あやまりことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「そんなつもりじゃなかったって
言わない、言わせないために、考えること」
テーマにしたいと思います。

ぼくも、あなたも一度は使い、使われた経験がある
(と思われる)この言葉。

「悲しい気持ちのすれ違い」を少しでもなくすため
あなたが考えるきっかけの助けになれたら
嬉しいです(*^w^*)

よろしくお願い致します。

【そんなつもりでは・・】

ことばは、本当によく失敗してきました。

コミュニケーションが得意ではないですし
「自分が他人に受け入れられるわけがない」
という、歪んだ自意識を抱えていました。

今は介護職をしていますが、その前は
店舗での販売接客のアルバイトなどを
経験しました。

その中で先輩や同僚に
色々と指摘されていました。

例えば先輩に「ことば君、頼みたい仕事があるから、
手が空いたら声をかけてくれる?」

と、朝イチに言われた時

ぼくはその言葉を、額面どおりに受けとめ
「よし、手が空いたら、声をかけさせてもらおう」
午前中・・午後・・と、雑務をしていました。

そのまま夕方になり、
「結局、声をかけられなかったなあ・・」と思っていた所
先輩に呼び出され
「朝、手が空いたら声をかけてって言わなかった?」
と指摘されました。

ぼくはその時初めて「手が空いたら」という
言葉の意図に気付きました。

それは
「手が空かなかったら、声をかけなくても大丈夫だよ」
という意味ではなく

「ことば君も自分の仕事があるだろうから、
すぐとは言わないけど、なるべく早く声をかけてね」

という意味だったということです。

ぼくの事を気遣って、かけて下さった言葉でしたのに
その意味を考えようともせず、自分本位な解釈
してしまったことに、とても情けなくなりました。

その時先輩が「君は仕事を舐めているよね?」
きつい言葉をあえて仰って下さったのですが

自分はまさに「そんなつもりはないんです」
弁解をするしかありませんでした。

あの時「申し訳ありません。
自分は先輩の仰って下さった手が空いたらという言葉を
そのまま受けとってしまったことと

細々とした雑務が続いてしまい、
上手く時間を取る事が出来なかった自分の力量不足で
このような時間まで、先輩に声をかけさせて頂く機会を
持つことが出来ませんでした。

決して仕事を軽んじているわけではありません。」

みたいに説明でき・・ていても、
きっと呆れられるだけだったでしょうが

介護職を始める前は、こういう齟齬が
とてもたくさん、たくさんありました。

これは、自分の中に
「相手が何を求めているのか」を汲み取る意識が
決定的に欠けていたためだと思います。

あなたは、誰かから、または誰かに
「そんなつもりじゃない」と言われた、言った
経験って、おありですか?

とても悲しい言葉ですよね( ;∀;)

出来ればもう二度と、使いたくないですし
誰かに言わせたりもしたくありません。


言語でのコミュニケーションを主な手段としている以上
齟齬が起きることは、仕方のないことなのかも
知れませんが、その機会を極力減らせるよう
考えてみたいと思います。

【では、どんなつもりだったのか?】

相手に「そんなつもりじゃなかった」
言われた時、あなたはどう返しますか?

「では、どんなつもりだったの?」

・・自分には、妥当な返しが
このくらいしか思い浮かびません(;^ω^)

ただ、この返しは、相手を責めているような
ニュアンスを含んでいる
気もしますので
その場で持ち出す返答としては、
あまり適切でないのかなぁとも思います。

色々な状況が思い浮かびますが、こと仕事の場合
相手が「そんなつもりじゃない」と言う状況って

「自分が伝えた事に対して、相手の対応が
その水準に満たなかった時」


「相手が自分の言葉かけを、誤解していた」

「意図を理解しないまま物事を進めてしまった」

みたいなことかなぁと思います。

自分が指示する立場であれば、
相手を責めてしまいやすい状況になりますが

もしも自分が上司で、複数の部下などから
同じように「そんなつもりじゃなかった」という
返答をされた経験がおありならば

「自分の伝え方にも、相手が誤解して
しまいやすい言い回しが、含まれていたのでは?」

のように考え、次から言い方を変えてみるだとか

説明に割く時間を多めに取などの検討は、
言われた側も、してみる方が良いかも
知れませんね( *´艸`)

【双方を大切にする】

「アサーション」という言葉があります。

これは1950年代に、アメリカの
心理療法の中で生まれた言葉で

(当時の)意味としては「(強い表現での)主張」
というものでした。

当初は、自己主張が苦手な方を対象にした
カウンセリング技法として
実施されていたようですが

時代背景の変遷などによって、言葉の意味
意図がより現代に即したものに
変化していきました。

日本での心理学的な和訳としては
本来の和訳である「主張、断言」から受ける
【積極的な自己表現】というよりは

もっと柔らかくて

「相手を知るための自己表現」
「お互いの気持ちを尊重する」

という意図で、使用されています。

・・文章だと、堅苦しく感じますね💦

う~ん・・現代の流行りを取り入れて
簡単にいうと
ですね

Aさん「私は鬼滅(の刃)が好き!あなたは?」
Bさん「私も!え、推し(キャラ)は?」
Aさん「え、聞いてくれる義勇さんやばない?」
Bさん「はいはい(好意的な肯定)私は圧倒的伊之助」

みたいな会話の流れですね(*´ω`*)
※ことばの脳内会話です。実際のファンの方が
こういう会話をされているかは知り得ません💦

今回は女性同士の会話を想定させて頂きましたが

女性は一般的に「共感能力」が男性よりも
高い方が多く「無意識なアサーション」を
実践されておられる方が、多い印象を受けます。

Aさんが唐突に「漫画の話題」を振った時
Bさんは間、髪を入れずに同意し

「好きなキャラクター」を聞き返すという
「発展の姿勢」を示されています。

そしてAさんが「キャラクターの名前」を言いました。
そのお陰でBさんも「自身の主張」を発言できる
流れが生まれて

「私は(嘴平)伊之助が圧倒的に好き」

だと、Aさんに伝える事が出来たわけです。

Aさんも、恐らく普段からのBさんの行動を
観察しながら「自分と趣味が似ているかも知れない」
という感覚を持たれていたのでしょう。

この会話の流れは
「双方を大切にするやり取り」ですよね。
Aさん、Bさん、お互いが「有意義な時間を
共有出来ている」
と感じているでしょうから。

「自己表現」は「相手」あってのものです。

例えば「私は〇〇が好き」と相手に伝えるとき
相手には選択肢が3つ生まれます。

「そうなんだ~」と「共感」するか
「わかる!私は〇〇っ」と「発展」させるか
「え、ないかなぁ」と「否定」するかです


コミュニケーションに長けておられる方は
この「選択肢」を双方にとって
「気持ちの良いバランス」を
見極めながら、選ぶ力があります。

結果「会話が楽しい」と感じたり
「自分の事を理解してくれているな」などと
思ってくれやすくなったりするわけですね。

「アサーション」・・
「自分と相手の両方を尊重する」
ことを意識すれば

「そんなつもりじゃなかった」という
「悲しいやり取り」は、自然とこの世界から
消えていってくれるかも知れませんね( *´艸`)

【まとめ】

今回は「そんなつもりじゃなかったという
言葉を減らすには?」
というテーマで
書かせて頂きました。

ぼくは、自分の拙い言葉かけのせいで
相手とのやりとりに、齟齬が生まれた時
とても、とても、辛く悲しい気持ちになります。

ユーモアも発想力も乏しく、アドリブも効かないため
「喋って伝える」ということに、いつまでも
苦手意識を抱えていますが

だったらせめて文章で、自分の気持ちを
伝える事が出来たらという
思いがあって
こういったテーマでブログを書かせて頂いています。

ぼくが働いている介護の世界にも
「ユマニチュード」という
認知症の方に効果的なケアの方法論があります。

テレビなどで紹介される時には
「魔法」などと称されるものですが
ただの「技術」です。

このブログを続けていく中で
テーマにさせてもらえるかも知れません。
機会があれば、触れさせて頂きますね。

あなたの周りから
「そんなつもりじゃなかった」が
なくなりますように・・(*´ω`*)


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