近の若い社会人は、職場の飲み会自体に
必要性を感じない方が多いようですが
ごめんなさい、これは自分的には・・ちょっと
歓迎している状況です( ;∀;)

「職場の飲み会」って、愚痴大会になりませんか?
もしくは、「仕事のダメ出し」(;^ω^)
親睦もなにもあったもんじゃないですよね💦
愚痴や、ダメ出しをされている張本人にしたら。

人って、マウントを取りたがります。

「マウントをとる」とは、
「相手より上のポジションを取り
優位性を自慢したり、威圧的な態度を取る」

という意味だそうです。

プロレスのような物理的なマウントではなく
精神的優位に立つ、という意味でのものです。

語弊を恐れずに書くならば

役職者は、職員に

ベテランは、新人に

経験者は、未経験者に


職場という空間の中では、
容易にマウントを取れる状態にあるわけですが

これを職場でしてしまう人がいると
「職場の空気が悪くなる」ことに
繋がるのかも知れません。

自分の経験上のお話で申し訳ないのですが
マウントを取りたがる精神性の方は、
「ナメられたくない」という意識の強い方が
多かったように思います。

相手に「ナメられる」と、例えば職場では
上司だったら指示が通らなくなる。
先輩だったら、言うことを聞かなくなる、

だから高圧的に話したり、不必要に大きな声で
叱責して、相手が自分より下だと思い込ませる
必要があったのだと考えます。

ですが、飽くまで個人的にはですが

尊敬や信頼は「大きな声で正論を言う人」が
得られるわけではないのかなと思います。


【体罰で、相手が得るものはあるか】

話は変わりますが
ぼくの小学校の頃は、体罰云々の議論は
今ほど活発ではなく、

指導の一環で、先生が生徒を普通に
「げんこつ」をしたりもしていました。

自分もある日、小学校の全校集会で、
ぼんやり参加しながら、教員のお話を
なんとなく聞いていたのですが

集会なので、出席番号順に縦に一列で
並ばされている僕の背後に
いきなり接近してきた体育教師が、無言で

「ガンッ!!!」

と、ぼくの足を思い切り蹴って、無言で離れていきました。

もう何がなにやら分からず、周りに注目は浴びるわ
なんかザワザワされるわで、びっくりしたのと
蹴られたショックと、恥ずかしさで

頭が真っ白になって、貧血で倒れそうでした。

蹴られた後に気づいたのですが
その時、僕は列から少しはみ出していた様子で
それを矯正するため、足を使ってご指導頂いたの
だろうと、後で納得しました。

また、当時の小学校の担任の先生は
クラスの生徒が宿題を忘れた時や
何か問題を起こした時(ささいなケンカなど)

「指導」として
「生徒の頬を両手で持ち、強くつねった後
外側に向かって思い切り引っ張る」
というのを
されていました。

当時は「悪い事をしたぼくらのせい」くらいにしか
思っていませんでしたが
今、改めて文章に起こしてみると

「子供の体に衝撃を与える行為に
教育としての価値があると本気で
思っておられたのかな?」
とか

「あの指導をされて
自分は何かを得られたのかな?」


など、疑問を覚えることばかりでした。

もちろん、先生方を全く恨んでいませんし、
たくさん良い思い出を頂いて、感謝しています。

ただ、自分が教師で、例えば列から少しはみ出していた
生徒がいたら、どう指導するかを考えた時

蹴るような行為は、やはり度が過ていると思うし
宿題を忘れた生徒の顔を
泣くくらいの力でつねる
のも、疑問に思います。

まあ、ぼくが単純に嫌われていただけかも
知れませんけど(;^ω^)

【認知症の方への対応】


 自分は、介護施設で働いていまして、仕事は主に
「認知症高齢者のお世話」となります。

昨今「介護施設での虐待」が報道され
問題となっていますが「虐待」の定義は

「自分が虐待と思っていなくとも、相手や
周りの人間に、そう捉えられるようであれば
それは虐待に相当する」
と、僕は考えています。

この点は「いじめ」と性質が似ているように思います。

もちろん「教師」と「介護職」では
立場が違います。「教育」と「お世話」では
対象への効果を生むための方法も異なるでしょうが

共通して言えることがあるとすれば、相手を
「人格を有する、いち人間として捉えるか、どうか」
だと、考えています。

「子供を子供として捉えるのではなく
人格を有する一人の人間として接する」


「認知症ではなく、その方が積みあげて
来られた人格と、関わる意識を持つ」

これだけで、相手に対しての
自分の言動、行動、態度は、自ずと変化するはずです。

「他人に尊重されている」と、感じる事は
人間を人間たらしめる、重要な要素です。

他人に認められたければ
「自分がいかに優れているか」ではなく
「相手をいかに尊重しているか」
を伝えるべきだと、僕は思います。

【まとめ】

今回は「マウントを取る方の心理」について
書かせて頂きました。

自分にも、そしてもちろん相手にも人生があり
「相手」との関わりは、お互いの一部分を
軽く見せ合っているに過ぎません。


どれほど自分に想いがあろうと、

その表現方法が例えば「体罰」などの
「後々相手に疑問を持たれる可能性を持つ関わり方」
では、本当に勿体ないな
と、思います。

勿体ないと思うのは
「あなたの想いは、相手には伝わっていない」
確信を持って言えてしまうからです。

「ナメられたくない」という気持ちは
疑問を持たれる関わり方を生みだして
しまいやすいような気がします。

相手に対して高圧的にふるまうよりも、
例えば職場でしたら、新人さんにも
ベテランさんにも変わらず

誰に対しても誠実に接するように
心がければ、あなたの価値は
「マウントを表現方法とされている方」よりも

的確に、誠実に、伝わりやすいと思います(*^w^*)

ここまで偉そうに書いてきましたが
かくいうぼくも、人一倍自尊心が強く
「ナメられたくない・・」と常に思っている
人間です💦


ですが、だからこそ
いっぱい失敗した中で、今はこれが
いちばん「人にナメられないやりかたかも!」

思っています。

一緒に、ナメられなくなるその日まで
「相手を尊重して」がんばりましょうねっ

ことばでした( *´艸`)
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